松田優作の映画『野獣死すべし』 荻原朔太郎の『漂泊者の歌』とリップ・ヴァン・ウィンクルについて

この記事は性的表現を含みます。18歳未満の方はご注意下さい

目次 🏃

映画『野獣死すべし』

作品の概要

野獣死すべし (1980年)

原作 : 大藪春彦(デビュー作) Kindleストア
監督 : 村川透
主演 : 松田優作(伊達邦彦)、小林麻美(華田令子)、真田徹夫(鹿賀丈史)、室田日出男(柏木刑事)
音楽 : たかしまあきひこ

野獣死すべし
 角川映画『野獣死すべし』

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あらすじ

大手通信社のエリート記者で、幾多の戦場を渡り歩いてきた伊達邦彦(松田優作)は、惨劇を目の当たりにした経験から、現在は仕事を辞め、閉じこもるように暮らしていた。
ある夜、警官を殺して、拳銃を奪い取った伊達は銀行強盗を計画し、レストランでウェイターとして働く真田徹夫(鹿賀丈史)を仲間に引き入れ、銀行を襲撃する。伊達を慕っていた令嬢・華田玲子(小林麻美)を射殺し、心も野獣と化した伊達は、事件を追う柏木刑事(室田日出男)にも銃を向け、破滅にひた走っていく……。

見どころ

大藪春彦のキャラの中でも一番人気の伊達邦彦が都会の真ん中で野獣と化す。

戦争ジャーナリストとして世界中の渡り歩き、他人には到底理解し得ない独自の哲学を体得した伊達は、たまたま出会ったチンピラの真田を感化して、銀行強盗を働く。
追跡してきた刑事をめった打ちにし、彼らの逃亡は成功したかに見えたが……。

「蘇る金狼」が素直に受け入れられるのに対し、本作は賛否両論で、松田優作のワンマンぶりに嫌悪感をもよおす人も少なくない。

それでも、柏木刑事にロシアン・ルーレットを仕掛けて『リップ・ヴァン・ウィンクル』の物語を語り聞かせる演技は凄まじい迫力だし、撮影中、一度も瞬きしなかったエピソードも有名な話。

たかしまあきひこが手がけた無機質なジャズ・バラードも秀逸。

最後は意味不明だけど、不思議と心に残る映画です。

※ ボニーとクライドみたいに、現実には警察隊に蜂の巣にされたのではないか。

松田優作はこちらの作品にも出演しています

荻原朔太郎の『漂泊者の歌』

『野獣死すべし』の中で、一番印象的なのは、主人公の伊達邦彦が、自分の心情を託して詠みあげる荻原朔太郎の詩でしょう。

風俗の女性と過ごしても、自分は指一本触れず、彼女の自慰行為を遠くから眺めるだけ。

そのバックに流れる詩が、荻原朔太郎の『漂泊者の歌』です。

漂泊者の歌(1921)  萩原朔太郎

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂う。

ああ汝、漂泊者!
過去より来たりて未来を過ぎ
久遠(くおん)の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾(そうじ)として
時計の如く憂ひ歩むぞ。
石をもて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥(せきりょう)を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつては何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情する者を弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
優しく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰へらん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いずこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

この場面を見る限り、異常な戦争体験が原因で、伊達邦彦は性的不能になったのではないか。

似たようなエピソードで、南アフリカの人種差別と薬物実験(人権侵害)をテーマにした映画『『ケープタウン』でも、迫害されて、男性器を傷つけられた主人公の男性が、性欲はあるけども、女性と接触できない、一種の精神障害を描いていました。

性的不能となった伊達邦彦

そんな伊達邦彦に思いを寄せるのが、清楚で美しい華田令子。
クラシック音楽のコンサートで知り合い、同じ感性をもつ女性でありながら、伊達は冷酷にも令子を撃ち殺してしまう。

普通の男女としてデートに出掛けるが、伊達の態度は素っ気ない。

小林麻美の役も台詞が少ないのだが、この場面の「伊達さん……」は非常に印象的。すっごく可愛い❤

小林麻美の清楚な美しさ

伊達に好意を寄せる華田令子

伊達邦彦の共犯となる真田はレストランのウェイター。
下町のチンピラで、好戦的な性格。
後にグルメ番組『料理の鉄人』で、あれほど華麗な進行役に徹していた鹿賀丈史が、ここでは下品なチンピラを演じて、驚かされる。
ちなみに松本清張・原作の映画『疑惑』でも、桃井かおりが演じる鬼塚くま子に思いを寄せるチンピラを好演。

チンピラを演じる鹿賀丈史

多分、脚本が悪いのだと思うが、伊達邦彦ばかりにフォーカスして、真田というキャラクターを生かし切れなかったのが残念。
洞窟の場面も、伊達の独り言が無駄に長く、いつまでも延々と○○トン運動をしなければならない鹿賀さんがカワイソでした。

リップバン・ウィンクルについて

『野獣死すべし』といえば、リップバン・ウィンクルのエピソードが有名ですね。

知ってるけど、訳が分からないという方も少なくないのではないでしょうか。

柏木刑事に向かってリップ・ヴァン・ウィンクルの物語を聞かせる伊達邦彦

『野獣死すべし』といえば、リップバン・ウィンクルのエピソードが有名ですね。

知ってるけど、訳が分からないという方も多いのではないでしょうか。

銀行強盗した伊達邦彦を目前まで追い詰める柏木刑事だが、逆に相棒の真田に挟み撃ちにされ、拳銃を奪われます。

伊達は、銃弾を抜くと、一弾だけ装填し、柏木刑事にロシアンルーレットを仕掛けます。

一発、一発、空弾を打ちながら、柏木に話すのがリップバン・ウィンクルの逸話。

寝ますか?
寝る前に お話を一つ してあげますよ

リップバン・ウィンクルのお話、って知ってます?
いい名前でしょ。

彼がね 山へ狩りに行ったんですよ。
そこで こびとに会ったんです。
何て名前だったか 忘れましたけどね
ずいぶん昔だったから

そにかく そのこびとに会って 
ウィンクルはお酒をご馳走になったんですよ
そのお酒があまりにも美味しくて
どんどん酔ってしまったんです

そして 夢を見たんです
眠りに落ちて

夢を見たんです……

寒いですか? 

その夢はね どんな狩りでも許されるという
素晴らしい夢だったんです
ところが その夢がクライマックスに達した頃
目が覚めてしまったんですよ

辺りを見回すと こびとはもういなかった
森の様子も 少し変わってた
ウィンクルは慌てて 妻に会うために 村に戻ったんです

ところが 妻はとっくの昔に死んでたんですよ
村の様子も全然変わってましてね

分かります?

つまり ウィンクルが一眠りしている間に
何十年もの歳月が経っていたんです

面白いでしょ

伊達邦彦は、大手通信社の外信記者として幾多の戦場を渡り歩き、凄惨な出来事を目にするうちに、人間としての通常の感覚を喪失したのでしょう。

その過程は、ロシアンルーレットの場面に時々挿入される戦争写真で窺えます。
(ロシアン・ルーレットに関してはこちらも参照して下さい。戦争とは歴史の無慈悲なロシアン・ルーレット 映画『ディア・ハンター』

しかし、自分が戦争で取材に駆け回っている間、日本はのんびりと時間が過ぎて、戦争とは真逆の平和の中にある。

まったく異なる社会に戻って、悪い夢でも見ているような気分になったのだと思います。

どんな狩りでも許される」というのは、戦場での残虐行為を意味するのでしょう。

現代風に言えば、伊達邦彦も、一種のPTSD(心的外傷)なのかもしれません。

リップ・ヴァン・ウィンクルとロシアンルーレット

このエピソードの落ちは、「そんな酒なら、飲んでみたいな……」と強がる柏木刑事に、伊達がカクテルのレシピを語ります。

カクテルの名前は『XYZ』。

すなわち、「これで終わり」です。

結局、最後まで銃弾は発砲されず、「あんた、ツイてるね。面白かったでしょ。僕も疲れちゃった。寝ましょう、今日は」と、いったん終結したように見えますが、その後、生産な暴力が行われたのは明白です。

最後に柏木刑事の姿が見えるのは、伊達邦彦の良心の影でしょう。

大藪春彦の原作より

本作は、大藪春彦のデビュー作となります。

新潮文庫 Kindle版の解説は次の通り。 

敗戦で満洲から引揚げた伊達邦彦少年は、大戦の惨害に人間性の根底まで蹂躙され、大学生の頃には計算しつくされた完全犯罪を夢見るようになる。大学入学金の強奪に成功した彼は、戦時中父の会社を乗っ取った京急コンツェルンに対し執拗な復讐を開始する。怜悧な頭脳、端正な容貌と猛獣のような体躯を持つ非情の男伊達邦彦を描くハードボイルド小説の傑作。大藪春彦のデビュー作となる正編に加え、「週刊新潮」に連載された続編となる復讐編を収める。

原作の伊達邦彦は、映画とかなり異なっています。

倫理観をなくした野獣というよりは、社会に踏みつけにされた男の復讐劇のような印象です。

小説の冒頭は、次の通り。

深夜の雨の情景が非常に美しいです。

深夜。しめやかな雨が、濡れた暗い舗道を叩いていた。

黒々とそびえる高い塀にかこまれた新井宿の屋敷町。

青白い門灯が、あたりの鬱蒼とした樹木に異様な影を投げ、その邸宅の前には通りすぎる人影もない。遠くから、寝もやらぬ街のダイナミックな息吹がかすかに伝わってくる。この雨に拾った客を乗せて、時々気違いじみたスピードでかすめ通った流しのタクシーも今はすでに途絶え、この一郭は静かに眠りをむさぼっていた。

「夢見るような瞳」「夢見る趣」とあるように、原作の伊達邦彦も、我々の現実社会とはまったく異なる次元に生きています。

黒塗りのボディを滑らかに光らせたビュイック・エイトは、水をはね返す音をかすかにたてて滑りこみ、その大邸宅の手前に止まった。濡れたアスファルトに、車のシルエットが鮮やかに映る。

車の中の男は、ヘッド・ライトと車内灯のスイッチを切った。

クッションにもたれて、ラジオから流れる甘美な深夜の調べに、夢見るような瞳をあげて耳を傾けている。

ポマードもつけぬ漆黒の髪はおのずから渦を巻き、彫ったように浅黒く端正な顔は若々しい。甘い唇には孤独の影があるが、愁いを含んで深々と光る瞳には夢見る趣がある。

描写もスピード感があって、映像的です。

車の中の男は警部に声をかけた。

振り向いて車へ顔を寄せる警部へ、男は拳銃をつきつけた。

警部はさざ波の様に腋の下へ手を伸ばしたが、一瞬早く車の中の男は引き金をひいた。

掌から肩にかけて突っ走る軽い衝撃と共に発する銃声は、パッと鋭く小さい。

警部は眉間に小さな穴をあけて、くずれ落ちた。流れ出る血は見る見る雨に滲んで、濡れたペーブメントにとけていった。

前作の映画『蘇る金狼』に比べると、松田優作の思い入れがあまりに強くて、前作のようなカタルシスがないのが残念。全編、ハードボイルドというよりは、伊達邦彦の心象風景を見せつけられるようで、人によっては視聴するのが辛いかもしれません。また原作ともイメージが微妙に違うので、大藪ファンも賛否両論といったところでしょう。あくまで松田優作のプライベートフィルムとして楽しむのが吉かな、と。
ついで言うと、キャッチコピーの『青春は屍をこえて』に全然合ってない (^_^;
誰かにこっそり教えたい 👂
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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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