情報収集・分析・執筆・考察(推敲)のプロセスを身に付ける

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記事について

『執筆の9割は情報収集、書くのは1割』と言われるように、説得力のある文章を書くには調べ物と分析が不可欠です。
執筆の五段階とそれぞれのコツを紹介しています。

目次 🏃

情報収集・分析・執筆・考察(推敲)・評価

ここでは階層(見出し)のある小説や論文の書き方について紹介しています。

コツが分かれば、数百枚、数千枚に及ぶ長編でも、きちっと片付けることができますので、興味のある方は参考にして下さい。

執筆の五段階

私が本格的な論文の書き方を学んだのは、看護学校です。

看護系のレポートや論文では、次の五段階を重視していました。

  1. 情報収集 ・・ 調査・検索
  2. 分析 ・・ データから推測される問題と支援策
  3. 実施 ・・ 実践の記録
  4. 考察 ・・ 発見と反省
  5. 評価 ・・ 結論・まとめ

このプロセスは、小説の執筆も同じです。

以下、どのように関連付けるか、解説します。

情報収集

まず、その小説を書くにあたって必要な情報を集めます。

海洋小説なら、海洋科学に関すること。

一口に海洋科学といっても、非常に幅広いですから、「工学」「地学」「生物学」など、自作のコンセプトに必要な情報を中心に収集します。

たとえば、私が執筆した『MORGENROOD -曙光』の場合、メインとなるのは、『海底鉱物資源』『洋上の採鉱プラットフォーム』『深海調査』ですから、「地学」「水中技術」「ロボット工学」などがメインになります。

ネットの情報収集には、『Evernote』を活用しています。

執筆の参考になりそうなウェブサイトや論文PDFをどんどんクリップして、必要な箇所はマークしたり、別のアプリに整理したり、テーマに関する理論や技術、最新の動向などを学びます。

ここで作品や論文の質が決定するといっても過言ではありません。

「これ」と思う情報に辿り着けるか否かが、成否の鍵です。

多くの場合、情報収集が執筆の9割を占めます。(後述)

Evernote 情報収集

本作は採鉱プラットフォームが要なのですが、この資料を探し出すのに、12年以上の歳月がかかりました。(90年代はまだウェブサイトが一般的でなかったので)
まさに作品の決め手になった情報です。

Evernote 情報収集

分析

収集した情報に目を通し、「必要なもの」「あとで役に立ちそうなもの」「保留」「無視」など、自分なりに整理して、テーマの本質を理解します。

たとえば、『海底鉱物資源』に関して執筆する場合、鉱物や金属に関する知識はもちろん、鉱床の成り立ちや賦存状況、調査の手法など、いろいろ調べないといけません。

最初は、情報を追うのが精一杯で、それが何を意味するかは分かりませんが、資料を読むうちに、「必要な技術」「技術的課題」など、いろいろ見えてきます。

その過程で、「じゃあ、資金はどうするのか」「法的な制限はないのか」、新たな疑問が湧き、またそれについて調べて、知識を縦横に広げていきます。

そうして、点と点を繋ぐうちに、一つのストーリーが織り上がり、それに基づいたキャラクターやツールが誕生するわけですね。

情報収集と分析は密接に結びついていて、情報 → 分析(理解) → さらに情報 → さらに分析、と、行きつ戻りつしながら、構想を膨らませていきます。

情報をまとめる傍ら、プロットも構築し、どんどん話を組み立てていきます。

こちらは、情報整理とメモ書きに使用したOneNoteです。
膨大なクリップの中から、本当に必要なもの、後に役立ちそうなものを集めて、整理し、気付きやアイデアを書き込んでいきます。

OneNote 情報分析と整理

こちらは、小説の設定用のノートです。

情報から導き出される事実や推測を元に、フィクションの設定を組んでいきます。

TreeDBNotes 情報分析 小説の設定

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実施(執筆)

執筆は、情報収集・分析の段階で描いた青写真に添って、筆を進めていくだけです。

情報収集・分析がしっかり出来ていれば、ある程度はスムーズに行きますが、途中で、「本当にこれでいいのか?」と立ち止まることもあると思います。

そんな時は、もう一度、資料を読み直したり、新たな情報を探ったり、別の角度から検証してみましょう。

たとえば、当方は、第四章『深海調査・ウェストフィリア』の最初の草稿を全部破棄しました。

途中で、この設定とキャラの行動は有り得ない、と考えたからです。

そしてまた、情報収集から始める。

その繰り返しです。

土台となる情報と、そこから導き出される答えが揺るぎないものであれば、途中で詰まることはありません。

途中で、だんだん辛くなるのは、情報収集の段階で、テーマとは無関係なものを積み上げているか、認識が間違っているか、どちらかです。

たとえば、織田信長と明智光秀のエピソードを元に、サラリーマン社会の出世と裏切りを描く場合、それに関する史実を集めますよね。

しかし、最初の段階で、「自分は何を読者に伝えたいのか」「信長と光秀の悲劇から学ぶことは何か」を見失い、光秀が信長を裏切った証拠ばかり追いかけて、「これが真相だ!1」と強調しても、ただの謎解きでしかないですよね。それはドラマではなく、月刊ムーの世界です。

たとえ、そこに新事実があったとしても、人間ドラマを期待して読み始めた読者からすれば、「それで? 結局、何が言いたいの?」という感想にしかなりません。

そうではなく、話の根幹に男社会の嫉妬や野心があり、それを現代のサラリーマン社会にスライドする形で描いたら、たとえ、既に知られた史実でも、「そういう解釈があったのか!」と読者は感心しますよね。

とするなら、力を入れて収集すべきは、彼らの出会いから裏切りに至るまでの経過はもちろん、一体、信長とは、部下の目から見れば、どのような男だったのか、光秀は戦国時代にどのような展望を持っていたのか、どこが、どう、信長と違っていたのか、そのあたりを重点的に調べて、彼らの屈折した心理と上下関係を自分なりに分析して、構築しないといけない。

だから、情報収集の段階で、着眼点がずれていると、ドラマのはずが単なる謎解きになってしまい、誰にもまったく共感できない、何が言いたいのかさっぱり分からない、史実だけがだらだら綴られた、月刊ムーの読み物になってしまうのです。

多くの物書きが、「書くのは情報収集が9割、執筆は1割」というのは、そういう事です。

みな、原稿用紙に向かう前に、情報収集と分析に恐ろしいほどの時間をかけて、「よし、この線で行こう」と土台が完全に固まった時に、初めて最初の一行を書き出す。
(そうじゃない時もあるけど)

それでも、書いてる途中で、だんだん疑問が湧いてきて、もう一度、最初から、資料を読み直してみる。

そういうことを、延々と繰り返して、やっと鑑賞に堪える作品に仕上がるものです。

考察(推敲)

一通り書き上がったら、推敲に取りかかります。

推敲の必要性は、こちらに詳しく書いています。

文章力は推敲によって伸びる ~自分で自作の粗が分かりますか?

推敲する自分と執筆する自分は、いつでも「他人」です。

自分が書いたものを、どこまで客観的にペン入れできるかで、完成度も大きく違ってきます。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、何度も書き直して、初稿と推敲後では結末も大きく違っているのは有名な話です。(結局、未完で終わってる)

やはり、それぐらい強い思い入れがないと、名作にはなり得ない見本です。

評価

看護論文における『評価』は、「この症例から得られた学び」「将来の展望」みたいな話で、論文というより感想文に近いです。

「高齢者の術後管理の難しさを思い知らされた」「今後、ますます同様の症例が増加すると考えられる。我々、看護者は・・」等々。

小説の場合、テーマの絞り方、情報収集の仕方、もっと役立つツールなど、プロセス全体を振り返るのもいいし、他人の意見を参考に、今一度、作品を読み返し、「やはり、ここがマズかった」というのを謙虚に受け止めて、次に活かす気持ちが大事と思います。

駄作を書くことは、恥ではないです。

名作が書ける方が稀なので。

本当に恥ずかしいのは、間違いを正さないことです。

なぜ情報収集が大事なのか ~作品のリアリティについて

薄っぺらいブログ記事を揶揄する言葉に、『コタツ記事』があります。

読んで字の如く、怠け者のライターが、ウェブ上の情報を適当に切り貼りして、『イタリア旅行 おすすめ5選』みたいな記事を仕上げることです。

実際にイタリアに行ったことも亡ければ、海外旅行すらしたことのないライターの言葉に、どんな説得力があるのか。

「この程度なら、旅行会社のサイトにも載ってる」と思ったら、もう二度と、その人のブログ記事は読まれません。

実際にイタリア旅行に行った人が、「バスチケットはここでも買えます」「○○見学なら秋がおすすめ。理由は……」みたいに、画像も交えて力説している記事は、たとえ拙い文章でも、興味のある人は必死に読みます。

そこでしか読めない情報と熱意が感じられるからです。

小説も同じ。

何も調べもせずに、Wikiやファンサイトをぺろっとコピーして、継ぎ接ぎしたような「コタツ小説」は、たとえ文章的に間違いがなくても、面白くも何ともありません。

第一に、リアリティが感じられないし、読む人には「手抜き」が丸わかりだからです。

それは「史実や科学的事実に基づいて、忠実に書け」という意味ではなく、基本を知ってファンタジーに膨らませるのと、何も調べもせずに、適当に話を作るのでは、説得力に雲泥の差があるからです。

たとえば、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』には、「ワープ航法」が登場します。

時間と空間の歪みを利用して、一気に10万光年を飛び越える……という夢のようなファンタジーです。

が、それも、適当に話を作ったのではなく、ベースには、アインシュタインの相対性理論や物理学があり、それを踏襲した上で、「時間と空間の歪みを利用して」と言ってるわけですね。

また、ワープ航法を解説する、科学技術班・班長の真田さんのキャラクターにも説得力があります。

作中、真田さんは、科学のことなら何でも知っていて、子供にも「頭のいい人」というのが分かります。

「その真田さんが言うのだから、本当に出来るのかもしれない」

と思わせるのが、原作者の上手さです。

同じヤマトのキャラでも、「古代くん」が説明しても、何の説得力もありません。

「お前、本当に知ってるのかよ?!」とツッコミを入れたくなりますね。

でも、真田さんが説明すれば、「おお……さすが科学技術班・班長」と、なぜか納得してしまう。

これがキャラの説得力であり、ベースになっているのは、アインシュタインや物理学です。

ワープ航法も「思いつき」ではないんですね。

このように、「光線銃コスモガン」とか「放射能除去装置 コスモクリーナーD」とか、有り得ないようなファンタジー武器も、「なるほど」と唸らせる部分があって、初めて物語が引き立ちます。

それは、描写の細かさや、形状のユニークさではなく、「いかに読者や視聴者を納得させられるか」であり、その基盤となるのが、普遍的な理論=情報収集なのです。
(コスモガンに納得がいくのは、レーザーは高熱で破壊力があることを誰もが知っているから。コスモクリーナーDに説得力があるのは、放射性物質も徐々に放射性崩壊して、脅威も半減するから。放射性元素の性質を利用して、イスカンダル星人が作ったんだと分かる)

仮に、光速をはるかに越える『スーパー・コスモエンジン』なるものを搭載しても、かえって物語が陳腐になるだけです。

何故なら、SFアニメを観るようなファンは、それなりに科学知識を有している人が多いから。

ファンタジーはOKでも、あまりに科学的事実を無視した設定は、かえって白けます。

それよりは、「その手があったのか」と唸るような独創性が欲しい。

その上で、文章が拙いとか、キャラがいまいち好かないとか言うのは、許容範囲なんですね。
(ちなみに、当方は、アムロが苦手で、真剣に観る気がしないのですが、ガンダムという世界観はいいと思います)

終わりに ~根拠と説得力がなければシラける

最後に、なぜ看護学と小説が結びつくのか、ということをお話します。

上述のように、看護学校では、看護レポートや看護論文の手法として、「情報収集・分析・執筆・考察・評価」という五段階のプロセスを学びます。

そういうテンプレートがあって、それに沿って、調べたことや考えたことを文章化するうちに、その人に必要な看護、実践、振り返り、という看護行為が身につく仕組みになっています。

たとえば、「胃がん患者の術後看護」について看護計画を立てる時は、『術後管理』という共通のメソッドに加えて、「高齢」「糖尿病」「一人暮らし」「貧血気味」「告知すみ」「家族関係」など、患者固有の情報から、その人に最も適したケアを導き出します。

八十代の老人と四十代のスポーツマンでは、基礎体力が全く違うし、高血糖の人と高血圧の人では、同じハイリスクでも観察のポイントが違ってくるからです。

情報収集(血液検査、造影検査など)から問題点を分析し、重要度に応じて、優先すべきこと(血糖コントロール、易出血性など)を整理、その為に為すべきこと(血糖チェック、包帯交換など)を立案する。

ここまでが、看護前の準備になります。

小説に喩えれば、執筆前の資料集めとプロット構築ですね。

次は、自分たちが行った事や患者の容態をつぶさに記録し、全体を振り返って、一連の看護が適切であったかどうかを考察します。

時には、再出血したり、感染症を起こしたり、問題が生じて、スムーズに回復しないこともあります。

その際、自分たちの観察やケアの仕方が間違っていたのではないか、振り返ることが非常に大事です。

そして、間違いに気付いたら、次に活かす。

その繰り返しです。

看護師も適当に体温を測ったり、包帯を巻いたりするのではなく、一つ一つの行為に、医学的根拠があるのです。

小説も、「好きなことを、つらつら綴る」、フィーリングの世界というイメージがありますが、本当に完成度の高いものは、たとえ脇役でも、説得力があるものです。

空想の産物でありながら、いかにリアリティを持たせるか。

その鍵を握るのは、 ワープ航法のアインシュタイン理論です。

人類が生き残りをかけて戦うアニメに、テキトーな武器や作戦が出てきたら、皆がシラけてしまうのです。

「ちゃんと調べて、論理的に書く」という技術は、WEBライターをする上でも必須の技術です。
以前は何でも書けたらOKのところが多かったけど、今は雇う側も厳しくなり、誰も知らないような情報をピックアップして、骨子のしっかりした文章に仕上げられる人が重宝されています。
Google検索も年々、ハイレベルになり、「今日のお昼はカルボナーラ」みたいな記事はインデックスもされない時代になりました。
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本当に大勢の人に読まれて、なおかつ、見た人の記憶に残るようなものを書きたければ、どれほど面倒で、しんどくても、必死で勉強するしかないんですよ。ピアノやダンスと同じです。

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