詩心とは何か ~たとえ水に書いた詩が消えてしまっても、愛を思い出せるように

水になにを書き残すことが
できるだろうか
たぶんなにを書いても
すぐ消えてしまうことだろう

だが
私は水に書く詩人である
私は水に愛を書く

たとえ
水に書いた詩が消えてしまっても
海に来るたびに
愛を思い出せるように

《寺山修司少女詩集》 角川文庫

どんな人でも「詩のようなもの」を作ることはできる。
あれが綺麗、これが悲しいと、頭に浮かんだことをつらつら書き綴るだけなら、誰でも詩人である。

だが、本物の詩は心情を語らず、世界に自分の心を映す。
それは雨音だったり、月の光だったり、色形も様々だ。
時にはこの世に存在しない怪物や妖精が己を語ることもある。

詩はつぶやきとは違うし、小説を縮めた短文でもない。
甘美な表現とは裏腹に、シビアなまでの自己分析と現状認識に支えられたものだ。
泣き叫ぶ自分自身も題材にできる客観性があるから、多彩な言葉で己を語ることができるのだ。

上記の詩も愛を謳っているが、愛がいかに切なく、儚いものか、知っているから「水に愛を書く」という表現ができる。詩心と哲学は表裏一体。詩人とは謳う者ではなく、世界の深奥をのぞき込む者なのだ。

人が世界に深く問いかけることを止めた時、詩もまた居場所をなくしてしまう。
海に来る度に思い出すのは、書かれた詩より、そこに至るまでの自分自身ではないだろうか。

誰かにこっそり教えたい 👂
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