『何者かになりたい人々』のマウンティング合戦

何者かになりたい人の悩みに決定的に欠けているのは、望み通り「何者か」になったとして、その次、何がしたいのか、という視点ではないでしょうか。

何者かになるから、何かができるのではなく、何かをするから、何者かになれるわけでしょう。

これって、「作家になりたい」という夢とよく似ていると思います。

「じゃあ、作家になって、何が書きたいの?」と問われたら、特にないんですね。

作家というのは、「どうしてもこれが書きたい」というものがあって、一つでも作品を書き上げた人が初めて名乗れる肩書きであって、周りに『作家』と認知されたからといって、誰もが素晴らしい作品が書けるものでもないです。

ただ単に「作家」という肩書きが欲しいだけなら、そうした生き方は早晩行き詰まるし、周りに期待されれば、されるほど、重いプレッシャーになって、潰れてしまうのではないでしょうか。

ゆえに、周りが認める「何者か」になれたとしても、それは必ずしも人生の成功を約束するわけではないし、むしろ、その肩書きに縛られて、いざ本当に自分のやりたい事に巡り会えたとき、にっちもさっちも身動きが取れないという問題も出てくると思います。

最初から「どうしても、これがやりたい」という人とは、入り口も出口も違うんですね。

誰かに自慢して、マウンティングするのが目的なら、上には上がいるし、学生コンクールの入賞者は、ショパンコンクールの入賞者には生涯頭が上がりません。

それでもピアノを弾き続ける人が「ピアニスト」を名乗れるのであって、ショパコンに入賞したからどう、というものではないんですね。

見栄えのいいプロフィールを作成するのが目的なら、この世には知力体力ともに自分より優れた人がごまんといるし、常に競争競争で、仕事も趣味も自分を消耗させるものでしかないです。

「何者かになりたい」より「何がしたいのか」の方が100倍大事だし、後者に献身している人は、肩書きに依らず、人生を謳歌しているものです。

早く周りに認知されようと焦るより、まずは生涯を貫く「何か」、人生をかけても惜しくはない「何か」を見つけるのが得策ではないでしょうか。

現代ビジネス
「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「食い物」にされまくっている悲しい現実(熊代 亨) @genda... 「何者かになりたい」。多くの人々がこの欲望を抱え、日々を奔走し、消耗している。そして、モラトリアムの長期化に伴い、こうした問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張...
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