年下の恋人
ベラの苦悩とアドナの恋心

ベラは17階でエレベーターを降りると、南翼の倉庫に向かった。

総合受付で事務手続きを済ませ、一旦、空の手押し車を所定位置に戻すと、次のタスクを片付ける為、フロア奥の機械工具エリアに足を向けた。

まだこれから120階の営繕課まで二往復し、山のようなコンテナボックスを配達しなければならないのは億劫だが、圏内を探索するなら倉庫係が一番都合がいい。とりわけ土日はどの部署も閑散として、書類を覗き見たり、写真を撮るには最適だ。家庭のある人は週末勤務を嫌がる為、独り身のベラが土日勤務を積極的に引き受けても、不審に思う者はない。

機械工具エリアには、高さ5メートルを超えるスチールラックに機械部品や工具が所狭しと並んでいる。関係部署に必要な物品を届ける傍ら、在庫量を管理データと照らし合わせ、過不足や品質劣化がないか確認するのがベラの仕事だ。

ベラはキャスター付きの移動式階段をスチールラックの側に寄せると、最上段に登り、スチールラックの奥から配管修理用の部品が入ったボックスを引き寄せた。

何かと手間のかかる仕事だが、機械工具エリアへの転属を申し出たのはスティンを手助けする為だ。倉庫係といっても、職員の士気はゆるゆるで、ネジ一本まで生真面目に数え上げる者はない。一晩、電動ドリルやノコギリが持ち出されても誰も気付かないし、蛍光テープが一ダース消えても『原因不明』で片付けてしまう。

また倉庫係のユニフォームを身に付けていれば、上階の出入りも比較的自由で、重要施設のかなり奥まで立ち入ることもできる。不審に思われても、相手の鼻先にボインを突きつけ、ぺろりと舌を出しておけば、警備員も鼻の下を伸ばして、それ以上、厳しく追及することもない。時には遺伝子センターやIT室の配送を肩代わりすることもあり、傍目には仕事熱心に思われているようだ。

だが、こんな綱渡りみたいな生活もそろそろ限界だ。スティンとガル爺さんの生活を助ける為、市民課の窓口で嘘をついたり、仮病を使って薬をもらったり。方々で一芝居うってきたが、いつまでも通用するほど周りも愚かではない。ばれたら、ベラも厳重注意では済まされないだろう。

それにもういい加減、潮時という思いもある。

このまま関係を続けても、スティンとは何の発展もないばかりか、自分も共犯の罪に問われるだけだ。たとえ釈放されても、死ぬまで執政府に目を付けられて、生活もしづらくなるだろう。

だが、これまで尽くした年月を思うと、そう簡単に割り切れるものではない。このまま年だけ取って、彼が他の誰かと幸せを掴む様を間近に見るぐらいなら、いっそこの手で殺してやりたい――。

と、そこまで考えて、ベラは項垂れた。

殺すなど、それが本音であろうはずがない。

愛しているのだ。

だが、十三歳も年の離れた男――それもオムツの頃から世話してきた男に、どうして頭を下げて愛を乞うことができるだろう。若い男は残酷だ。自分だけが前を向き、老いゆくものは、どんどん後ろに置き去りにする。

悔し涙があふれ、わっと泣き叫びたいような衝動に駆られた時、背後で物音がし、何事かと振り返ると、スティンのお気に入りのウサギちゃんだ。天使みたいなケーシー白衣を着て、男のくせに腹が立つほど綺麗な顔をしている。べっ甲眼鏡の縁をぐいと押し上げ、「何の御用かしら」と威圧するように言うと、

「スティンのことで、二、三、お伺いしたいことがあります」

アドナが冷静に答えた。

「どうして、私に聞くの」

「親しくお付き合いされているようなので……」

「別に親しくなんかないわよ。しょっちゅう一緒に居るわけじゃないし、暮らしも別々。彼とはたまに寝るだけ。本当にそれだけよ」

「それでも長い付き合いですよね。彼とはよく話すんですか? 家族のこととか、ビリヤードのこととか……」

「それで、何が聞きたいの? スティンとはどういう関係? 週に何回ぐらいセックスしてるの? 彼はあなたを愛してるの? 本当に聞きたいのはそっちでしょう」

「……」

「お察し通り、彼の事なら何でも知ってるわよ。だって、オムツの頃から世話してきたんですもの。そりゃあ、学生の身には大変だったわよ。特におねしょの後始末はね。彼がどれほど手の掛かる子供だったか、思い出話なら、ある程度はお答えできるけど、それ以外はお断り。彼にもプライベートがあるのよ。出会ったばかりの人間に、身の下のことまでペラペラ話せるわけがないでしょう」

「では、ずばり聞いていいですか。なぜ彼には市民IDが存在しないのです? そればかりじゃない。学生年鑑の記録もなければ、保健所の検診記録もない。給食の名簿も、住民台帳も、何もかもです。まるで幽霊だ。そんなこと、この《天都》では絶対に有り得ません」

「へえ! ずいぶんご執心ね。そんなに彼が好きなの? いくら執政府の役人でも、本人の同意なしに個人情報を照会することは禁じられているはずよ。あなたにそれだけの権限があるの? どうせ違法すれすれの確信犯でしょう」

「では、こう言えばいいですか。100階のプールバーの常連客に紅疹病の患者が見つかって、ジェシカという女の子の死と関連性が疑われていると」

「紅疹病ですって?」

「そうです。あの女の子が紅疹病だったとは思いませんが、彼女がクラスメートに『自分の恋人はハスラーで、キスの上手な家庭教師』と吹聴していたことから、『家庭教師のテイラー』、すなわちスティンが調査リストのトップに挙がっています。どこに身を隠そうと、いつかは突き止められ、保健所の聞き取り調査を受けるでしょう。そうなれば市民IDが存在しないことも、すぐにばれますよ」

「スティンは感染なんかしてないわよ。性病もちなら、私が一番に気付いてるわ」

「病気でなくても、このままでは危険です。市民IDが存在しないことが明るみに出れば、保健所ではなく、警察でもっと厳しい取り調べを受けます。でも、今のうちに自首すれば、刑も軽くて済みます。もし違法行為に手を染めているなら、どうか彼を説得して下さい。わたしを頼って下されば、支援もしやすいです」

「うまい理由を考えつくものね。そんなに彼の気を引きたいの?」

「色恋の話ではありません。わたしは……」

「そもそも厄災をもたらしたのは、あなたでしょう。あなたが最下階にやって来て、ジェシカの住まいを訪ねたりしなければ、もっと違った展開があったはず。自分で厄災をもたらしたくせに、偉そうにわたしやスティンに説教するの?」

「その通りです。いろんな意味で、わたしは最下階に来るべきではありませんでした。最初から無縁な世界と知らん振りをしていればよかったのです。でも、無視できませんでした。なぜって、わたしも同じ世界の住人だからです。わたしが関わろうと、関わるまいと、いずれ全て露呈します。一人で権力に逆らうのと、有力者の支援を得るのでは結果も大きく異なります。どうか彼を説得して下さい。このままだと、ありとあらゆる罪を着せられて、一生刑務所で過ごすことになりますよ」

「ま、伝えるだけ伝えてみるわ。もっとも、スティンが聞き入れるかどうかは分からないけど。ところで。あなた、どうしてそんなにスティンにこだわるの? スティンに恩を売っても、彼は決して振り向いたりしないわよ。まして同性など」

「……」

「話のついでに教えてあげる。彼、少年時代にレイプされかけたことがあるの。相手は筋金入りの同性愛者で、衆人環視の中での暴行だった」

「……病院には行ったのですか?」

「何を寝惚けたことを言ってるの! あなたも自分で調べたんでしょう、彼には市民IDも、検診記録も、何も存在しないってこと! 大勢の前で辱めを受けても、誰にも助けてもらえない。それが彼の定めなの。見ての通り、スティンは子供の頃から勝ち気で、闘争心も人一倍。ビリヤードを始めてからは100階のプールバーに通い詰め、大人の男に交じって勝負を挑むようになっていた。それであの変態(スネーク)に目を付けられたのね。ある晩、『ガキのイカサマ」と因縁をつけられ、スティンはひるむどころか虎みたいに食ってかかった。怒った変態男は仲間数人とスティンをビリヤード台に抑えつけ、パンツを脱がして、本気で犯そうとしたのよ。幸い店主が異常に気付いて止めに入ってから事なきを得たけど、本当はやられたんじゃないの。私には詳しいことは話さなかったけど」

すると、アドナはきっと鋭い視線を向け、

「なぜ、あなたは彼の恥になるようなことを、他人の前で平気で口にするんです? この前の晩も、初めての時はどうだの、彼を辱めるようなことを言いました。彼は平気な顔をしていましたが、人前であんな風に揶揄されて、傷つかないはずがありません」

今度はベラが押し黙ると、アドナは悲しげに目を伏せ、

「貴重な情報をありがとうございます。次に彼と話す時は、その点に留意します。でも、これだけは誤解しないで下さい。わたしは本気で彼の身を案じています。事がばれたら、聞き取り調査だけでは済まないでしょう。でも、わたしなら彼を救えるかもしれない。エルメインに直言できる、数少ない人間の一人です……」

と居たたまれぬようにその場を後にした。

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石田 朋子

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