アドナは午後五時に仕事を終えると、セスに教えられた少女の個人情報を頼りに、フロアの中心にあるメインエレベーターに乗り込んだ。
二十人乗りの垂直型エレベーターは、長大な円柱のライトフォールに沿って、東西南北に二台ずつ、合計八台が設置されている。
このライトフォールはタワーの心柱の役目も果たしており、直径は約15メートル。天端は屋内農園の中心に煙突のように突き出し、アクリル製樹脂の天板に覆われている。突き出した円筒の周りには、背の高い緑黄翼野菜の水耕タワーが生け垣のように張り巡らされている為、農園で働く者は普段意識しないが、もしアクリル製の天板から下方を覗けば、底なし井戸のような景観に卒倒するだろう。
このライトフォールは『主塔』とも呼ばれ、フロアを東西南北に区画する主通路の交差点でもある。四つのエリアは『翼』と呼ばれ、各翼の機能も間取りもフロアごとに大きく異なっている。
また各翼のコーナーには十人乗りの小型エレベーターが東西南北に三台ずつ、合計十二台が設置され、市民の足となっている。
いずれもガイドレールによってキャビン(カゴ室)が移動するリニア式エレベーターで、3階のIT室で制御している。
アドナは液晶パネルの操作盤に指を滑らせると、『144』と目的の階を入力した。
強化ガラスで覆われた半円筒型のキャビンは、円柱のエレベーターシャフトを分速200メートルで移動する。超高層ビルのエレベーターにしては速度がゆっくりなのは、上階から下階まで往復する人は少ないからだ。上階の住人は上階の間で行き来し、下階の住人は妙な遠慮から中階より上には行かない。状況によっては小刻みに停止し、移動に恐ろしく時間がかかる為、日常的な移動には小型エレベーターの方が便利だ。
アドナが最下階まで降りるのは今日が初めてだ。食糧管理委員会の実態調査で80階あたりまでは降りたことがあるが、そこから先は行ったことがない。行くなと禁じられているわけではないが、やはり先入観があるのか、積極的に行きたいとは思わない。下階の住人も上階の住人を嫌っているという話だし、お互い交わる所はないというのが本音だろう。
思えば、《天都》も絵に描いたような階層社会だ。「住んでいる階と人間の質は無関係」と建前では言われるが、現実には、《特別な人々》は5階から7階の豪奢なVIPフロアに住み、Classified(クラシファイド)の称号をもつ知的階級や高度技能者は吹き抜けのある8階から20階に住んでいる。それ以外の一般庶民は31階以降の居住ユニットに住み、そこにも暗黙のルールがある。上に行くほど上等で、「下階の住人は気やすく上がってくるな」というものだ。
実際、一般市民が1LDKから2LDKの小さな居住ユニットに暮らし、食事も日用品も配給制、衣類はフリーマーケットに出品されたお下がりを着回し、家具や照明器具が故障しても、電球の交換さえままならないのとは対照的に、VIPは今も広々とした二階層のロフトに暮らし、専用のジムやプールもある。学校も診療所も一般市民とは別で、誰がどのような暮らしをしているのか、下階の住人にはまったく窺い知れない。
それでも市民から不満の声が上がらないのは、適当に床磨きでもしておれば、お腹いっぱい食べられるからだ。第一、皆ここの暮らしに慣れきって、何かを変えようという気概もない。《隔壁》を乗り越え、タワーの外に出たところで、待ち受けているのは《天都》よりもっと苛酷な野外生活だからだ。もう十年もすれば深刻な物不足に陥り、日々の暮らしはおろか、人類の存続自体が危うくなるとしても、ぎりぎりの状況になるまで、難しいことは考えたくないのかもしれない。
やがてエレベーターが100階を通り過ぎると、アドナは改めてフロアに見入った。
狭い通路に、同じ外観、同じ間取りの居住ユニットが隙間なく詰め込まれ、まるで大型客船の二等デッキの様相である。随所に光ダクトが設けられ、フロアの明度は十分に保たれているが、上階に比べれば、どこかみずぼらしい印象は否めない。
そして、140階を通過し、いよいよ最下階に迫ると、アドナは息を潜めるようにしてエレベーターの外を見つめた。ここまで来ると、もはや都市空間というより箱詰めだ。さながらノアの方舟の下層甲板みたいにきゅうきゅうとして、世の潮流からも取り残されたような感がある。エレベーターホールも僅かにフェイクグリーンが置かれているだけで、バリ風のウォーターインテリアもなければ、七色に光るイルミネーションライトもない。エレベーターのすぐ側まで居住ユニットが迫り、こんな騒々しい場所に誰が住むのかと思うほどだ。
そして、とうとう144階に到着すると、アドナは意を決して、エレベーターを降りた。
これぞ世界の最下階、《隔壁》との境にある辺獄(リンボ)である。
しかし、行き交う人はみな普通だし、子供連れも多い。VIPフロアがいつもしんと静まりかえり、通路で他の住人と出会っても、なるべく目を見合わせないように通り過ぎるのとは対照的だ。ここでは皆が肩を寄せ、互いに声をかけながら、ぺちゃくちゃお喋りを楽しんでいる。上階より天井も低く、せせこましい印象なのに、どこか明るさを感じさせるのは人々の笑顔のせいだろうか。
アドナは簡素なフロアをぐるりと見まわし、改めて上階との違いを実感しながら、天井の随所に設けられた光ダクトの放光部に目を留めた。
建物の縦横に張り巡らされた光ダクトはタワーの貴重な光源だ。長大なライトフォールや外壁の採光部(高反射アルミ材を備えた透明ドーム型導光装置)から取り込まれた自然光は、特殊鏡面アルミ材でコーティングされた60センチ四方のダクト内を複数回反射して、天井、もしくは壁面スリットの放光部から屋内を明るく照らす。放光部には照度センサーも取り付けられ、一定の光量を下回ればLEDライトが自動点灯する仕組みだが、それも近年は節電の為に光度が三割近くもカットされ、ただでさえ薄暗い通路がいっそうみずぼらしく見える。
ただ、フロアの窓際だけは幅4メートルの外周回廊がぐるりと張り巡らされ、横から差し込む西日が眩いほどだ。ガラスカーテンウォールに沿って設けられたグリーンベルトには、アイビー、ポトス、アジアンタムといったインドアグリーンの他、パンジー、マーガレット、バーベナといった多年草の花も植えられ、明るい雰囲気を醸し出している。また外構床は赤茶色のカラフルなモザイク舗装で、等間隔に円形の休憩所が設けられ、窓と向かい合うように鋳鉄製ベンチが設置されている。ベンチの周囲には、ベンジャミン、ユッカ、パキラ、ガジュマルといった背の高い観葉植物も植えられ、高齢の住人が本や飲み物を片手にのんびりくつろいでいた。
アドナはいったん外周回廊に向かうと、グリーンベルトをじっくり観察した。これらの緑色植物は直射日光を遮り、熱エネルギーを大幅にカットして、室内温度の上昇を抑える役割がある。光合成によって空気を浄化する作用もあり、半閉鎖型生命圏になくてはならないものだ。そして今も、カーテンウォールから差し込む強い西日を葉陰が遮り、辺りを柔らかい光で包んでいる。
アドナは窓際に歩み寄ると、葉隠れの向こうに燃えるような夕陽を見つめた。
暦は五月上旬。外気温はまだ零度近いが、大きく傾いた西日は火輪のような輝きを放ち、山間の雲海を黄金色に染めている。周囲にはなだらかな山地が広がり、よく晴れた日には、峰の向こうに、水晶のような氷河湖を目にすることができる。だが、日が暮れると、たちまち厚い雲が垂れ込め、深い闇夜に包まれる。四方に目を凝らしても、文明の明かりはどこにもなく、原始の風景が果てしなく続くばかりだ。
だとしても、西日の燃えるような美しさはどうだろう。人類が地上から追われても、太陽は昔と変わらぬ光を投げかけ、僅かに生き残ったものを育み続ける。人類がいても、いなくても、いずれ大地は息を吹き返し、再び命で満たされる日も来るだろう。
まこと『神』と呼ぶにふさわしいものがあるとすれば太陽だ。小手先でヒトゲノムを弄ぶエルメインのような人間では断じてない。たとえエルメインが創造主を気取っても、まことの神は決してその高慢を許しはしないだろう。
《御覧、ヒトはわれわれの一人と同じように善も悪も知るようになった。今度は手を伸ばして生命の樹から取って食べて、永久に生きるようになるかもしれない》– 旧約聖書『創世記』
その昔、人はエデンの園に暮らし、飢える心配も、死の恐怖もなかった。知恵の実以外はどれを取って食べてもよく、男(アダム)と女(イブ)は幸せに暮らしていた。ある時、女は邪悪な蛇に「食べれば、神のように賢くなれるよ」とそそのかされ、知恵の実を口にしてしまう。それを男にすすめたところ、男もまた口にした為に、二人は知恵に目覚め、互いの裸を恥じるようになった。怒ったヤハウェ神はエデンの園から二人を追い払い、男には労働の苦しみを、女には産みの苦しみを負わせた。そして、二人が楽園に戻ることがないように、エデンの東に智天使ケルビムと自転する炎の剣を置いた。知恵を付けた男と女が、次は生命の樹を求めることを恐れたからである。
人類もまた知恵の実を口にして楽園を追放された男女と同じではないか。神を気取ってゲノム編集に手を出したが為に生態系も崩れ、地上を離れざるを得なくなった。そして、今もその罪は赦されず、高い塔の天辺に閉じ込められている。
アドナは、俗世に穢れた大僧正みたいなエルメインの顔を脳裏に浮かべ、あの男がいる限り、彼にも市民にも真の楽園など永久に訪れないような気がした。
エルメインはいわば国父のようなものだ。敬愛の対象かどうかは別として、多くの市民が「エルメイン先生のおかげで生き延びた」と思っている。実際、八千人が安全な住まいと衣食を得て、今もその子孫が平和に暮らしているのだから、その功績をすっかり否定することはできない。
エルメインの専門はゲノム編集を用いた遺伝子治療だ。《隔壁》を締め切る以前から、ゲノム編集した人工細胞を患者に移植したり、個人の体質に合わせたオーダーメイド医療を施して、大勢の患者を救ってきた。自らも先天性の遺伝子疾患に苦しみ、苛酷な少年時代を過ごした経験から、エルメインの遺伝子治療に対する知識と野心は並々ならぬものがある。自らにも様々な遺伝子治療を施し、身体能力を強化してきた。幼少時、アルビノみたいだった容姿は、血色のいいコサック風になり、百十八歳になった今も五十代のような容姿と体力を誇っている。
そんなエルメインの究極の目標は『RNAエミュレーション』だ。本人のRNA(リボ核酸)を受精卵に移植することにより、生前の記憶を新しい肉体に移し替える施術である。
もちろん、RNAだけで全ての記憶を移し替えるのは不可能で、足りない部分はデジタルアーカイブを用いた催眠療法で補填する。デジタルアーカイブとは、本人の一生を記録した動画や写真はもちろん、日記や論文、交遊録、ウェブサイトの閲覧記録や検索語まで、ありとあらゆる言説や行動履歴をデジタルデータ化したものだ。その際、不都合な記憶は消去し、代わりに自尊心を高めるような偽の記憶を植え付ける。たとえば、本人が容姿に劣等感を持っていたら、デジタルアーカイブの中では、厳しいダイエット療法と筋肉トレーニングによってアポロンのように逞しい肉体を手に入れたとプロフィールを編集する。すると、次の人生では新しいセルフイメージが植え付けられ、体重管理のみならず、学問、仕事、人間関係、あらゆる面で超人のように生まれ変わるというわけだ。
普通に考えたら馬鹿馬鹿しいと思うが、VIPフロアの住人は本気で不老不死を願い、エルメインの診察室に長い行列を作っている。昔、秦の始皇帝が、不老不死の霊薬を求めて大勢の家来を遣わした逸話は有名だが、霊薬が遺伝子治療に置き換わっただけで、不老不死への執着は現代も変わらない。実際、エルメインの遺伝子療法がそこそこに功を奏しているのは確かで、昨年度の美人コンテストの優勝者の実年齢を知ったら、一般市民は腰を抜かすに違いない。
だが、エルメインのヒトゲノム編集が完璧でないことは、アドナ自身が一番よく知っている。編集を施した受精卵の七割がシャーレの中で成長を止め、残りの胚も代理母の胎内から流れ出たり、出生と同時に息絶えた。あれも『ヒト』としてカウントするならば、おびたただしい人命が失われたことになる。
また、乳児期を生き延びたとしても、待ち受ける運命はさらに苛酷だ。彼も幼少時は高機能クリニックに隣接する保育室で過ごしたが、同じ集団保育のグループには、両手両足の欠損した性別不明の乳児もいれば、眼球のない少女もいた。一人、また一人と姿を消し、そのグループではアドナだけが生き残った。他のグループでは、たとえ学童期に達しても、簡単な読み書きもできなかったり、全身の皮膚がただれて異臭を放ったり、まともに育った者は一人としてない。
だが、エルメインや彼の助手は、そうした事実をひた隠し、小手先の施術でVIPの信望を繋ぎ止めている。
エルメインの信者がいとも簡単に騙されるのは、いざとなっても自分たちだけは助かるという根拠なき自信と高慢ゆえだ。『選ばれし者』という自負心は、「自分はこの世に永遠に存在すべき」という自惚れを増長し、この世には自分の為だけに特別にカスタマイズされた奇跡の治療法があると思い込むようになる。すると、エルメインが唱える「何やら高尚で小難しい治療法」に自尊心をくすぐられ、「あなたのDNAに合わせた」と言われると、無条件に仰ぎ見るようになるのだ。
彼等にとって、他人の受精卵など爪の垢ほどの価値もないし、自らが生き延びる為なら、誰かが犠牲になっても構わないと思っている。何故なら、彼等は『選ばれし者』であり、この世に永久に存在すべき、《特別な人々》だからだ。
エルメインはそうした人心を巧みに操り、自らの地位を不動のものにした。だが、それは人民を支配する為ではなく、自身の治療法が《特別な人々》に支持されているという陳腐な自負心ゆえである。
《十二の頭脳》が亡くなった時も、手を叩いて喜んだのはエルメインより、むしろ彼を後押しする勢力だ。GEN MATRIXも万人ではなく、自分たちの為に使われるべきだと思っている。
あとは設計図さえ復元すれば、世界を牛耳ったも同然だ。旧司令部に赴き、GEN MATRIXを再起動して、生命創造の業を手に入れる。そして、その後は、ヒトの形をした奴隷を大量生産し、自らは不老不死を得て、再び地上を支配するわけだ。
アドナがそうした不正を知りながらも、いまだ行動を起こせずにいるのは、彼もまた死の恐怖に怯えているからだ。
自分がエルメインによってデザインされ、自然とは異なる方法でこの世に生み出されたと知ったのは十二歳の時だ。初めはさほど深刻に受け止めなかったが、遺伝学を知るにつれ、その恐ろしさに身震いするようになった。誰のDNAも自己複製を繰り返すうちにエラーを生じ、悪性腫瘍や代謝の機能低下を引き起こして、最後にはヒトを死に至らしめるものだが、彼を創りだしたのは地上で最も罪深い人間だ。エルメインが崇高な使命感からゲノム編集したとは到底思えず、彼のDNAにも悪魔の意図が織り込まれているような気がしてならない。
何が怖いといえば、人生を不本意な形で終わるのもそうだが、死後、研究開発の為にばらばらに解剖され、ホルマリン漬けにされることだ。エルメインの信者が居並ぶ中、丸裸にされ、身体の隅々まで視姦された挙げ句、肉を切られ、骨を断たれ、内臓、眼球、髪の一筋に至るまで、生体標本として晒されるぐらいなら、いっそケルビムの炎で焼かれた方がいい。
この身を創り出したものがヤハウェ神のように尊い存在ならば、遺伝学の発展の為に喜んで我が身を捧げただろうに。彼の創造主は神を気取った卑しむべき人物で、今も医学界のラスプーチン*1みたいにVIPの衆望を一身に集めている。
だが、彼もいつまでも生き血を捧げる子羊ではない。出自を知ってからは医学や遺伝学を学び、来るべき日に備えた。訳も分からず祭壇の生贄となるよりは、少しでも自分の身に起きたことを正しく理解して、人間らしく息を引き取りたいからだ。
やがてその思いは、市民に美味しい農作物を届けたいという願いに昇華し、学ぶ動機も変わった。今後いっそう社会に必要不可欠な人材になれば、エルメインも迂闊に手出しできないはずだ。
どうせいつか死ぬにしても、エルメインの実験動物ではなく、ヤハウェ神の創造物として死にたい。
そして叶うなら、わたしにも地上を歩く道連れが与えられますように――。
参考文献
罪を犯して神から追放を受けた人類とその人類に対する神の救いが聖書全体をつらぬく問題であるとすれば,旧約巻頭のこの書こそ,その問題への出発点である.天地の創造,人類のはじまり,楽園追放,ノアの洪水,その子孫の増加,そしてイスラエル民族の祖先たちの罪と罰の記録.次々に壮大な神と人類の物語が展開されてゆく. Kindleストアで詳細を見る
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