スティンとベラの諍い
君を愛せなかった理由

その頃、スティンはベラの住まいにいた。

ベラの住まいは、120階の東翼の端、居住区から少し離れた空調機械室の隣にある。日頃から往来も少なく、深夜には往来も途絶えることから身を隠すのに都合がいい。隣が機械室だけあって、時々、唸るような機械音が聞こえてくるが、苦痛というほどではなかった。

ベラがシャワーを終えて出てくると、スティンはまだベッドでジゴロみたいに寝そべっている。以前はそうした姿に愛しさも感じたものだが、今は無性に腹立たしく、リビングのソファにどっかと腰を下ろすと、水パイプに火を付け、ふーっと煙を吐き出した。

「俺はその匂いは嫌いだと言ってるだろ」

スティンが背を向けたまま言うと、

「何を言ってるのよ、亭主でもないくせに。今日も昼から仕事なの。何もすることがないなら、家事を手伝うか、出て行くかしてくれない?」

「執政府の奴らは引き揚げたのか?」

「知らないわよ、そんなこと。逮捕が怖いなら、ウサギに助けてもらえばいいじゃない。夕べもいきなりやって来て、やることといえば、あれだけ。私は娼婦じゃないのよ。いい加減、負け戦を認めて、白旗を揚げればどうなの」

「勝負の何たるかも知らないくせに、適当なことを言うな」

「私は勝負師じゃないけど、世間に関しては、あなたよりよほどよく知ってるつもりよ。少年ならともかく、いい年した男がろくに仕事もせず、一日中玉突きなんて、誰が仰ぎ見るのよ。あなたは元チャンピオンを負かして、世界一になったつもりでしょうけど、底辺は底辺。誰もあなたが王者だなんて思っちゃいない。この社会じゃね、表舞台に立てない男は、何をやっても一流とは見なされないのよ。クズはどこまでいってもクズ、せいぜい飲み屋のアイドルが関の山でしょ」

ガシャーンと激しい音して、デジタル時計が吹っ飛んだ。だが、ベラは微動だにせず、ふーっと煙を吐き出すと、

「私は本当のことを言ってるのよ。子供の頃は周りも寛大だったけど、この年になれば、もう誰も同情なんかしない。あなたが昼まで居眠るような自堕落な生活をしてることぐらい、傍目にも分かるもの。まともに社会奉仕もせず、自慢できることといえばビリヤードくらい、それもだんだん相手にされなくなって、下階のコミュニティからも浮き始めている。あなたは自分が強すぎるせいと思っているかもしれないけれど、あと、二、三年もすれば、ろくに働きもしない社会不適格者と見なされて、いずれパスカルみたいに爪弾きにされるわよ」

「そうなる前に、ここから出て行くさ」

「本気で出て行けると思ってるの? 設計図を復元する前に逮捕されるのがおちよ。今だって、ネズミみたいにこそこそ逃げ回って、本音はエルメインと対決するのが怖いんでしょう」

「……」

「そりゃあそうよね。あっちは遺伝子工学の天才で、人心掌握に長けた筋金入りの権力者。あなたみたいに威勢がいいだけのチンピラとは大違い。本気で対決する気があれば、設計図がどうだの、バイオクリーンルームがどうだの、先延ばしにしないで、正面きって勝負するわよ。誰にも理解できない設計図の復元方法をあなたとガル爺さんだけが知っている。これだけの切り札があって、まだ何を思い倦ねることがあるの? エルメインを殺すことが目的じゃないんでしょう」

「勝機も考えず、のこのこ出て行くのは馬鹿のすることだ」

「何が勝機よ。万に一つの勝ち目もないくせに。あなたの身を思って、今まで協力してきたけど、いっそ捕まって、最初から人生をやり直した方があなたの為に思えるわ。私はもう付き合えない。一緒にブタ箱に入るのもお断り。好きにすればいいわ。どうせ、私とあなたの仲じゃない」

ベラはガラスパイプの火を消すと、ソファから立ちあがり、寝室のクローゼットを開いた。バスローブを脱ぎ捨て、黒いセットアップの下着を身につけると、鏡の前で軽くプロポーションを確認した。もう若い娘のような張りはないが、毎日肉体労働をしているおかげで、足も二の腕も引き締まり、腰のくびれも艶めかしいほどだ。半乾きの髪をヘアクリップでまとめ、鏡付きの扉をぐいと引き寄せると、スティンがじっと彼女の身体を見つめているのに気が付いた。

「何を見てるのよ」

ベラがむっと唇を尖らせると、スティンは「別に」と答え、再び背中を向けた。

「食事を終えたら、出て行ってね。私もいろいろと用事があるの」

「頼まれなくても、出て行くさ。そして、二度と会わない。君とやるのもこれきりだ。次からは他を当たってくれ」

「あなたはどうするの? まさかウサギを捉まえて、男色に耽ろうってわけじゃないでしょうね」

「俺はあいつと寝たいなんて思わないし、恋人にしたいとも思わない。だが、彼は君には無い美点を二つ持っている。一つは優しさ。もう一つは愛らしさだ」

「愛らしさですって?」

「君は前に言ったな。私にだってビリヤードは教えてくれなかったと。それは君の方から一度でも『教えて』とお願いしなかったからだ。君は俺に頭を下げたら負けだと思ってる。自分から愛を請うなど、みっともないと。だが、そういう打算が間違いなんだ。まだ頬を赤らめながら、一所懸命にブリッジの練習をするチェリーの方が教え甲斐がある」

「何がチェリーよ。男は男でしょ」

「さあね、脱がせたことがないから分からない。だが高圧的な女を抱くよりは楽しいだろうよ。股の間がどうなってるのか、まるで想像もつかないだけにね」

「下司野郎」

「仰る通り、俺は下司野郎さ。表舞台にも立てない最下階のクズだよ。それでも自分の過ちを認める謙虚さは持ち合わせているつもりだ」

スティンは起き上がると、素早く衣類を身につけた。

「もう、これで本当に終わりにしよう。君も俺やガル爺さんのことは忘れて、どこかで会っても他人の振りをしろ。もう二度と一緒に地下に降りることもない」

「何ですって」

「つまり、そういうことさ。俺はパートナーを求めてたけど、君が欲しいのは息子みたいに聞き分けのいい男で、俺じゃない。俺が君に心惹かれなかったのは、君が一回りも年上だからでなく、君には純真というものが決定的に欠けているからだ」

「本気で言ってるの?」

「本気だよ。俺がこうと決めたら梃子でも動かないのは、君が一番よく知っているだろう。君を傷つけたことは謝る。何もかも俺の間違いだった。後のことは俺一人で始末をつける。君は結婚でもして、残りの人生を幸せに暮らせばいい」

それだけ言うと、スティンはバタンとドアを閉めて出て行った。

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About the author

MOKO

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。

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