IT室の攻防 ~サーバールームの設計図とスティンの駆け引き
サーバールームとスティンの駆け引き

小型エレベーターが3階南翼の西側コーナーに到着すると、ヘクターは二人の背後に交互にエアガンを突きつけ、「アドミニストレータ室に行け。IT室の突き当たりだ」と急かした。

三人がIT室に姿を見せると、システム復旧作業に追われるスタッフも蒼然となり、その場に立ち尽くした。

「エルメイン先生殺害の容疑者だ。用事が済んだらセキュリティ室に連行する。これからアドミニストレータ室で重要な作業をするから、下級技師は全員退室しろ」

技師達がただちに退室すると、三人はさらに奥に突き進み、アドミニストレータ室のドアを開いた。中にはシャルロットともう一人の上級アドミニストレータが居たが、ヘクターは片方を追い払うと、シャルロットにメインコンソール席を空けるように命じた。

「何のつもりなの」

シャルロットがそばかすだらけの小顔をしかめると、

「こいつが最高管理者権限を書き替える。お前は黙って見てろ」

ヘクターは横柄に答え、スティンにメインコンソール席に座るよう言った。

「ふざけないで! その人に何が分かるというの。それでなくても方々の設備がダウンして、上から下まで騒然としてるのに」

「黙って言われた通りにしろ!」

ヘクターが激しい剣幕でせき立てると、シャルロットは渋々席を立ち、スティンを横目で睨んだ。

「ボグダンの娘か」

「……父を知ってるの?」

「父親も、その父親も、君ら一族はちんけなネット詐欺師だった。金融機関の不正操作に違法なオンラインカジノ、武器と麻薬の密売に児童売春。さぞかし権力者の裏金作りに貢献したことだろう。その見返りにITの要職とVIPフロアの暮らしを得た。ヴィクトル・マジェフスキーを裏切り、ヘムを死に追いやって」

「言いがかりはよしてちょうだい」

「ボグダンは逆立ちしてもヘムには適わなかった。妬んだボグダンは、ヘムが密かにガーディアンと交信し、設計図の謎を解こうとしているのを嗅ぎつけて神経毒を盛ったんだ。どうやって盛ったのか、俺には想像もつかないがね」

「……」

「そらね、何も言い返せない。そういうケチな一族なのさ。だから無能のくせに、堂々と高い地位に就ける。良識のある人間なら、今頃ヘムと協力して、設計図もゲマトリアも修復できただろうに」

スティンがシャルロットと入れ替わるようにメインコンソール席に就くと、ヘクターは彼の頭に銃口を突きつけ、血まみれのラップトップを目の前に置いた。

「最高管理者権限を再設定しろ。このわたしの生体認証で」

「何を言ってるの、ヘクター! 万一、エルメイン先生が亡くなった時は……」

「うるさい、この近眼女! いいから、言われた通りにしろ!」

ヘクターが激昂すると、シャルロットは押し黙り、壁際に移動した。そして、アドナを一瞥すると、

「黙って見ているの? システムが回復不能に陥ったら、《天都》は滅ぶわよ」

と悲愴な顔で言った。

「彼は大丈夫だよ。ヘムにいろいろ教わって、アラル語も読める。君は、アラル語は?」

「知らないわ」

すると、スティンがシャルロットの方に振り返り、「嘘をつくな」と詰った。

「同じアラルの同胞のくせに、出自を偽り、エルメインに取り入った。君の理解度がどの程度かは知らないが、少なくとも君の祖父はアラルの血族だし、父親も同類だ。設計図やゲマトリアの修復にアラル語が必要と分かっても、保身の為に素知らぬ振りを通した」

「でも、知らない振りをしたから、ゲマトリアンクォーツも守られたんでしょう。エルメイン先生に命じられるがままに読み取り装置を直していたら、何もかも違ってたわ」

「そうだろうね。ITマフィアには遺伝子データベースの存在意義など逆立ちしても分からない。皮肉なことに、詐欺師の打算と科学的無知が悪鬼からゲノム情報を守ったわけだ」

「あなたにはゲマトリアの修復方法も分かるというの?」

「アラル語の難読化なら解く術はある」

スティンはラップトップの天板を開くと、ベラの血の染み込んだキーボードカバーを外し、シャルロットにPC用のクリーナークロスを求めた。シャルロットはマイクロファイバーの布にPC専用の洗浄液をたっぷり吹き付けると、スティンに手渡した。

「本気で最高管理者権限を変更するつもり?」

「仕方ない。銃で脅されているんだから」

「この私はどうなるの」

「後で二人ゆっくり話し合えばいい。仲よく権限を共有するも良し、どちらかが死ぬまで殴り合うも良し。君らの納得がいくようにすればいい」

スティンが右手一本で自身の塩基配列の認証コードを入力すると、再びヘムのプログラムが起動し、大量のアラル文字が右から左に流れた。

「こんなソースコード、初めて見たわ」

シャルロットが吸い寄せられるようにモニターを覗くと、

「君は本当にアラル語が読めないようだな」

とスティンが言った。

「言語というのは不思議なものだ。知らない振りをしても、分かる者は無意識に身体が反応してしまう。紛争地域でも、不意にアラル語で話しかけ、反射的に返事した者を片っ端から射殺したという。だが、君は本当にぽかんと眺めてる。ボグダンは危険性を理解して、君には一切教えなかったんだろう」

作業が終わると、スティンはヘクターに向き直り、「お望み通り、最高管理者権限を追加可能にしてやったぜ」と声をかけた。

「追加可能とは、どういうことだ」

「最高管理者設定を再び初期化すれば、予期せぬエラーが生じる恐れがある。ただでさえ圏内のあちこちで停電騒ぎになっているんだ。この上に重大なエラーを引き起こせば、停電だけで済まないからな」

「この人の言う通りよ」

シャルロットが相槌を打った。

「最終的にどうするかは、圏内のITシステムが完全に復旧してから取り決めればいい。それより今は余計な真似はしないことよ。でないと、圏内のインフラが完全に停止して、私もあなたも冗談抜きで死ぬわよ」

ヘクターは渋々承知すると、スティンと席を入れ替わった。

ヘクターは生体認証用の接続機器をシャルロットに持って来させると、指紋、虹彩、声紋など一つ一つ登録し始めた。最後に十六文字のパスワードを入力して、設定ボタンを押すと、登録完了のメッセージに切り替わり、最高管理者権限のリストにヘクターの名前が現れた。ヘクターは「おおっ」と感嘆し、最高管理者だけに表示される特別メニューに目を細めた。

「それで、旧司令部に降りるエレベーターは何所だ?」

「まあ、待て。それは別のプログラムだ」

「早くしろ」

ヘクターはエアガンを突きつけると、再びスティンと席を入れ替わった。

「旧司令部に行ってどうするつもり?」

シャルロットが怪訝な顔でヘクターに訊くと、

「分かりきったことを聞くな。GEN MATRIXのマスターコンピュータを再起動するんだ」

ヘクターは興奮を抑え切れぬように言った。

「あなたに扱えるようなシステムじゃないわ。前から何度も言ってるでしょう。GEN MATRIXは世界的なサイエンスグリッドの総称だと。遺伝子センターのオフィスコンピュータみたいに、それ単体で稼働するものじゃない。そもそもファームウェアの仕組みも分からないのに、どうやって再起動するつもり? マスターコンピュータの電源を入れたぐらいで稼働する代物じゃないわよ」

「何とでも言え。こういう事は一番乗りした人間に分があるんだ」

ヘクターがシャルロットの指摘を無視すると、「好きにさせればいい」とスティンが言った。

「実物を見れば納得する」

やがて彼のラップトップのモニターに復元された本物の設計図――IT室の詳細な間取りが立体画像で表示されると、ヘクターは身を乗り出し、シャルロットも目を見張った。

スティンがビューアの視点を素早く移動し、サーバールームの向こう側を拡大表示すると、それまで配管・配線シャフトと思われていた空間に二基のエレベーターシャフトが設置されている。

シャルロットも「嘘でしょう」と唸った。

「右側のエレベーターは中層、左側は地下の水循環システムの機械室に到達している。詳しい停止階は分からないが、どちらも旧司令部を経由する。恐らく、ヴィクトル・マジェフスキーをはじめ、上級管理者が隠しエレベーターとして使っていたものだ。残念ながら、完全に復元できないので、詳細は分からないがね」

スティンが指し示すと、ヘクターは高笑いしたが、アドナは「スティン、それは本当にサーバールームの間取りなのか?」と念を押した。

「本物だよ。左右対称の間取りを見ても分かるだろう。部屋の真ん中に主通路。両側に同じ構造のサーバーラック。典型的なサーバールーム間取りだ」

スティンが落ち着いた口調で答えると、アドナも理解したように頷いた。

「だが、どうやってエレベーターホールにアクセスするんだ」

ヘクターがスティンの頭を銃口で突くと、スティンはサーバーラックの一部を拡大し、

「主通路の突き当たりに並ぶ十五台のサーバーラックの、真ん中の一台がフェイクだ。サーバーラックの上部に電子錠を制御する配線が通っている。ここにU字型に見えるのが通電金具だ。一見、サーバー専用回線のようだが電子錠のドアループだ。ここをカットすれば、手動で開けられる」

ヘクターは納得すると、アドナに銃口を突きつけ、「お前も来い」と脅迫した。

アドナが小さく頷き、再び両手を頭の上に置くと、

「ラップトップを置いていっていいか」

とスティンが尋ねた。

「何故だ?」

ヘクターが怪訝な顔で聞き返すと、

「2キロもある17インチのラップトップを持ち歩くのも大変だ。俺は片手だし、アドナもあんたらに散々痛めつけられて、ふらついている。旧司令部への行き方は分かったんだから、それで十分だろう」

「GEN MATRIXはどうなるんだ? 旧司令部のメインフレームは?」

「だから、今からそれを確かめに行くんじゃないか。俺のラップトップがなくても、エレベーターで旧司令部まで降りれば、その場でいろいろ情報収集できる。その他のことは後日、改めて確認すればいい」

ヘクターは納得したが、シャルロットは「私はどうなるのよ!」と目を三角にした。

「あなた達のせいでITシステムは滅茶苦茶、管理者権限まで書き替えられて、まるで初期状態よ。万一復旧しなかったら、私の立場はどうなるの!?」

「だから、ラップトップを置いていく。この様を見れば、君も血生臭い事件に巻き込まれたのが一目瞭然だ。後は君の都合のいいようにストーリーを作ればいい」

「殺人犯にされてもいいの?」

「どのみち俺に安住の地などない。行くべき場所も一つだ。君が余計な事を喋らなければ、後は適当に収まる」

「それはあなたが全ての罪を背負うということ?」

「その方が君たちには都合がいいだろう。エルメイン殺しも、ITシステム乗っ取りも、全部、俺のせいにすればいい。ベラの死も、痴情のもつれと言えば納得する」

「本当ね」

「本当だ。何故、そんなことを聞く?」

「だって、私のせいにされたら困るもの」

「君ら親子はよくよく利己的だな。こんな非常時も保身とはね。市民はブラックアウトの恐怖におののき、上から下まで大騒ぎ。そんな時、普通は周りの心配をするもんだぜ」

スティンは軽く詰ると、アドナの方に振り向き、

「さあ、行こう。旧司令部のメインフレームやGEN MATRIXのマスターコンピュータがどんなものか、俺も見てみたい」

「うん!」

アドナも元気に答えると、ヘクターの脅しなどものともせず、サーバールームに向かった。

§

設計図に従い、サーバールームの主通路を真っ直ぐ突き当たりまで進むと、スティンは十五台並ぶサーバーラックの真ん中で立ち止まり、「これだ」と指差した。

「黒いスチールメッシュの視覚効果で、この中にもサーバーが設置されているように見えるが、中は空っぽだ。他にも予備の空ラックが複数設置されているから、サーバーを点検する人も特に気に留めなかったんだろう」

スティンがベラの工具を使って、ラックの鍵を解錠し、スチールメッシュの観音扉を開くと、中は完全に空で、向こう側に黒い鉄製の観音扉が取り付けられている。取っ手には小さな電子錠が設置されており、ラックの上部にはU字型の通電金具が見て取れた。

スティンはアドナの方に振り返ると、

「ベラのウェストバッグに万能ペンチがあるはずだ。俺の代わりに導線をカットしてくれないか」

と声をかけた。アドナが暗がりでスティンのウェストバッグを探り、先端の尖ったソフトグリップのペンチを取り出すと、「そう、それだ。大事な道具だから、しっかり手に持っているんだぞ」と念を押した。

アドナはラックの情報に手を伸ばすと、万能ペンチで細い電線をカットした。電子錠のライトが消えると、鉄製の扉は簡単に押し開くことができた。

エレベーターホールは真っ暗で、何も見えなかった。

アドナが小型LEDライトを灯すと、すぐそこにガラス張りのエレベーターシャフトが二基あった。それぞれ右側に液晶パネルの昇降ボタンがあり、スティンが右側のエレベーターシャフトの昇降ボタンを押すと、ガタンと音がして、ドア上部のインジケーターが点滅した。

「まだ動作するのか?」

ヘクターが不安な面持ちで尋ねると、

「旧司令部のメインフレームは今も稼働しているから、直通エレベーターも同じように動作する」

スティンは余裕をもって答えた。

やがて右側のエレベーターが到着すると、すーっと半円形のドアが開き、二人乗りのカプセル型キャビンが開いた。

『随分、小さいな」

ヘクターが中を覗き込むと、

「ヴィクトルと一部の管理者だけが極秘に使っていた隠しエレベーターだ。こんなものだよ」

とスティンは答え、アドナの肩を抱いて一緒に乗り込もうとした。

だが、ヘクターはエアガンを振りかざすと、

「待て! わたしが先だ」

と二人を制した。

「エレベーターまで独り占めかよ」

「お前らを先に乗せたら、そのまま逃げ出すだろう」

「じゃあ、俺と行こう」

「それも断る」

「ずいぶん信用がないんだな」

「代わりにオカマを連れて行く。こいつなら、お前みたいに逆らわない。男の身体でも中身は女だからな」

「オカマ、オカマ、と言うな」

「オカマはオカマだ。気味の悪い出来損ないめ。さあ、一緒に来るんだ。お前が人質だ」

ヘクターがアドナの頭に銃口を突きつけると、突然、アドナがその場にへたり込み、「いやだぁ……怖い……」と女のように怯えた。

「ふざけた真似をするな、このオカマ野郎。さあ、立て。立つんだ!」

ヘクターがアドナの腕を掴んだ瞬間、アドナはヘクターの手を思いきり万能ペンチで突き刺した。ヘクターが「ぎゃっ」と叫んで体勢を崩すと、スティンはヘクターの股ぐらを思いきり蹴り上げ、鼻柱にパンチを喰らわせた。最後にアドナが体当たりでヘクターの身体をキャビンに押し込むと、スティンは飛びつくようにして昇降ボタンを押し、ドアを閉じた。エレベーターは直ちに急降下を始め、階下に消えていった。

「それで、このエレベーターは何所に行くの?」

アドナが睫毛を瞬きながらスティンに質問すると、

「地下100メートルの水循環システムの管理室だ」

「ずいぶん深い所まで降りるんだね」

「タワーの重要施設の一つだからね」

「彼は戻ってくる?」

「さあね」

「もう二度と顔も見たくないよ」

「じゃあ、今のうちにエレベーターの電源を切ってしまおう」

スティンは右側の昇降ボタンの液晶パネルをハンマーで叩き割ると、エレベーターがかなり階下まで降りたのを見計らって、内部の主要な配線を切断した。インジケーターのランプが消えると、

「じゃあ、俺たちは左側のエレベーターで行こう。そっちが旧司令部に通じている。しかし、よく違いに気付いたな」

とスティンが目を細めた。アドナもにっと笑い、

「君が左右対称と示唆したからね。でも、どうやって設計図の左右を反転させたんだ?」

「画像加工のミラーリング機能と同じだ。右向きの顔を左向きに変換する単純なエフェクトで、サーバールームの設計図も左右を入れ替えた。慣れた人間でなければ、設計図と実物の違いなど一目で分からないし、同色・同型のサーバーラックがずらりと並んだサーバールームなら尚更だ。それにヘクターは観音開きのドアの蝶番が左側にある不自然さにまったく気付かなかった。その瞬間、『勝った』と思った」

「ヘクターも相当てんぱってたからね。長年の知り合いに銃を突きつけて、ギャングの真似などするからだ。所詮、二番手の器だよ」

「まったくだ。最初から銃を持つ手がブルってたからな。ともかく先に進もう。ゴールはすぐそこだ」

「これでやっと旧司令部に行けるね」

「だが、その前に立ち寄って欲しい所がある」

「立ち寄りたい所?」

「生物研究棟のシステム監視室だ。多分、そこに大事な人が眠ってる」

「大事な人……?」

「行けば分かるよ」

二人がエレベーターに乗り込むと、ドアが静かに閉まり、自動的に下降を始めた。

「まるで行き先を知ってるみたいだ」

アドナが瞳を瞬くと、

「俺たちを導いてるんだ」

スティンもドア上方のインジケーターを興味深く見上げた。

「シャルロットは大丈夫?」

「心配するな。ヘムの仕掛けは完璧だ。もはや芸術だよ」

§

同じ頃、シャルロットはメインコンソール席に座り、血生臭いラップトップと向かい合っている。

ゴム手袋を付け、恐る恐る天板を開くと、自動的にオペレーションシステムが起動し、通常のデスクトップ画面が現れた。一般向けPCと大差なく、エディタや表計算などのアイコンがずらりと並んでいる。一点、異なるのは、メニューなどが全てアラル語で表示されていることだ。

(なるほど、中身は普遍的な『MATRIX』。表示言語がアラル語なのね。それなら別のマシンに接続して、仮想環境でテストできないかしら)

モニターの前で考え込んでいると、突然、カウントダウンのタイマーが現れ、シャルロットは「どういうこと?」と目を見張った。

為す術もなく、タイマーが10秒、9秒、8秒と、カウントダウンするのを見守っていると、突然、モニターが暗転し、黒地に白文字のコマンドプロンプトが現れた。大量のアラル文字が右から左に流れ、何が起きているのか、さっぱり分からない。止めようにも止められず、ローディングが終了するのを茫然と見つめていると、突然、画面が暗転し、モニター上部に一行、《システムを手動で再起動しますか? それとも中止しますか?》の英文のコマンドラインが現れた。これはMATRIX共通のメッセージだ。再起動なら『r』。中止なら『q』。

だが、シャルロットは頭を振り、

「その手には乗らないわよ。どちらにしてもクラッシュするんでしょう。それなら最初にバックグラウンドで作動している全てのプログラムを強制終了。一時ファイルのレコードの書き出しを停止して、シャットダウンを回避する……」

シャルロットが父のボグダンに教わった手法でコマンドスラッシュを撃ち込むと、今度は左から右に英数字のソースコードが走り、十秒後に自動的に再起動した。

だが、そこに現れたのは、通常の英語のデスクトップで、アラル語表示はどこにも見当たらない。作業用フォルダやレジストリも調べたが、アラル語の言語ファイルはどこにも存在せず、文字変換ツールも、設計図の復元プログラムも、アラル語の辞書も、何もかもが消失していた。

「そんな……アラル語の変換ツールがなくなったら、どうやって翻訳するの? 一からアラル語を勉強し直せというの……?」

シャルロットは、昔、父や祖父が得意げに語っていたアラル人皆殺しのエピソードを脳裏に浮かべた。銃殺、絞殺、毒殺、生き埋め。アラル語を話す血族はことごとく抹殺され、ヘムもまた父の仕掛けた神経毒で命を落とした。完全に初期化され、工場出荷時のPCに戻ってしまったヘムのラップトップを茫然と見ながら、一つの言語とその話者が地上から完全に消え去ることの重みをようやく理解したのだった。

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About the author

MOKO

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。

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