天上裏の血痕とエルメインの虚偽の証拠 ~スティンとルルの別れ

    第二章 神の遺伝子 ~血族(4)

    STORY
    スティンはエルメインの虚偽の証拠を掴むべく、単身、地下に赴く。天井床パネルには血痕があり、その足跡は真っ直ぐサーバー室に向かっていた。事情を察したスティンはバイオクリーンルームに『ルル』を降ろし、≪十二の頭脳≫が絶命した冷凍睡眠装置の撮影に成功する。

    目次

    スティンの軟禁 ~地下探索と逮捕の経緯

    軟禁と命の駆け引き

    診療所の一室に軟禁されてから、三週間。

    スティンは日課にしている筋肉トレーニングを終えると、軽くシャワーを浴び、病室のベッドにごろりと横になった。

    天井の吊り下げ式TVからは延々と歌謡番組が流れ、他のチャンネルに切り替えることはできない。これも一種の拷問だと呆れながら、リモコンでTVと室内照明を消すと、ベッドサイドのナイトランプに切り替えた。

    毎日、テレビ電話のカメラ越しに尋問は続いているが、いつも同じことの繰り返し。「父親は誰か」「いつからネットワークに侵入しているのか」「他に協力者はいるのか」「どうやって身分証を改竄したのか」等々。彼が自分の権利を主張し、それ以外のことは口を閉ざすと、相手もそれ以上は追及せず、その代わり、何時間もカメラの前に座り続けることを強いた。取り調べもやる気があるのかないのか、厳しい追及もせず、適当に泳がせているところがかえって不気味でもある。

    それでも診療所内の廊下を歩くことはできるし、三度の食事も出る。シャワーや着替えも許可されており、決して待遇は悪くない。

    しかし、爺さんはどうなったのか、私物やPCは処分されたのか、何も答えてもらえず、法務局の専門家に連絡を取ることも叶わない。まさか一生、診療所の一室に閉じ込めるつもりでもあるまいし、相手の意図がまったく読めないだけに不安も募る。

    ただ一つ確かなのは、連中にまだ彼を殺す気はないということだ。

    エルメインが欲しいものはただ一つ、アラル語の文字変換ツールと設計図だ。ガル爺さんが連中相手にぺらぺら白状するとも思えず――いや、それ以前に、まともな会話が成立するのか――もはや謎を解く鍵を手にしているのは彼だけだ。秘密を聞き出す前に彼を殺せば、それこそ永久に文字変換の手立ては失われ、設計図はおろか、ゲマトリアンクォーツも読み取り不能になる。どれほど目障りでも、聞くべきことを聞かずに彼を始末するとも思えず、その点では、今も彼に有利であることは間違いない。

    スティンは寝返りを打つと、(あの後、爺さんは上手くやれたのだろうか)と思い廻らせた。

    天上裏の血痕とサーバー室

    あの晩――アドナとトロピカルパークで話した後――彼は(これを最後)と心に決めて、もう一度だけパスカルの住まいを訪れた。パスカルもいつまで気のいい道化でいるか分からず、今となっては危険因子でしかない。今日を限りにリビングの採光部は完全に塞ぎ、一刻も早く縁を切るしかない。

    スティンがパスカルの住まいを訪れ、「今夜はベラは来ない」と告げると、パスカルは怪訝な顔をしたが、「まあ、いいさ。今夜が最後ということは、地下に降りて、上がってきたら、ここを塞いでいいということだな」と念を押した。スティンも「ああ」と生返事し、いつものように縄梯子をつたってメカニカルフロアに降りると、生物研究棟の天井裏に侵入した。

    今日はいつもの倍ほど荷物を担いでいる為、動きはいつもより緩慢だ。それでも勘を頼りに突き進むと、血痕らしきものが残る光ダクトのT型交叉部に辿り着いた。ダクト側面の凹みといい、作業用出入り口の歪みといい、何度見ても自然な傷みとは思えない。

    スティンはボディパックを下ろして、PC機器をセットアップすると、作業用出入り口を慎重に開き、ダクト点検用のビデオスコープを挿入した。

    小型PCのモニターで確認すると、幅80センチ、高さ50センチの光ダクトの底部に、死体袋を引き摺ったような黒い染みが延々と続いている。(こいつは重症だ)と目を見張り、いっそう深くビデオスコープを差し込むと、誰かが深手を負いながらも、必死の思いで光ダクト内を匍匐(ほふく)前進し、作業用出入り口を内側から蹴破って、ダクトの外に脱出した経緯が窺える。ビデオスコープが届かない為、血痕の出発点を確かめることはできないが、フロアの間取りから、主廊下の南側――空気清浄度・第三レベル(準備区域)――バイオクリーンルームのスタッフ専用ロッカー(男子更衣室)に間違いない。その人は決死の覚悟で椅子か何かを積み上げ、天井の光ダクトの放光部を叩き壊し、ダクト内に侵入すると、歯を食いしばるようにして匍匐前進し、一番近い作業用出入り口を蹴破ってダクトの外に出た。

    (それから何所へ逃げた? 何があったのか、詳しく教えてくれ!)

    スティンは光ダクト周辺を懐中電灯で照らすと、他の血痕を探した。だが、誰かが特殊な洗剤で消し去ったのか、どこにも見つからない。

    (ここまでか……)と諦めかけた時、2メートル先の空調ダクトの陰に足跡を見つけた。それも左足の爪先部分だけ。自分の血だまりを踏んで、引き摺ったような跡だ。恐らく、後始末を任された者は目の届く範囲だけ適当に洗浄して、さっさと引き揚げたのだろう。血染めの足跡は、自分を見つけてくれた者に感謝し、〝さあ、奴らの非道を見てくれ〟と言わんばかりに天井裏の奥へと続いていた。

    スティンも暗がりで自分の位置を見失わないよう、手摺りや吊り金具に蛍光チューブを巻き付けながら、慎重に歩みを進める。

    足跡の主は負傷で朦朧としながらも、確実に一箇所に向かって突き進んでいる。フロアの構造を熟知し、天井裏でも確実に目的地に辿り着けるだけの勘と知識を有する人物だ。

    足跡を追い、30メートルも前に進むと、突然、半透明のパーティションに進路を阻まれた。目を凝らすと、パーティションの向こうに大掛かりな局所空調システムが見える。

    局所空調システムは、限定された室内で空気を循環させ、排熱と冷却、送風と除湿を効率よく行う為の設備だ。主にサーバー室に用いられる。空調はまだ稼働しているのか、計器類のインジケーターが忙しなく点滅している。

    さらに驚いたのは、パーティションの一部が開閉式ドアになっていて、電子錠が施されている点だ。そして足跡もそこで途切れている。恐らく足跡の主はここで靴を脱ぎ(足跡を消す為か、それとも空間の清浄を守る為か、理由は分からないが)、中に入ったのだろう。

    足跡の主が誰かは聞かずとも分かる。重傷を負いながら、医者に助けも求めず、真っ直ぐサーバー室に駆け込む人間など、この世に一人しか存在しない。サーバー室の隣は、恐らくシステム監視室だろう。《スリーパー》の監視はもちろん、三階のIT室や旧司令部のメインフレームの遠隔操作も、多分、可能だ。ITシステムの最高権限管理者であれば。

    スティンは息を呑み、パーティションの内部を懐中電灯でくまなく照らした。光が十分に行き届かない為、視界の半分も見えないが、ここも相当に高度なインフラ設備が施されている。何とか中に入れないか、パーティションを軽く揺すってみるが、ガラスの壁のようにびくともしない。

    そうしてパーティションの前を行ったり来たりするうち、空調システムの向こう側に二本の円柱シャフトが設置されているのに気が付いた。シャフトは強化ガラス製で、等間隔のメタルフレームで保護されている。シャフトの両側にはガイドレールが取り付けられ、内部には非常時の梯子やLEDラインライトも見て取れる。

    スティンは(そうか……)と理解した。

    上階では分厚いコンクリートに覆われ、カラフルなアクリルパネルで装飾されているが、停止階であるシステム監視室や中層の旧司令部の前後はガラス製シャフトが剥き出しになり、乗り降りしやすいよう、構造も他階とは少し違っているのかもしれない。

    スティンはガラス製シャフトを見上げ、「やっぱり、あんたが仕掛けたんだな」と呟いた。

    出来れば、時間をかけて様子を探りたいが、今は他に優先事項がある。スティンは踵を返すと、もう一つの証拠を掴む為、T型交叉部に戻った。

    バイオクリーンルームとスリーパー ~虚偽の証拠を求めて

    次は主廊下の北側、《スリーパー》のあるバイオクリーンルームを探す。

    動物飼育室、生物試験室、細胞培養室、器械洗浄室。

    間取りを思い出しながら、慎重に歩みを進めるうち、スティンは前にベラが踏み抜いた天井埋め込み型スピーカーの痕跡を見つけた。ベラがスピーカーの突出部を踏みつけたせいで、本体は床に落下し、穴が開いている。ベラは慌てて通風ダクトのアルミテープを引っ剥がし、穴を塞いだが、本当に完全に塞がっているのかどうか。

    懐中電灯で照らすと、雑な貼り方ではあるが、穴は完全に塞がれ、害虫や害獣が侵入した形跡はない。スティンはほっと一息つくと、さらに歩みを進め、《スリーパー》に酸素や液体化合物を送り込む為の配管設備を見つけた。ここも半透明のパーティションで仕切られ、《スリーパー》のある清潔区域に侵入することはできないが、その手前の処置室や実験室なら、中を覗き見ることは可能だろう。

    スティンはボディバッグを降ろすと、ペットロボットのルルを取り出した。ルルの頭部には『ヨダカ』と呼ばれる小型の暗視用スパイカメラが取り付けられている。『ヨダカ』は幼い頃、ヘムから譲り受けたものだ。遠い昔、アラル地方で使われていた軍事用カメラで、年代ものだが、高機能で遠隔操作も可能だ。これといった使い途もなく、長い間保管してきたが、とうとう役に立つ日が来たようだ。

    スティンは親指ほどのカメラの角度を調整し、小型PCのモニターを見ながら受信テストを行うと、足元の天井埋め込み型スピーカーを慎重に取り外した。天井に穴が空くと、フック金具の先端にルルの身体を引っ掻け、荷揚げ用ナイロンロープを使って、そろそろと3メートルほど降ろした。映像を見る限り、害虫や害獣が蠢いている気配はなさそうだ。室内も清潔そのもので、むしろ殺菌灯が眩しいほどである。

    スティンはいったんルルを引き揚げると、最後の調整を行い、カメラをきつく固定し直した。そして全ての準備が整うと、ルルを両手に抱き、心から語りかけた。

    「本当は今夜のちに脱出してもよかったんだ。でも、俺には出来なかった。たとえ運よく生き延びても、あいつがこの世になかったら、何の意味もないからだ。どうせ設計図を復元するなら、あいつと一緒の方が楽しいだろう? あいつを助けたい。何でもいい、証拠が欲しい。エルメインが世間を欺き、市民の命を危険に晒しているという証拠だ。ルル、お前とはここでお別れだ。今まで本当にありがとう。俺にはもう友達がいるから、お前がいなくても十分にやっていける。友達を救う為、俺の代わりにしっかり見てきてくれ」

    スティンがルルの丸いおでこに口づけすると、ルルは「了解(ラジヤー)」と言わんばかりに青い目をチカチカさせた。

    スティンは再度、スピーカーの穴からルルを降ろすと、今度は床面までナイロンロープを伸ばした。コツンと手応えがあり、カメラ画像を確認すると、ルルは無事に床面に着地したようだ。ナイロンロープを軽く揺すって、背中のたすきからフック金具を取り外し、ルルのリモコンをONにすると、ルルは小さな戦車のようにそろそろ前に進み始めた。

    手前のチャンバーはテクニカルスタッフの作業室だろうか。壁際には大小様々なマルチモニター、液晶パネルのコンソール、コンピュータ端末、計器類が所狭しと並んでいる。部屋の中央にはディスプレイを兼ねた液晶カンファレンステーブルがあり、ペンやノートが置きっぱなしになっている。ワーキングデスクには、コーヒーカップやマッサージ器具も。

    将来の再利用に備えて《隔壁》を締め切るなら、こんな杜撰な片付け方をするとも思えず、奇異に感じながら、さらにルルを前に進めると、医療室に到達した。ルルの頭を一回転し、ネズミの視線で辺りを見回すと、医療用キャビネットの下にガラスの破片が散らばっている。ルルの身体を引き戻して、キャビネットの上方を確認すると、なんと開き戸のガラスが大破し、そのままになっているではないか。

    いや、キャビネットだけではない。

    壁際には医療用スタンドライトが横倒しになり、割れたランプパネルがそのままになっているばかりか、医療用モニターのディスプレイも大型ハンマーで叩き割ったように破損し、どう見ても事故や故障の類いではない。

    スティンはさらにルルを前に進めると、いよいよ《スリーパー》のあるバイオクリーンルームの前まで来た。スライド式ドアの僅かな隙間からルルを進入し、室内を半周した。

    部屋の中央には、六個の《スリーパー》が放射状に連結した制御装置が二基あり、電気系統は完全に停止している。

    一台、二台、三台……。

    《スリーパー》の台数を数えて、スティンは我が目を疑った。

    それこそエルメインの虚偽を暴く最大の証拠であった。

    パスカルの裏切りとスティンの逮捕

    撮影が終わると、スティンはスピーカーを元の位置に固定し、その場を後にした。PCのデジタル時計は既に午前二時を過ぎている。パスカルはどうしているのか。すでに眠っていた方が都合はいい。

    いつものように縄梯子を登り、光ダクトの上方を見やると、リビングの放光部から明かりが差し込み、TVの音声がうるさいほど漏れ聞こえてくる。

    (今夜はずいぶん夜更かしだな)と奇異に感じながら、スリットの開口部に両手をかけ、ぐっと上半身を乗り出した時、一斉に強いライトを浴びせかけられた。思わず片手で視界を遮り、指の隙間から様子を窺うと、リビングに数名の警官が待ち構えている。

    「家庭教師のテイラーか?」

    答える間もなく、彼は放光部から引きずり出され、後ろ手に拘束された。容疑は少女淫行、立ち入り禁止エリアへの不法侵入、公共ネットワークの不正アクセス、食券の不正取引、挙げればきりがない。セキュリティ室長のワシリィが嬉々として逮捕状を読み上げる間、パスカルは警官の後ろでにやにやしながら言った。

    「悪いな、スティン。最後まで協力するつもりだったが、途中で気が変わってね。通路でベラに会ったから、一緒にシードルでも飲まないかと誘っただけなのに、『外で私に話しかけないで!』だとよ。へっ、誰にも相手にされないババアのくせに、いつまでお姫さま気取りでいやがるんだか。まあ、そんな訳で、警察に通報させてもらった次第だ。報賞もたっぷり出るって話だし。……なんでえ、その面は。今までさんざんオレを利用して、食い物まで持っていきやがったくせに。まあ悪く思うな。お前も運が尽きたってことさ。頭のおかしい爺さんと死ぬまで仲よくブタ箱に入ってりゃいいさ」

    ボディバッグも奪われ、スティンは丸腰で連行された。スティンは最後にパスカルに大事なことを言おうとしたが、胸の奥にしまうと、無言でポリスカートに乗り込んだ。

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