「こんな子に育てたい」というあなたの願いが育児をしんどくする

皆さんは、『育児』と言うと、どのようなイメージをお持ちでしょうか。

「子供に社会のルールを教えなければならない」「正しい生活習慣を身に付けさせなければならない」「いつも愛情豊かに育てなければならない」……といった風に、自分なりの主義や方針を持っている方が大半ではないかと思います。

もちろん、子育てするにあたって指針となるものは大事ですが、そればかりに囚われると、子供の事も自分自身も見失ってしまいます。

それがどんなに「正しいこと」であっても、子供の性質によって当てはまったり、当てはまらなかったりするのは、現役ママの皆さんが一番よくご存知なのではないでしょうか。

植物を育てるのに「水」と「光」は必要ですが、ヒマワリとポインセチアでは育て方も開花の時期もまったく違うのと同じように、子供の性質を見誤って、「こうあるべき」を押しつけると、親も子も窒息して、ストレスまみれになってしまいます。

最初は「子供のため」と思って始めたことも、理想に添うことが第一になってしまうと、「親の命令が行き届いているかどうか」が目的になってしまうんですね。

私は、育児の掲示板に書き込まれた悩み相談などを読んでいると、案外、自分で決めた理想に縛られている人が多いように感じることがあります。

「こうでなければならない」「あれもしなければならない」。

自分では強く意識していないつもりでも、何とかその枠に子供をはめようと必死になり、反抗されて、右往左往している――そういう印象を受けます。

私も上の息子が一歳半の時、「癇癪はやめさせよう」「食事はちゃんと摂らせよう」といったことで、必死になったことがありました。その為に、ものすごくイライラして、つい手が出てしまったこともあります。

しかし、今思い返せば、いつかは自然に収まるような、取るに足らないことばかりだったのです。

「こうでなければならない」と思うあまり、どうでもいいような小事に集中して、子供に八つ当たりするようでは、本末転倒ですよね。

それよりもっと大事なことがあるのではないか――と考えた末に辿り着いたのが、人間関係の黄金律とも言うべき、『相手をコントロールしようとしてはならない』、この基本でした。

『コントロール』の意味するところは、「支配」「管理」「操縦」です。

育児に限らず、恋愛でも、職場でも、何か問題が生じると、「相手をどうこうしよう」と試みるケースが多いですよね。

「私が苦しいのは、あなたが冷たいからだ。あなたはもっと私に優しくするべきだ」
「私がイライラするのは、あなたが思う通りにしてくれないからだ。あなたは私の意見に従うべきだ」

そういうメッセージを送ることで、相手の態度や行動を制御し、自分の思う通りに事を収めようとするのです。

一見、それらは正論であり、「従わない相手が悪い」と思いがちですが、相手には相手の理屈があり、心がありますから、それを我が意のままに操ることはできません。

この世で確実にコントロールできるのは『自分自身』だけ、それを無視して、相手を自分の思う通りにしようと試みれば、その思惑は必ず失敗するのです。

ところが、相手が子供だと、親は「自分の意のままにできる」という錯覚を抱きがちです。

子供は弱くて無知だから、親である私が何とかしなければならない――という思い込みもあるかもしれません。

そうして、親の理想で抑えつけて、一見、何もかも上手くいっているように見えても、結果として築かれるのは信頼関係ではなく「主従関係」ということもあり得ると思います。
安らぎよりも恐怖が、真実より虚偽が、絆の正体だとすれば、それはもはや愛情ではなく、「支配する者」と「支配される者」の駆け引きに過ぎないんですね。

ですから、私にとって『育児』とはセルフ・コントロールであり、「しつけ方」ではなく「受け止め方」の問題だと思っています。

子供が癇癪を起こした。だから、「癇癪を起こさないような子供に育てよう、親の力で何とかしよう」ではなく、「この子の癇癪とどうやって付き合うか」と受けの姿勢で考えることが、私のモットーなのです。

「明るくて、優しい人間になって欲しい」「頭のいい子に育って欲しい」といった願いはたくさんあるでしょうけど、親の求める条件を全て満たすことなど現実には不可能です。
むしろ、親の求める条件を全て満たさなければ認められない子供など、不幸きわまりないのではないでしょうか。

神経質であろうと、内気であろうと、まずは子供が持って生まれた気質や能力を受け入れてあげることが、まずは第一であって、「あれも出来るようになれ、これも出来るようになれ」は二の次だと思います。

あなたのお腹から生まれてきた子供ですもの。
どんな欠点や弱点があろうと、自分の子供にもっと誇りを持ちましょうよ。

「癇癪もちだから」「野菜嫌いだから」――そんな事を理由に、我が子を否定してしまったら、彼らの居場所はこの世の何処にあるのでしょうか。

あなたの言うことを聞かない子供は、そんなに悪い子なのでしょうか。

「こうあるべき」という理想は、一歩間違えば、子供のあるがままの姿を否定し、信頼ではなく主従関係に陥る危険性があると私は思います。

それよりも、子供が持って生まれたものに添いながら、その子に合った生き方というものを一緒に見つけてあげた方が、お互いに幸せなのではないでしょうか。

私も、ダブル・オムツに、ダブル反抗期の年子を抱え、母親としては至らない点も多いですが、このコラムを通して、皆さまと一緒に頑張っていけたらと思います。

メルマガ『コラム子育て・家育て』の冒頭より 2007年7月14日

補足

親ならば、「心の優しい子に育って欲しい」とか、「頭のいい子に育って欲しい」とか、いろんな願いがあるものですが、願いも過剰になればプレッシャーになるし、そもそも、育てた通りに育つなら、誰も苦労しないんですよね。

にもかかわらず、『この世には、自分の願い通りの子供に育つ魔法の方法があるに違いない』と勘違いして、「○○メソッド」を試したり、何冊もの育児本を読み漁ったり、子供と機械を勘違いしてるんじゃないか、と違和感を覚えることも多いです。

私は二人目を産んだ時につくづく思ったのですが、子供の性格も能力も、オギャアと生まれた瞬間にほぼ決まっていて、「こんな子供に育てたい」と願うこと自体がおこがましいんですよね。

自分自身に置き換えて考えれば、すぐに分かることです。

自分の旦那に、「こんな妻になって欲しい」と毎日のように願われたり、「あなたの奥さんを、もっと良い妻にする為の10のメソッド」を試されたらイヤでしょう。

自分自身に関しては、「ありのままの私を分かって欲しい」とか言うくせに、こと子供が相手になると、「こんな子供に育って欲しい」みたいに、本来の個性や能力をねじ曲げてでも、自分の思う通りに育てようと考えること自体が厚かましいと思いませんか?

突き詰めれば、自分の子供が信頼できないということは(たとえ欠点だらけでも)、親としての自分を信じることができない――ということであり、そんな自我のぐらぐらした人間に「こんな子供に育って欲しい」と過剰に期待をかけられる子供の方が気の毒というか、、、、子供の自我が芽生える頃には必ず親を恨むようになりますよ。ほんと。

この世に完璧な人間が存在しないように、子供だって、自分の計画通りに、完璧に育つわけがないのだから、もっと目の前のお子さん自身を見つめて、評価してあげましょうよ、という話です。

あなたは子供に期待をかけて、「もっと優しく」「もっと強く」「もっと賢く」と、あれもこれも願う。

でも、子供が一人前の口をきくことができたら、親であるあなたにきっとこう言うでしょう。

「ありのままの僕を愛してよ」と。

それは、「ありのままの私を分かって欲しい」と旦那に不満を抱く、あなたそのものです。

あなたが旦那に「よき妻になれ。よき母親になれ」と期待されたら息苦しくなるように、子供だって「いい子に育て」と願われると、息苦しくなるのです。

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