『さじ加減』という思いやり ~劇画『ザ・シェフ』と調味料

『さじ加減』という思いやり ~劇画『ザ・シェフ』と調味料

手塚治虫の「ブラック・ジャック」を彷彿とさせる、ニヒルな天才調理師・味沢匠が卓抜した料理で悩める人々をちょっとばかり幸せにする人気劇画『ザ・シェフ』。

ザ・シェフ 大合本版 10 Kindle版
謎の天才シェフ味沢匠。彼は高額のギャラと引き換えに人の人生まで変えてしまうほどのレシピを作り上げる。なぜ、彼の料理はそれほどの力を持つのか?孤高の料理人と様々な人々が織りなす人間模様を描く。
剣名舞と加藤唯史の名コンビが送る、面白さ保証付きの名作料理マンガ登場。

その中に、こんなエピソードがある。

引退を前にした、とある一流レストランの有名シェフ。

彼の後継者には、若手ナンバーワンの野心的な料理人が目されているが、その男がレストランを継いだら、レストランの評価は瞬く間に地に落ちるに違いない。

そんな老シェフの懸念を知り、若い料理人と包丁を握ることになった味沢。

料理を競うのは、強豪ラグビーチームの優勝祝賀会だ。

味沢に打ち勝ち、自分こそ後継者にふさわしいことを誇示したい若い料理人は、ある晩、老シェフのレシピを盗み見て、レシピ通りの料理を作り上げる。

しかし、祝賀会が終わってみると、若い料理人の作ったものはほとんど手が付けられず、味沢の作った料理だけがきれいに平らげられている。

「レシピ通りに作ったのに、何故だ──??」

不思議がる若い料理人に味沢は言う。

今日のメインの客は、練習帰りのラガーマンだ。彼らは激しい練習でたくさんの汗を流し、多くの電解質を失っている。彼らの舌には、通常よりちょっと多めの塩味が美味く感じるのだ。君の料理が美味しくないのは、レシピ通りに作ったからだ。レストランの後継者になりたいなら、相手に合わせて料理することを勉強するんだな」(詳細は違っていますが、そういうオチでした)

*

この世には、プロの料理人の味をそっくり再現してくれるであろうレシピが数えきれないほど存在する。

しかし、その通りに作ったからといって、必ずしも好みの味になるわけではない。

いつもは大さじ二杯で美味しく感じられても、相手や状況によっては三杯必要なこともあるだろう。

その『さじ加減』こそ、料理の神髄であり、思いやりである。

味沢と老シェフが見抜いたのは、自分の腕前に溺れ、相手(=客)を見ようとしない若い料理人の驕りであった。

相手の舌に合わせない料理は、見た目がどれほど立派でも、いずれ飽きられ、嫌われる。

レシピは所詮、万国共通のマニュアルでしかなく、人が求めているのは、自分の為に作られた、心のこもった料理なのだ。

それは料理界に限らず、一般家庭の台所でも同じだろう。

レシピはあくまで一つの方法に過ぎない。

「みりんを入れろ」と指示してあっても、甘い煮物が苦手な人もいるし、「香辛料小さじ一杯」では物足りない人もいる。

相手の好みに合わせて微妙に分量を増減する、この『さじ加減』なくして美味しい料理は生まれない。

『さじ加減』の根底にあるものは、職人の勘や栄養学の理屈ではなく、相手に対する想像力であり、思いやりなのだ。

近年、『食育』が重視され、、育児サイトでも栄養価にすぐれたレシピがいろいろ紹介されているが、理屈(レシピ)で子供の好みに合った味は作れないし、味気ないものは、どれほど栄養価にすぐれようと心の糧にはならない。

母の手料理は『さじ加減』の集大成であり、レシピをはるかに超えた日常の芸術でもある。

料理本や栄養学に基づくのもいいけれど、やはり見るべきは相手(家族)の舌と気持ちであり、『さじ加減』を考えない料理は、驕り高ぶったレストランと同じ、誰の心にも響かないのではないだろうか。

Notes of Life

Luctor et Emergo ~わたしは闘い、水の中から姿を現す
『運の女神は勇敢な者たちを助ける』『運命が道を見出す』『苦難を経て栄光へ』『偉大な愛は運命の岸をも越える』など、作中に登場するラテン語の名句を紹介しています。

この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO 著者

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。看護師として医療機関に勤務後、東欧に移住。石田朋子。
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