創作と芸術– tag –
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プロ VS 素人 権威主義・商業主義を生みだす背景
どこの世界にも異端視される人はいますが、ピアニストのフジ子・ヘミング女史は、その最たるものでしょう。 ヘミング女史は、優れたピアニストでありながら、欧州デビューの直前、風邪をこじらせて聴力を失い、数十年を不遇の中で過ごしました。 ところが、NHKドキュメント番組『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』(1999年)が放送されるや否... -
芸術作品の権威と格付け ~舌足らずにしか書けない、ユニークな詩の世界もある
「ベートーベンは楽聖である。私がベートーベンを好きになれないのは、野球のジャイアンツ、相撲の大鵬を好きになれないのに似ている。それは、すでにできあがった権威であり、ゆるぎない古典だからである」「音による支配」「楽器が生み出す権力」という寺山評。 -
真珠と努力とライフワーク ~異物を抱き続ける苦しさに耐えて作品を生み出す
真珠は異物を抱き続けることで作られる。痛みや苦しみを抱くことに耐えられる人だけが作品を完成させることが出来るのだろう。自分が結晶させた真珠は、この世のどんな宝石にも勝る。真珠をテーマにした詩想を掲載しています。 -
寺山修司の『ポケットに名言を』 言葉を友人に持ちたいと思うことがある
「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである」寺山修司の好きな言葉のコレクション。コラム『言葉を友人に持ちたいと思うことがある / 言葉をジャックナイフのようにひらめかせる / シャツでも着るように軽く着こなしては、脱ぎ捨ててゆく / 旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がつく時』 -
詩心とは世界と人を愛する気持ち 『寺山修司 少女詩集』について
寺山修司の『少女詩集』の概要と「一ばんみじかい叙情詩 / しゃぼん玉 / 三匹の子豚 / 十九歳 / かなしみ / 汽車」を紹介。詩は役に立たないものにも美しさを見出し、人間社会に潤いをもたらす。コラム『詩心とは人と世界を愛する気持ち』と併せて。 -
ドストエフスキーの生涯と執筆の背景 ガリマール新評伝より ~葛藤する限り、人は神と共にある
難解・冗長で知られるドストエフスキーはどんな時代に生まれ、何に影響を受けて作家活動を開始したのか、ロシア史、文学史から読み解く詳伝より見どころを紹介。賭博、借金、投獄、女、波瀾万丈の人生の中でもロシアの行くべき道を模索し、人類の処方箋を探し求めたドストエフスキーの深い知性と義侠心がひしひしと伝わってくる良書。 -
映画『敬愛なるベートーヴェン』と交響曲第9番「合唱付き」~世界で一番幸せな人は初めて第九を耳にした聴衆
難聴に苦しむベートーヴェンと彼を補佐する写譜師アンナの心の交流を描く伝記映画『敬愛なるベートーヴェン』より第九交響曲初演のエピソードを紹介。第九が作曲された背景とシラーの原詩の日本語訳、ドイツ語の読み方、合唱のコツ。「世界で一番幸福なのは初めて第九を耳にした聴衆」というコラム。 -
【建築コラム】 「かわいそう」と「傷ついた」が問題の解決を困難にする
建築デザインにおける「ばか」の定義をテーマに、批評が批評として機能しない社会の弊害について論じるコラム。おかしな建築を追究する『ばかけんちく探偵団』掲示板のトピックスより。 -
【建築コラム】 「使い勝手」も含めて、全体が「作品」のはず
「「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはず。建築は単純なイロとカタチのカッコよさだけの「作品」「造形物」じゃないはずです。自己実現と「社会の中の自我」をテーマにしたコラム。おかしな建築を追究する『ばかけんちく探偵団』掲示板のトピックスより。 -
コンペで勝てなくてもアイディアは残る 安藤忠雄の著書『連戦連敗』より
安藤忠雄氏の著書『連戦連敗』の見どころと五角形のアパートに暮らした体験談。建築コラム。『コンペで勝てなくても、アイデアは残る』『公共の芸術としての建築と住民の人間形成』『生かす創造 壊す創造 環境と建築』『アイデアの原点は情報収集、体験、生きる姿勢』『建築の理想と現実――あるいは自分との闘い』『都市こそ人間の精神の基盤』 -
批評とは何か 雑誌『バレエワンダーランド』より 一億総評論家時代の幸せ術
誰もが気軽に作品の意見や感想を述べられるSNS時代において批評はどうあるべきなのか。専門誌『バレエワンダーランド』のコラム『批評における傾向と対策』から批評と創作について考察。感想と批評とクレームの違い」「批評することは、制作することと同じ、芸術的行為である」「批評の原点は、本物と偽物を見分ける鑑識眼」「一億総評論家時代の幸せ術」など。 -
ベルばら・コード サクレクール寺院を探せ ~勢いで描いてしまった池田先生の創作秘話より
ベルサイユのばらを創作するにあたって、池田理代子先生は「図書館や出版社の資料室に行って、日本で手に入れられる限りの本を資料にしました。実物はまったく見ずに写真を見て絵を描いていたわけです」。連載後、フランス革命時には存在しなかったサクレクール寺院が描かれていることを読者から指摘されます。その箇所はどこでしょう。