現代に生きるためには、無垢な心がどのような報復をうけねばならないか 映画『シベールの日曜日』

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「シベールの日曜日」は現代に生きるためには、無垢な心がどのような報復をうけねばならないかということを物語る残酷な映画であった。ガラス玉を星のかけらと思い込める感受性は、その星のかけらの鋭い刃先でみずからの心を傷つける。
ポケットに名言を (角川文庫)

映画『シベールの日曜日』は、Wikiによると、

元空軍のパイロットで、第一次インドシナ戦争での戦傷による記憶喪失が原因で無為な毎日を送っているピエールは、ある日ひとりの少女に出会う。父親に捨てられ、天涯孤独の身で修道院に預けられたその少女はフランソワーズと名乗った。お互いに深い孤独を抱えるピエールとフランソワーズは日曜日の面会ごとのヴィル=ダヴレーの逢瀬で、疑似的な親子とも恋人同士とも言える関係で触れ合う。しかし、幸福な週末は長くは続かなかった。クリスマスの日に、ピエールはフランソワーズの望みを叶えようとするが……。

現代の生きづらさの正体は、『詩を作るより、田を作れ』という価値観だと思う。

文学と自己啓発の違い ~詩を役立てる心とは 寺山修司『人生処方詩集』にも書いているが、詩のように、現実的に何も生み出さないものを作るよりは、田を耕して食糧を生産すべき、という政治的な考えは、効率ばかり優先し、無力な者、非生産的な者を排除する社会を生み出す。

「無垢な心」など、100万ヘクタールの収穫をもたらす世知や生産性に比べたら、何の意味もなく、せいぜいお涙頂戴のドラマとして、詩や映画で消費されるだけである。

しかし、100万ヘクタールの田んぼだけで、人間らしく生きていけるはずもなく、暴力や略奪、不公平の抑止力となっているのは、美しく、無垢な心に他ならない。

だからこそ、「田を耕せ」の社会においては、無垢な者ほど酷く傷つけられ、敵視されるのだろう。

詩や映画の中では、ガラス玉を星のかけらと思い込める感受性は美しいが、現実には、鋤や鍬の前に蹴散らされ、人々の無理解の中で死んでいくだけだ。

感受性は,天からの贈り物だが、それを持たない者にとっては、モグラの国の太陽みたいに眩しい。

聖なる光によって目を潰されたモグラは、一生、太陽を敵視して、光の差すものを攻撃する。

この世で感受性が生き残るのは、モグラを説得するより難しい。

【補足】
何かにつけて、感受性の強い人間は損をします。
人が気に懸けないところまで気を配って、自分一人で気を揉むことになるから。
本来、評価されるべき心の能力が、現実社会では逆に自分を傷つける凶器になるのは、世の中の半分くらいは何も気に懸けないからでしょう。
映画を見ても、ニュースを見ても、何も感じないから、平気でいられる。
そういう人々の中で、いかに自らの感受性を守り、自分らしく生きるか、というのが、寺山作品の命題でもありますね。
誰かにこっそり教えたい 👂
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