お説教ホラー映画『ソウ』~ジグソウが失敗したワケ

about
被害者を拷問にかけ、Live or Die. Make your choice(生きるか、死ぬか、決断しろ)の名台詞で命の尊さを悟らせる猟奇殺人犯のジグソウ。だが死と向かい合った者は本当に改悛し、生きることに感謝するようになったのか。映画コラムと併せて第一作のあらすじを紹介。
目次

映画『ソウ』について

映画『ソウ』は、2004年に公開され、低予算映画にもかかわらず、世界的にスマッシュヒットし、その後、第七作までシリーズ化されました。

物語はいたって単純、『ジグソウ』を名乗る謎の男が猟奇殺人を繰り返し、被害者に「Live or Die. Make your choice(生きるか、死ぬか。選択しろ)」と死のゲームを迫るスプラッタ系サイコホラーです。

従来のサイコホラーと異なるのは、ジグソウが単なる凶人ではなく、「生きるか、死ぬかの極限状態を経験して、初めて人は命の尊さに気づく。わたしは怠惰な人間に人生の価値を気付かせてやっているだけ」と独自の哲学をもって死のゲームを仕掛けている点だ。

また、そのゲームも、「よくこんな残酷なことを次から次に思いつく」というほど、グロテスク、かつ無慈悲で、それが売り物になっている所以でもある。

ただ、動機も、ドラマもあまりに単純なので、シリーズ後半になるほど作りも緩慢になり、観る側も飽きてしまうのは、シリーズものの宿命といったところ。

それでも第一作は意表をつくストーリー展開で、度肝を抜かれること請け合いだ。

スプラッタに抵抗がなければ、一度は見て欲しい異色作である。

ソウ (字幕版)
ソウ (字幕版)
老巧化したバスルームに横たわり、足首には鋼鉄の鎖、対角線上にはもう一人の男、そして間には自殺死体…という理解不能な状況におかれた二人の男と、連続殺人犯を追う刑事を描いた、恐怖の限界に挑むソリッド・シチュエーション・スリラー第1弾。

第一作のあらすじ

この作品は結末を知ってしまうと面白さも半減するので、事前調べ無しで視聴することをおすすめします。

ある町で、異様な猟奇殺人が連続して起こっていた。

被害者は死のトラップに仕掛けられ、同一人物の犯行である証しとして、ジグソーパズルの形に皮膚の一部を切り取られることから、犯人は『ジグゾウ』の名で呼ばれていた。

ある日、青年アダムが目を覚ますと、古い地下室の浴槽の中に繋がれていた。

部屋の隅には、同じように足首を鎖で繋がれたゴードンがいて、部屋の中央には、頭を打ち抜かれた中年男性の死体が転がっていた。

一体、何が起きたのか、アダムにもゴードンにも分からないし、助けも来ない。

やがて、テープレコーダーから「生きるか、死ぬか」を迫る不気味な声が聞こえ、『ジグゾウ』のトラップであることに気付く。

一方、警察は、様々な手がかりから容疑者をリストアップし、その足取りを追っていた。

やがて捜査の点と線が一筋に交わり、衝撃的な結末を迎える・・。

【映画コラム】 ジグソウの論理で罪人は救えない

なぜ『ソウ』は陳腐なスプラッタ映画に成り下がったのか

2004年に公開されるや否や、ホラー映画として異例の興行収入を記録し、2010年のシリーズ第七作をもって完結した、お説教ホラーの金字塔。

意表をつく展開で、ホラー&サスペンス好きは必見と言われた、この映画。

私も最終話の『3D ソウ・ザ・ファイナル』を映画館で見て興味をもち、シリーズを遡るようにして、第一作から第六作まで、シリーズ全作をマラソン鑑賞した次第です。

伝説的な第一作はともかく、その後の続編は、とってつけたようなエピソードと残虐シーンのオンパレードで、だんだん食傷気味になるのは、よくあるシリーズものの末路と同じ。

ジグソウを演じた、トビン・ベルのヤツメウナギみたいな顔だけが、深く心に刻まれたのでした。

(それでも一気に視聴してしまうほど、スピード感があって面白かったのですが)

もちろん、制作サイドもバカではなく、人気凋落を察すると、本来「8作目」まで予定していたプランを「7作」で切り上げ、今後、絶対に続編は作らないという約束のもと、『ソウ・ザ・ファイナル』という邦題で公開されました。

もっとも、制作者の言う「今後、絶対に続編は作らない」が嘘八百であるのは、賢明なるヤマトの諸君なら、みな知っていることですが。

そして、実際、2017年に『ジグソウ:ソウ・レガシー』が公開されました。 🙄

説得力のないジグソウの論理

しかし、第一作の出来映えがいかに素晴らしく、続編も暇つぶしには最適としても、結末を知ってしまったら、何度もじっくり見返そうという気にはならないのが、デヴィッド・フィンチャーの映画『セブン』と大きく異なる点です。(参照 → 神への回帰と殺してもいい権利 映画『セブン』と七つの大罪 

『ソウ』も『セブン』と同じく、「ポリシーをもった猟奇殺人」「被害者を死と向き合わせることで改心を迫り、生命の尊さを認識させる」をテーマにしていますが、『セブン』の場合、モーガン・フリーマンの演じる刑事に「犯人の思想の、どこが間違いなのか」を明言させており、見る者に深く問いかけるものがあるからです。

その点、『ソウ』は、常にジグソウの側から主張がなされて、被害者は弁明の機会すら与えられません。

捜査する側も、「刑事事件」を超えた見解はなく、ねずみ取りのようなドタバタを繰り返すだけです。

一見、筋が通ってそうなジグソウの主張も、もっと高い視点から見れば、決定的な誤りがあること。

そして、その誤りゆえに、ジグソウも、その思想も、ともに滅びる運命にある……とうい点を描いてくれたら、もっと哲学的な内容になったと思うのですが、『ソウ』はそのような方向には進まず、ただただ、グロテスクなリンチが繰り返されるだけのスプラッタ・ムービーに成り下がってしまいました。

……というより、最初から、そんな高い志はなくて、たまたま作ったものが大ヒットした為に、二匹目、三匹目のドジョウ狙いで続編も作ったというのが正直なところでしょう。もちろん、商業的には理解できます。

死と向かい合うことで、命の尊さを知る

とはいえ、「Live or Die. Make your choice(生きるか、死ぬか。選択しろ)」というジグソウの命題も、『セブン』に負けず劣らず、非常に興味深いものです。

このヤツメウナギは、自分自身が死の恐怖を体験したことから、命の尊さを知らしめるべく、命を粗末にする者を拷問にかけ、「自分の腕を引きちぎっても、生きる方を選ぶか、さもなくば死か」とゲームを強要します。

そうでもしなければ、人は命を粗末にし、感謝もしないからです。

『セブン』の猟奇殺人犯、ジョン・ドゥも同じことを言っています。

現代人に物を言って聞かせるには、肩を掴んだぐらいではダメだ。ハンマーで頭を殴らなければならない」。

死の恐怖を目の前にして、初めて人は自分の愚かさに気付くという点で、ジグソウやジョン・ドゥのやり方にも一理あるのかもしれません。

死のトラップを克服しても、人間は変わらない

では、死のトラップを克服した人は、果たしてジグソウの狙い通り、生きていることに感謝して、幸せになったのでしょうか。

続編で少し描かれていますが、「生き延びた人々」は、瞬間的に高揚感を覚えただけで、本質的には何も変わっていません。

ひねくれ者は、いつまでたっても、ひねくれた思考のままだし、復讐に取り憑かれた人は、結局、復讐以外に人生の意義を見いだせなくなっています。

ジグソウの亡き後、「二代目」を自称するアマンダと、元刑事のホフマンが、ことごとく敗れ去ったのも、異常な状況下で覚ったものは、大して長続きしないからです。

大病を患って、一度は断煙を宣言するものの、結局また、ずるずると煙草に手を伸ばしてしまう心理に似ています。

たとえば、第六作で、死のトラップから逃れるために、やむなく自分の腕を切り落とした女性が、二代目ジグソウであるホフマン刑事に、「(このトラップによって)何かを学んだか?」と問われた時、「『学ぶ』ですって? 私を見てよ! 酷い目に遭って、腕をなくして、何を学ぶっていうの?!」と食ってかかるシーンがありますが(この女性は、第七作でも、「ジグソウのトラップによって、命が蘇った生存者の集まり」で恨み言を言う)、まさにその通り。

死のトラップを克服して、命に感謝し、慈愛の人になるかといえば、むしろ逆で、異常な体験が身も心も屈折させる可能性の方が大きいのではないでしょうか。

その点、命の選択を迫るジグソウの思想より、人間の「どうしようもなさ」を寛容に受け止める精神愛の方がはるかに支持され、長続きします。

なぜなら、人は「生きろ」と命じられるより、「愛している」と言われた方が、はるかに勇気と希望を与えられるからです。

ともあれ、第七作でようやく決着がついた、映画『ソウ』(ああ、そうですか、というのはギャグ)

手の込んだ拷問より、ジグソウを演じたトビン・ベルの素顔の方がはるかに怖かった……。

あんなヤツメウナギみたいな顔をした役者さんでも、主役を張って活躍する場があるなんて、やはりハリウッドは奥が深いです。

Live or Die. Make your choice

このテーマは名曲ですね。

Live or Die. Make your choice (生きるか、死ぬか、選べ)の名台詞に合っていると思います。

ちなみに、Choose(選べ)という動詞の命令形ではなく、Make your choice  直訳すれば、「選択を作りなさい」と、より使役を促す言い回しになっているのがポイントです。

単純に「選ぶ」という行為よりも、「自分自身が選択の結果を作り出す」という示唆の方が強烈だからです。

Makeというのは、日本人が想像する以上に強い意味合いがあって、『Make Love』も、単なる Love より、意志的なニュアンスが強くなります。

Make him explain

Let him explain

どちらも「彼に説明させよう」という意味合いですが、Letが「彼に説明させましょう」と彼の自主性に任せるのに対し、Makeは「ヤツ(彼)に吐かせろ」ぐらい強い意味合いになります。

英語初心者は、使役の英文を作る時、ついつい make を使ってしまいますけども。

つまり、Make your choice も、『選択を作る=その結果も自分自身で請け負う』みたいな意味があって、単なるChoose(選ぶ)よりはるかに強い。

ゆえに、生きるか、死ぬかを選ぶ、究極のゲームにふさわしい決め台詞なんですね。

シリーズが長引いたのはマイナスでしたが、第一作はもちろん、第二作、第三作ぐらいまでは、スピード感もあって、まずまず楽しめるので、Amazonプライムか、NetFlixあたりで一度視聴されることをおすすめします。

↓ 私はPART3の豚汁責めが一番衝撃的でした。見ているだけで臭う。

初稿: 2010年11月23日

目次
閉じる