傷つけ合わない親子関係など無い ~愛とは、問題そのもの

傷つけ合わない親子関係など無い ~心が寄れば、擦り合うのは当たり前
記事について

子どもが親に腹を立てるのも、あなたが子どもの態度に傷つくのも、それだけ心が近い証拠です。誰よりも近く、愛を求める関係だから、思う通りにならなかった時の怒りや失望が大きいのです。見方を変えれば、触れ合う部分があるうちは関係修復のチャンスもあります。本当に冷め切った関係は怒りも失望も感じない、ただの無関心です。

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傷つけ合わない親子関係など無い

親子は仲が好いにこしたことはないですが、怒りもすれば憎みもするのが愛の別の一面です。

隣のおじさんに嫌なことを言われたからといって、全力で憎む人など皆無でしょう。

なぜって、元から興味も関心もないからです。

しかし、親子は切っても切れない関係だから、愛憎も倍増するのです。

そもそも愛とは何でしょう。

いつも優しく相手を思いやる気持ちでしょうか。

誰より好きなら、愛と呼ぶのでしょうか。

私は、愛というものは、「好きな気持ち」ではなく、許しの中にあると思っています。

幼い子どもは、ジュースをこぼしたり、大事なお皿を割ったり、親の気に障ることばかりします。でも、その度に、子どもが憎いと腸が煮えくりかえる人もないでしょう。「まだ小さいのだから、仕方ない」と許す親が大半ではないでしょうか。その許しの気持ちこそが愛です。嫌なことをされても、親の言うことを聞かなくても、その度に、理解しよう、受け止めようと、心で努力することが愛の本質であって、相手が我が親であれ、我が子であれ、好きな時もあれば、嫌な時もあるのが自然ではないでしょうか。

ところが、愛というものは、いつも優しく、心地いい気持ちだと勘違いしていると、自分や相手の間違いが許せなくなってきます。子どもは親に感謝するのが当然だ、親に腹を立てるなどけしからんと思い、怒りや不満といった、負の感情を排除しようとします。あるいは、自分の暗い一面を認めず、本心を抑え込んだり、繕ったりする人もあるかもしれません。

しかし、子どもが親に腹を立てるのも、あなたが子どもの態度に傷つくのも、それだけ心が近い証拠です。隣のおじさんみたいに、近いけど遠い存在、元から興味も関心もなければ、怒りも憎みもしません。誰よりも近く、誰よりも愛を求める関係だから、思う通りにならなかった時に腹が立つのです。

親子でも、夫婦でも、この世に傷つけ合わない関係など、ありません。

友だちでも「私たち、いつも仲良しだね」と思えるのは、本音でぶつかったことがないからです。

それぞれに願いや感情をもった人間が、一つ屋根の下で、二十四時間、一年三百六十五日、生活を共にし、風呂や、冷蔵庫や、時には銀行口座まで共有すれば、争いが生じるのは当たり前です。今すぐ温泉に行きたい人と、家に帰って休みたい人間が一緒にいれば、誰かが何かを譲らないことには、共同生活など成り立たないからです。

でも、互いの要求のぶつかり合いの中で、今日は得したり、明日は我慢したりする、その積み重ねで「自分らしく居られる家庭」が作られるわけで、家族の誰もが口をつぐんで、表面だけ取り繕っているとしたら、そんな家庭に「自分らしさ」など感じるはずがないのです。

怒りたい時は怒っていいし、泣きたい時は泣いていい。

親も子ども欠点をもった人間なのですから、間違いもあって当たり前です。

肝心なのは、相手に腹が立った時、それを乗り越える心の努力であって、怒りも憎しみも感じないのが愛の証ではありません。

本当に生きた関係というのは、火山みたいに爆発したり、沈静化したり、年々、形を変えていくものです。

愛とは、問題そのものである

親子でも夫婦でも、何か問題があれば「自分たちはもうダメだ」と悩むケースが多いですよね。

家族関係は人生の礎だけに、これに躓けば、他で何を得ても絶望的な気分になるのは仕方ないと思います。

しかし、人間関係とは、問題解決のプロセスそのものではないでしょうか。

濃密に寄り添うからこそ摩擦が生じるのであって、近所の見知らぬおじさんとの間に問題など生じるはずもありません。

心理学者の加藤諦三氏は著書の中で『私たちには何の問題もありません」と言い切る関係こそ問題なのだ』と書いておられますが、ぶつかれば波が生じるのは、その関係がまだ生きている証しです。本当に愛がなければ、そこに会話はないし、不満もありません。衝突とは人間の絡みそのものだし、不満とは相手に対する執着や期待の裏返しだからです。また関係が生きていれば、修復への動きが生まれます。必ずしも思う通りに修復できないから、いっそう苦しくなるだけで、愛がある限り、努力は続くし、痛みも伴うのが当たり前なのです。

世の多くの人は「問題」=「悪いこと」と考えすぎなのかもしれません。

愛とは、問題そのものなのですから。

摩擦が生じるのは、人間関係が生きている証

上記にも書いていますが、親子でも、恋人でも、摩擦が生じるのは、人間関係が生きている証です。

仮面夫婦に『口喧嘩』というものは存在しないように、冷え切った親子関係にも口答えや反抗というものは存在しません。

多くの人は誤解や衝突を嫌がりますが、心と心がぶつかって、摩擦が生じる間は、まだ救いがあるんですね。

子供が完全に心を閉ざして、子供部屋のドアを締めきってしまったら、それこそジ・エンド。会話しようにも、口は開かず、部屋のドアさえ開けようとはしない。お互い、関わらなければ、表面的な平和かもしれませんが、これほど恐ろしい孤独と断絶もないんですよね。

「喧嘩=仲が悪い=人間的に劣っている」と考える人もありますが、むしろ逆です。

相手に言いたいことが言えるのは、「言っても、大丈夫」という信頼がある証。

絶望と諦めの関係には、日常の会話もありません。

たとえ親の神経を逆撫でするような事でも、子供が言いたいことを言える間は、親子として機能しているのです。

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