十八歳の決断 人は二度生まれる  ~いかに親から離れて自立するか~

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フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの名言に「人は二度生まれる。一度目は存在するために。二度目は生きるために」というものがあります。心身ともに成長し、『自分』というものが頭をもたげてきた時、親を乗り越えて前に進むか、生涯、無力感や無能感にとらわれて人生を棒に振るか。そこが大きな分かれ目です。
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十八歳の決断 ~いかに自立するか

人は二度生まれる

 

フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの名言に「人は二度生まれる。一度目は存在するために。二度目は生きるために」というものがあります。

私がこの言葉を実感したのは十八歳の時でした。

高校も卒業し、いろんな縛りから解放された日、ふと思ったのです。

これから先は、どんな風に生きても自分の自由だし、法の制限も解けて、多くのことが自力で可能になる。

もちろん、自由には義務と責任が伴うけれども、それさえ果たせば、何を選ぼうと、どのように進もうと、自分の意思次第なのだと。

いろいろ考えた末、自活することに決めた私は、段ボール箱二つ分の身の回りの物と共に最初の一歩を踏み出しました。それからはずっと自身の稼ぎで身を立ててきましたので、この日が二度目の誕生日です。それまでは、ただ存在しただけ、自分でも訳が分からぬまま学生生活を送ってきましたが、この日を境に、家賃を払うのも自分、米を買うのも自分、仕事の責任を果たすのも自分、幸福を掴むのも自分、全て自分次第となり、心の底から『生きる』ことの重みや楽しさを味わえるようになりました。それは存在するだけの日々と異なり、魂に血が通うような充実感でした。

既に社会人として立ち位置を得ている大人から見れば、何を当たり前のことを言っているのだと思うでしょう。

ところが、子どもにはその違いが分かりません。

ただ「何者かになりたい」「自分らしく生きたい」と漠然と思い描くだけで、何処に行って何をすれば実感が得られるのか、訳もわからずに悶々としています。

一方、多くの親は、いずれ独り立ちするのだから、今すぐ結論を出さなくても構わない、とりあえず大学に行き、とりあえず就職し、とりあえず生活が落ち着いたら、それでいいと考えています。実際、その通りですし、今では経済的に安定した暮らしを手に入れることだけでもハードルが高いでしょう。

そして、それを計画通りに進めるには、子どもがよそ見や口答えしない方が好都合です。社会人としての経験は親の方が圧倒的に優れていますから、自分の方が正しいと信じて疑いません。子どもが自分と異なる意見を口にしても、世間はそんなに甘くないと一蹴するのが定番です。子どもの将来を思えば思うほど、親の考えが保守的になるのは世界共通で、一概には責められません。

それでも『自分』というものは、かけがえのない人生の主体です。

誰かが代わりに生きてくれるわけでもなければ、過ぎ去った時間を取り戻してくれるわけでもありません。ぐずぐず迷っている間にも、一日一日と何かを成すチャンスは失われ、後悔と空しさだけがつのっていきます。子どもの幸福を願う親でさえ、どうすることもできないものの方が圧倒的に多いです。生き甲斐、挑戦、達成感、幸福感。親自身でさえ、それがどういうものか、分からない人もあるのではないでしょうか。

心身ともに成長し、『自分』というものが頭をもたげてきた時、目の前のライオス王を打ち倒しても前に進むか、生涯無力感や無能感にとらわれて人生を棒に振るか、二つに一つです。『*2マムシの子どもは親の腹を食い破って生まれてくる』という例え話もありますが、独善的な親と対決するには、それぐらいの覚悟と勢いが必要です。

親の呪いに打ち勝つ

とはいえ、幼い頃から、駄目だ、馬鹿だと見下され、行動も考え方も抑えつけられてきたなら、親の呪いに打ち勝つのは容易ではありません。何かにチャレンジしたくても、「お前みたいな馬鹿にできるわけがない」という呪いの言葉が蘇り、「どうせ自分なんか」と落ち込むだけかもしれません。

親の呪いは強烈です。

本当は白鳥の騎士なのに、「お前は愚かな落ちこぼれ」とレッテルを貼られたが為に、何度鏡を覗いても、自分が醜いアヒルの子にしか見えない人もいます。

子どもの意見の方が正しいのに、「お前は間違っている」と一方的に断罪された為に、まともな判断力を無くしてしまう人もいます。

親に刷り込まれた呪いは、どれほど本人に優れた素質があっても、セルフイメージを歪め、理性を狂わせて、破滅へとひた走ります。呪いの余波は、嫉妬や怒りといった形で、周囲にいる人を苦しめることもあります。

そして、子どもに呪いをかける親自身も呪われているので、呪いが連鎖していることに気付きません。自分のような人間は幸福になる資格がないと思い込んでいるので、どうすれば子どもが幸せになるか、考えもつかないのです。

しかし、どんな強力な呪いも、自覚と知力で解くことができます。心理学や自己啓発、ニューソート系の本にも詳しく書かれていますが、意識に刷り込まれた呪いの言葉は書き換え可能ですし、親の影響下で形成された不幸の青写真をリセットし、幸福のシナリオを再構築することもできます。要は、幸せになろうと決意するか、否かの違いなのです。

そして、憎い一心で親を討ち取ってみれば、恐怖の大魔王などではなく、人一倍小心で傷だらけの男かもしれません。その気付きから始まる親子関係もあり、裏切りや反抗が必ずしも不幸をもたらすわけではありません。むしろ内面的な親殺しに失敗し、実際に親を殴り殺したり、自分自身を殺してしまう方が、よほど罪深いのではないでしょうか。

経済的自立なくして精神の自由は有り得ない

子供の自立や毒親との関係について、いろんな説が溢れていますが、真の解決策は一つしかありません。それは親から離れて、経済的に自立することです。

親の作ったご飯を食べ、親の稼いだお金で買い物し、親が管理する家で暮らしながら、「親むかつく」と文句を並べても人生は変わりません。

本当に親から離れて自由になりたければ、住まいも別、稼ぎも別、独立した一人の社会人として生きていく以外に、真の自立など有り得ないのです。

実際、「子供部屋おじさん」と呼ばれる、独身の中年男性の引きこもりや将来の貧困が問題視されていますが、出るべき時に家を出て、経済的にも精神的にも自立しないと、いつまでも心に負い目を抱えたまま、苦難の人生を歩むことになります。

気持ちをこじらせれば、親子殺人や無差別殺人にも発展します。

どんな人にも、人生の節目節目に必要な「儀式(イニシエーション)」が存在し、それをクリアすることによって、生きる為に必要な強さやスキルを身につけるものです。それは「大学受験に合格する」「希望の会社に就職する」という話ではなく、「自分の力で生きていこう」と一歩踏み出す行為そのものにあります。結果の如何によらず、行動したこと自体に価値があるわけですね。

親子関係に限らず、夫婦関係でも、仕事でも、経済的自立なしに精神的自由は有り得ません。額面いくらの話ではなく、自分で稼いで、自分で生活を立てていく意思があるか、否か、の問題です。

経済的自立の意思があり、実際に行動しているなら、収入は1万円でも2万円でも構いません。どんな形でも「自分の力で生きようとしている」という実感、そして幾らかの成果があれば、それだけで大きな自信になるわけですね。

親に限らず、誰かに養われることは、人間を奴隷にします。

どれほど立派な事を言い、能力や気力があっても、誰かに養われている限り、心も、行動も、欲求も、立場も、すべて扶養者(保護者)に隷属するようになります。何故なら、その人の保護と稼ぎがなければ、現実社会では生きていかれないからです。

確かに、親は子を養い、結婚においては配偶者の生活に責任をもつ義務がありますが、それはあくまで人権に基づく社会制度であって、精神の自由や生き甲斐とはまた別です。

真に自由を満喫し、自分らしい人生を生きたいなら、一日も早く、親から離れて、経済的にも精神的にも自立すること。それ以外に救済策などありません。

親の作ったご飯を食べ、親の稼いだお金で買い物している限り、誰もあなたを一人前とは見なさないし、自分自身でさえ、独立した成人の誇りや充実感は得られないでしょう。

一般の子育てコラムでは、親子の話合いがどう、子供の個性を尊重して、どうこう、いろんな説が溢れていますが、親に養われて、暮らしも、社会的立場も、何もかも依存している限り、どんな方策も慰めでしかありません。

繰り返しになりますが、それは「いくら稼げば一人前」という話ではなく、自立する意思があるかどうかなのですよ。

だから、家に居ながらでも、生活費を入れたり、将来に備えて積み立てをしたり、年金や保険料は自分で支払ったり、経済的自立はできます。

親の仕事を手伝ったり、甥っ子姪っ子の子守をしたり、看病や介護につとめるのも、立派な自立のうちです。

そういう自分にとって負荷になる部分――煩わしいことや生活レベルが下がることを拒否して、「自由が欲しい」「親の干渉がいや」みたいに、自分の好き勝手だけを求めるから、周りも一人前とは見なさないし、同情もしないんですね。

どんな自由にも、それ相応の『対価』が付いて回ります。

親に管理されない、大人としての自由が欲しいなら、経済的にも縁を切りましょう。

その時、初めて親と同じ土俵に立ち、何をしても、何を言っても許される(認められる)自由が手に入ると思います。

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精神的親殺しとは何か 子供の自立と親子対決 ~河合隼雄の著書【家族関係を考える】より 世の中にこれほど『親死ね』『殺したい』を願う人が存在するのも一驚でしょう。何も知らない人が見れば、誰も彼もが殺意を抱いているのかと恐怖を感じるかもしれません。しかし、こうした人々は本気で親の死を願い、殺す方法を模索しているのでしょうか。その理由について考察することが、親子関係をやり直すきっかけとなり、子供の救いとなります。
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