料理も人生も味わって 映画『レミーのおいしいレストラン』

レミーのおいしいレストラン
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『レミーのおいしいレストラン』 あらすじと見どころ

レミーのおいしいレストラン(2007年) ー Ratatouille(ラタトゥイユ・フランス南部の野菜煮込み料理)

監督 : ブラッド・バード
主演 : バットン・オズワルト(ねずみのレミー)、ルー・ロマーノ(見習いシェフ・リングイニ)、イアン・ホルム(意地悪な料理長スキナー)、ブラッド・ギャレット(幻のシェフ・グストー)、ジャニーン・柄ファロー(女性調理師・コレット)

レミーのおいしいレストラン
レミーのおいしいレストラン

あらすじ

 
天才的な味覚と嗅覚を持つ、ねずみのレミーは兄のエミールと農家に忍び込び、五つ星の名シェフ、グストーの番組で料理のコツを学んでいた。
ところが、グストーは、著名な料理評論家アントン・イーゴに酷評されたショックで死亡し、レストランも三つ星に格下げされてしまう。

そんな、ある日、レミーとエミールは農家のおばあさんに見つかり、仲間と共に下水道に逃げ込むが、濁流の中で、レミーだけ離ればなれになってしまう。
お腹をすかせて、うずくまっていると、グストーの幽霊が現れ、レミーをグストーのレストランに案内する。

同じ日、グストーの元恋人レナータの息子リングイニが仕事を求めてレストランにやって来る。
リングイニは雑用係として雇われるが、勝手にスープを調理し、めちゃくちゃにしてしまう。
グストーに励まされ、レミーはスープを調理し直すが、ネズミの姿を見られて、調理場のスタッフに捕らえられる。
リングイニはレミーを川に流すよう命じられるが、同情したリングイニは家に連れ帰り、レミーと共同で調理することを思いつく。

一方、意地悪な料理長スキナーは、グストーの名を使った冷凍食品で一儲けを企んでいた。
リングイニとレミーの活躍でレストランは持ち直すが、店を自分のものにしたいスキナーは、どうにかしてリングイニを追い出そうとする。

そんな時、リングイニの評判を聞きつけたアントン・イーゴがやって来て、リングイニに勝負を挑む。
果たして、リングイニはアントン・イーゴを満足させ、グストーの店を立て直すことができるのか……。

見どころ

『料理』というアニメ化の難しい素材を、カラフルな色調とフレンチ・ジャズ風の音楽で味付けし、本当に美味しそうに仕上げた珠玉の名作。
レシピは、現職の名シェフが考案し、ネットでも「レミーのラタトゥーユ」として、様々なレシピが公開されている。(レシピ創案の過程はディスク版のボーナストラックに収録されています)

一見、ドタバタ動物アニメのようだが、「創造的生き方とは」を問う深遠なテーマを描いており、特に終盤のアントン・イーゴの評論は一見の価値がある。
兄エミールと父親は「食べること=生きること」という考えで、とにかく、食べることが第一と考える。
しかし、レミーは、「お腹を膨らませるだけが人生ではない。美しいものを創造する為に人生がある」という考え方だ。
いわば、「物質が先か、心が大事か」という問いかけで、なかなか子供には理解しにくいかもしれない。

その点、本作は、趣味と実益を兼ねたような、バランスのよい回答を用意しており、「なるほど」と納得すること請け合いである。

大人にこそ是非見て欲しい、ピクサーアニメの傑作である。

現在も非常に評価の高い、スープの調理シーン。
レミーの動きと音楽がマッチして、匂ってくる感じが素晴らしい。

作品に登場するラタトゥーユの作り方。
私はナスもパプリカも苦手なので、あまり美味しそうとは思いませんが(^_^;

【レビュー】 料理も人生も味わって

料理評論家の心をとかした『ママの味』

本作のタイトルは、できれば原題の『ラタトゥイユ』をそのまま使って欲しかったが、子供の理解力を考えれば、『レミーのおいしいレストラン』とするのが妥当だろう。
(作中では、「ねずみがかき回して作った」と説明される)

ポスターとCMだけ見れば、ネズミとコックのドタバタ劇のような印象があるが、本作は完全に大人向けの作品と思う。

なぜなら、物語の核となるのは、「創造」「人生」「批評」といった深遠なテーマだからだ。

一流の料理人に憧れるレミーは、リングイニの帽子の中に忍び込み、リングイニの手足を使って、次々に素晴らしい料理を作り出す。

ところが、彼らの活躍を喜ばない人間がいた。

辛辣な料理評論家、アントン・イーゴだ。

グストーのモットーである「誰にでも料理はできる」を真っ向から否定し、グストーの料理を酷評して、ショック死させた、恐ろしい男である。

イーゴは、 グストーのレストランを継承して有頂天になるリングイニの前に現れ、「将来性のわかる、最高の料理を作ってみろ」とけしかける。

当代最高の味覚もつイーゴに対し、レミーが作り出したのは、新感覚のラタトゥイユだった。

それはイーゴが子供の頃に親しんだ「ママの味」。

数々の料理を酷評し、幾多の料理人の心を傷つけてきたペンがイーゴの指先から滑り落ち、彼の目が驚きに見開かれる。

「これぞ探し求めていた本物の味」と言わんばかりにラタトゥーユを頬張るイーゴの顔は、まるでママの手料理を喜ぶ少年そのものだ。

イーゴの幸福感は、母が作ってくれたカレーライスやハンバーグに身も心も満たされた経験を持つ人なら、誰でも共感するのではないだろうか。

ネタバレ動画です。

翌日、イーゴは、素晴らしい批評を新聞に寄稿する。

厳しい批評は、書く側にとっても、読む側にとっても楽しいものだ。
料理人たちが命懸けで作った料理にも、批評家たちは厳しい審判を下す。
だが、批評家も時には冒険をする。それは新しい才能が登場した時だ。
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。

イーゴの言葉は、世界中の若いクリエイターに対するエールであると同時に、新しい才能をこき下ろし、業界の利害や自身のポジションを守るために、本当に価値ある作品にバツを付けて、芸術を後退させてしまう批評家に対するエクスキューズでもある。

厳しい批評は、書く側にとっても、読む側にとっても楽しいものだ」というのは本当にその通りで、厳しい意見を言えるのが批評家と思い込んでいる人も少なくないのではないだろうか。

だが、批評の目的とは、作品のあら探しではなく、一般には気づかない美点と欠点を指摘し、作品の魅力を紹介すると共に、鑑賞者の見る目を養い、芸術の発展に尽くすことにある。

たとえ厳しい意見が真実としても、グストーのように職人の心を折り、業界全体を萎縮させるなら、それは全く批評としての役に立ってないように思う。

イーゴは嫌な奴だったかもしれないが、「ママの味」をきっかけに、料理の心に立ち返ることができた。

ラストの「Suprise Me !(驚かせてくれ)」のひと言は、全てのアーティストにとって、最高の褒め言葉だ。

素晴らしいものを作り出すために生きている

この作品には悪役が二人いる。

一人は、辛辣な料理評論家のイーゴ。

もう一人は、グストーの名前の使い、粗悪な冷凍食品で一儲けしようと企む料理長のスキナーだ。

スキナーは、グストーの死後、レストランの評価を著しく損なったにもかかわらず、まだ恥の上塗りみたいな冷凍食品の販売に躍起になっている。

上質な料理の対義語が「冷凍食品」という設定も皮肉がきいているが、「どうせ一般庶民に本物の味など分かるわけがない」という悪徳料理人の本音が垣間見える。

昔はグストーの薫育を受けた料理人だったのかもしれないが、今時の大衆は、手間暇かけた料理より、レンジでチンして、適当に塩と砂糖で味付けしたような加工食品を好むということを見抜いている点で、なかなかの商売人といえる。スキナー料理長にとって、もはや料理は「味わい、楽しむもの」ではなく、ガソリンみたいに、空きっ腹に流し込んで、空腹を紛らわす為のものでしかないのだろう。

だが、現役の料理人たちは、まだ夢を失ってはいない。

グストーの隠し子だったリングイニが料理界の新星として評価を得ると(もちろん、その功績はレミーのおかげだが)、調理場のスタッフはスキナーを追い出し、開発途中の冷凍食品を、クレム・ド・ブリュレに使うバーナーであぶり、店の裏で全て燃やしてしまう。

加工食品が悪いとは言わないが、人をどんどん怠け者にし、味覚をおかしくしているのは事実だし、手間暇かけた手作りの味に何の価値も見いだせなくなれば、食事もただの「燃料補給」に成り下がってしまう。(本作に喩えれば、何でも口にしてしまう兄エミールみたい)

スキナーのやろうとしている事は、料理にとどまらず、家族や友人からコミュニケーションを奪い、人生の質を損なうものだ。

なぜなら、私たちは、ただ「食べる」だけでなく、笑ったり、驚いたり、その時々の感動をエネルギーとして生きているからである。

レミーがまだ田舎で仲間のネズミたちと残飯をあさりながら暮らしていた頃、現実主義の父親は言う。

「食べ物はエネルギーだ。とにかく食べて力をつけろ」と。

だが、レミーの考えは違う。

僕たちはただ食べるだけでなく、素晴らしいものを作り出すために生きているはずだ

加工食品は便利だが、人間の食生活は、「空腹が満たされれば、それでいい」という単純なものではない。

人生もかくの如し。

ただ生きるだけでなく、手間暇かけて、工夫して、料理みたいに味わいたいものである。

料理をテーマにした作品
異文化交流の理想と葛藤を描く 映画『マダム・マロリーと魔法のスパイス』
高級レストランの向かいにインド系移民がやって来て、インド料理の店を開く。猛烈なスパイスと騒音にレストラン従業員の怒りが爆発。人種間の対立に発展してしまう。事態を憂いたマロリーとパパは少しずつ歩み寄り、両者の絆は素晴らしい創作料理に昇華する。

初稿  2011年4月24日

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