【序文】ドストエフスキーの全てが凝縮した『カラマーゾフの兄弟』~作者より

カラマーゾフの兄弟 第一編 作者
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(序文) 作者より
目次 🏃

壮大な物語のプロローグ

『第一の小説』と『第二の小説』

ドストエフスキー最後の大作『カラマーゾフの兄弟』は、主人公アレクセイ・カラマーゾフの身上に詳しい”書き手”の回想録として始まる。

「これが蛇足だという意見には、私もまったく同感だが、なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう」の一文に、長文体質ドストエフ
スキーの性情が感じられる。

また、本作が二部構成であり、我々、後世の読者が『カラマーゾフの兄弟』と呼んでいるものは、「第一部・アリョーシャの生い立ち編」であり、ドストエフスキーの心は、それに続く『第二部・デカい事をやらかした編』にあり、恐らくは、皇帝暗殺ではないかと言われている。

アリョーシャは12人の同志(本編のラスト、イリューシェチカの墓を囲んで「カラマーゾフ万歳」と共に誓い合った子供たち)と共に、皇帝暗殺を企てるが、彼を妬むラキーチンの裏切りにより、計画が露呈し、アリョーシャは銃殺刑に処される……という展開である。
(参考記事 ラキーチンは裏切り者のユダ? 嫉妬が悪意に変わる時(12)

事件を知ったドミートリイとイワンは、それぞれにアリョーシャを救出しようと働きかけるが、力及ばず、アリョーシャは悲劇的な最期を遂げる。

この場面は、第一部で、アリョーシャがドミートリイの牢獄を訪れ、イワンと神の在・不在について語り合う場面の返歌となっており、そこで思想的にも大団円を迎えるはずだったが、当のドストエフスキーが急逝してしまったので、そこから先は読者のご想像にお任せします……というのが、本作の顛末だ。

ともあれ、ドストエフスキーがこの大作を書き始めた時、まさか脱稿から間もなく、自分が死ぬとは夢にも思わなかったし、続きも書く気満々であったことは、容易に想像がつく。

そのくせ、「第一の物語の二ページ目あたりで本をほうり出し」と、どこか言い訳がましいのは、さすがに老齢に差し掛かり、最後まで書き上げる自信もなかったのか。

あるいは、悪文だ、長文だと、陰でボロカスにけなされていることも自覚した上で、「最後にもう一度、好きに書かせて、プリーズ」と読者に甘える気持ちもあったかもしれない。

何にせよ、この序文が『白鳥の歌』になったのが本当に残念でならない。

レトリックとしての『作者』

わが主人公アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフの一代記をはじめるにあたって、私はある種のこだわりを覚えている。

ほかでもない、なるほど私はアレクセイ・フョードロヴィチをわが主人公と呼んではいるが、実をいうと、およそ彼が大人物などといえた柄ではいのは当の私がよく承知していることで、となれば当然、次のような種類の質問を避けるわけにいくまいと覚悟するからである。

いったいそのアレクセイ・フョードロヴィチにどんな見どころがあって、あなたは彼を主人公に選ばれたのか? 

そもそも彼は何をした男なのか? 

どういう人に、どんなことで知られているのか? 

一読者たる自分が、彼の生涯の諸事件の究明などに時間をつぶさなければならないのはどういうわけなのか?

大作『カラマーゾフの兄弟』は、"主人公 アレクセイ・カラマーゾフ(アリョーシャ)に詳しい書き手"の回想録として始まる。

この「書き手」は、ドストエフスキーその人ではなく、カラマーゾフ家の内情に詳しい架空の語り部だ。

表題の『作者』も、ドストエフスキー自身ではなく、架空の伝記作家である「書き手」のことを指す。

書き手いわく、この物語は、「第一の小説」と「第二の小説」からなり、書き手が本当に書きたいのは、第二の小説のイベントのようである。

しかしながら、イベントだけを取り上げても、なぜアリョーシャが「そのような事をしたのか」、読者には納得がいかないだろうし、アリョーシャがそこに至るまでの背景をつぶさに描きたいという理由で「第一の小説」が執筆された。

ところが、第一の小説の脱稿から間もなく、ドストエフスキーが死んでしまったので、「第二の小説」は永久に書かれることなく終ってしまった。

上記にも書いた通り、今、我々が『カラマーゾフの兄弟』と呼んでいるのは、「重要なイベント」の前日譚に過ぎず、本編はドストエフスキーと同じ墓の中……というのが、この作品の顛末である。

そしてまた、第二の小説で、アリョーシャが何をするのか、前日譚にも一切明記されてないし、これというメモも草稿も残されていない。

ただ、前後の脈絡や、ドストエフスキーが集めた資料や、思考のプロセスから、「皇帝暗殺ではないか」と推測されるだけで、確かなことは何一つ分かってないのが現状だ。

ちなみに、次に続く、『第二章 長男を厄介払い』には次のような記述がある。

この破局の叙述が、序章的な私の第一の小説の主題、というよりは、その外面的な筋を構成しているのである。

「破局」とは、金銭をめぐる父との確執だ。

そこから父親殺しに至るまでの経緯だけで、これほどのボリュームがあるのだから、それに続く「アリョーシャ編」は、その二倍はあったのではないかと推測される。

主人公の造形 ~アリョーシャの生い立ち

それにしても、この書き手は、ほんのプロローグに過ぎない父親殺しの経緯を、なぜ、そうまで詳細に書く必要があったのだろう。

その点については、こちらの一文が参考になる。

いったいそのアレクセイ・フョードロヴィチにどんな見どころがあって、あなたは彼を主人公に選ばれたのか? そもそも彼は何をした男なのか? どういう人に、どんなことで知られているのか? 一読者たる自分が、彼の生涯の諸事件の究明などに時間をつぶさなければならないのはどういうわけなのか?

≪中略≫

問題は、おそらくこの男もいわゆる活動家の部類に属する人間なのだろうが、それがなんともあいまいな、明確さを欠いた活動家だという点にある。

もっとも、現代のような時代に、人間に対して明確さを求めるのが、そもそもおかしいのかもしれない。

それにしても、ひとつだけ、かなりはっきりしているのは、これがいっぷう変っていて、変人とさえ言えるくらいの男だということである。

しかし変っているとか、変人癖があるとかいうのは、その人間を注目に値する存在にするうえでは、むしろマイナスに働く要素であり、わけても世人一般が、個別を統合して、全般的混迷の中にせめてもなんらか共通の了解を見出そうと努めている現代にあっては、なおさらそうである。

どうやら、『第一の小説』では、親兄弟を補佐する役まわりのアリョーシャが、『第二の小説』においては中心的人物となり、ロシア中に名を知られるような存在になるらしい。

『明確さを欠いた活動家』の意味するところは、「とてもそんな大それた事をするようには見えない」ではないだろうか。

通常、社会活動家と言えば、レーニンやマルクスのように、激しく、偏執的で、大衆を扇動するような、凄まじいオーラを放つものだが、アリョーシャの場合、社会に恨みを抱いているわけでもなければ、燃えるような野心の持ち主でもない。性格的には温厚篤実、拳を振り上げて演説するより、教会でミサでもあげた方がはるかに似つかわしいタイプだ。

「変人」に見えるのも、いい年の割には、天使みたいに純粋で、どこか浮世離れしているからだろう。(序文では、第一の小説は、「13年も前の出来事」と明記されている)

父親殺しという異様な出来事に巻き込まれ、なおかつ、あくの強い二人の兄の色恋に振りまわされた末っ子としては、普通でいる方が難しいだろう。

ドストエフスキーは、後年のアリョーシャに説得力を持たせるために、前日譚となる「第一の小説」を執筆し、なおかつ、「父親殺し」と「祖国ロシアの皇帝殺し」
を重ねたかったのかもしれない。

同時に、イワンの無神論に併行する話でもあり、第一の小説では、アリョーシャがイワンの苦悩を哀れみ、大審問官の会話の後にイワンにキスするが、第二の小説では、これが逆転し、今度はイワンが死にゆくアリョーシャの心の支えとなる展開なのかもしれない(ドミートリイ共に)。

ともあれ、アリョーシャは、第二の小説において、ロシア中が騒然とするような事件を引き起こしたに違いなく、それを皇帝暗殺とするなら、読者も納得するような動機と理由が必要だ。

そこに説得力を持たせるために、これほど長大な『父親殺しの前置き』を書いたことを思うと、ドストエフスキーの並々ならぬ創作欲を感じるし、あるいは、ドストエフスキーは本気でそんなことを考えていたのではないかと思ったりもする。(ちなみにロシア革命が起きたのは、ドストエフスキーの死から24年後のことである。後述の年表を参照)

ドストエフスキーにしてみたら、「自分自身が死んでしまうこと」こそ、大事件だったろう。

志半ばで散ったことが心底惜しまれてならない。

これが蛇足だという意見には、私もまったく同感だが、なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう。
では、本題にかかることにする。 

。゚(゚ノ∀`゚)゚。ノ彡_☆バンバン!!

当時から、『クソ長い』と批判され、どうにか短文体質になろうとするも、やはり、なりきれなかったドストエフスキー。

己の命ずるままに、ガンガン書きまくっては、責められ、嫌がられ、自分でも無駄に長い長編体質を気に病んではいたが、最後には「やかましいわ!」の精神で開き直った苦悩の跡が垣間見える。

だが、それでいいのだ。

元々、小説の書き方に正解など無いのだし(文法は別として)、誰の、どんな作品であれ、「その人らしさ」が如実に表れているのが作家の個性ではないか。

もし、ドストエフスキーが「僕もラノベみたいに、さくっと読める小説を書こう」とか言い出したら、皆、逃げ出すだろう。

たかがプロローグでさえ、これだけ言い訳せずにいられないから、読むのも、批評するのも、面白いのだ。

長編、長文、おおいに結構。

真の個性とは、「それ以外になれない」ことである。

ドストエフスキーも死ぬまで変わらなかった。

変えようにも、変えられないほど、一体化しているからである。

それにしても、「なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう」はパワーワードだ。

私もそれで逃げ切りたい。

長い目で見れば、書いて、残した者の勝ち。

誰に、どのように酷評されようと、形に成した者の圧勝なのである。

……で、カラマーゾフの父ちゃんは、いつ死ぬの? マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆ チンチン

ここに至るまでの道筋が、実に、実に、、、、長いのである ヽ(_ _ヽ)彡 

ドストエフスキーが生きたロシア革命前夜

ドストエフスキーが生きた時代はロシア革命前夜。

フランス革命、そして産業革命による、急速な民主化、工業化がロシアにも広がっていった時代。

おおよその流れは次の通り。

年表

1979年 フランス革命
1815年 ナポレオン没後、ウィーン条約(ヨーロッパにおける国際秩序の取り決め)

1818年 カール・マルクス誕生
1821年 ドストエフスキー誕生

1830年 イギリスの産業革命が最盛期
1840年 ドイツにも産業革命が波及し、急ピッチで工業化が進む
以降 欧州・ロシアに広範に広がる

1844年 ニーチェ誕生

1845年 ドストエフスキー『貧しき人々』(24歳)が注目を集める。
1848年 マルクス&エンゲルス共著『共産党宣言』が発表(マルクス30歳)
1867年 マルクス『資本論』の第一巻出版(49歳)
1879年 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(58歳)をロシア報知に連載開始。
1881年 ドストエフスキー死去(59歳) ニーチェ『曙光』を発表(37歳)

1905年 ロシア「血の日曜日」事件(労働者による皇宮への平和的な請願行進に対し、政府当局に動員された軍隊が発砲し、多数の死傷者を出した事件。ロシア第一革命のきっかけとなった。)
1917年1月 ペトログラードで「血の日曜日」事件を記念する5万人の労働者によるストライキとデモ
1917年3月 ニコライ二世の退位
1917年6月 ペトログラードにて『第一回 全ロシア・ソヴィエト大会』が開催
1917年10月 レーニンひきいるボリシェヴィキ単独政府<人民委員会議>が誕生
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦の成立
 
1988年 - 1991年 ソビエト連邦(USSR)の崩壊

2022年 ウクライナ侵攻

翻訳テキストについて ~江川卓による後記

この翻訳テキストとしては、1976年発行のソ連「ナウカ」版ドストエフスキー三十巻全集十四、十五巻に収録されているものを用い、1911~18年発行の『プロスヴェシチェーニエ』社版二十三巻を全集を参照した。

注解は全集に付せられているものを参考にしたほか、訳者において各種の資料により作成した。なお新旧約聖書の引用は、日本聖書協会版、日本正教会版などを参照の上、ロシア語の原義を重んじて、訳者において独自の翻訳を試みたところが多い。なお教会用語になるべく正教会の定訳を用いるように努めたが、たとえば「聖霊」を正教会ふうに「聖神」と訳すと誤解を生ずる恐れがあるので、『懺(ざん)悔(げ)」など、日常語化しているものと同様、慣用に従ったものも多い。

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【1】淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ 不幸の元凶である淫蕩父は金勘定に長けた地方の小地主。愛も責任も持ちあわせない結婚をして、幼い長男ドミートリイを放り出す。右に左に迷走するロシア社会のでたらめさを体現するような人物で、非情というよりは、心の指針を欠いた俗物であるのがありありと綴られている。
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