三年前の詩など、三年前の自分にまかせておけばいい ~どんな詩人も自分の書いた海で泳ぐことはできない

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詩人が海で泳ぐ時

きみの詩は、人生に甘えすぎだし、感傷的すぎて、いい「方法」だとはいえません。
しかも、三年前の「入試で悩んでいたころ」の詩を、今では大切にしているなんて、感心できません。
「悩んでいたころ」のことなど、きっぱり忘れてしまうべきです。
いい女友だちでも捜して、人生を楽しく、別の詩を書いてください。
詩は毎日書くくらいのエネルギーが必要です。「三年前のものなど、三歳下のやつにまかせておけ」と、ぼくはいいたい。

《寺山修司から高校生へ 時速100キロの人生相談》 学研

詩情は言葉に留めることができるが、 詩を書く自分は一瞬で過ぎ去る。
書いてしまえば、そこでおしまい。
詩を書きたくなった自分も、詩を書いている自分も、詩の中で完結してしまう。

完結したら、そこでお終い。
また新たな自分が始まる。
言葉は蛇の脱皮みたいなもの。
作ることは、脱ぎ捨てることなのだ。

そんな風に、詩人は次々に詩を作って、次々に自分を脱ぎ捨てていくので、それを書いた時の自分には二度と戻れないし、同じ夢を見ることもない。
美しい詩も、美しい想いも、一瞬で過ぎ去る風みたいなもので、掴んだと思ったら、あっという間に消えていく。ただ言葉だけがノートに捺印みたいに留まり、そんな自分がいたことを後々まで教えてくれる。

そんな風に月日を重ねるのは淋しいことだけど、次々に言葉にして脱ぎ捨てていくから、いつでも明日は新しく、自分も生まれ変わるのではないだろうか。

三年前のものなど、三歳下のやつにまかせておけ」と言うように、三年前の詩など、三年前の自分にまかせておけばいい。
いつまでも三年前の気持ちにこだわることもない。

どんな人も、今一瞬を生きている。
詩とは、その瞬間を書きとどめてこそ、永遠の歌になるのだ。

どんな詩人が
自分の書いた海で
泳ぐことができるというのだろう

《寺山修司少女詩集》 角川文庫

高校生時代に書いた詩は、高校生の自分にまかせておけばいい

上記の元となった高校生の詩は、次のようなものである。

○月○日(日曜日)
何のために
どんなふうに
生きればよいというのだ
オレがいなくても
オレが死んでも人間は動きまわる
時間はどんどん過ぎ去って
再び帰ることはない
あのときは幼かったが
一所懸命生きていた
食うために生きろというのか
生きるとはどういうことか
いたずらに老い 死んでいくのか
(岩手・○○○美)

よくある高校生の詩。
高校生なら、こんなものと思う。
それに対して、寺山氏の回答はなかなか手厳しい。
学校の教師のように、「うん、うん、そうだね。生きることが気になる年頃だね」みたいに頷いてはくれない。

だが、そうして頷いてもらったところで、人生が動くかといえば、多分、否。
「なんとなく、人生を知ってるオレ」に酔いしれて、頭デッカチの大人になるかもしれない。

実際に、生きてみなければ分からないことは、たくさんあるものだ。

寺山修司の一撃をくらった高校生も、十年後には違う詩を書いているだろう。

だが、それでいい。

高校時代に書いた詩は、高校生の自分にまかせておけばいいのだから。

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