寺山修司の『ポケットに名言を』 言葉を友人に持ちたいと思うことがある

寺山修司の言葉から踏み出す人生の第一歩 『ポケットに名言を』より
目次 🏃

作品の概要

『ポケットに名言を』は、寺山修司自身がセレクトした名言集だ。

「寺山修司の名言」ではなく、「寺山修司が好きな名言のコレクション」だ。

それも文学一辺倒ではなく、歌謡曲、映画の台詞、世界の諺など、ソースも多岐にわたり、氏のフィールドの広さが窺える。

巻末に収録された≪改訂新版のためのあとがき≫によると、『ポケットに名言を』は、1968年に『青春の名言(大和書房)』として刊行されたものを、10年後に、寺山氏自身が再編したもので、氏曰く、「ことばを友人に持とう」というサブタイトルの通り、「他の友人たちと同じように疎遠になっていったものもあれば、急激に親しくなったものもあった。そして、『名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだ」と。

私は、旧版の『青春の名言』は読んだことがないので、どこが、どう変わったのか、コメントのしようがないが、人間、年を取るにつれ、お気に入りの名言が変わっていくのは当然で、むしろ、十代に感銘を受けた名言を、五十代になっても同じように感動しているのが不思議なほどだ。

そういう意味でも、寺山修司らしい名言集だし、演歌あり、捨て台詞ありで、岩波文庫的な匂いから程遠い良作だ。

現代は、「何を言ったか」よりも、「誰が言ったか」の方がはるかに重要で、市井の言葉など、すぐに忘れ去られてしまうが、本当に言葉の価値を知っている人には、「誰が」というのはほとんど関係なく、今は持てはやされても、50年後にはすっかり忘れ去られてしまう流行語も数多い。

寺山修司が、有名・無名、文学・非文学のカテゴライズに寄らず、「いい」と思ったものは片っ端からノートに書き留め、自分の読者にも伝える、本当の意味で「文人」だったことは想像に難くない。(ちなみに、氏の著作には、高校生から送られた詩や読後感想文なども紹介されている)

もちろん、後半には、自身がセレクトした、自身の名言も掲載されており、ちょっとした刺激が欲しい方にもおすすめの一冊である。

【目次】

1. 言葉を友人に持とう
2. 暗闇の宝さがし
3. 好きな詩の一節
4. 名言
5. 無名源
6. 時速100キロでしゃべりまくろう

いわゆる『寺山修司の名言集』は、こちら。

言葉をポケットに入れて、気軽に持ち歩こう

言葉を友人に持ちたいと思うことがある

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。

それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである。

たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。

だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。

少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。

しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。

Hungry YoungmenはAngry Youngmenになれないと知ったのである。

そのかわり私は、詩人になった。

そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。

詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。

私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突するくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。

<中略>

時には、言葉は思い出にすぎない。

だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣り合うこともあるだろう。

そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。

私が初めてこの一文を目にしたのは、十七歳の時だ。

バブル世代にとって、高校生活はまさに受験一色。

大学は行って当たり前。

行かなきゃ、落ちこぼれ。

今以上に上昇志向だったあの時代、それ以外の人生は「負け」でしかなかった。

そんな風潮に異議を唱える人も少数で、今より強固に『右向け右』の時代。

オンリーワンとか多様性なんて言葉は、30年後にようやく聞かれるほど。

あれほど社会に勢いがあり、またそれに乗らなきゃ損な時代もなかった気がする。

だからといって、自分も右に倣うほど単純にもなれない。

「人は何の為に生きるのか」

「自分とは何ものなのか」

机に肩肘をついて、そんなことばかり考えていた時期もあった。

また、そうしたことを語り合える友だちはなかったし、大人に問うても、「そんなことは、大学に行ってから、じっくり考えればいい」と言われる。

でも、大学に行ってからでは、遅いのだ。

人生は始まったばかり。

だから、最初の一歩を間違えたくない。

今すぐ納得のいく答えが欲しい。

人生は二度と返らない。

旅人が出発前に「何所に行くべきか」を自分に問いかけるように、私も行き先だけは間違えたくなかった。

たとえ、その行路が七難八苦としてもだ。

自分の内側に、有り余るほどのエネルギーを持て余しながら、必死に流れ出す先を探していた。

それは中二病などという言葉では表せないほど、複雑で、強烈で、抑えがたい渇望であり、また一斉に大学受験に向かう集団の中で、自分だけが違う方向に向いている孤独感でもあった。

*

そんな時、たまたま本屋で手に取ったのが、寺山修司の『ポケットに名言を』だ。

寺山修司のことは、名前だけは知っていた。

1983年に亡くなった時も、新聞の一面に大きく報じられていたし、それ以前も、劇団『天井桟敷』の批評が週刊誌に掲載されていたのをうっすらと覚えている。

何より、私の学生時代は、どこの本屋に行っても、「寺山修司のコーナー」がかなりのスペースを取っていたし、その前を通ると、「家出のススメ、家出のススメ」と背表紙が呼びかけてくる。

これは危険だ、染まりたくないと思いながら、いつも初夏の前を素通りしていたのだが、ある日、とうとう寺山氏の著作の何冊かを手に取り、ぱらぱらとページをめくってみた。

その時、強く胸を射たのが、「言葉を友人に持ちたいと思うことがある」の一文だったのである。

*

思えば、友だちらしい友だちもなく(遊び仲間はたくさんいたが)、胸の奥の懊悩を誰かに打ち明けたこともない。

そんなことを口にすれば、「ネクラだ」と馬鹿にされるか、「そんなこと考えて、どうするの?」と不思議そうな顔をされるのが常だったかあだ。

だったら、「言葉」を友人にすればいい。

言葉は揺らぐこともなければ、自分から離れていくこともない。

いつも変わらずそこに居て、旅の道連れになってくれる。

『そして「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきであろう」という言葉の通り、身の丈に合わなくなったものは、自然に離れていくだろう。

選ぶ必要もなければ、選ばれることもない。

自然に心に触れたものを、時に噛みしめ、時にさよならしながら、自分らしく歩んで行けばいいのだと。

*

どんな孤独な魂にも、友人となる言葉は、この世の何処かに存在するものだ。

私たちが言葉を探し求める時、言葉もまたそれにふさわしい読み手を求めている。

それもまた人生の出会いであり、名言の本当の価値は、「何を言っているか」ではなく、「いつ出会うか」にあるのではないだろうか。

言葉をジャックナイフのようにひらめかせる

『そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った』

毒にも薬にもならない事をお上品に書き綴っても、真の芸術にはなり得ない。

論文やニュースなら、公共性や正確性が求められるが、我々は文人だ。

その中では、嫉妬も、孤独も、殺意も、絶望も、言葉の芸術として昇華する。

そして、私が言葉に表したいのは、まさにそのものだからだ。

詩は、誰が、どんな風に書き綴ってもいいけれど、それが誰の心に、どんな風に届くかは、作者には決められない。

だからこそ、ありのままの自分を言葉に表すのが、とても大事なのだ。

シャツでも着るように軽く着こなしては、脱ぎ捨ててゆく

『そして「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう』

前を向いて生きる限り、人は、日々生まれ変わる。

四季の感じ方も、映画の感想も、その都度、変化するのが自然だ。

また、そのように柔軟でなければ、世間の荒波を乗り越えることはできないし、常に新しい目で物事を見る感性がなければ、変化のしようもない。

一箇所に留まり、一つの思想に拘泥するのではなく、様々な価値観を楽しみ、もっと伸びやかに生きようじゃないかと、寺山修司も呼びかける。

名言は額に入れて飾るものではなく、シャツのように軽く着こなすものではないだろうか。

旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がつく時

『それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである』

「たった一人」というのは、「どこにも友だちがいない」という意味ではない。

もし、本気で、自分の道を究めようと思ったら、前にも、後ろにも、手本となるものはないし、真似する人もない。

誰かが方法を教えてくれるわけでもなければ、他人に学んで何とかなるようなものでもない。

唯一無二の存在になるということは、一人で北極点を目指すようなもの。

それを孤独と感じるか、宿命と受け取るかで、人生も大きく違ってくるだろう。

だが、言葉を友人に持てば、たとえ一人になっても、道を見失うことはない。

世界の何処かには、自分の気持ちを代弁し、痛みも悲しみも分かち合える存在があると実感できる。

優れた言葉は、どんな時も、揺るぎない道しるべであり、心の支えだ。

私にとって、『ポケットに名言を』がそうであったように。

人生の最初を踏み出すのは、誰にとっても冒険だが、正しい方向に踏み出しさえすれば、後は、風に乗り、波に乗り、遠くに運ばれていく。

たとえ、その最中に嵐に遭っても、良い言葉が、あなたを目的地まで導いてくれるだろう。

その為に、いろんな本を読み、言葉を大切にする。

ただ、それだけのことで、私たちはどれほど多くの心の財産を手に入れられることか。

*

あなたのポケットにも、寺山修司を一冊。

世界で最も勇気ある一歩を踏み出して下さい。

誰かにこっそり教えたい 👂

Notes of Life

自己肯定感を高めたければ、誰かの役に立つのが一番の近道です。 いきなり人の中に入るのが怖ければ、小さな鉢植えでいいので、大事に育ててみましょう。 自分みたいな人間でも必要とされていることが分かれば自尊心も高まり、自信に繋がります。

この記事を書いた人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。看護師として医療機関に勤務後、東欧在住。石田朋子。amazonの著者ページ https://amzn.to/3btlNeX

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最初から日の当たる場所で歩き始める人はいない。 皆に理解されながら物事を始める人も。 始める時は、いつも一人。 考えるのも、一人。 行うのも、一人。 だからこそ達成の悦びもひとしおなのです。
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