十七歳のオイディプス 「親 死ね」「親 殺す」の正体

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十七歳のオイディプス

次の進路で人生が決まる

西暦二〇〇〇年頃、十七歳前後の少年による凶悪犯罪が相次ぎ、『キレる十七歳』という言葉が世間の注目を集めました。この頃の十七歳が特別悪いわけではありませんが、十七歳前後にこれまでの鬱憤が爆発して、凶行に走る動機は理解できます。身体は大人でも、心と社会的立場は子どものまま、しかも次のステップで人生の大本が決まってしまいます。

いくら大人が「好きなことをして生きろ」「人生何度でもやり直しができる」「チャレンジ精神が大切」と励ましても、現実は決してそうでない事を多くの高校生は肌で感じています。大学か就職か、一流か二流か、次のステップで人生の梯子がかかることを思えば、焦りや重圧もひとしおです。傍目には聞き分けのいい子どもに見えても、心の内側では、理想と現実、希望と不安がせめぎ合い、重圧と緊張の毎日でしょう。

そんな最中に、たった一つの願いを踏みにじられたり、能力や人格をけなされたり、自己の存在を全否定するような選択を迫られたら、おとなしい子でも反発します。反発する勇気のない子は、自尊心の低下や絶望から、自傷や自殺に走るかもしれません。

表立って問題がなくても、「親 死んでほしい」「親 殺したい」と鬱屈した気持ちを抱えているなら、親子関係も、子ども自身も、危機的な状況にあると思います。それが高じて、現実に親殺し、もしくは子殺しに発展しても、なんら不思議はないでしょう。

十七歳は、世の中のこともよく知らず、心を処す術も知らない、オイディプスと同じです。若いエネルギーを持て余し、自分らしく生きる道を渇望しています。

大人の仲間入りを果たす助走の時期に、ライオス王が立ち塞がったらどうなるでしょうか。子どもの望みなど何一つ知らず、「道を譲れ」と高圧的に命令するだけの親であれば、いつか腕力にまかせて、親を打ち倒そうとするかもしれません。その衝動が心の中で昇華すればいいですが、あまりに感情が強いと、冷静に考えることさえできなくなってしまうものです。

そして、今の世の中は、こうした十七歳の重圧に向き合う余裕もなく、少年の悩みに良く効く回答も持たず、中二病とせせら笑うか、大人の狡猾さで説き伏せるかで、ちゃんと寄り添っているようには見えません。

「親 死ね」「親 殺す」の正体

では、彼らがこの葛藤を克服し、成熟した大人になるには、どうすればいいのでしょうか。

第一には、親に対する怒りや不満をはなから否定しないことです。

それは「死ね」「殺す」に賛同しろ、という意味ではありません。激しい言葉の根底にある苦痛や不満を理解し、今まさに自分の人生を必要としている気持ちを自覚させることです。 

どんな子どもも、幼稚園や小学校の頃は、何の疑いもなく親を慕うものです。

たとえ折檻されても、罵声を浴びせられても、悪いのは自分であって、親のせいではないと考えます。親は絶対的な存在であり、唯一の庇護者です。親がなければ、寝ることも、着ることも、食べることもできませんし、どこでどうやって生きればいいのか、全く分かりません。親に暴力を振るわれても、自分の身に起きていることを客観的に分析する知恵も能力もなく、ただ「自分が悪い」と思うだけ、悪鬼のような親にも服従し、必死で気に入られようとするものです。

しかし、子どもも成長し、大人並みの知識や腕力を身に付けると、親は完璧な神ではないことに気付きます。もう嘘は通用しませんし、親を見る目もだんだんシビアになってきます。

たとえば、Aちゃんの家は外泊OKなのに、どうして、うちの親は絶対に駄目なのだろう。Bちゃんの親は洋服でもスマホでも何でも買ってくれるのに、うちの親は「勉強の邪魔になる」とか「不良になる」とか反対ばかりするのだろう。親の方針に疑問も湧いてきます。

そこで一つ一つ話し合いが進めばいいですが、親はまったく聞く耳持たず、一方的に方針を押しつけたり、「そんな風に考えるお前が間違っているのだ」と、子どもの気持ちや考えを否定するような事を口にすれば、不満も高まりますし、それが積み重なれば、親と関わることも、信じることも、止めてしまいます。

それが臨界点に達したのが、「キレる」という状態でしょう。地下に溜まり溜まったマグマがついに爆発し、精神的にも身体的にも、自分で抑えが効かなくなります。突然狂ったように見えるのも、エネルギーの噴き出し口が暴力しかなくなってしまうからでしょう。

しかし、ハイティーンといえど、社会的には非常に弱い存在です。一人ではローンを組むことも、賃貸を借りることも、クレジットカードや携帯電話を契約することもできません。働いて自活したくても、できることは限られていますし、方々で囁かれるブラック企業や貧困の噂を耳にすれば決心も鈍るでしょう。多少辛いことがあっても、親元で我慢した方がいいと思う人も少なくないかもしれません。動きたくても動けない拘束感から、ますます不満がつのり、
「親に人生を妨害されている」と憎悪をかきたてられる人もあると思います。

「親 死んでほしい」「親 殺したい」の言葉の底には、親への不信、怒り、自分自身への苛立ち、焦りなど、様々な感情が渦巻いています。ここまで煮詰まれば、少々機嫌を取ったぐらいで子どもの気持ちは変わりません。いわば、真っ直ぐに育つべき樹木が十数年の歪みでだんだん傾き、今にも倒れそうになっているわけですから、根元から植え直さない限り、健全な状態に戻ることはありません。親にそれだけの覚悟と認識があれば別ですが、たいていは歪みに全く気付かず、一方的に子どもに考えを押しつけたり、責め立てている状態ですから、当然、その負荷は子どもにかかります。そうした不満が「親 死んでほしい」「親 殺したい」という言葉に表れるのも、何が原因か、子ども自身が一番よく分かっているからなんですね。

その一方、生活環境や生き方を変えることで、歪んだ関係から脱出しようと試みる子どももいます。ライオス王を倒して、障害を越えようとするオイディプスです。彼らの為すことは、親の目から見れば裏切りでしかないので、激しく非難されるかもしれませんが、問題が潜在化し、ある日突然、暴力や自殺といった極端な形で爆発するより分かりやすいと思います。先にも述べたように、物理的・精神的距離をおくことで改善する部分もありますから、一概に害とは言い切れないでしょう。

いずれにせよ、「そんな言葉を使ってはいけない」と咎めたところで、問題は解決しません。たとえ彼らが「死ね」「殺す」という言い方を止めても、親のことは同様に恨み続けます。それこそ親が老齢になり、この世から消えてなくなっても、恨みだけは残るでしょう。それほどに激しい不満を抱えているから、「死ね」「殺す」といった過激な言葉で現れるのです。

子どもがこの心理戦を克服し、幸せな人生をつかみ取るには、親に植え付けられた善悪の概念や価値観の一切を否定し、ゼロから再構築しなければなりません。その内面的なプロセスを反抗と取るか、成長と見なすかで、親との関係も大きく違ってくるのです。

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