『親を殺すか、自分が死ぬか ~現代の親殺しとオイディプスの幸せ道』のあとがき

現代は様々なネットサービスが発達した結果として、人の魅力や能力など、いろんなものが可視化され、大勢の評価や共感を得られない人にはだんだん生きづらい世の中になっています。

高校生の頃にも、学校カーストやドロップアウトは存在しましたが、一人一人が携帯電話をもち、常時連絡を取り合って、相手の反応にやきもきすることなど無かったし、人の欠点や悪口が学校裏サイトで不特定多数に共有されたり、恥ずかしいところを動画に撮られて、SNSにアップされるような仕打ちもありませんでした。 

せいぜい、体育館や便所の壁に、「○○、死ね」みたいな悪口が書いてある程度。「落書き」と「ネットの悪口」の決定的な違いは、全国的に拡散して、自分とは無関係な人まで覗き見ることはないこと、また落書きはペンキを塗り替えたり、板を張れば消えますが、ネットに書き込まれたことは半永久的に残る、という点です。

また、よほど仲好しでもない限り、相手がどんな暮らしをしているとか、どんな意見を持っているとか、広く知ることはなかったし、友だちの数を競うこともありませんでした。

一人か二人、愚痴を言い合える友だちがいれば、それで十分。

一人でも共感してくれる人があれば、それだけで心の支えになったのです。

でも、今はお互いの生活レベルから交友関係まで、ありとあらゆるものが可視化され、魅力や能力まで数値化される時代です。

「わたしはわたし」と言い聞かせたところで、どうしたって周りの反応は気になるし、世間のことも、人間のことも、何も知らない十代の子が、周りに流されずに自分を保つなど、至難の業でしょう。

また私が高校生の時分は、社会全体が右肩上がりで、多少躓いても取り返せる余裕がありましたが、今は明るい見通しもなく、十代で既に「清貧の思想」や「諦念」が求められる時代です。「身の丈で生きろ」「自分が幸せに感じるならそれでいい」――自分自身に言い聞かせて、将来の失望や失敗に備えているような気もします。

本来、十代というのは、万能感にあふれ、「オレには世界を変える力があるのではないか」と自惚れていい時代です。

そうした自惚れがあればこそ、がむしゃらに努力し、四畳半でカップラーメンをすするような生活でも、「今に見ておれ」と燃えることができるものですが、希望もない、大志もない、そんなものを抱えたところで、どうせ報われないのが目に見えている……となれば、十代でも萎んでしまうのは仕方ないでしょう。今では、夢をもつこと自体、貴族の趣味みたいな感じですから、私の青春時代のように「頑張れ」「努力しろ」とは到底言えません。それぐらい社会の勢いも落ち込んでいます。

だとしても、どこにも、何の救いもないわけではないし、自分一人だけでも変わる可能性はあります。貯金箱の小銭が一夜で百億になることはなくても、いい友だちに巡り会ったり、特技を活かしたり、趣味を楽しんだり、周りに感謝されたり、今よりちょっといい生き方をするチャンスは誰にでも掴めます。

たとえ親に反対されても、愛が得られなくても、あなたに行動を起こす勇気と、一日一ページ、何かを学ぶ気力と、必ず幸せになるんだ! という強い意志があれば、どこかに道は開けるものです。何故なら、優しい気持ちには優しい人が、頑張り屋さんには頑張る人が、必ず呼応して、笑顔や励ましをもたらしてくれるからです。

その為にも、恨み辛みの囚われ人になってはいけません。心の中の怒りや憎しみを無理に打ち消す必要はないけれど、自分自身がそれに振り回されて、復讐の人生を生きれば、同じように毒をまき散らす人を引き寄せて、どんどん心の中で増殖するからです。

きわめて現実的なことを申せば、この世のことは全て不公平です。某国の王子に生まれるのと、シリアの爆撃地に生を受けるるのでは、まったく運命は異なるし、社会の底辺に落ちれば、努力して改善できることなどたかが知れています。親の財力や人脈を駆使して、すいすい世の中を渡っていく人がいる一方で、親に殴られ、けなされ、まともにご飯も食べさせてもらえない人がいて、同じように生きていけるわけがありません。よほどの天才でもない限り、個々の能力に大差はありませんから、やはり生まれついた環境による影響は非常に大きいです。

正直、この世に生まれ落ちた瞬間に、人生の八割は決まっているといっても過言ではありません。そんな現実を目の当たりにしながら、どうやって心を穏やかに保てばいいのか、私も教えて欲しいぐらいです。

だからといって、自分の可能性まで、地に叩き付けることはないでしょう。

どんな人にも「二割」の余地は残されていて、星を仰いで生きるか、怨念にこもって生きるか、選ぶ自由はあります。

せっかく、この世に生まれて、何一つ楽しいことがないとか、馬鹿馬鹿しいでしょう。

別に親に愛されなくても、友だちと飲みに出掛けたり、週末をマンガ漬けで過ごしたり、好きな国を旅行したり、自分の楽しみを追いかけるぐらいは出来るわけですから、そちらに気持ちを集中して、自分の心地いいように生きればいいのです。

ただ、その為には、自由になるお金と時間と空間が必要なわけで、それを得るために働く。

できれば、もっと稼ぎたいから、人一倍、勉強する。

それだけの話です。

聖人君子になる必要もなければ、デキるビジネスマンになる必要もない。

どれほど履歴や能力で優れようと、気の合う仲間に囲まれ、釣りや森林浴を楽しみ、毎日笑顔で過ごす人に勝てる人はありません。

その上で、もう一段、高い所を目指したければ、死に物狂いで努力すればいいだけのことです。ぐじぐじ悩んで、落ち込んでいる間にも、若い時代や可能性はどんどん失われていくし、四十歳を過ぎてから、十代、二十代と同じようにチャレンジしようと思っても、気力、体力ともに「出来ないこと」の方がうんと多くなっています。それほどのエネルギーとポテンシャルを、「親 死ね」「親 殺したい」という恨みの中で腐らせて、毒親と一緒に心中したいですか? 

あなたにとって、『自分の人生』とは、その程度のものなのでしょうか。

どれほど苦しめられ、傷つけられても、自分で自分を不幸にするような罠にはまってはいけません。

親は親、あなたはあなた。

親孝行も尊いけれど、『自分で自分を幸せにする』ということも、同じくらいに大事なんですよ。なぜなら、あなたが幸せになれば、あなたはその余力で、周りの人も幸せにできるからです。

とはいえ、オイディプスの道は、決して楽ではありません。

災害や事故のトラウマで、二十年経っても、三十年経っても、悲しみが癒えないように、親子のゴタゴタも、一朝一夕には克服できません。

乗り越えたと思ったら、また新たな問題が持ち上がり、行く手が塞がってしまう。

その度に、人の倍ほど苦労して、理不尽に感じることもあるでしょう。

生まれた時に貧乏クジを引いたハンディは、恵まれた側には想像もつかないほど大きく、重いものです。

もしかしたら、親子関係の傷も、一生抱えて生きていくことになるかもしれません。

でも、それもまた、あなたの人間的な能力の一部です。野球界のスーパースターが必ずしも名監督にはならないように、そんなあなただからこそ出来ることもたくさんあるはずです。

例を挙げれば、医療福祉の世界で、「自分と同じように辛い思いをしている子供たちに手を差し伸べたい」と頑張っている方、いっぱいいらっしゃいますよね。

心のスイッチが良い方向に入れば、いろんな分野で辛い体験を生かすことができます。

あなたもそんな偉大なポテンシャルをもった一人かもしれません。

どんな時も自分を卑下せず、自身の可能性を見捨てることなく、少しずつでも明るい方に向かって歩いて下さることを願っています。

『親を殺すか、自分が死ぬか ~現代の親殺しとオイディプスの幸せ道』のあとがき

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