個性とは自分を表現する強さのこと / 独りよがりな才能は人生を毒する ~TVドラマ『のだめカンタービレ』

個性とは自分を表現する強さのこと / 独りよがりな才能は人生を毒する ~TVドラマ『のだめカンタービレ』
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TVドラマ『のだめカンタービレ』について

作品の概要

のだめカンタービレ(2006年) フジテレビ系 連続ドラマ

原作 : 二ノ宮和子 漫画『のだめカンタービレ』(講談社)
主演 : 上野樹里(のだめ)、玉木宏(千秋真一)、竹中直人(ドイツの指揮者シュトレーゼマン)

のだめカンタービレ DVD-BOX (6枚組)
のだめカンタービレ DVD-BOX (6枚組)

TV版のあらすじ

エリート音大生の千秋真一は、ピアノ科に在籍しながらも指揮者を目指すが、飛行機恐怖症で欧州に留学することもできず、行き詰まりを感じていた。
ある時、同じマンションの隣に住むピアノ科の学生、野田恵(のだめ)と知り合い、彼女の才能に心惹かれるようになる。
しかし、プライドが高く、周囲とも噛み合わない千秋は、のだめとも言い争いばかり。自身の音楽も見失うが、ドイツの大指揮者シュトレーマンとの出会いもあり、次第に心を開いていく――。

見どころ

音楽ドラマ、特にクラシックの分野は、演奏シーンの吹替えが難しいのだが、主演の上野樹里も玉木宏も非常に上手で好感が持てる。
ドイツ人指揮者を演じた竹中直人も、最初はビジュアルに絶句するが、だんだん違和感を感じさせなくなる。(そのくせ、シリアスな場面は心に染みる)
近年、脚本が破綻したようなクソドラマが多い中、のだめは原作に忠実に描かれ、演出も面白い。
日本中がクラシックブームに沸いたのも頷ける話である。
ウンチクとギャグの狭間で上手くバランスをとった、音楽コメディの傑作。

※ 動画は映画『のだめカンタービレ 最終楽章』の予告編。TVドラマも同じようなノリです。

独りよがりな才能は人生を毒する

『のだめカンタービレ』の真の主役とも言うべきエリート音大生の千秋真一は、音楽一家に生まれ、物心ついた時からヨーロッパで暮らし、ピアノもヴァイオリンもプロ級にこなす。

おまけに、ルックスも良く、周囲から『千秋さま』と仰ぎ見られ、他の生徒とは一線を画するピアノ科の優等生だ。

しかし、彼の本当の願いは、「指揮者になること」。

幼少時、彼に絶大な影響を与えた世界の巨匠セヴァスチャーノ・ヴィエラのような立派な指揮者になって、一流オーケストラを指揮するのが夢だ。

しかし、彼が通う桃ヶ丘音楽大学では、教師とそりが合わない上に、彼の才能や感性を刺激してくれる友だちもなく、周りにキャアキャア騒がれるだけで、自分の進むべき道も、今為すべき事も、何も見いだせない自家中毒の状態。

「あいつも下手、こいつも下手。みーんな下手クソ」と心の中で毒づきながら、キャンパスを彷徨い歩いている。

千秋は、決して尊大ではないけれど、自分の持っているものと周りの環境が噛み合わず、常に自分を持て余している状態。

利己主義というよりは、誰とも通じ合えない淋しさであり、人間、一人でいきり立っても、それだけでは通用しない典型と言える。

世の中の大半――とりわけ子供のいる親は、「才能がありさえすれば、成功して幸せになれる」と思いがちだが、才能というのは、周囲と噛み合って初めて役立つものであり、それがなければ、かえって本人を不幸にしかねない。

ずっと以前、安室奈美恵やSpeedを生み出した沖縄アクターズ・スクールの先生が、アイドル志願の母子を対象としたテレビ番組で、

「この世のことは『出会い』で決まる。いくら歌やダンスが上手くても、人に惚れられるだけのものが無ければ、この世界では成功しない。安室ちゃんが成功したのは、ずば抜けて上手かったからではない。周りが入れ込んでくれるような人間的魅力にあふれていたからだ」

とコメントしていたが、まさにその通りだと思う。

千秋にしても、有り余るほどの才能を持ちながら、教授に理解されることはなかったし、学内の千秋ファンだって、彼の本当の望みが何か知ろうともせず、無責任に騒いでいるだけである。

どこかに流れ出したいと願いながらも、その出口が見つからず、マグマだまりみたいに苛立ちを募らせているので、さくらちゃんのように、「貧乏で、バイトが忙しくて、練習ができない」と悩むる女の子にも、「学費を稼ぐ為にバイトで練習不足になるぐらいなら、大学を辞めればいい」と平然と言い放ったりする。

才能が才能として立つには、それを引き出して、売り込んでくれる第三の存在が不可欠であり、俺様一人が優秀でも、何の役にも立たない。

むしろ、「こんなはずじゃなかった」「自分はもっと出来るのに」みたいなルサンチマンをこじらせ、千秋のように孤立するものだ。

幸い、千秋は、のだめやシュトレーゼマンとの関わりを通して心を開き、自分のプライドを折る懐の深さもあったから――たとえば、落ちこぼれ学生のオーケストラで、自分のポリシーよりも楽団員の持ち味を尊重しようとした――心のエアポケットから脱出したが、もし、彼が、落ちこぼれ学生のオーケストラで短気を起こし、シュトレーゼマンが与えてくれたチャンスに応えることができなければ、ただの「出来のいい生徒」で終っていただろう。

ゆえに、「才能がありさえすれば」という期待は幻想であり、誰にも愛されない優等生よりは、下手でも愛嬌のある人の方が、結果的には遠くまで行ける。

独りよがりな才能は、かえって人生を害する毒になりやすい。

のんびり型と現実逃避 ~努力とは現実と向き合う勇気

一方、ヒロインの“のだめ”は、「コンクールなんかに出ないよ。将来は幼稚園の先生になるの」と、のんびりしたものだ。

こだわりが無いから自由だし、自由だから恐れない。

のだめの「のんびり」は、天然というより、無我に近いものがある。

我が無いから、どちらに向かっても伸びていけるし、どんな形になっても、失敗とは思わない。

そうした気質が、俺様タイプの千秋には脅威であり、非常に羨ましいのだろう。

しかしながら、シュトレーゼマンに「今のままでは、千秋と一緒に居ることはできない」と指摘され、現実に目が覚める。

千秋はいずれ才能を認められ、雲の上の人になるが、のだめは彼の世界に属することができず、いずれ別れることになる――というものだ。

思うに、のだめの「のんびり」は、一種の現実逃避なのだろう。

努力には犠牲が必要だし、「結果を見届ける」という、辛い宿命もつきまとう。

千秋と同じ世界を目指すなら、好きな時に、好きな曲だけ弾いて……というのは許されないし、厳しい批評にも晒される。

「のんびり」といえば聞こえはいいが、その実、現実と向き合うのが怖いだけという気もする。

そういう本音が見え隠れするから、向上心の強い千秋とは、何かとぶつかるのだろう。

それでも、お互いが求め合うのは、やはり男女だからで、ある意味、「のだめ」という女性は、優秀な男の踏み台なのかもしれない。

自分より劣ったものを踏みつけることで、自分の能力や生き方を再確認するするタイプだ。

それを「踏みつけ」と感じないのが、のだめの個性であり、なまじ努力家の彼女ならたちまち修羅場と化すだろう。

のだめにとっては、千秋の世界から振り落とされない程度に頑張るのが一番いいのかもしれない。

【コラム】 個性とは、自分を表現できる強さ

自己嫌悪の千秋と自分大好きな個性派

本作には、ロックかぶれのコンサートマスター・峰龍太郎をはじめ、同性ながら千秋に熱烈な思いを寄せるパーカッショニストの真澄、小柄だけど大食いで、夢もガッツもあるサクラちゃんなど、個性的な落ちこぼれキャラがたくさん登場する。

優等生・千秋の対角線上に存在する彼らは、正統にこだわらないので、エリート集団においては孤立するが、自由に泳がせれば、独自の才能を発揮する。

そんな彼らにとって、千秋の要求は、冷徹で、独善的でしかない。

だから、峰クンやのだめが言う。

千秋みたいな人間には、僕たちの気持ちは分からないんだ」と。

一方、千秋は、「『楽譜通りに演奏する』。たったこれだけのことが、どうして出来ないんだ?」と訝り、ますます溝を深めてしまう。

紋切り型の優等生と自由闊達な個性派のギャップは、クラシック音楽に限ったことではなく、どんな分野にも普遍的に存在すること。

優等生から見れば、とらわれない人は、自由闊達な反面、無責任だったり、協調性を欠いたり。

個性派から見れば、紋切り型は、偏狭で、思いやりがなくて、冷たい印象があったり。

水と油のようなもので、わかり合う方が無理なのかもしれない。

ところで、『個性』というと、「群れの中に埋もれない、際立つ才能」のように勘違いしている人も多いが、この世に『個性的でない人』など存在せず、皆、大なり小なり、ユニークな性質を持っているものだ。

ただ、生き方は千差万別で、自分の個性を前面に押し出し、天下無双で生きていく人もあれば、周りとの違いに悩みながら、自分を押し殺して、生きていく人もあり、個性が必ずしも長所とは限らない。

ある意味、個性とは、「誤解や孤立を恐れることなく、自分を表現できる強さ」と言えるのではないだろうか。

峰クンや真澄ちゃんは、落ちこぼれのレッテルを貼られながらも、そんな自分をちゃっかり楽しみ、周りから変人扱いされても、自分が「こうしたい」と思ったことは、堂々とやってのける強さがある。

それに対して、千秋は、自分が本当にやりたいこと=指揮の勉強に真っ直ぐ手を伸ばすことができず、そんな自分を心の中では軽蔑していたりする(飛行機に乗れないことも)。

際立つ才能があっても、自分を否定しながらでは、到底、世の中に生かすことはできず、下手でも個性的に生きる峰クンや真澄ちゃんの方が幸せな音楽ライフを満喫できるのではないだろうか。

『楽譜通り』の上に個性も生きる

一方、千秋にも言い分はあり、いくら個性的で面白いからといって、楽譜無視のハチャメチャな演奏では、いずれ飽きられ、捨てられる。

もっと上達して、この世界で生き残りたければ、基本をしっかりマスターして、王道的な努力を重ねるしかない。

楽譜通りに演奏する力量があればこそ、個性も生きるのであって、楽譜から大きく逸脱した演奏は、ただのチンドン屋でしかない。

自由気ままにやってきた峰クンや真澄ちゃんにとって、楽譜通りを要求する千秋は面倒な存在かもしれないが、彼らにもまた、基本中の基本を厳しく言い聞かせる指導者が不可欠だ。

結局、物事は、どちらか一方では成り立たず、相反する二つの要素が共存して、初めて味わい深いものになる。

その両面からアプローチできるのも、本作の魅力ではないだろうか。

「今、日本で、やれることをやる」

そうして、のだめや個性派との関わりを通して、次第に人間としても深みを増していく千秋だが、ピアノか指揮か、どっちつかずの態度は相変わらずだし、飛行機恐怖症で海外留学もままならない。

シュトレーゼマンから良い刺激を受けながらも、同じ場所で足踏みを続ける千秋が心に決めたのは、「今、日本で、やれることをやる」だ。

誰の人生も、大きく羽ばたきさえすれば報われる、というものでもなく、日々の鍛錬をおろそかにして、大成功も望めないだろう。

作家の中谷彰宏氏が書いておられたが、

昔、デール・カーネギーというおじさんが、『道は開ける』という本を書いた。でも、一番肝心なことを書き忘れていた。『道は、突然、開ける』ということを

行き詰まり感から、無理矢理、外に飛び出すことは、不完全なジャンプ台から飛び降りることでもある。

いくら才能があっても、ぐらぐらしたジャンプ台から飛び降りれば、頭を打って、大怪我するのが関の山だ。

ステップアップとは、次のステップに進むのが全てではなく、今、自分が立っているステップを盤石にすることでもある。

私が通っていた英会話スクールの先生の言葉を借りれば、

「ステップアップというのは、毎日、一段ずつ上がっていくことじゃない。それこそ、階段と同じで、数段上ったら、そこから先は平坦な踊り場が続く。そして、多くの人は、平坦な状態に失望して、途中でやめてしまうんだ。勉強はね、まさに踊り場のある階段と同じだよ。一気に階段を駆け上がったかと思うと、今度はレベルの上がらない時期が続いて、行き詰まりを感じる。でも勉強を続けていれば、また何かをきっかけにトントンと階段を上がることが出来るんだ。『伸びない・・』と感じたら、今、自分は平坦な踊り場にいるのだと思えばいい。あきらめずに前に進めば、その先に必ずステップがある」

コンプレックスの塊みたいな千秋が、「今、日本で、やれることをやる」と心を決めたのはもっともで、日本一になれないものは、世界一にもなれない。

焦った時ほど、足元を見直すというのが、どこの分野でも最善ではないだろうか。

初稿 2008年12月8日

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