社長の横でにっこり笑いながらでも学ぶべきことはある

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


STORY
一人の社会人として本格的にMIGとアステリア・エンタープライズ社の事業を学ぶことになったリズは、社長秘書であるセスについて概要を学ぶが、実際に求められることと言えば、社長令嬢として父親の隣でにっこり笑うことだけ。 同年代の女性と同じように責任のある仕事がしたいと願うリズに対して、セスは「社長の横でにっこり笑うだけでも学ぶことはある」と諭す。

十一月十一日。月曜日。

リズはベルマンの運転する社用車で初めて父と一緒にエンタープライズ社に出社した。父は真っ直ぐ社長室に向かい、リズは隣のセス・ブライトの執務室に足を運ぶ。

リズは当面、秘書のミズ・ケアリーに付いてMIGやエンタープライズ社の事業について学ぶことになった。秘書室の壁際のコンピュータデスクで社内データベースを参照しながら全容の理解に努めるが、今はグループ各社の事業内容や資本関係を把握するのが精一杯で、ミズ・ケアリーのように全事業所の代表者や主要製品が空で言えて、なおかつ自身の見解を述べるほどには到底至らない。

いつかはMIGの執行委員と今後の展望について対等に話せるほどになれたら――と願うが、それまで何年かかることやら。何が何でも父や伯母の後釜に座ろうという野心はないし、そんな能力が自分にあるとも思わないが、少なくとも『アル・マクダエルの娘』として公の場で発言できるだけの見識はもちたい。親の看板に頭を下げるのではなく、本物の尊敬を勝ち得たかった。

そうして午前が過ぎ、さすがに疲れを覚えると、いったんモニターの電源をオフにし、一息ついた。

ふと人の気配を感じ、振り返るとセスだった。

セスは映画俳優のような顔立ちに優しい笑みを浮かべ、「概要だけでも掴めましたか?」と声をかけた。

「あまりに広範で、今は事業所の名前と事業内容と資本家計を把握するのが精一杯です。これほど大きな組織を父と伯母の二人で切り盛りしているのが不思議なくらい……」

「一から十まで手綱を取って指示しているわけではありません。エンタープライズ社がいい例でしょう。ここも実質、誰の采配で回っているか皆承知してます。要は一つの指針の元にどれだけ効率的に分業できるかです。僕だって、コンサルティング業務は個々の担当者に一任していますし、物流も、プラットフォーム支援も、現場で判断を下すのは各部署の責任者です。基本の人選が確かなら、後は比較的御しやすいですよ。むしろ人選を誤る辣腕経営者の方が危なっかしいぐらいです」

「それは理解できます」

「どこに、どんな人が配属されているか、それを見れば組織のことは一目瞭然です。経営者の器も知れます。お嬢さんもその辺りを学べば、将来の役に立つのではないでしょうか」

「でも、できれば一つの職務を全うしたいと思っています。漠然と全体を見渡すのではなく、営業でも、在庫管理でも、一つのことに打ち込んで、仕事のノウハウを身に着けたい」

「気持ちは分かりますが、立場上、それは無理でしょう。お嬢さんにそのつもりはなくても、周りは気を遣います。皆と一緒に机を並べなくても、学べる仕事は他にもありますよ」

「それでも父が本気で私に望んでいるとは思えません。私に何かの役割を期待するなら、接待ばかりに使ったりしないでしょう。夕べも、その前回も、私に求めることといえば、父の隣でにっこり笑って、場を和ませるようなことばかり。私はMIGのキャンペーンガールではありません」

「社長の隣でにっこり笑っても、相手を不快にさせるだけの人もおりますよ」

とセスは苦笑した。

「この世は決してコネや損得だけで動いているわけではありません。やり手と評判の経営者でも、実際に会って話してみたら、週刊誌の提灯記事と大きくかけ離れていることもありますし、世間であまり注目されない中小企業が驚くべき技術力を持っていたりします。資本やコネだけちらつかせても、真に一流と呼ばれる人たちは見向きもしませんし、本当に得るべきところから信用を得られなければ大事は成せません。そして、その善し悪しを見抜く力は、マニュアルを読むだけでは決して身に付かないものです。『理事長の隣でにっこり笑って』と仰るけども、笑いながらでも学ぶべき事はいっぱいありますよ」

「そうかもしれませんが……」

「今はお飾りのような気分かもしれませんが、お嬢さんだって、いつかは独り立ちするのです。今いろんな人に会って、しっかり観察することが、後々、力になるはずです」

リズは納得いったような、いかないような面持ちだったが、

「明日もまた産業振興会の昼食会があるの。気が進まなかったけど、勉強のつもりで出席するわ。皆が皆、好きでビジネスランチに顔を出すわけではないでしょうから」

「その通りです」

リズとセスが顔を見合わせ、笑みを浮かべた時、父からミズ・ケアリーに電話が入った。三日後、『海洋情報ネットワーク』のプレゼンテーションを執り行うので、段取りして欲しいとの指示だ。

「新しいITサービスですか?」

「ステラマリスから来た人が海のオープンデータ・システムの構築を提言するそうです。それがアステリアに公正や産業発展をもたらすと。おや、ご存じなかったのですか?」

リズはぽかんとしながら首を振った。

「じゃあ、その準備に忙しかったのでしょう。そのうち連絡もあるんじゃないですか。多分、一度に一つの事しか出来ないタイプなんですよ」

セスが微苦笑を浮かべると、リズも何やら可笑しい気分になり、不安も払拭した。

目次

【心のコラム】 社長の横でにっこり笑いながらも学ぶべきことはある

MIGの跡取り娘としての立場を自覚したリズは、アステリア・エンタープライズ社の専務、セス・ブライトに付いて、MIGの事業を学ぶようになります。

とはいえ、百戦錬磨のベテランに比べたら、ひよっこみたいなもので、大事な仕事も任せてもらえません。

同じ年頃の女性が生き生きと働く姿を横に見ながら、リズは父の隣でニコニコ笑うだけの飾り人形みたいな自分に焦りと虚しさを感じるようになります。

本作に登場するヒロインのリズは、24歳から27歳。

女性が一番変化する、あるいは社会的な影響を受けやすい年齢に設定しています。

社長令嬢でもあるリズにとって一番の責務は、父の名誉を保ち、企業イメージを高めること。

令嬢だからといって、贅沢や我が侭は許されないし、何処へいっても、「アル・マクダエルの娘」という役目が付き纏います。

そのように定められた人生を、どのように自分らしく生きるかが、本作の第二のテーマでもあります。

世の中には「自分の好きなように生きるのが一番大事」という声もありますが、周囲の幸福の為に、社会的務めを果たすことも同じくらいに大事です。

果たしてそれは不幸な生き方でしょうか。

皇族や世界的セレブのように、社会の期待する役目を果たしながらも、自分の生き甲斐を追求し、時に人間的な脆さを見せながらも、世間の尊敬と愛情を一身に集めている方も少なくありません。

そうした姿勢は皇族やセレブに限らず、サラリーマンや主婦や、何かしら役目を負った市井の人々も同じではないでしょうか。

周りの女性に引け目や劣等感を感じていたリズも、やがて自分の定めを受け入れ、自身に与えられた力を上手に生かす道を見出します。

そのきっかけとなったのが、恋人の理解と真心であるのは言うまでもありません。

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社長=お父さんのアル・マクダエルは賢哲な企業家であると同時に、恋愛指南のプロでもあります。

彼に距離を置かれて、戸惑う娘に、お父さんが恋の道をレクチャーするエピソードはこちら。

拒絶の中でも、学ぶ者は学ぶ ~失恋した時、どうするか~

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