仕事と恋の重み ~ポリティカルコンペと未来の設計図

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~二回目の潜航 (5)
STORY
深海調査も順調に進み、スタッフの士気も高まる中、ヴァルターは突然、セスから連絡を受け、ローランド島行きを示唆される。ようやく地に足が着き、仕事の手応えを感じ始めた時に、いきなり異動を命じられ、釈然としない。
恋人のリズも、指示を出した父親アル・マクダエルの意向に異議を唱えるが、セス「今の彼にとって一番大事なのは仕事」だと説く。

三月二十四日。月曜日。

予定されていた潜航調査は明日に延期され、今日は朝早くから自律型深海探査機『メビウス』を東側のマウンド群に降下する為の準備が進められている。

併せて、有索無人調査機をカルデラ底に降下し、年開けの調査で熱水噴出が確認された中央火口丘を中心に調査する。こちらはアンビリカブルケーブルを使って曳航するので調査範囲も限られているが、水深2000メートルから2300メートルなら十分にオペレーションが可能だ。

気になる天気は、午後から明日にかけて降水確率100パーセント。次第に風雨が強まり、夜半にかなり荒れる模様だ。天候が回復しなければ、明朝予定されているプロテウスの潜航も中止になるかもしれない。そうなると、もう一人のミス・マクダエルが再び雑言を言うだろうが、今は考えない。どのみち、彼らの欲しいものはここには無いのだから。

雨が降り出し、甲板も滑りやすい中、彼は格納庫でメビウスの降下を手伝った。

船上からは茫漠とした水の平原が水に映るだけだが、水深3000メートルの海底には無数のマウンドが存在し、今も活動を続けている。ルノーの指摘通り、「何か」が地下から湧き出しているなら、その瞬間を見逃さないはずだ。

やがて準備が整い、左舷のサイドクレーンから全長6メートル、横幅80センチの円筒形の『メビウス』が海中に降ろされると、彼も一息ついて、格納庫に戻った。

前髪から滴る雨を作業ジャケットの袖口で拭いながら、最新の調査レポートに目を通そうとワーキングステーションに向かいかけた時、思いがけなく携帯電話が鳴った。

セス・ブライトだ。

「やあ、久しぶりだね。忙しい時に電話して申し訳ない。少し話せるかい?」

いつもの淡々とした声が聞こえてくると、彼も軽く息をつき、

「ちょうど一段落したところだ。何の話?」

「先ほどマクダエル理事長から連絡があって、四月一日にアステリアに戻られることが決まったよ」

一瞬、頭の芯がぐらりと揺れた。喜ぶべき場面なのに、万引きがばれたような心境になるのは何故だろう。

「フォルトゥナ号がローレンシア宇宙港に到着するのは三月二十八日だが、商用でそのままローランド島に出張されるので、エンタープライズ社に見えられるのは四月一日だ。その時には、君も顔を出して欲しい」

「都合するよ」

「それから、理事長から一つ申し出がある。六月からローランド島に行ってもらえないだろうか?」

「ローランド島? 何の為に?」

彼はすっとんきょうな声を出した。

「六月からペネロペ湾のオフィスビル『シティ・プラザ』に区政センターのローランド支局がオープンする。今までローランド島に関してはポート・プレミエルの出張所で対応してきたが、企業の進出と人口増加に伴い、従来の業務態勢では対応しきれなくなった為だ。今後も海洋情報ネットワークの構築に携わるなら、ローランド島の状況把握は不可欠だろう。これからますます共同体が増大することを考えれば、誰かがローランド島に入って、話をとりまとめた方がいいだろう。よかったら、君がコーディネーターを務めないかという話だ。仕事のやり方は今まで通りでいい。君ならローレンシア島とローランド島の良好な架け橋になるだろうという、理事長のお達しだ」

「宿舎は?」

「住まいのことなら心配しなくていい。ペネロペ湾に見晴らしのいいアパートを一戸用意する。賃料も南の宿舎と同額だ。オフィスは、同じベイシティ・プラザにテナント入居するステラネット支店のワーキングルームを使っていいそうだ。それから、君のパートナーの子も、君がローランド島に行くなら、ぜひ一緒に行きたいと言っている。ステラネットもローランド島で様々なプロジェクトを抱えて人手不足だそうだ。その子が行ってくれると、ずいぶん助かるらしい」

「今すぐ返事しないといけないのか」

「なるべく早くだ」

「嫌だと言ったら?」

「それは理事長に聞いてくれ」

ガチャリと電話が切れると、(どういうつもりだ)と携帯電話を握りしめた。

ローランド島。

ペネロペ湾。

あそこはロイヤルボーデン社が進出して、数年後にはパラディオンの建設が見込まれている因縁の場所だ。海洋情報ネットワークや区政に関わるなら、嫌でもメイヤーの関係者と膝を突き合わせることになる。こちらに関わる気がなくても、いつ何をきっかけに再燃するか分からない。

彼は携帯電話を作業ズボンのポケットにしまうと、深い溜め息をついた。

ようやくいい波に乗り始めたのに、再び港に引き戻されるような気分だった。

*

「ひどいわ」

セスの会話を傍らで聞きながら、リズは執務室の窓際で恨めしそうに呟いた。

「私の気持ちを知りながら、パパは引き離しにかかるのね」

「それが理由ではありません。ローランド島に人材が必要なのは本当です」

セスは電話を置くと、彼女の方に向き直った。

「今後いっそう両島の連携が必要になります。いくら航路や通信で結ばれているとはいえ、一五〇キロメートルの隔たりは侮れません。その架け橋になるのは、彼にとっても名誉なことではありませんか」

そんな理屈はまるで耳に入らぬように、リズは頬を膨らませている。

「それに、今の彼にとって一番大事なのは仕事でしょう。これまでは不運な出来事に同情し、大目に見ることもできましたが、これからはそうもいきません。周りの目もどんどん厳しくなりますし、今度こそ地に足を着けて人生を再構築しないと、それこそ一生、中途半端に終わってしまいます。それを彼自身が一番よく知っているからこそ、無理を押しても必死にやるのではありませんか。ここはもう少し辛抱して、時機を待ってはいかがです? 何も永久に離ればなれというわけではないでしょう」

「だったら、尚更、従来の調子で盛り立てればいい。本人もせっかく手応えを感じて、周りの信用も付いてきている時に、また職場も住まいも異動して、新しい環境に放り出すなんて、パパは横暴だわ」

リズは娘らしい気遣いもすっかり忘れたように唇を尖らせた。

「ともかく、そこにお掛けになって下さい。あなたにも大事な話があります」

セスはプレジデントデスクの引き出しから資料を取り出すと、リズに提示した。

「早ければ、今年度末、ペネロペ湾開発をテーマにした意匠コンペが公示されます。デザインの優劣や組織力を競うものではなく、都市設計の哲学や社会の方向性を問うポリティカル・コンペになる予定です」

「ポリティカル・コンペ?」

「美観や創造性に加え、思想がより重視されます。パラディオンを見れば、ペネロペ湾の未来像が一目瞭然でしょう。そのように、都市設計の理念や湾岸開発の方向性をデザインに表すのがポリティカル・コンペの趣旨です」

「彼にも参加せよと?」

「いいえ、それとは別にアピールするのが目的です」

「別とは、どういう意味です?」

「自主的に」

「そんな無責任な。何の支援もなく、一人で往来で叫べと仰るのですか」

「でも、潜航の実況やオーシャン・ポータルはまさに辻説法でしょう。企画にMIGや理事長が手を貸しましたか?」

「……」

「誰に指示されなくても、彼はやる。メイヤーがやる様を見て、必ず何か言わずにおれなくなると理事長はお考えです。そして、僕もそう思います。後はあなたの支え一つです」

「誰にも相手にされず、笑い物になったら、その時はどうなるのです? お前の実力不足だと、全責任を彼に押しつけて逃げるつもりですか?」

「どうか興奮なさらないで、ミス・マクダエル。いいアイデアだと思うから、専門家も技術検証に協力してくれているのです。もちろん批判的な声は少なからずあるでしょう。でも、それにもましてプレゼンスする価値があるから、理事長も期待を込めて準備を進めておられるのです。オーシャン・ポータルのイントロダクションも見ましたよ。One Ocean, One Heart. 素敵なスローガンではないですか。今、この時に、一つにまとまるか否かで、後の数十年が大きく違ってきます。それを自分の言葉で力強く訴えられるのが彼の持ち味でしょう。理事長も先方の急速な動きを見て、少々、焦っておられます。病気うんぬんの話ではなく、今までのようにMIGや産業振興会のトップとして先導するにも時間的に限りがあることを、どうぞご理解下さい」

セスは遠からぬ未来を示唆するように言った。

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