海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

【24】 復興ボランティアと植樹 ~農地再生を目指す

第1章 運命と意思 ~オランダ人船長・救済(2)

悔しい気持ちはオレも同じだ。
だが、大地は残った。
オレ達にはまだ出来ることがある。
一緒に来い。
お前に見せたいものがある。

MORGENROOD -曙光
あらすじ
6年ぶりに故郷に戻ったヴァルターは洪水で壊滅した干拓地と倒壊した我が家を目にして愕然とする。だが、地元では幼馴染みを中心に復興ボランティアが必死で植樹や土壌改良に取り組み、町の再建に力を尽くしていた。一方、自治体は沿岸を埋め立て、商業施設を建設することを画策。元住民は反発するが、様々な思惑が交錯し、再建は一向に進まなかった。
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幼なじみ ヤン・スナイデルとの再会

190年5月。

ヴァルターは連休を利用して、六年ぶりにフェールダムを訪れた。

マルセイユから空路でアントウェルペンにアクセスし、長距離バスでフェールダムに向かう。辺り一面、色とりどりのチューリップが咲き誇り、水と緑が輝く風景は子供時代の記憶と寸分変わらない。だが、バスの向かう先に彼の生まれ育った家はなく、今も大量の瓦礫と堆積物に埋め尽くされている。

彼はひとまずファンデルフェールのアパートを訪れ、ヤンと六年ぶりの再会を喜んだ。

子供の頃からダンプカーのように頑丈だったヤンは、二十一歳になってますます恰幅がよくなり、すっかり大人の男の風格だ。四歳年下の妹ギーゼラも喘息やアレルギー性皮膚炎などの持病を克服し、ロングヘアの似合う愛らしい乙女に成長している。

三人は郷土料理の店に足を運ぶと、懐かしいエルテンスープやヒュッツポット*44 をお腹いっぱい食べ、それぞれの近況を語り合った。

ヤンもギーゼラも明るい口調で将来の展望を語ったが、彼はマニトゥールの一件をはじめ、他人に話せないことの方がずっと多い。ふとすると二枚貝のように口が重くなるが、ヤンもギーゼラも特に気に留める様子はなく、「ともかく再会できてよかった」と喜びを表した。

壊滅した故郷と生家 ~フェールダムの惨状

翌日、彼はヤンの車でフェールダムに向かった。

ヤンの話では、総面積120平方キロメートルのうち九〇パーセント以上が冠水し、特に盛土堤防が崩壊した北の沿岸部から西の湖畔にかけて、ほぼ全域が水中に没したという。

水が引き、車両の乗り入れが可能になっても、大半の田畑や牧草地は大量の土砂(ヘドロ)と瓦礫に覆われ、荒れ地と化している。かろうじて瓦礫の流入は避けられた箇所も、深刻な塩害によって農地としての再生は難しく、ほとんど死に絶えたも同然だ。

町中も、大半の家屋が一メートル以上の床上浸水により甚大な被害を受け、特に北の沿岸部は、全壊・半壊した家屋が300棟を超えるという。かろうじて残った建物も損壊が激しく、電気やガスなどインフラ復旧のメドもつかない為、多くの世帯が帰郷を断念し、7000人の人口のうち、戻ってきたのは10パーセントにも満たない。

「もう町としては完全に終わったよ」

ヤンは苦渋の色を浮かべた。

「これから再建するにしても、いったい、何をどう再建するのか、計画も立てられない。あれほど豊かだった農地も大半が土砂で埋まって荒れ地と化し、かろうじて全壊を免れた内陸部の住宅も大半が浸水して、とても生活できる状態じゃない。住人が戻ってくるなら復旧工事のしようもあるが、誰も戻ってこないから、そのまま放置されてゴーストタウンになっている。それに時が経てば経つほど、避難先での生活が第二の人生になり、今更、廃墟と化した町に戻ろうなどと誰も思わない」

ヤンは彼の家があった場所に向かってハンドルを切りながら、「お前、本当に見に行って大丈夫なのか。文字通り、跡形もなくなってるぞ」と気遣った。

だが、彼は「いつかは見るべきものだ」と腹を据え、じっと窓の外を見つめる。逃げたところで家が戻ってくるわけでもなければ、心が癒やされるわけでもない。ならば、せめて父の代わりに最後を見届けるのが務めではないか。

やがて堤防に向かう地方道に差し掛かると、彼はあまりの変わりように胸を詰まらせた。

木々は倒れ、民家は瓦礫の山と化し、見る影もない。

かつて、この辺りには美しい緑が広がり、運河が鈴のような水音を立てて流れていた。運河沿いには絵本から抜け出たような切り妻屋根の家が建ち並び、その周りで牛がのんびり草を食んでいた。

今はそれも泥をかぶり、ひからびた沼のようになっている。

子供の頃、毎日のようにサッカーを楽しんだ緑地の近くまで来ると、ヤンは道路脇に車を停め、「着いたぞ」と言った。

彼はしばらく目を背けていたが、やがて意を決したように助手席から降り立つと、かつて我が家があった方に向き直った。

恐る恐る目を見開くと、瓦礫だけが残っている。

母の手料理を楽しんだキッチンも、父がGeoCADを使っていた書斎も、サッカー選手のポスターやトロフィーで飾られた自身の部屋も、何も無い。すべて押し流され、崩れたレンガと食器の破片だけが、かつてここに幸せな一家の暮らしがあったことを物語っている。

彼は歯を食いしばり、衝撃に耐えていたが、横倒しになったリンゴの木が目に入ると、その場にくずおれそうになった。樹齢百年の幹は力尽きたように地に伏し、根っこが剥き出しになっている。秋には赤い実をつけた枝葉も無残に枯れ落ち、どうにか地中に残った根っこの一部だけで、かろうじて息をしているようだった。

彼はふらふらとリンゴの木に歩み寄ると、乾いた樹幹に手を置いた。

かつて父はこの枝にブランコを取り付け、幼い彼を乗せて、毎日のように優しく揺さぶってくれた。秋になると、母が篭一杯に収穫したリンゴでジャムやタルトを作ってくれた。

だが、その幸せな思い出も根こそぎ流され、泥だらけの裸地だけが目の前にある。ある程度、予想はしていたが、天災と呼ぶにはあまりに酷い仕打ちだった。

彼は踵を返すと、瓦礫の周りをゆっくり一巡した。

ここがリビング、あそこがテラス、ここには父のパソコンデスクがあり、玄関先には母のお気に入りの靴がたくさん並んでいた。何か父の形見となるもの、あるいは一家の暮らしを留めるもの、スプーン一本でもカーテンの切れ端でも何でもいい、一つぐらい残ってないかと瓦礫の山を掻き分けるが、目に映るのは土砂やレンガの破片ばかり、思い出の品など出てこない。

彼は手にした瓦礫を激しく地面に叩きつけると、「ちくしょう!」と慟哭した。

俺たちが一体何をした?

盗みもせず、騙しもせず、隣人には手を差し伸べ、真面目に慎ましく生きてきた。

それがこの仕打ちか。

善も正義も、地上では何の意味も無いというのだろうか。

ヤンはそんな彼の肩にそっと手を置き、

悔しい気持ちはオレも同じだ。だが、大地は残った。オレ達にはまだ出来ることがある。一緒に来い。お前に見せたいものがある」

ヤンに促され、彼はようやく立ち上がると、車で西の湖畔に向かった。

復興ボランティアと植樹

締切堤防の決壊により壊滅的な打撃を受けた塩湖周辺も惨たるものだ。一面、汚泥と瓦礫で覆い尽くされ、干上がった死海みたいにひび割れている。

ヤンが右方を指さし、「ここを憶えているか?」と訊いた。

「憶えてるよ。エイセルスタインさんの農園があった。四季を通じて新鮮な野菜や果物を売っていた。いつも散歩帰りに立ち寄って、トマトやトウモロコシを買い求めていたよ。エイセルスタインさん一家はどうなった?」

「聞いた話では、一家でティルブルフに避難したけど、お祖父さんは三年前に亡くなり、お祖母さんも年明けに亡くなったそうだ。まだ七十代前半で、ここにおられた時は元気に畑仕事もされてたが、こんな有様じゃ生きる気力も無くすだろう。息子夫婦は今もティルブルフ在住だって。当分、帰る予定は無いそうだ」

「そう……」

「エイセルスタインさんは農地も宅地も手放して、今は復興委員会の管理下にある。幸い、この辺りは広大な農地で、周囲に大きな建物も樹木もなかったから瓦礫の被害が少ない。問題は十センチ近く堆積したヘドロと塩害、そして完全に失われた排水機能だ。今は州の復興対策強化地域に指定され、専門家の研究対象になっている。オレたち、デ・フルネもボランティアとして緑化運動に参加し、除塩剤の投入や水路の整備などを手伝っている。あっちのエリアはだいぶ土壌改良が進んで、わずかながら緑が顔を出しているだろう。洪水直後は海塩が溜まって、白く濁っていた箇所もあったけど、それも雨水で流された。自然の治癒力と最先端の技術で徐々に蘇りつつあるところだ。といっても、以前の農地の数パーセントに過ぎないけどね」

ヤンは湖畔の空き地に車を停めると、死海のような荒れ地を見渡し、「ここに以前、森があったなんて信じられないだろう」とつぶやいた。

以前は締切堤防の袂から湖岸に沿って、Den(デン) Bommel(ボンメル)と呼ばれる二平方キロメートルの豊かな森林が広がっていた。森の中には遊歩道やテニスコートもあり、住民の憩いの場所だった。だが、締切堤防の決壊で海水が流入し、湖が氾濫して大木もなぎ倒された。水が引いた後も多くの樹木が根腐れを起こし、腐敗した枝葉と潮水が猛烈な悪臭を放って、虫も寄りつかない荒れ地と化した。そして、今も手つかずのまま、大部分が泥をかぶったままになっている。

あまりの変わりように彼が茫然と立ち尽くしていると、

「やあ、みな精が出るな」

ヤンが首を伸ばして遠くを見やった。

ヤンの視線の先を追うと、数十メートル先の荒れ地で二十名程の若者が大人の背丈ほどある苗木を運び、肥料の入った大きなビニール袋を肩に担いで行ったり来たりしている。

「あのチームは植樹に取り組んでいるんだ」

「植樹?」

「そう。もう一度、デンボンメルの森を蘇らせようとしてるんだよ」

「森を……?」

「デンボンメルの森は一つの防波堤だった。盛土堤防が決壊した時、海岸に近い農地や住宅地は海水に直撃されて、跡形もなく水に沈んだが、デンボンメルの森の南側にあった湖畔の住宅地は数十センチほど浸水しただけで難を逃れている。湖畔の住宅地の方が水際に近かったにもかかわらずだ」

「それは分かるけど、なぜデンボンメルの森なんだ?他にもっと植樹しやすい場所があるだろう?」

「それはな、六年経った今も大部分の土地は再利用のメドが立ってないからだよ。エイセルスタインさんの農場みたいに速やかに法的処理がなされて、自治体が買い上げたり、他者に譲渡された所は手入れできるけど、多くの土地や家屋は、いまだに所有者と連絡が取れなかったり、所有者が分かっても売却に同意しなかったりで、手の着けようがない。瓦礫を撤去しようにも法的にタッチできないんだよ。全壊しても他人の持ち家であることに変わりないからな。その点、デンボンメルの森はもともと自治体の土地だから、駐車場にしようが、更地にしようが、自治体の自由だ。だからオレたちも植樹や瓦礫撤去のボランティアができるんだよ。いろんな実験を兼ねてね」

「なるほど」

「お前の家もそうだろう」

「……詳しく聞いたことがない」

「だったら、お母さんと話し合え。でないと、いつ自治体の方針が変わって強制撤去になるか分からないぞ」

彼は頷き、ヤンと一緒に仲間の方に歩いて行った。

植樹チームの他にも、たくさんの若者が周辺の荒れ地で木切れや土砂を手押し車に運んだり、農用シャベルで土を掘り返したり、土壌改良剤を散布したり、計測プローブで土の塩分濃度を調べたりしている。それは暗く塞ぎ込み、母に反抗ばかりして、薬物問題まで起こした自分とはあまりに異なる姿だった。

やがて背後でクラクションの音がし、振り返ると、イグナスとクリスティアンが小型トラックの荷台に苗木や肥料を積んで、こちらに向かってくる。

運転席のイグナスは一段と背が高くなり、身長はゆうに一九〇センチを超える。彼と同様、寡黙な性格だが、気は優しくて、腰の据わった努力家だ。今はヤンと同じファンデルフェール工科大学に通い、環境都市工学を学んでいる。

助手席のクリスティアンは、二十歳を過ぎても聖歌隊のような童顔で、小学生がそのまま大人になった感じだ。サッカークラブではディフェンダーで、いつも父にくっついて、手取り足取り教わっていた。髪も明るいブロンドで、「ちっちゃなミツバチみたいだね」と父がえらく可愛がっていたのを思い出す。

二人はトラックから降りると、彼の肩を抱いて再会を喜んだ。

「君も植樹するかい?」

クリスティアンがトラックの荷台に五〇本ほど積まれた苗木を見せた。いずれも高さ一メートル程の黒いポット植えだ。

「品種改良された樫の木だ。通常の倍ほど育成が早い。大学の研究室と共同で植樹しているんだ。少しでも経費や労力を分担する為にね」

彼はクリスティアンやイグナスがする様を見ながらシャベルで土を堀り、地中にバイオチップを埋め込んで、ビニールポットから取り外した苗木を慎重に穴の中におさめた。土をかけるにも要領があり、苗木の周りから水が流れ出ないよう、鉢状に土を盛っていく。八割ぐらい土をかぶったところで新鮮な水をたっぷりかけて、根と土をなじませれば完了だ。

苗木を一本植えるのもかなりの労力で、二平方キロメートルの森を完全に蘇らせようと思ったら、何年、何十年かかるか知れない。それでもこの一本が次世代の森林を作る。今日何もしなかったら、荒れ地は永久に荒れ地のままだ。地味な作業だが、復興とはこうした努力の積み重ねを言うのだろう。

自分たちも祖先が何十年とかけて築いた干拓地に暮らしてきた。幾度となく大洪水に見舞われ、その都度、Luctor et Emergo(わたしは闘い、水底(みなそこ)から姿を現す)の精神で立ち上がってきた逞しい祖先だ。今度は自分たちが元に戻して、次世代に託す番だ。土地は一代限りでなく、何百年と継承される社会の礎でもある。今日植えた苗木が大木に成長するのを見届けることはできなくとも、今日の努力は常しえに故郷を支え、誇るべき歴史として語り継がれるだろう。

そうして日が暮れるまで土を耕したり、瓦礫を運んだりするうち、胸の痛みも和らいだ。髭の教授が言っていた《創造的》とは、こういう事を言うのだろう。

「明日は締切堤防を見に行こう」

ヤンが言った。

「お前のお父さんは最後まで信念の人だったと分かるはずだ」

*44) ヒュッツポット ・・ じゃがいも、ニンジン、玉ねぎを茹でてつぶしたものに煮込み牛肉を添えた伝統料理。

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宇宙文明の根幹を成すレアメタルと海洋社会の覇権を懸けて水深3000メートルの深海に挑む。
リストラされた潜水艇パイロットが恋と仕事を通して再び生き道を得る人間ドラマです。
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