処世の知恵と真理の違い 『人は魂で生き、理性で現世を渡る』

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


STORY
最愛の父を亡くしたヴァルターは経済的理由から母の昔の婚約者で再婚相手の家に身を寄せるが、継父のラクロワ氏は父とは全く異なる価値観の持ち主だった。ラクロワ氏の説く処世術はどれも納得いくものだったが、父の教えの方が心にしみる。真理は処世とは異なることを実感するうち、継父への不信感を募らせていく。
目次

【コラム】 処世の知恵と真理の違い

世の中、いろんな○○論が溢れています。

情熱をもって生きろと説く人がいる一方、ゆっくり生きればいいと説く人もあり、どちらが正しいのか、分からなくなりますよね。

それとは別に、この世には絶対不可侵の規律が存在します。

殺すな、盗むな、嘘をつくな、etc。

こうしたことは、文化や宗教の違いにかかわらず、大抵共通しています。(細部にまで目を向ければ、それが正当化される世界もありますが)。

後者を真理とするなら、○○論に相当するものは、処世の知恵といえるでしょう。

真理は変わりませんが、処世の知恵は、その時々に応じて変わります。

あえて言うなら、処世の知恵は、自分が損しない為の戦略といったところでしょうか。

真理は万人に救いの手を差し伸べることを良しとしますが、現実社会で、善人にも悪人にも、同じように施していたら、身が持ちませんよね。

現世を生きるには、二つの認識が必要で、真理を重んじつつ、処世の知恵を駆使するのが理想だと思います。

相反する○○論が存在したとしても、迷う必要はありません。

どちらも本当で、どちらも現実。

なぜなら、○○論は、現世の鏡のように、その時々に応じて形を変えるからです。

どちらが正しいか正義の天秤で量ろうとするから迷うのであって、その時々に応じて、都合のいいように取り入れたらいいだけのこと。

処世の知恵は、真理と異なり、その時々に応じて沈んだり、もてはやされたりする、浮き草みたいなものですから、そんな教えに絶対的な価値観や正義を求める方が間違いなのです。

ある意味、魂は真理に、理性は処世の知恵に習うのが理想かもしれません。

人は魂で生き、理性で現世を渡るからです。

【小説】 処世と真理の違い

父グンターを失い、フォンヴィエイユの港町で、母子二人、身を寄せ合うようにして暮らしていたが、とうとう生活が立ち行かなくなり、アンヌ=マリーは病に倒れる。
そんな母子に手を差し伸べたのは、アンヌの元婚約者で、マルセイユの裕福な実業家、ジャン・ラクロワ氏だった。
最初は躊躇していたが、ヴァルターの治療に莫大な費用がかかることもあり、アンヌ=マリーは再婚を受け入れ、ラクロワ氏の大邸宅で一緒に暮らし始める。
しかし、やり手の実業家であるジャン・ラクロワと、善徳の人だった父グンターの哲学はあまりに大きく違った。
暮らしが豊かになるほど、父グンターの教えが懐かしくなる。

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【リファレンス】 原罪とは神の教えから離れること

このあたりのエピソードはキリスト教の『原罪』をモチーフにしています。

原罪といえば、「知恵の実を食べたアダムとイブ」のエピソードが有名ですが、イブをそそのかしたのは、「知恵の実を食べてごらん。神のように賢くなれるよ」というヘビの言葉。

神のように賢くなれる=人間が真理から離れ、自分の頭で考えて行動するようになる という意味です。

一見、いいことのように思われますが、「真理から離れる」というのが災いの元であり、いつも人間の判断が正しいわけではない、ということを示唆しているわけですね。

上記に喩えれば、真理と処世の知恵の違いです。

処世の知恵に長けても、真理から離れれば、魂も枯れていくのです。

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