干拓型海洋都市『リング』~世界を変えるアイデアも口にしなければ伝わらない

この投稿は、海洋科学をテーマにしたサイエンス・フィクションです。詳しくは作品の詳細をご参照下さい。


第一章 運命と意思 ~フォルトゥナ号(7)
STORY
父親と砂浜で遊んでいたヴァルターは干拓型海洋都市「リング」の元となるアイデアを思いつく。「こんなの空想ごっこだ」とその先を考えようとしないヴァルターに対し、土木技師の父親は「今は必要なくても、いつか誰かが必要とするかもしれない」と考え抜くことの大切さを説く。
目次

干拓型海洋都市『リング』と土木技師の父の思い出

契約と旅立ちの時

三日後、ヴァルターはアステリアに向かう船の中に居た。

あの後、彼は魔法にかかったようにアル・マクダエルの契約書にサインし、二年の約束で採鉱プラットフォーム及びアステリア・エンタープライズ社の仕事を手伝うことになった。

契約書の末尾にWalther Lacroixとサインし、アルに借りた万年筆をぶっきらぼうに差し出すと、アルはWalther Lacroixのサインを二本線で消した。

「わしの事業に財閥の跡取りは要らん。お前が生きたい方の名前を書け」

彼は再び万年筆を手に取ると、半信半疑でWalther Vogelとサインした。

アルは契約書をブリーフケースに直すと、当座の生活費とアステリア行きのチケットをテーブルに置いて、席を立った。そして、トレーラーを出る際、振り向きざまにもう一度彼の顔を見ると、安堵したようにその場を立ち去った。

アルが行ってしまうと、彼は直ちに冷蔵庫の残り物――一かけのバターと粒入りマスタードを洗面所の屑籠のゴミと一緒にビニール袋にまとめ、最後の食料として取っていたツナ缶を手早くかっこんだ。

それから着替えと洗面用具を深緑のミリタリーバッグに詰め、室内を整理すると、最後にPCの収納に取りかかった。

わずかな着替えとPCと自転車。それが彼の持ち物の全てだ。十五歳でマルセイユのラクロワ邸を出てから、いつでも、何所でも、すぐに移動できるよう、余計な物は一切持たないのが彼のライフスタイルだ。

パソコンデスクに向かい、Leopardのトラックパッドに指先を滑らせると、ディスプレイに電源が入り、GeoCADのメインウィンドウが立ち上がった。

干拓型海洋都市『リング』 ~世界を変えるアイデアも口にしなければ伝わらない

『キャンバス』と呼ばれるグリッド状の編集画面には、二重の円環ダムで仕切られた干拓型海洋都市の鳥瞰図が描かれている。この十年間、何度も描き直し、これがVer. 8になる。トリヴィアに来てから半年間、寝る間も惜しんで完成させた最後の鳥瞰図だ。

プロジェクトの名は『Der Ring(デル リング)』。父が大好きだったリヒャルト・ワーグナーのオペラ『Der Ring des Nibelungen(ニーベルングの指輪)』にあやかって、そう呼んでいる。

実際、それは世界を統べる指輪のように大海原に輝き、希望と悦びに満ちている。『ニーベルングの指輪』は持ち主に災いをもたらすが、彼と父の描くリングは平安の象徴だ。二重の円環ダムに守られた海底の干拓地は緑に彩られ、運河で区画された町には人々の笑顔が溢れている。

初めて『リング』を描いたのは十歳の時。父と故郷の海岸で語り合ったのがきっかけだ。

父はドイツのカールスルーエ市で生まれ育ったが、ネーデルラントの『アフシュライトダイク(締め切り大堤防)』に魅せられ、大学で土木工学を修めた後、ゼーラント州の干拓地フェールダムで治水局の仕事を得た。

彼が子供の頃、父は堤防や治水について、いろんな話をしてくれた。

「これからは機能だけでなく、美観やエネルギーも考慮した拡張型堤防が主流になるだろうね。Anno Dominiの時代にもたくさんの巨大堤防が作られたが、今はどこも異常気象と施設の老朽化に手を焼いている。築堤を根本から変えるような技術や建材の開発が必要だ。堤防には幾多の人命がかかっている。まさに社会の守護神だよ」
「だけど、どうして自然な水の流れを変えてまで、そこに住もうとするのかな。カールスルーエのお祖父ちゃんがいつも言ってるよ。『海抜の低い所に住めば、水害に遭うのは当たり前だ。そんな場所に好んで暮らす方がどうかしてる』って」

「山好きなお祖父ちゃんは、そう言うだろうねえ。でも、その土地に暮らす人の理由は様々だ。住み続ければ愛着も湧くし、社会的な繋がりもできる。土地への思いは理屈じゃない。自身の血肉だ。君だって、いつか遠く離れたら、フェールダムが一番だと思うようになるよ。その時、水の流れを変えてでも、そこに暮らしたいと願う人々の気持ちが分かるんじゃないかな」

それから、世界中の専門家が考案する未来のダムについて話してくれた。娯楽施設を兼ねたアミューズメント・ダム。発電、淡水化、貯蔵、港湾機能などをもったハイブリッド・ダム。水位に応じて高さや形状を自在にアレンジできる拡張型ダムなど。

「それじゃあ、こんな円いダムはどう?海のど真ん中に指輪みたいな堤防を築くの。頑丈なコンクリートダムに守られたリング状の干拓地だ。これなら大西洋のど真ん中にも大きな町が作れるよ」

彼が砂の上に大きな円を描いてみせると、

「それは面白いアイデアだね。でも、海のど真ん中に作るなら、一重のダムでは持たないだろう。二重にしてはどうかな。外周ダムは鋼製ケーソンで構築し、内周は重力式コンクリートダムにする。二つのダムの間に幅数十メートルの運河を廻らせて、水量をコントロールするんだ。万一、高波が鋼製ケーソンを超えたり、ケーソン自体に不具合が生じても、運河と内周ダムで海水を堰き止めることができる」

彼と父はいろんなアイデアを出し合い、砂の上にどんどん円環の海洋都市を築いていった。日も暮れる頃には、海上空港や浮体式エネルギープラントなどを併せ持つ一大海洋都市に発展し、新たな時代を感じさせた。

やがて潮が満ち始め、波が徐々に砂の都市を掻き消すと、

「みんな、海の向こうに流されていくね」

彼は淋しそうに呟いた。

「そんなことはない。もしかしたら、この海の向こうに、それを必要とする人々がいるかもしれないよ」

「海のど真ん中の干拓地など誰も欲しがらないよ。狭いし、危険だし、所詮空想ごっこだ」

「どうして誰も欲しがらないと決めつけるんだい? 遠い将来、それこそ何世紀という未来、海面が著しく上昇して、海抜の低い島や沿岸のデルタ地帯に住み続けることができなくなった時、海のど真ん中でも建設可能な干拓都市の構想が必要とされるかもしれないよ」

「そうかなあ……」

「考えてもごらん。産業革命で機械化工業が始まるずっと以前、レオナルド・ダヴィンチは飛行機のアイデアを図案に残している。ガスも電気もない太古の時代でさえ、人々は『どうやったら鳥のように空を飛べるだろう』と考えを巡らせ、絵や文章にアイデアを書き留めてきた。

当時にしてみたら、空を飛ぶなど奇想天外だったろう。だが、数世紀を経て現実になった。TVや電話、パソコンやカメラもそうだ。

今すぐ実現するかどうかは問題じゃない。それこそ君が言うような『空想ごっこ』を真剣に考え抜いた人がいたから、恒星間航行も可能になったんだ。
誰のアイデアも無限の可能性を秘めている。

どうせ理解されないからと、そこで考えることを止めてしまったら、それこそ無に終わってしまう。

お前もいろんな可能性をいっぱいに秘めた海なんだよ。

たとえ君が世界を変えるアイデアを持っていたとしても、それを口にしなければ誰にも伝わらない。

だから勇気をもって話してみよう。

そうすれば心ある人は必ず耳を傾けてくれる。

そして、それが価値あることなら、いつか形になる。もっと自分を信じてごらん。

それが創造の源だ」

父は彼のアイデアをDer Ring(デル リング)と呼び、幾度となく治水や都市構想について語り合った。「中学生になったら新しいPCを買って、一緒にGeoCADでリングを描こう」という約束だったが、それも叶わぬ夢となった。父は洪水で亡くなり、彼も家と故郷を失ったからだ。

それでも父の思い出や理念を形にしたいとの願いから、二十歳の頃から描き続け、とうとうイメージ通りに仕上げることが出来た。このVer. 8こそ、父と語り合った構想そのものだ。肉体は失われても、父の教えは『リング(Der Ring)』の中に生きている。誰に必要とされなくても、ずっと大切に持っていたい。

彼は天板を閉じ、Leopardの電源を切ると、ウレタン樹脂の防護カバーで厳重にくるみ、PCバッグに収納した。

最後にナイトテーブルの引き出しを開くと、黒いダイバーズウォッチを取り出した。

十三歳の誕生日に父から贈られ、父が亡くなった後も、片時も休まず時を刻み続けてきた時計だ。

外観は西暦一九三〇年代のドイツ海軍時計をモチーフにしたクラシックなデザインで、黄金の二重円に縁取られたクロノグラフの文字盤を無反射加工のサファイアクリスタルの風防ガラスががっちり守っている。防水は三〇気圧、側面に逆回転防止ベゼルを備え、四種類のLEDライトシステムが真っ暗な水中でもローマ数字をくっきりと浮かび上がらせる。クロームカラーの裏側には名前とオーダーメイドを証明するシリアルナンバーが刻印され、まさに世界で唯一つの、彼の為の腕時計だった。
十三歳の少年には過ぎた贈り物だったが、彼がどうしても見栄えのいいダイバーズウォッチが欲しいと言うと、父は倹約家にもかかわらず、「どうせなら長年使える高品質のものを」とメーカーに特注してくれた。その甲斐あって、未だに数分の狂いもない。

彼は黒いシリコンラバーのリストバンドを左手首に巻き付けると、「父さん(ファーター)」と心の中で呼びかけた。

また遠くに行くよ。

今度は太平洋でもインド洋でもない、未知の海だ。

多少の不安はあるが、海は海だ。

きっとやっていける。

それから彼は、アル・マクダエルが置いていった「死亡時意思確認書」――彼が死んだ時、遺体をどうするか、葬儀をどうするか、私物や預金はどうするか、といった意思を明示する文書にペンを走らせると、最後の備考欄に『ラクロワ家に関する一切の相続の権利を放棄する』という一文を記し、分厚い封筒に入れた。マルセイユの母は腰を抜かすだろうが、息子などとうに死んだと思って諦めて欲しい。どのみちマルセイユに帰ることはなく、ラクロワ姓を名乗ることもないのだから。

出発の手続き ~寝泊まりできるなら、何所でも

翌朝、ヴァルターはトレーラーハウスのオーナーに連絡して精算を済ませると、リニアで首都エルバラードに向かった。

雲を衝くような超高層ビルに囲まれた中央ステーションに到着すると、一キロ先の官庁街に向かい、アステリア開発局を訪れた。

朝一番にアル・マクダエルからメールで受け取った電子書類を入領管理の担当に見せると、眼鏡をかけた若い女性職員はカタカタとキーボードを打ちながら、「業務便なので相部屋になりますが、よろしいですか」と尋ねた。

女性職員の話によると、トリヴィアとアステリアを往復する一般旅客の定期便は週三回しかなく、商用などでどうしても渡航が必要な場合は、業務用の船舶にゲストとして同乗するらしい。船の種類も、コンテナ船、作業船など様々だ。船室も乗務員向けで、客船のような娯楽やカスタマーサービスはない。

「寝泊まりできるなら、何所でも」と彼は答えた。

女性職員は馴れた手付きでデスクトップモニターのタッチパネルを操作すると、一枚の書類をプリントアウトし、「搭乗二時間前に宇宙港の総合サービスカウンターで手続きを済ませて下さい。業務便は搭乗フロアが異なりますので、その点だけご注意下さい」と手渡した。

「これだけですか?」

「ええ、それだけです」

彼が信じられないような顔で見返すと、女性職員は微苦笑し、

「昨年から、いっそう手続きが簡素化されましたの。それにアル・マクダエル社長の海洋技術コンサルタントとして入領されるのでしたら、顔パスも同然ですわ」

彼はびっくりしてプリントを読み返した。

女性職員の言う通り、いつの間にやら肩書きが「海洋技術コンサルタント」になり、職能欄には「海洋調査」「船舶操縦」「有人潜水艇の整備と運航」「海洋保全」等、大層な文句がずらずら並んでいる。そして、書類の末尾には、入領者の身元保証人としてAlbert MacDowellと大きく署名してあった。どうやら、ここではそれが錦の御旗らしい。

システムエラーのダブルブッキングで帰りのチケットが取れず、航空会社の相談窓口で大揉めしたのが嘘みたいだ。一体、どこで、どう流れが変わったのか。ここ数日、理解を超える事ばかりだ。

マックスとエヴァ ~施工管理者と建築士の夫婦

八月二十九日、午後五時。

第一宇宙港の総合サービスカウンターで手続きを済ませると、電光掲示板のサインに従い、業務用エリアに向かった。ここでは一般旅客ではなく、主に輸送を目的とした商用機の離着陸を扱う。

彼が搭乗するのはアステリアに食糧や生活物資を運ぶ中型輸送船で、駐機場では繋ぎのユニフォームを着た作業員がキャリーボックスを積んだリフターやカゴ付台車を操作しながら忙しなく動き回っている。

午後七時を過ぎ、移動式タラップが機体に横付けされると、乗務員と会社関係者が搭乗を開始した。彼もそれに続いてタラップを上がったが、昇降口で中年の女性乗務員に「あなたの船室は、あちら」と逆方向を指示された。

狭い通路を何度か折れて中二階に上がると、そこが乗務員の居住エリアだ。内装は明るく、床にはクリーム色のカーペットが敷き詰められている。

指定された部屋番号の前まで行くと、「相部屋」という言葉を思い出し、少し身構えたが、分厚いスチール製の白いドアをスライドすると、船室は意外と広く、一八〇度フルフラットが可能なリクライニングシートが三つ並んでいる。手前と真ん中のシートには既に年上の夫婦が寝そべり、仲よくココナッツクッキーを分け合っていた。

男性は四十代前半の熊みたいな体格で、ぎょろりとした黒目の強面だが、女性は三十半ばの優しい丸顔である。

彼に気付くと、夫婦は揃って上半身を起こし、快く挨拶したが、彼の方はぶっきらぼうに会釈するだけだ。窓際の空いたシートの脇にアーミーバッグを投げ出すと、黙って腰を下ろした。

夫婦は少し戸惑ったが、何事もなかったように再びシートに横たわると、壁掛けTVのバラエティショーを見始めた。

彼はしばらく毛布を被って、うつらうつらしていたが、さして面白くもないコメディアンのトークと夫婦のクスクス笑いが耳につき、どうにもこうにも落ち着かない。何か話せばいいのだろうが、あれこれ聞かれるのも面倒なので、背を丸めて窓の方を向いていると、突然、「キャーッ」と女性の悲鳴が響き渡った。

何事かと飛び起きると、女性の足元でガラスポットが砕け散り、床からもうもうと湯気が上がっている。どうやら簡易キッチンでコーヒーを煎れようとして、ガラスポットごと落としたらしい。彼はすぐに駆け寄ると、ガラスの破片を拾い集め、赤くなった彼女の足を濡れたタオルで冷やした。

やがてバスルームにいた夫も飛び出し、状況を理解すると、妻をシートに座らせ、「掃除道具を借りてくる」とユーティリティールームに走った。

それから熊みたいな夫と一緒にガラス片を片付け、床を拭くうち、夫婦と少しずつ言葉を交わすようになった。

夫の名はマックス・ウィングレット。妻の名はエヴァという。

マックスは四十歳、中肉中背の壮健な体つきで、バリトンみたいに張りのある声で話し、見るからに豪放磊落なタイプだ。ベテランの施工管理士で、これからアステリアの赴任先に向かうところである。

エヴァはマックスより六歳年下で、リゾートタイプの住宅設計を得意とする建築デザイナーだ。健康的な丸顔にオークル系のメイクをほどこし、パーマのかかりすぎた赤茶色のソバージュを七三に分け、アルミ製のヘアピンでぶっきらぼうに留めている。鼻は円く、薄茶色の目はくるりとして、グラビアの美女には程遠いが、笑顔がダンゴウオみたいにチャーミングだ。

二人はオーストラリアのクイーンズランド出身で、マックスは『サンパシフィック社』という建設会社でウォーターフロント開発や商業施設の施工管理に携わり、エヴァは有名な住宅メーカーでリゾートタイプの高級注文住宅を手がけてきた。

サンパシフィック社は十年前にMIGエンジニアリング社の都市開発事業部と資本提携し、アステリアのローランド島に総合建設会社『マリンユナイテッド社』を設立した。現在はポートプレミエルの港湾に『ハーバータウン』という商業エリアを建設中で、来春オープン予定である。工事はすでに七割が完了しているが、エリアの目玉であるハーバーグランドホテルと周辺施設の工事が著しく遅れており、マックスはその施工管理に抜擢された。将来的にはマリンユナイテッド社の主幹として主要な工事現場を任されることになる。

エヴァはこれまで勤めてきた住宅メーカーを退職したが、マリンユナイテッド社の紹介でポートプレミエルの建築設計事務所に新しい仕事を得た。ローランド島でも沿岸部を中心にリゾートタイプの注文住宅が増えており、エヴァのキャリアはうってつけだ。

彼も少し自己紹介したが、家族や故郷の話になると途端に口が重くなる。仕事も、以前なら胸を張って答えたが、今は何とも説明のしようがない。少し話しては口ごもり、クッキーをかじっては黙り込み、会話も長くは続かない。

やがてTV番組が終了すると、夫妻はリクライニングシートを水平に倒し、すやすやと寝入ったが、彼は逆に目が冴えて眠れない。苦い記憶が女波のように押し寄せ、失意に胸が塞ぐ。毛布の下で、二度三度と身を輾転(てんてん)としながら、何度も自身に問いかける。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう?

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