生命って、不思議だな ~迷走する海洋調査とケイマン海溝の思い出

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~出航(4)
STORY
プロの矜持からウェストフィリア深海調査を引き受けたものの、メテオラ海丘の不鮮明な水中写真や事前調査の段取りの悪さにヴァルターは唖然とする。 そんな中、思いがけなく元同僚のルノーに再会し、かつての職場である海洋技術センターの人員整理や潜水艇プロテウスの廃船を聞かされる。 ルノーは「君は運がいい」と言うが、ヴァルターは到底、その言葉に頷くことはできない。 二人はケイマン諸島のエキサイティングな深海調査を振り返り、「生命って、不思議だな」と海への思いを新たにする。

(まったく、なんてミッションだ)

憤りを覚えながら通用階段を下りようとした時、「ヴァルター?」と後ろから懐かしい声が聞こえた。(まさか)と思って振り向くと、プルザネの海洋技術センターで一緒だった音響解析エンジニアのルノー・ジョルダンだった。

ルノーは、男性にしては小柄な色白で、彼より二歳年上だが、ゴマアザラシのような童顔で、実年齢より四、五歳下に見える。彼と同様、口数が少なく、たまに海洋調査に同行しても船室とコンピュータルームを行き来するだけで、ヒラメみたいに存在感がない。

しかし、見た目からは想像もつかないほどタフで、ベテランが大時化でまいっている時も黙々とモニターの前で仕事をこなし、誰よりも丁寧なレポートを仕上げると定評がある。

「カジュアルチェックのシャツで分かったよ。もしかして、そのシャツ、三年前のケイマン海溝のミッションでも着てなかったか?」

「よく覚えてるね」

「色違いのシャツを四枚買って、一週間着回す人も珍しいからね。色はともかく、*5カディンスキーの現代画のように奇妙な格子柄のデザインだけは目に焼き付いてるよ」

「最近は無地のシャツも買っている」

「何色?」

「白」

「やっぱり」

ルノーが愉快そうに笑うと、彼も顔をほころばせ、

「だけど、驚いた。こんな所で会うとは夢にも思わなかったよ」

「それはこっちの台詞だよ。海洋技術センターを辞めたと聞いたから、てっきり、よその調査機関に移ったものとばかり思ってた。乗員名簿に『ヴァルター・フォーゲル』とあったから、まさかとは思ったが、本当に君だとはな!」

「君の方こそ、今もプルザネで仕事をしてたんじゃなかったのか。いったい、どうして、こんな所に?」

「君だって好きで辞めたわけじゃない、そうだろう?」

ルノーが決まり悪そうに答えると、彼もそれ以上は聞かなかった。

「オーシャン・リサーチ社に移ったのは半年前だ。また一からやり直しだよ」

「それじゃ、今はオーストラリアに住んでるのか?」

「仕事は遠隔で受けている。住まいはプルザネのままだよ。いずれ引っ越すつもりだが、いまだに英語は苦手でね」

「俺もいまだにフランス語は苦手だよ」

彼が苦笑すると、ルノーも肩をすくめ、

「よかったら甲板で話さないか。少し風に当たりたい。ここはどうも居心地が悪くてね」

彼も頷き、手前の通用口から左舷甲板に出た。

ローランド島を出て一時間も過ぎれば、もう辺りに陸の影はない。見渡す限り大海原が広がり、過去も、この瞬間も、波の向こうに遠ざかっていくようだ。

ルノーが手摺りから身を乗り出すようにして大海原に視線を巡らせると、彼もその隣で未だ見ぬ北の海に思い巡らせた。彼女と旅行するならエメラルドグリーンの海がいいが、彼自身は風が吹きすさぶ北の海が好きだ。文明の明かりも、利便も、何もかも削ぎ落としたようなストイックな寒さが本来の自然を思い起こさせる。

ウェストフィリアも、人間が介在しなければ、どれほど魅力的かしれない。地底から勢いよく吹き上げるマグマ、岩の割れ目から吹き出す間欠泉や蒸気、奇妙な形の沈殿物や、風雨にえぐられた奇岩の数々。だが、いずれこの地にもケーブルやパイプが張り巡らされ、海岸は埋め立てられ、至る所に道路が建設されて、生のままの自然は徐々に消えていく。そうと分かっても、社会のさらなる発展の為、基地を作り、資源を掘り返し、人々が必要とするものを供給し続けねばならない。「ネンブロットの平原に立てば、みな同じ」。彼だって、突き詰めれば、同じ社会の住人なのだ。

ルノーはそんな彼の横顔を窺いながら、ぽつりと言った。

「君も聞き及んでいるかもしれないが、海洋技術センターのプロテウス、廃船に決まったよ」

「廃船?」

彼は信じられないような思いで聞き返した。

「そう、廃船だ。本年度のスケジュールを消化したら解体されて、一部は新しい潜水艇に再利用される」

数年前から噂には聞いていたが、耐圧殻自体はまだまだ使用に耐える状態だ。有人潜水調査も徐々に減少していたが、将来的に完全にゼロになるわけではない。廃船になるとしても、もっと先の話か、あるいは部分的なバージョンアップを重ねて、十年後も、二十年後も、存続するものと思っていた。

それがこんなに早く廃船になるとは、まさに寝耳に水だ。

「それじゃあ、新しい潜水艇を建造するのかい?」

「いや。大深度の有人潜水艇は当分造らないそうだ。少なくとも海洋技術センターでは扱わない。今後は無人探査機が主流になる。今、開発チームが力を入れているのは、水深一万メートルにも耐える自走式探査ロボットだ。二つのサブロボットを従えて、カメラ撮影やサンプリングを行う。宇宙探査機の技術の応用だよ。有人潜航は、ともかくお金がかかる。潜水艇の維持費や、運航・整備の人件費も馬鹿にならない。無人機でも有人潜航に引けを取らないデータが取得できて、数十時間の連続航行が可能、おまけに安価で疲れ知らずとくれば、無人化に流れるさ。深海での航行速度もプロテウスの数倍で、小回りも利くそうだ」

「そう……」

「皮肉な話じゃないか。海洋調査は遅々として進まないのに、宇宙探査の方はどんどん技術が進んでいく。百万光年先の惑星より、水深一万メートルの方がうんと遠いんだからな」

「パイロットの仕事はどうなるんだ? どこか、よその研究所に? あるいは次世代機のプロジェクトに携わるのか」

「いろいろだな。これを潮時によそに移る人もあれば、引退する人もある。君は運がいい。ごたごた揉める前に縁が切れて、新しい仕事を得た。下手すればプロテウスと沈没するところだった」

「褒められるような話じゃない。俺だってローテーションに穴を開けて、皆に迷惑をかけた。幸運など、おこがましい」

「君が辞めてから一度だけ、ランベール操縦士長と話したことがあるよ。『かわいそうなことをした』と言っていた。僕もそれ以上は聞かなかったけど」

「そう……」

彼は解雇通告を受けた日の事を思い返した。

ロイヤルボーデン社の示談の件も重なって頭に血が上り、それまで世話になった人たちに挨拶することもなければ、格納庫に立ち寄ることさえなかった。

せめて手取り足取り教わったランベール操縦士長にだけは礼を言うべきだったのに。

「それにしても、やっかいな仕事に巻き込まれたな」

ルノーが白い顔を曇らせた。

「あれっぽちのデータを手掛かりに探せと言われても、君だって新米パイロットをフォローしながら目標地点までアプローチするのが精一杯だろう。船にも活気がないし、突っ込んだ意見交換もない。みんな嫌々ながら参加しているみたいだ」

まったく、ルノーの言う通りだ。 

オーシャン・リサーチ社のベテランでさえ、オリアナにずいぶん遠慮しているような印象を受ける。

「年明けの事前調査はどうだったんだ?」

「似たような感じだ。途中で指示がころころ変わって、南に行ったり、東に行ったり。海もずっと荒れ気味で、スケジュールの半分も消化できなかったと聞いている。そりゃあ、四メートルの高波に揉まれて音波探査すれば四角いものも円く映るよ。どうしてそこまで無理を押して冬の北海に海洋調査に出るのか、僕にはさっぱり理解できないけどね」

「いったい、どういう流れで、オーシャン・リサーチ社が開発公社の調査に協力することになったんだ?」

「僕も詳しくは知らないけど、最初はこんな予定じゃなかったそうだ」

ルノーは小さく溜め息をついた。

「オーシャン・リサーチ社がトリヴィア政府から調査のオファーを受けたのは昨年六月だ。その時は開発公社も準備段階で、事業の詳細も未定だったから、あくまで『近海の基礎調査』という前提で段取りしていたらしい。島周辺の海底地形や水温、潮流、海底地質といったところだ。ところが、十月になって流れが急変し、海底熱水鉱床がどうのこうのという話になった。調査も『近海』ではなく、メテオラ海丘を中心にやれとのお達しだ。それならそれで構わないが、海底の熱水活動を精査するなら、それなりの機材とオペレーターを揃えてもらわないと困ると返答したら、そこでまた話が二転、三転し、いったん契約も切れた。それでも、やはりステラマリスから海洋の専門家に来て欲しいと要請があり、とにもかくにも年明けにSEATECHと組んでマーテル海岸沖を調査することになったんだ。ところが、現場に来てみれば全く話が違う。SEATECHも高機能な調査船を所有していたが、運航部も『ウェストフィリアに来るのは初めて』というスタッフが大半だし、真冬の海でろくに操船したこともない。調査はおろか、無事に航行できるかどうかも分からない状況で、開発公社は『やれ』と言うし、運航部は『できない』と突っぱねる。甲板作業で怪我人が出なかったのが不思議なくらいだよ。そういう経緯もあって、今度の調査ではノボロスキ・マリンテクノロジー社に話が行ったわけだ。だが、その際も、プロテウスを出すか出さないかで、ずいぶん揉めたらしい。オーシャン・リサーチ社はそこまで有人潜水にこだわってない。むしろ君と同じ意見で、無人機による精査を主張していた。だが、結局、開発公社に押し切られる形になった。無人機より有人潜航の方がはるかに優れているとでも思ってるのかな。君のスキルがどうこうという話じゃなくて、プロテウスを投入するなら予備調査をしっかり行い、対象を絞り込んでから、という意味だ。お金も人手もかかるからね」

「分かってる。事情を知ってる人なら、誰でもそう思う」

「話が二転、三転して振り回されてるのはオーシャン・リサーチ社だけじゃない。多分、開発公社の中でも意見の食い違いがあるはずだ。僕が知っているだけでも、海洋調査の担当者が二度も変わった。それもこれも、あの女の人が口出しするようになってからだよ」

「オリアナ・マクダエル?」

「聞いた話では三十六年前の海洋調査の全データを保有しているそうだよ」

「三十六年前の海洋調査?」

「そう、座礁したコンチネンタル号だ。運航期間は一六二年から一六五年と短いが、マーテル海岸沖を中心にかなり入念な調査を行ったらしい。しかし、座礁事故の後、ローガン・フィールズ社も倒産し、データの所在もちりぢりになったそうだ。それが今頃になって開発公社の手に渡ったのだから、ローガン・フィールズ社の関係者がどこかに持ち出していたのかもしれないな」

彼の脳裏にすぐさまレイモン・マクダエルが浮かんだ。事故の後、行方をくらましたローガンの息子だ。ローガン・フィールズ社は100パーセント民間資本の私企業だったという。もしかしたら、コンチネンタル号が運航していた頃から、調査データの取り扱いを巡って、債権者や株主の間で諍いもあったかもしれない。その中で、誰が何を持ち出したのか、一切不明のまま、レイモンからオリアナの手を介してロバート・ファーラーの手に渡った可能性は十分にある。

目的は報復か、それとも金か。何にせよ、歪んだ動機が絡んでいるのは確かだ。

ルノーもまた、うんざりしたように溜め息をつくと、

「今ではオーシャン・リサーチ社も『契約』と割り切ってるよ。何を進言しても相手は聞く耳持たずだし、スタッフも機密保持に関する変な書類にサインさせられて、まったく気分が悪い。嘱託の研究員も、最初は学術的な興味もあったようだが、その気持ちもとうに醒めている。これこそまさにNe jetez pas vos perles devant les pourceaux.(豚の前に真珠を投げるな)さ。開発公社の目に映るのは金になる鉱脈だけ。もしかしたら、アステリアの海には、生命誕生や海の起源を知る手掛かりが秘められているかもしれないのに」

「言いたいことは解るよ」

「ちなみに、あの《ドーム》をどう思う? 君もミーティングで初めて知らされたんじゃないか」

「その通りだ。事前に受け取った資料の中にあんな水中写真はなかった」

「見た感じでは地底から熱水が噴出して、孔の内部に繁殖したバクテリアの塊を勢いよく吐き出しているようだが、写真だけで水温も化学成分も何も判らないようでは推測のしようもない」

「だが、それほど活発に活動していたものが、一ヶ月で跡形もなく消えるものかね。本当に同じ場所を再調査したんだろうか」

「あり得ない話じゃない。海底の熱水噴出孔やデッドチムニー*6も再度同じ場所を訪れた時には跡形もなくなっていることがある。自然に崩落したり、活動を停止したり。海底火山だって突然爆発して、一夜で新島が出現するじゃないか。直径一メートルほどのドームが崩落などで丸ごと消えても不思議じゃない」

「それはそうだが……」

「ともあれ、オーシャン・リサーチの調査部隊としては滞りなくスケジュールを消化して、一日も早く引き上げたい気持ちでいっぱいだ。今回は全面協力に応じたが、次はどうなるか分からない。設備も待遇も、あまり良いとはいえないからね」

「そうだろうな」

「今からこんなに意気消沈してたら、調査の出来も知れてるよ。その点、ケイマン海溝は面白かったな。水深5000メートルの海底火山で新種の生物が続々と見つかった。みなモニターに釘付けになって、調査が終わった後も興奮してた」

「俺も覚えてるよ。あんな所に、あれほどたくさんの深海生物のコロニーが存在するとは夢にも思わなかった」

「生命(いのち)って不思議だな。ありきたりの表現だけど、本当にそれしか思い付かない」

「同感だ」

二人は懐かしそうに目を見交わすと、改めて協力を誓い、それぞれの持ち場に戻った。

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