陽は落ちてもまた廻り、同じ光を投げかけてくれる ~人が迷わず明日に立ち向かう為に

この投稿は小説【曙光】のボツ原稿や引用を元に作成しています。

【小説の抜粋】 陽は落ちてもまた巡り、同じ光を投げかけてくれる

2001年、下書きの段階では、冒頭部は次のようなものでした。

陽が、落ちてゆく。
アル・マクダエルは愛機『フォルトゥナ』のシートに深く身を沈めると、白髪まじりの頭を窓の外に向けた。
陽は、疲れを知らぬコークスのように赤々と燃え、落ちてなお鮮烈な光を世界に投げかける。
永遠に世界を廻るもの──それは大地を照らす陽だ。
朝に生まれ、夕には落ちてゆくこの陽だけが、永遠に生き続けるものが何かを知っている。
人が迷わず、明日にまた立ち向かえるのは、陽が落ちてもまた廻り、同じ光を投げかけてくれるからかもしれない。

第一章『運命と意思』 2001年第六稿より

最終稿「運命は試すだけ この世に幸運も不運もない」では次のようにコンパクトに収めています。

陽が落ちてゆく。

アル・マクダエルはフォルトゥナ号のリクライニングシートに深く身を沈めると、白髪まじりの頭を窓枠にもたせかけた。

夕陽は疲れを知らぬコークスのように赤々と燃え、落ちてなお鮮烈な光を大地に投げかける。

それはまた世界屈指の特殊鋼メーカー『MIG』の長として火のように駆け抜けてきたアル・マクダエルの最後の輝きでもあった。

初稿にも思い入れがあったのですが、そのメッセージは物語で十分伝わるので、最終的にはコンパクト版になりました。

永劫回帰と輪廻の違い

本作でも永劫回帰が登場しますが、上記の価値観は『輪廻』に近いものです。

生まれ変わり……というよりは、人の魂も受け継がれる、といったニュアンスでしょうか。

アルもまた、自身の後継者を探し求めています。

「社長の後継ぎ」という意味ではなく、自身の理想を体現してくれる、魂の後継者です。

沈みゆく夕陽に自身の運命を重ね見ながらも、それが海の向こうでは輝く朝日になることを知っています。

真に偉大なものは肉体の死も超えて、精神的遺産として永遠に生きるのかもしれません。

本作のタイトルが『曙光』の所以です。

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ちなみに、永劫回帰と輪廻の違いは、「この人生をもう一度生きてもいいと思えるほど、我が生を愛する」と「来世でもう一度人生をやり直す」の違いと思います。

永劫回帰が、現時点で、永遠のループを願うのとは対照的に、輪廻は前世・今世・来世の因果の連なりであり、「もう一度、生きてもいいほど、我が生を愛する」とはかなり違う考え方です。

どちらも、それなりに意義深いですが、どちらか……と言われたら、私はやはり前者の方でしょうか。

もう一度、この人生を生きてもいいと思えるほど、我が生を愛するって、なかなか出来ることではないですし、それこそ魂の幸福と思うので。

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