金がなければ調査船も出ない ~研究が日の目を見るかどうかはスポンサー次第

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~二回目の潜航 (1)
STORY
二回目の潜航はメテオラ海丘のカルデラ底の東側で行われる。 同乗するサンチェス博士は研究対象としてのアステリアの海のポテンシャルに着目し、「どうしてもっと研究しないのか」と疑問を呈するが、産業開発が優先で学術調査は後回しにされている現状を知ると、「まったく、『金、金、金』だな。金がなければ、調査船も出ない。正規の研究が日の目を見るかどうかもスポンサー次第だ」と苦笑する。

二回目の潜航は、二日後の午前九時から行われた。

午前四時から雨がぱらつき、やや波もある。予報では昼過ぎから夕方にかけて天候が悪化する見込みだ。海中は雨も波も関係ないが、時化で船が揉まれたら甲板作業に支障をきたす。全長9メートル、重量19トンにも及ぶ船体をAフレームクレーンで吊り上げたり、海面でワイヤーのフックをかけたりする作業は、一歩間違えば人命にかかわる危険な作業だからだ。

午前七時にもう一度、決行するかどうか話し合いがもたれたが、そうそう潜航調査の機会もないこと、オーシャン・リサーチ社としても単なる請負調査にとどまらない、学術的に価値のあるデータを持ち帰りたいことなどから、一、二時間でも可能な限り潜航することになった。昨日の潜航までは全体に投げやりな雰囲気だったが、やはり実際のカルデラ底を目視し、ガスの噴出や溶岩流などを認めたことで、興味も高まってきたらしい。

二回目の潜航の目標は、カルデラ底の東側、水深1450メートル、年明けの事前調査で海水温度の異常と音響データで熱水の噴出を思わせる陰影が見られた小さなマウンドだ。東側に存在する五つのマウンドの中では一番小さく、直径は280メートル、高さも30メートルほどしかないが、きれいな山形をして、地形図でもはっきり見て取れる火口状の凹みがある。

海上の天気も気になるが、水深1450メートルなら半時間ほどで浮上し、一時間以内に揚収できる。この辺りは年明けの事前調査で熱水の噴出を示す確実な音響データが得られているので、的確にアクセスすれば、案外早く見つけ出すことができるかもしれない。

今日のパイロットは、ノボロスキ社の部署推薦で選ばれた整備士の三十代男性、イヴァン。同乗するオーシャン・リサーチ社の研究員は五十代のベテラン、サンチェス博士だ。

イヴァンは五年前からプロテウスの整備に携わり、ローレンシア海域の深海調査にも毎回同行しているだけに、落ち着いた様子でコンソールを操作している。

ミクロネシアンのサンチェス博士は海底地質学を専門にしており、大西洋、太平洋、インド洋、メキシコ湾など方々を回っているが、有人潜水艇に搭乗するのは初めてで、ノックスと同じようにやや緊張気味だ。

プロテウスが潜水を始めると、ステラマリスと似た海中の様子に目を凝らしながら、「オーシャン・リサーチがソロモン・プロジェクトの海底熱水鉱床の探査に協力したのは六十年以上前なんだがね」と苦笑する。

「まさか、こんな所でもやってるとは思わなかった。ローレンシア海域の海台クラストというのはステラマリスのマンガンクラストと似たような感じかい?」

「そうですね。同じように黒色で、大小様々な粒子が含まれているものもあれば、薄いクラストが何層にも重なって、石の年輪みたいな外観を呈しているのもあります。でも、大きな違いは一目でそれと分かる金属光沢があることですね」

「それがニムロディウム?」

「複数の金属が混じっているんです。マンガンクラストのように海水中の金属成分が沈殿して凝集したと言われていますが、詳しいことは何も分かっていません。そもそも、なぜアステリアの地殻の大半が海面下に沈んでいるのか、かつては広大な陸地が存在したのか否かも全く分かっていません」

「どうして研究しないんだ?」

「助成金も出ないし、設備もない。トリヴィアの国立研究所にサンプルを最高の状態で持ち帰るだけでも大変だからです」

「もったいない話だね。目の前に生命誕生や環境変異の謎を解く鍵があるかもしれないのに。学究的探求には目もくれず宝探しか」

「それも、ウェストフィリアの資源開発に成功して、アステリア全体が豊かになれば、学術調査にも弾みがつくのかもしれません」

まったく、『金、金、金』だな。金がなければ、調査船も出ない。正規の研究が日の目を見るかどうかもスポンサー次第だ。案外、天体望遠鏡一つで研究に集中できた時代の方が科学者にとっては幸せだったんじゃないかと思うこともある」

サンチェス博士は自嘲するように笑うと、再び覗き窓の外に目を凝らした。

その時、フーリエが呼びかけた。

「正午にはかなり海が荒れそうだ。二時間後に揚収するぞ」

「二時間とは厳しいな」

サンチェス博士が呟く。

浮上に半時間かかるので、一時間半後には調査を切り上げ、浮上体勢に入らなければならない。ヴァルターも覗き窓の外を見やり、一時間半で音響データの示す熱水活動の証しを探し当てられるだろうかと思い巡らせた。

いったんカルデラ底に着底すると、しばらく周りを観察した後、海上チームと連絡を取りながら、音波探査で水温上昇が見られた第五マウンドに向かう。昨日調査した北側と同じく、この辺りの岩盤もかなり黒っぽい。海底面にも凹凸があり、数センチから十数センチの礫岩があちこちに転がっている。

地下からの熱水の噴出を示唆するデータは、SEATECH社が所有する自律式無人探査機のサイドスキャンソナーによって得られた。探査機から発せられた音響が海底で反射する時、海底面の地形や、岩や砂の性質などによって、反射の強度が異なる。それをソフトウェアで解析し、強度に応じて色分けしたり、立体的に描画することで、海底面の微細な地形の変化や底質の違い(岩礁、砂、泥など)、熱水噴出によって生じる海水の変化などを視覚的に捉えることができる。この探査法は、沈没船の発見や魚礁の確認などにも効果を上げており、解析プログラムもどんどん進化している。

今回、音響データから熱水噴出のイメージ画像を描出したのはルノーだ。解析プログラムが描き出すイメージは、音響の反射率が高い部分(固い岩盤など)を薄黄色、反射強度が弱い部分(海水など)をダークオレンジの濃淡で描き分けている。画像では細かな地形を把握するのが精一杯で、表面の細かな色形や岩石質までは分からない。しかし、岩盤の隙間から立ち上る熱水の存在は、湯気のように揺らめく陰影ではっきりと見て取れる。計測ポイントが正確ならば、かなりの確率で目視することが出来るだろう。

やがてナビゲーションスタッフから目標位置に到達したことを告げると、彼はイヴァンに着底するよう指示した。微細な堆積物がほのかに舞い上がる中、覗き窓の外にじっと目を凝らすと前方に黒ずんだ岩の斜面が見える。操縦席のリアルタイム解析モニターにもマウンド状の海底地形図が映し出され、間違いなく目標の第五マウンドの麓に着底したようだ。

「データ上では30メートル先に熱水の湧き出すポイントがある。まずはそこにアクセスしよう」

サンチェス博士が言うと、イヴァンは数十センチほど浮上して、鍾乳石のようなマウンドに接近する。

LEDライトに照らし出されたマウンドの斜面は、基底部は黒いが、上に行くほど表面が白い鍾乳石に覆われたみたいにゴツゴツして、所々、黄白色に変色した箇所が認められる。こうした色の変化は音響分析データには現れず、目視の重要性が問われる所以だ。さらに左方に移動すると、白い沈殿物の隙間からポコポコと気泡が立っているが目に入る。このマウンドに活発な熱水活動が存在するのは明らかで、音響分析データに認められた「陰影」が次第に現実味を帯びてくる。

操縦するイヴァンも窓の外の光景に見入っているのか、ふと前方に軽い衝撃を感じ、プロテウスが斜面にぶつかったことを認識する。

一瞬、サンチェス博士は蒼白となったが、

「これぐらいなら大丈夫です」と彼は答えた。「船体そのものをぶつけたのではなく、下方のサンプルバスケットかマニピュレーターが接触したんですよ」

「それならいいんだ。潜水艇というのは数ミリの亀裂でも命取りになるというからねぇ」

サンチェス博士は海洋パニック映画のワンシーンを重ねるように呟く。

「もう少しバックして、マウンドの周りをゆっくり左にスライドしよう」

ヴァルターがアドバイスし、イヴァンも少し体勢を立て直して、斜面に船首を向けたまま、左方向に移動する。

さらに十メートルほど進むと、白色の沈殿物の隙間から、まるでケトルの湯のように熱湯が湧き出ているのが目に入った。

「止まってくれ。もう少し近くで見たい」

プロテウスは停止し、静かにホバリングしながら熱水の噴出孔にカメラをフォーカスする。

熱水は、噴出孔周囲の白い沈殿物を埃(ダスト)のように吹き上げながら、静かに湧き出している。計測プローブを近づけると、水温は一八〇度。縦穴の直上の水温は175度。水なのに100度を超えても気化しないのは深海の大きな圧力のせいだ。無色透明で、「重金属を溶かし込んだ熱水鉱床の源泉」には見えないが、地中の奥深くから泉のようにこんこんと湧き出し、惑星の静かな息づかいを感じさせる。

ビデオ撮影を行った後、縦穴の堆積物と熱水をサンプリングし、さらに上部に移動しながら周囲を観察する。

数分後、今度はマウンドの頂上付近に二本の銀白色のチムニーを見つけた。一方は20センチ、もう一方は十五センチほど。チムニーといっても、きれいな煙突状ではなく、濃い塩水が冷えて固まったような歪な形をしている。どちらも今にも折れそうなほど細く、摂氏300度を超える熱水が勢いよく噴き上げるブラックスモーカーとはずいぶん様相が異なる。それでも摂氏180度の熱水が揺らめくように沸き立つ様は自然の息づかいを感じさせる。

「あの沈殿物も採取できるか」

サンチェス博士に指示されて、イヴァンがジョイスティックを操作する。油圧式マニピュレーターのアームがそろそろと伸び、熱水が湧き出す銀白色の沈殿物の塊を掴もうとすると、一気に崩れてマウンド上に散った。

イヴァンが(しまった)という顔をすると、「もう一方を採ろう」とヴァルターが促した。

「煙突の基底を掴むんだ。掴んだら、いったん停止して、強度を確認する。しっかり掴めそうなら、少し左右に揺らして、静かに持ち上げるんだよ」

「いったん停止ですか……」

「そう。一気に掴んで引き剥がそうとすると、あんな風に崩れやすい。礫岩と違って、沈殿物は脆い場合があるからね」

イヴァンは難しい顔をしながら、もう一方の沈殿物にマニピュレーターを伸ばす。白っぽい、三角コーンのような沈殿物の根元を掴むまではよかったが、上部がぽろぽろ崩れると、慌てて動きを止めた。

「続きは俺がやろう」

操縦席を替わり、今度はヴァルターがマニピュレーターを操作する。機械の手で塩が固まったような沈殿物の根元を掴むと、確かに脆い感じが伝わってくる。もちろん、それは彼の勘だ。このまま引き剥がすと、やはり砂のように崩れ落ちるだろう。

「先端だけでもいいですか?」彼はサンチェス博士に尋ねた。「全部崩してしまうよりは、先端だけでもサンプリング用のガラス筒に入れて持ち帰った方がいい」

「どうやってガラス筒に入れるんだ?」

「マニピュレーターの両手を使うんです」

彼は右手に取っ手の長いガラス筒を保持し、その開口部をぎりぎりまで沈殿物の先端に近づけると、左手で細いチムニーの根元を掴み、試験管に砂の柱を押し込むような感じで、沈殿物をガラス筒にキャッチした。それから素早く蓋を閉じ、船首下方のサンプル用バスケットに収納する。

「器用だね」

サンチェス博士が白い歯を見せると、

「何年も経験すると、鉄のアームが自分の指先みたいに感じるんですよ」

最初の一年目、ランベール操縦士長に手取り足取り教わったことを思い浮かべた。その時は、上司に教わるのも当たり前のように感じていたが、世話を焼いてもらえるのも人生の一時期だけだ。その後、どうやってここまで来たか、自分でもよく覚えていない。そして今も、無我夢中だ。

やがて船上のナビゲーションチームから「浮上の準備をしろ」と呼びかけがあった。

コンソールのデジタル時計を見ると午前十一時を回っている。

彼は操縦席を降りてイヴァンに任せると、再びサンチェス博士の隣に腰を下ろした。

「あの白い堆積物は何だと思う?」

「ケイ酸塩鉱物や炭酸塩鉱物、ガラス質のものがメインで、硫化物は少なそうですね。熱水活動はあるけれど、非常に高温のまま海底の深部から湧き上がり、重金属を豊富に溶かし込んだ熱水とは異なるような気がします」

「わたしも長年、海洋地質調査に携わっているが、ニムロディウム鉱床がどのように作られ、どんな形で存在するのか、話に聞くだけで、実物は見たことがないから、まったく見当もつかないのだが、少なくとも、この場にはなさそうだね。惑星の深部から地表面に運ばれてくる物質なら、こんなチョロチョロした熱水では力不足だろう」

「俺も、海底のニムロディウム鉱床を探すなら、もっと地殻活動の激しい所に行かないと無理だと思います。中央海嶺のように新しい地殻プレートがどんどん生成されている場所や、高温高圧のブラックスモーカーが林立するような海底火山……」

「なんにせよ、小手先の海洋調査では追いつかないだろうな。数百億の予算を組んで、十ヶ年計画でも立てないと、とてもじゃないが全海域の把握は無理だ」

まったくその通りだ――と彼も思う。

海のことは本当に計り知れない。

海台クラストの採鉱に成功しても、それは全海洋のほんの数パーセントの現象に過ぎず、大部分は水深数千メートルの闇の中だ。

だが、果たして、トリヴィア政府や開発公社が数百億の予算を組んで海洋システムの解明に乗り出すだろうか。

調査、研究、データ共有、利益の還元。

アステリアの抱える課題は多い。

これら一つ一つを乗り越えるのは果てしない道程に見える。

だが、調査前は意欲を削がれたような感じでも、いざ深海に潜ってみれば、目の前の自然現象に目を輝かせずにいない。そんな科学者の姿を見ていると、遅かれ早かれ、人間の純粋な知的探究心によって大きく前進するような希望もある。

オリアナからオファーを受けた時は、プロの意地とプライドから受託したが、今では受けてよかったと心の底から思える。

*

その日は正午過ぎにプロテウスを揚収すると、研究員も交えて簡単なミーティングを行った。次回の潜航は週明けの三月二十四日、調査場所はカルデラ北側の中央火口丘だが、一部から「既存のデータを見直して、調査場所を変更してはどうか」という声が上がっているからだ。

メテオラ海丘が現在も活動中の火山で、地中の熱水循環が存在するのは明らかだ。それなら熱水鉱床やニムロディウムにこだわらず、もう一度、手持ちのデータを検証し、全容の把握に繋がる手掛かりを得たい――というのが大きな理由である。

しかし、開発公社の狙いから外れ、学術調査の趣になれば、オリアナやロバート・ファーラーが何を言い出すか分からない。カーネリアンⅡ号の運航部も、オーシャン・リサーチ社の研究員の好奇心は理解しつつも、ここで開発公社と面倒を起こして、ノボロスキ社全体が不利益を被るのは避けたいという思いがある。

結局、これといった結論は得られず、週明けまでの三日間、既存のデータを見直すという無難な意見にまとまった。

彼はフーリエと昼食をとった後、いったん自室に戻り、一時間ほど仮眠をとった。

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