【60】実験用プールと水中無人機の調整 ~ROV(有索無人機)について

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採鉱プラットフォーム・ウミガメ

「ちょっと苦心してるね」
オペレーターの中では一番若い二十八歳のシルヴェステルがヴァルターに声をかけた。
「揚鉱管と集鉱機の接続は、管と管が接合すればコネクターが自動的に締まるけど、水中ポンプのリアクターはケーブルのつなぎ替えと何種類かのスイッチ操作があるから、ちょっと手こずるかもしれない。でも、深海でサンプリングの経験があるなら何とかなるよ。こっちはプラグを差して、ダイヤルを回すだけだからね。もう少しアームコントローラーの感度を下げてみる? あまり感度が良すぎると、ちょっとした動きにも反応して、マニピュレーターの手先がかえって不安定になるからね」
マルセルは《クアトロ》のコンソールにラップトップPCを接続すると、ハンドリングシステムの管理画面を開き、いくつかの数値を変更した。

MORGENROOD -曙光
目次 🏃

【参照】 水中無人機と海中技術

水中無人機について ~ROVとAUV

海洋調査や機械操作で使われる水中無人機は大きく分けて、「有索無人機(ROV)」と「自律型無人潜水機(AUV)」の二種類があります。

ROV(有索無人機)は、ケーブルを使って、機体を遠隔操作します。

AUV(自律型無人潜水機)は、ケーブルを使わず、音響や運動のデータを元に、自身で判断して、海中を航行します。

「自律式だから優秀」「ケーブル付きだから性能が劣る」というわけではなく、それぞれに一長一短があります。

たとえば、AUVは、ケーブルの束縛がないので、自由に水中を動き回ることができますが、完全に支援母船から切り離されている為、リアルタイムで大容量のデータ通信ができません。また、搭載できる機器や電源にも限りがある為、長時間の運用は難しいです。

その点、ROVは、多機能な複合ケーブル(アンビリカブルケーブル)を使って、大容量かつ高速のデータ通信が可能な上、支援母船から電源を伝送することができる為、長時間の運用も可能です。数千メートルのケーブルで繋がれるため、管理や運航は大変ですが、品質向上により、機能の拡張も容易です。

日本でよく知られたROVは、JAMSTECが所有する『無人探査機 かいこう』と『無人探査機 ハイパードルフィン』でしょう。

無人探査機『かいこう』

「かいこう」システムは7000メートルまで潜航可能な世界トップクラスの無人探査機です。
主なミッションは次の通りです。

・ 有人潜水調査船「しんかい6500」では不可能な深海域での調査
・ 重作業を必要とする海洋資源調査

無人探査機「かいこう」

無人探査機「かいこう」について(JAMSTEC)

7000m級無人探査機「かいこう7000II」

無人探査機「ハイパードルフィン」

ハイパードルフィンは、最大深度4500メートルまで潜航可能な無人探査機です。
「かいこう」との違いは、高精度のハイビジョンカメラを備え、深海での撮影や目視による調査に優れている点です。
海底からサンプルを採取する為のマニピュレータ(ロボットアーム)2基を備えています。

ハイパードルフィン
4500m級無人探査機「ハイパードルフィン」

【動画で紹介】 無人機のオペレーション

企業や研究所の実験用プールには、深さ数メートルの規模も少なくありません。
他にも流水や波など、様々な水の環境を作り出す高度な機能を有する設備もあります。

こちらは石油会社による無人機のテストの模様。水中の現場を大水深の実験用プールに忠実に再現し、無人機の性能を確認します。

こちらは水中無人機の実習の模様を収録したビデオ。海中降下やオペレーションを実地で学びます。

Deploying the ROV

本作で若いオペレーター達が挑もうとしている海中の接続作業は次のようなものです。

水中無人機のオペレーションは写真のようなイメージです。

水中無人機 海中降下

水中無人機 オペレーション
Testing an ROV down to 3000mより

実験用プールでの無人機のテストは写真のようなイメージです。

実験用プールと水中無人機のオペレーション

実験用プールと無人機のオペレーション

Pool test of a remotely operated vehicle (ROV) at the University of Delawareより

【コラム】 水中無人機と海洋の技術

水中技術も進歩したとはいえ、人間がそうそう潜って、海底地形を確かめたり、機械の調子を調整するようなことはできません。

人間にとって、深海というのは、到底生存不可能な世界です。

むしろ宇宙空間の方が長く滞在できるのが不思議なくらいです。

そこで重視されるのが水中無人機。

映画『タイタニック』の沈没船調査でも活躍したように、人間の代わりに、水深数百メートルから数千メートルの水中に潜り、海底火山の噴火口を撮影したり、石油リグの設備を調整したり、深海底で生物を採取したり、様々な活動を行います。

しかしながら、水中は電波が届かず、音波で何もかも遠隔操作できるわけではありません。大量の画像データを送信したり、ハロゲンライトやマニピュレーターを操作するには、高性能な通信ケーブルが必要になります。

一般に、私達がイメージする水中無人機は、有索(ROV)であり、海上の支援船から巨大な設備を使って直径数センチに及ぶ複合ケーブルを操作します。

一方、ケーブルの無い自律型の開発も盛んに行われており、こちらは動作に必要な電源を機体に搭載し、プログラムされたように水中で活動します。

一見、ケーブルの無い方が便利に感じますが、自律型の場合、搭載できる電源も、リアルタイムで送受信できるデータ量も限られています。また何かのトラブルで行方不明になれば、回収も絶望的です。浅瀬ならともかく、深海での調査には、まだまだ課題も多いです。

本作では、採鉱システムの揚鉱管の接続に水中無人機が大活躍します。

オペレーター達はみな若く、海上プラットフォームの暮らしを楽しんでいます。

開発、操作、維持・管理、これからますます需要の高まる分野です。

本作でも指摘していますが、いずれ宇宙開発の技術が深海にも応用され、優秀な自律型ロボットが深海調査や水中作業に大活躍すると願っています。

【小説】 水中無人機の訓練と海中技術

物語

採鉱システムの接続ミッションに向けて、ヴァルターは実験用プールを使った水中無人機の調整に立ち会う。そこに大学生のエイドリアンが現れて、ヴァルターに難癖をつける。ミス・マクダエルに対する恋の行方をめぐって、二人の間に微妙な空気が漂うが、ヴァルターはまるで気のない振りをして、エイドリアンの嫉妬と焦りをやり過ごす。

ノボロスキ・マリンテクノロジー社

ヴァルターが一時帰島中のフーリエから電話をもらったのは九月二十七日、金曜日の朝だ。

フーリエは一昨日から幾つかの水中機材と一緒に帰島し、十月八日までノボロスキ・マリンテクノロジー社の整備工場で最後の調整を行う予定である。そして今朝、ノボロスキ社の実験プールが使えるようになったと連絡があり、午前中にオペレーターと訪問するよう促した。

ヴァルターは慌ただしく準備すると、ノエ・ラルーシュや若いオペレーター四名と一緒にノボロスキ社の連絡船に乗り込んだ。

ノボロスキ・マリンテクノロジー社は、水中作業ロボットや海洋調査機器の製作、船舶設備、航海用通信システムなど、海洋技術全般を手がける専門企業だ。三十年前、エンタープライズ社の設立とほぼ同時期に、社員とその家族を引き連れて活動の拠点をアステリアに移した。イリヤ・ノボロスキの人生を懸けた博打は大当たりし、今では造船設備も備えたアステリア屈指のマリンカンパニーとして名を馳せている。

七年前にリニューアルされた本社ビルと整備工場は工業港の第一埠頭に隣接し、規模、外観ともに突出した存在だ。

七階建て本社ビルの屋上には、トレードマークであるシロイルカのモチーフがでかでかと掲げられ、それが夜になるとラスベガスの電飾のようにピカピカ光ることから、港では『Delphinus(デルフィヌス)(イルカ座)』の愛称で親しまれている。今は電飾は見えないが、確かに海洋会社のトレードマークとは思えぬほど愛嬌があり、まるでテーマパークのキャラクターだ。

一行は第一埠頭の専用バースで連絡船を下りると、「リージェント通り」と呼ばれる小綺麗な並木道を歩き、本社ビルに到着した。ブルーのガラス製カーテンウォールが美しい七階建ての洒落た建物だ。そして、ビルの前庭にもシロイルカの原寸大オブジェがどーんと置かれているが、鼻先がぺたんと潰れて、どう見ても「カモノハシ」だ。

(ずいぶん遊び心のある社長だ)と感嘆しながら裏手にある整備工場に足を向けると、小柄な老紳士がニコニコしながら迎えてくれた。

イリヤ・ノボロスキ社長だ。

頭髪はほぼ真っ白で、少し目が悪いのか、青灰色の瞳が濁ったように見えるが、笑顔は快活で、真夏のモローズ爺さんロシアのサンタクロースみたいに朗々としている。社員とその家族を説得し、五百名からなる移民団を組織して、会社ごと引っ越すような豪傑にはとても見えない。

「夕べ、マクダエル社長から実験プールを使わせてくれないかと電話があってねぇ。あの人に頼まれたら、夜中でも整備工場を開けないわけにいかないよ、はははは」

ノボロスキ社長は、自分の福の神を称えるように笑った。 それから、社長は颯爽とした足取りで工場を横切ると、隣接する屋内実験プールに案内した。プールの大きさは二〇メートル四方、水深一・五メートルから七メートルの深さに分かれ、人工の波や水流を作り出すことができる。

ノボロスキ社長自身も水中工学の知識を持ち合わせ、エンジニアと意見を交わしたり、実験を見学することもあるらしい。今日もプラットフォームから運び込まれた四台の水中無人機がずらりとプールサイドに並ぶと、まるで我が子に再会したように目を細め、「トリアロにクアトロ、ヴォージャにルサルカか。これもいいロボットだ。深海でもよく働くだろう」と嬉しそうに機体を撫でた。

「プールは夕方まで好きに使ってくれていい。採鉱システムの成功は我が社の業績でもあるからね。十月十五日の接続ミッションは見事にやり遂げて、当社の水中機器をおおいに宣伝してもらいたい」

ノボロスキ社長は朗笑しながらオフィスに戻っていった。

実験用プールと水中無人機の調整

それと入れ替わるようにフーリエも実験プールに顔を出し、

「急な呼び出しで悪かったな。だが、来週から別の製作会社が実験に入るから、今日しかチャンスがなかったんだよ」

と慌ただしく準備を始めた。どうやら実験プールも他社に貸し出して、施設維持費に充てているらしい。

「こっちこそ助かったよ。事前に水中作業が経験できるのは有り難い。だが、なぜマクダエル理事長が?」

「オレも詳しくは知らん、だが、ノボロスキ社長に直々に要請があったところを見ると、オペレーターのコンディションを考えてのことだろう。何にせよ、水中での動作を確認する最後のチャンスだ。出来る限り数をこなそう」

早速、ノエ・ラルーシュと彼の後輩にあたるマルセルが無人機をセットアップし、ヴァルターも彼らのする様を横で見ながら、機能や構造を頭に叩き込んでいった。

接続ミッションに用いる主力の水中無人機は四台。いずれも光複合ケーブルを備えた有索タイプで、タワーデリックのオペレーションルームから遠隔操作を行う。

プロテウスの船体前面に搭載する小型の《クアトロ》と、強力なマニピュレータを有する大型の《トリアロ》。

主に通信面と照明で水中作業を補佐し、細かな機械操作も行う双子の《ルサルカ》と《ヴォージャ》だ。

《クアトロ》は、縦横40センチの有索無人機で、二本のマニピュレータを用いたハンドリング・システムと、深海作業に適した強力なLEDライト、高性能水中カメラを備えている。接続ミッションではプロテウスからランチし、細かな機械操作を行う。

《トリアロ》は、幅80センチ、長さ100センチの大型有索無人機で、四台の中で一番馬力があるが、接続ミッションでは《クアトロ》がメインの接続作業を行う為、当日は洋上で待機だ。

《ルサルカ》と《ヴォージャ》は、小回りの利く作業用ロボットで、水中の機械操作はもちろん、モニタリングや通信中継の機能も持ち合わせる。接続ミッションでは、ノエ・ラルーシュが担当する《ルサルカ》が投入され、照明や水中測位においてプロテウスと《クアトロ》を補佐する。

フーリエは、破砕機や集鉱機、水中ポンプに用いられているオスメス式の円筒コネクターやダイヤル式スイッチと同種の部品をテスト用の金属ボックスに取り付けると、《トリアロ》を使って水深七メートルのプール底に沈設した。

続いて、ノエ、マルセル、他二人のオペレーターが自身の担当する小型無人機《ルサルカ》《ヴォージャ》を水中に降下してテストを開始する。

ヴァルターは《クアトロ》のコンソールが置かれたデスクに着くと、フーリエの合図で潜水を開始した。《クアトロ》は親指大のケーブルに繋がれ、小さなスラスタを回転させながら、車エビのように水中をゆっくり進む。

《クアトロ》のコンソールは、キーボードとタッチパッド、二つのアームコントローラーが備わった幅三〇センチほどのウルトラブック型だ。着脱可能なディスプレイも備わっているが、プロテウスでは十三インチから十五インチのモニターを三台並べ、船体の水中カメラ映像と見比べながら作業することになる。

今回は演習ということで15インチのPC用液晶モニターを使っているが、見映えは専用モニターとほとんど変わらない。

《クアトロ》のアームコントローラーは三つの関節を持つ長さ30センチほどのスティック状で、先端にグリッパの開閉を調節する小さなボタンと関節部を回転操作するトラックボールが備わっている。

アームコントローラーの動きはそのままマニピュレータに反映されるが、深海では水流や水圧などの影響を受けて、空中で動作するようにはいかない。また海中ではケーブルが揺らいだり、堆積物が舞い上がって視界が濁ったり、陸上とはまったく環境が異なるため、迅速かつ正確に操作するには熟練の技術が必要だ。

ヴァルターも海洋技術センターではこうした無人機の操作にも長けていたが、《クアトロ》のアームコントローラーには独特の癖があり、マニピュレータとの一体感がなかなか得られない。格納庫でもずいぶん練習したが、不測の事態に臨機応変に対処できるか、いまいち自信がない。

接続ミッションに向けて ~機器の調整

「ちょっと苦心してるね」

オペレーターの中では一番若い二十八歳のシルヴェステルがヴァルターに声をかけた。

「揚鉱管と集鉱機の接続は、管と管が接合すればコネクターが自動的に締まるけど、水中ポンプのリアクターはケーブルのつなぎ替えと何種類かのスイッチ操作があるから、ちょっと手こずるかもしれない。でも、深海でサンプリングの経験があるなら何とかなるよ。こっちはプラグを差して、ダイヤルを回すだけだからね。もう少しアームコントローラーの感度を下げてみる? あまり感度が良すぎると、ちょっとした動きにも反応して、マニピュレータの手先がかえって不安定になるからね」

マルセルは《クアトロ》のコンソールにラップトップPCを接続すると、ハンドリングシステムの管理画面を開き、いくつかの数値を変更した。

もう一度、テスト用金属ボックスに取り付けられたプラグの着脱操作をしてみると、なるほど、動きが微妙に遅延する一方で、コントロールしやすくなった。

その様を横で見ながら「十分やれるじゃないか」とフーリエが言う。

「機械操作については、ほとんど心配ないだろう。むしろ《クアトロ》のケーブルを巻き戻してプロテウスのランチャーに収納する方が難儀かもしれないぞ。レビンソンも一度だけトラブルに見舞われた。ウィンチが上手く動作しなくて、《クアトロ》が水中で宙づりになったんだ。何度やり直してもランチャーに収納できないので、最後は船体のマニピュレータで把持しながら浮上したよ。まるでカバン持ちみたいに」

「なるほど」

「今度のミッションは『接続』が全てだ。操作が終わればすぐに浮上するから、深海での滞在時間は一時間もかからない。何時間もかけて深海のカルデラ底をぐるぐる探し回るより、よっぽど楽だろ」

「それはそうだ」

「まあ、そうしゃちほこ張るな。ミッションには《ルサルカ》も補佐とモニタリングのために降下する。機械操作に行き詰まれば《トリアロ》を投入すればいいだけの話だ。お前、案外、小心だな。それとも石橋を叩いて渡るタイプか」

「確証のないことは口にしたくないだけだ」

「生真面目だな。お前一人で潜航するわけじゃなし、こいつらの腕を見ろよ。いざとなれば、イルカを引き連れて救助に来てくれる」

フーリエが笑いながら再び機械の調整を始めた時、背後のスチールドアがガタリと開いた。エイドリアンだ。

恋のさやあて ~キャプテン・ドレイクとエリザベス姫

前回同様、黒のスキニーパンツに白い半袖の開襟シャツを身に付け、胸元にはシルバーチェーンのネックレスが光っている。おまけに真鍮プレート付の黒革ブレスレットなんぞ手首に巻いて、いったい、こいつは何がしたいのだ?

「お前、学校はどうしたんだよ」

「午後から休講なので様子を見に来たんです。どうせ録画のオンライン講義ですし、僕には時間割など有って無いようなものですから」

エイドリアンはひねた物言いをした。

「だったら、トリヴィアに帰って、学舎で受講すればいいじゃないか。お前の本分は学業だろう。いやいやミッションに参加したって、何もいい事などない」

「そりゃあ、僕が居ない方が好都合でしょう。ミス・マクダエルも喜びます」

「いい加減にしろよ。俺は仕事の話をしてるんだ」

エイドリアンは無視してフーリエの方に歩み寄ると、「僕にも練習させてもらえます?」と訊いた。フーリエがたじたじとしながら頷くと、エイドリアンはさっきまで彼が座っていた丸椅子に腰を下ろし、《クアトロ》のコンソールに向かった。

キーボードやアームコントローラーを操作して、マニピュレータを器用に伸ばし、金属ボックスに取り付けられたダイヤル式スイッチやコネクターをスムーズに操作する。 

なるほど、十五歳の時から格納庫に出入りし、ジム・レビンソンやその他のオペレーターに付いて、いろいろ教わっただけのことはある。工学部の学生に勝るとも劣らぬレベルだ。

「たいした腕じゃないか」

彼が素直に技量を認めると、エイドリアンはコンソールに向かったまま、ぶっきらぼうに答えた。

「レビンソンさんにみっちり仕込まれましたからね。みんな、あの人の事を嫌ってたけど、僕には親切でしたよ。暴言を吐かれたことも一度もないし」

それは似たもの同士だからじゃないか――と彼は言いかけて止めた。いくらなんでも、酒癖の悪い老夫と前途ある大学生を一緒にするのは気の毒だ。

そうしてあっという間に五時間が過ぎ、練習もお開きになると、ノエやマルセルたちは第二埠頭のポートスクエアに食事に出掛け、彼もちらとダイバーズウォッチを見た。

「お前、夕飯はどうするんだ?」

「家に帰って食べますが」

「よかったら、近所のスナックバーで一緒に食べないか?」

「あなたと?」

エイドリアンは怪訝な顔をしたが、

「一度、差しで話そうじゃないか。お互い、誤解したまま、いい仕事はできないだろう」

彼が促すと、エイドリアンも渋々頷き、一緒に実験プールを出た。

リージェント通りを少し南に歩き、細い小径からA1幹線道路の方に出ると、セルフカウンター式の小さな中華バーがある。三十席ほどの店内は、作業着姿の港湾労働者や、会社帰りのビジネスマンで満杯だったが、しばらくすると壁際のテーブル席が二つ空いた。

ヴァルターとエイドリアンはカウンターバーで中華麺や牛肉炒めなどを皿に取り分け、自動レジで会計を済ませると、壁際のテーブルで向かい合った。

「いつも、こういう所で食べるんですか」

エイドリアンが眉をひそめると、ヴァルターは炒飯を口に運びながら、「何か不都合でも?」とどこ吹く風で答えた。

「なんだかゴミゴミした感じで、僕はちょっと……」

「お前は上品な坊ちゃんだからな。不潔に感じても仕方がない」

「……」

「繕うことはないさ。ミス・マクダエルだって、こんな所で食事するのは嫌がるだろう。それがお前と彼女の価値観で、俺はそうじゃないというだけの話だ」

「でも、あなたが誘えば、彼女はこんな所でも付いて来ますよ。あなたに夢中だから。あなたも知ってるんでしょう」

彼は答えず、黙々と炒飯をかっこんでいる。

「あなた、似てるんです。TVドラマのキャプテン・ドレイクに」

「なんだ、それは」

「十年以上前、トリヴィアの公営チャンネルで『エリザベス』というティーン向けの歴史活劇が放映されました。劇中では、エリザベス姫の運命の恋人がキャプテン・ドレイクで、彼女はそのキャラクターに夢中だったんです。今も夢見ているはずですよ。『エリザベス姫の危機には、キャプテン・ドレイクが炎の帆船を率いて助けに来てくれる』と」

「アルマダ会戦の時、キャプテン・ドレイクは四十五歳で、エリザベス一世は五十四歳だぞ? どうやって運命の恋人になるんだよ? ウォルター・ローリー卿かロバート・ダドリーの間違いじゃないのか」

「そこはティーン向けに改変されて、身分違いの恋という設定になってるんです。いわばエリザベス一世の英国史を借りた恋愛ドラマです」

「それなら最後はエリザベス姫が君主として立身し、二人の関係もジ・エンドだな」

「違います。駆け落ちするんです」

「なんだと?」

「エリザベス姫には顔形のそっくりな同名の侍女がいて、彼女と入れ替わるんです。最後は侍女がエリザベス姫の意志を継いで玉座に就き、本物のエリザベス姫はキャプテン・ドレイクと手に手を取って、自由の新天地に旅立つんです」

「馬鹿馬鹿しい。そんなシナリオを書く作家も阿呆なら、夢中になる方もどうかしてる。大体、俺は楽劇だの神話だの、作り話が大嫌いなんだよ。父親の前では絶対に口にしなかったがな」

「じゃあ、彼女と対照的ですね。ミス・マクダエルは映画やお伽噺が好きですよ。僕もよく相手をさせられました。彼女がバラの花を持ってベッドに横になったら、僕がおでこにキスするんです。『まあ、呪いがとけたわ!』って。しまいに自宅の庭に白馬を飼うとか言い出して、理事長が必死に宥めすかしたこともありました。プリンセスに憧れてるんです」

「彼女はTVの見過ぎだ。筋金入りの夢想家だよ。幼い女の子がよくやるじゃないか。クマの縫いぐるみに『さあ、ご飯ですよ。ウサコちゃんも一緒にいただきましょうね』と話しかけるんだ。今でもフランス人形が息して歩いてるように見えるんじゃないか」

「あなたも気を付けた方がいいですよ。彼女が心に描いたことは大抵本当になる」

「どういう意味だよ」

「そういう心のパワーの持ち主なんです。悪く言えば天真爛漫、無邪気なだけですけど、世の中の人はみな親切で、この世は努力と善意で成り立っているように思い込んでいる。ある意味、邪心がないから、心の絵がストレートに現実に反映するんです」

「女なんて、皆そんなもんだろう。俺の母親だって、いまだに大天使ガブリエルのお告げ*52を信じてるぞ」

「理事長は『フォルトゥナの娘』と呼んでいます。実際、彼女が生まれてから、事業も幸運の連続でした。ティターン海台の最初に精査を始めた場所が宝の山だったり、タダ同然で手に入れた土地の価格が数年で十倍に跳ね上がったり。鉱業局でずっと妨害していた監査官が、彼女の生まれた年に突然他部署に異動になったこともありました。とにかく、彼女が生まれてから全てが好転したそうです」

「そりゃあ、たいした幸運の女神だ」

「彼女のパワーは絶大ですよ。気が付けば、みな彼女に振り回されている。理事長も例外ではありません」

「だったら、俺は例外だ。運命もお伽噺も信じない」

「いいえ、あなたも既に運命の輪に取り込まれています。実際、彼女を無視できず、なんだかんだで関わりを持っているでしょう。そのうち彼女の筋書き通りになりますよ。いつか指輪(リング)を捧げて、プロポーズする」

「何が筋書きだ。それこそ幼女の絵空事だ。第一、俺は運命なんてものは信じない。すべては選択と行動の結果だろう。俺が嬢ちゃんと出会ったのも、自分で契約書にサインしたからだ。何が運命なものか」

「でも、彼女は心の絵が現実になったと思ってる。望み通り、キャプテン・ドレイクに出会えたと。あなたは既に彼女のものだし、彼女次第であなたの未来も変わる。あなたが認めたくないだけで、もう運命の輪に取り込まれてるんですよ。現にあなたも心惹かれているでしょう」

「それはお前の妄想だ。俺はな、胸も尻もホルスタインみたいに発達した、ラテン系のさばさばした女が好きなんだ。あんな品行方正な嬢ちゃんに興味はない」

「では、そのようにミス・マクダエルに伝えておきます」

「ああ、そうしてくれ。それでキャプテン・ドレイクの夢も醒めるだろう。なにが運命だ、炎の帆船だ。俺は二年後には故郷に戻って、ここの事も二度と思い出さない」

「そうでしょうね。見るからに風来坊ですものね。でも、本音は責任を取るのが怖いんでしょう。ここに居を構えたら、プラットフォームの古株みたいに異郷に人生を捧げることになる。下手すれば、プラットフォームが終の棲家だ」

「いい加減にしろよ。お前、どうしてそう俺に突っかかるんだ? 恋の恨みか、単なるサディストか? そもそも、接続ミッションも本当にやる気があるのかよ? ミス・マクダエルの手前、いい格好をしたいだけなら止めてくれ」

「それはあなたも同じでしょう」

「大学生の背伸びと一緒にするな。俺は仕事で引き受けたんだ。お前よりはるかに知識もキャリアもある。それ以上邪推するなら、鉛の箱に閉じ込めて、水深六〇〇〇メートルの海底に沈めるぞ」

エイドリアンはじっと彼の顔を見ていたが、「やりきれないんですよ、何もかもが」とこぼした。

「僕はここで生まれ育って、学校もずっとオンラインの遠隔教育でした。今でこそ設備も増えて、カリキュラムも充実していますが、僕が小学校に入学した頃は島内に二つしか学舎がなくて、低学年も高学年も同じ教室で一緒に勉強してたんです。個別のパソコンブースで、オンラインの先生を相手にね。どんなに勉強できても一流の学校に通う機会もなく、どれほどトリヴィアに移住したかったかしれない。でも、それは断じてミス・マクダエルが目的ではありません。自分の将来の為です。本気で機械工学の最高峰を目指してたんです。ただ、父や理事長の仕事を見るにつけ、技術より経営を学びたいと思うようになって、途中で進路変更しました。そんな僕をずっと励ましてくれたのがミス・マクダエルです。あの人は本当に健気で優しい。ずっと心の支えだったんです」

「でも、お前、彼女より年下だろう」

「あなただって、三十のおっさんじゃないですか」

「わかった、年の話は止めよう。で、それとプロテウスと、どういう関係があるんだ」

「僕が十五歳の時、ミス・マクダエルがこう言いました。『将来、工学博士になるなら、潜水艇の操縦も覚えた方がいいんじゃない?』。でも当時、パイロットをしていた男性に申し出たら、『お前みたいなガキに出来るわけがない』と一蹴されました。それを横で見ていたレビンソンさんが、補助的な操作なら教えられると声かけして下さったんです。それから月に一、二度は格納庫に顔を出すようになり、レビンソンさんに手取り足取り教えてもらいました。プロテウスの構造や仕組みも。みな、あの人の悪口ばかり言ってますけど、僕には本当に親切だったんです」

「じゃあ、似たもの同士で気が合ったんだろう。それで俺に絡む理由は何だ?」

「僕にも積み重ねがあります。接続ミッションも何らかの形で貢献するつもりでした。それが事情が一変して、あなたが来て、何もかも奪われて。本当にバカみたいだ」

「その『何もかも』にはミス・マクダエルも含まれるわけだな」

「……」

「お前のショックの度合いはどっちが大きいんだ。仕事か、ミス・マクダエルか」

「口にしないと分かりませんか」

「それこそお前の思い違いだ。俺があんな折り目正しい嬢ちゃんに夢中になるわけがない。ましてや理事長の娘だぞ? 彼女は単純に『男』が珍しいだけだ。あの鍵付の嬢ちゃんは、男と手を繋いだこともなければ、まともに接したこともない。俺みたいに毛色の違う男を見たら、物珍しさに錯覚を起こすが、最初だけだ。本性を知ったら、すぐに醒める。心配しなくても、人生の最後に彼女の側に居るのはお前だよ」

「希望をもってもいいでしょうか」

「もちろんさ。一日も早く告白して、自分のものにしちまえよ。彼女もきっと解ってくれる」

エイドリアンはそんな彼の顔を訝しげに見つめていたが、やがて納得すると、

「接続ミッションはあなたがメイン、僕がアシストでやりましょう。それが一番合理的な気がします」

「そうしてくれ。ミッションを成功させないことには、三度の飯も食えやしない」

彼は手早くプレートのものをかっ込むと、「おかわり自由」の卵スープをもう一杯飲んだ。

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MOKO
この記事を書いた人
作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。モットーは『クソ映画にも五つ星の愛を』。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。東欧在住。小説は実名で書いてます。
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