進歩が最善とは限らない ~リビルト哲学と干拓地の人々の想い

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第一章 運命と意思 ~オランダ人船長 (10)
STORY
大洪水で壊滅した干拓地フェールダムの再建案をめぐり、モダンなリゾートタウンに作り替えたい自治体+地元経済界と、昔ながらの干拓地を望む元住民の間で対立が起きる。 これを収める為に、自治体はアイデアコンペを企画するが、リゾートの設計を手掛ける世界的建築家フランシス・メイヤーに敵う者などなく、最初から結果は明白な出来レースであった。それでもヴァルターとヤンは住民の願いを届ける為、再建コンペに参加し、メイヤーに真っ向から勝負を挑む。 そんな中、メイヤーがフェールダムの視察に訪れ、講演会を開催する。ヴァルターとヤンは、メイヤーの真意を探る為、講演会に参加するが、メイヤーの言説に元住民を思いやる気持ちは微塵も感じられなかった。

六月十五日。

ヴァルターとヤンは第一次審査通過の通知を受け取った。

選出された二十点はコンペのオフィシャルサイトで紹介される他、八月末までファンデルフェールの市民ホールにも展示され、市民の感想や意見を募集する。 

審査に通った二十点は、著名な個人設計事務所が考案したものもあれば、学生グループの新鮮な作品もあり、見た目もアイデアも様々だ。

が、やはりフランシス・メイヤーの臨海都市計画が際だっており、コンペ自体が出来レースに思える。すでに世界的名声を得たメイヤーを一般人に交えることで公平性や透明性をアピールしたいのだろうが、かえって再建委員会の白々しさが鼻につく。

それでも勝たなければ……いや勝てないにしても、元住民の願いを届けたい。ここで尻込みすれば、高潮に呑まれるように、世の流れは一気に臨海都市計画に傾くだろう。

緑の堤防』とデ・フルネの活動は、市民ホールの展示会を機に一気に知名度が高まった。

アイデアの発案者が「フランスの海洋技術センターの潜水艇パイロット」という点も世間の興味を引いた。

「なぜ畑違いの再建コンペに挑むのか」と尋ねられると、彼は決まって堤防を守りに戻った父の事を話した。ドラマチックなエピソードはローカルニュースでも取り上げられ、改めて当時の作業員の献身を世に知らしめた。

近頃では、彼と同じように国外に移住し、遠方で何もできない悔しさを滲ませながら応援してくれる人もあれば、フェールダムとは全く無関係なのに「当社の技術がお役に立つなら」と培養土を無償で提供してくれる会社もある。

父が言っていた「よし、それならもう一度」の意味はまだ解らないが、このコンペを立派にやり遂げたら、その時こそ、自分だけが水の底に取り残されたような気持ちから解放され、「これが生だったのか」という気持ちになるかもしれない。俺もフェールダムの住民だ、皆の仲間なんだと自分に言い聞かせながら、人生の足場を探し求める。

*

そうして九月十五日の第二次審査も通過し、いよいよ最終審査のプレゼンテーションが押し迫る頃、コンペ関係者にとって特筆すべき出来事があった。フランシス・メイヤーがフェールダムの視察に訪れたのだ。

ヴァルターはフランシス・メイヤー個人に興味はないし、実際、どれほど偉い人なのかも分からない。「三大国際建築賞の一つを受賞した」と言われてもピンとこず、「ワールドカップの最優秀選手みたいなもの」という喩えで、やっとその凄さが理解できたほどだ。

だったら、尚のこと、そんな凄い人がフェールダムみたいな地方の再建計画を手がける理由が分からない。こんな田舎に関わらずとも、世界的名声にふさわしい華やかな舞台があるだろうに、「一般参加のコンペ」に素人と名を連ねてまで再建事業に食い込もうとする真意は何なのか。

ヴァルターとヤンはファンデルフェール工科大学でメイヤーの特別講演が開かれると聞き、学生ホールに足を運んだ。

受付でもらったパンフレットに目を通すと、そこには目を見張るような出自とキャリアが列記されている。

フランシス・メイヤーは、オーストラリアを拠点にホテル業やリゾート開発を手がける『メイヤー&パーマー・グループ』の御曹司だ。両親や兄妹はもちろん、叔父叔母、従兄弟、末端の親族に至るまでグループ経営に携わり、縁戚も財界、スポーツ、芸能に至るまで幅広い。創業百二十年、今や世界の観光都市で『メイヤー&パーマー』の看板を見ない場所はない。

その中で、次男のフランシスだけが建築家として花を咲かせ、経営よりもクリエイティブな分野で活躍している。学生時代に海上空港ターミナルビルの国際設計競技に入賞して注目を集め、その後も権威ある建築賞を立て続けに受賞して天才と称された。二十代から三十代にかけて著名な設計事務所『Kool Architects』で研鑽を積んでいたが、四十歳で独立し、個展や講演会、作品集の刊行など幅広く手がけ、ますます盛名を馳せている。今年四十七歳、その野心は止まることを知らず、フェールダム以外にも複数のプロジェクトを抱えて精力的に動き回っている。

やがて学生ホールの演壇にフランシス・メイヤーが姿を現すと、二百名以上の聴講者が一斉に歓声を上げた。

実物のメイヤーは、パンフレットのポートレートより少し老けて見えるが、背はすらりと高く、ほとんど贅肉のない体躯に杢グレーのタートルネックシャツと黒いカジュアルジャケットをスマートに着こなしている。頬骨は高く突き出て、鉤鼻が盛り上がり、お世辞にも美男とは言えないが、SF映画の科学者みたいなテクノカットをプラチナアッシュ(銀灰色)に染め、いかにも天才肌といった風貌だ。大勢の歓声に応え、にこやかな笑みを浮かべているが、ノンフレームの丸眼鏡の向こうで用心深く見開かれた淡緑色の眼は決して笑っていなかった。

プロジェクタの用意が調うと、メイヤーは流ちょうな英語で話し始めた。オーストラリア出身でありながらオーストラリア英語を話さず、意識してイギリス英語を話しているのが耳につく。

メイヤーは自身の手がけた作品を次々にプロジェクタに映しながら、ウォーターフロントにおける美の哲学、未来の展望、建物の安全性などを淀みなく語り、時にジョークを交えながら場を盛り上げる。それは場慣れした人の喋りであり、大衆の好みを知り尽くした見事なパフォーマンスだった。

やがて話がフェールダムに及ぶと、彼は聞き耳を立て、その真意を探った。

メイヤーのコンセプトを一言で要約すればrebuild(リビルド)だ。

単純に施設をリニューアルするだけではない、新しい景観と都市機能を通した「社会の再構築」である。

「宇宙の植民地に目を向けてみよう。そこには国もなく、強い民族意識もなく、人々は開発という一つの意思に結ばれ、調和のとれたコミュニティを形成している。君たちに必要なのは、国や人種を越えた『意思共同体』としての新しい社会の構築だ。フェールダムの洪水は悲劇だった。だが、旧き世界が一掃され、まったく新たな社会を構築するチャンスでもある。進歩。革新。創造。君たちはこれらの言葉を錦の御旗のごとく掲げ、果敢に挑戦しようとするが、その多くは旧い価値観の焼き直しに止まっている。《こうあるべき》という観念は根元から壊せ。創造とは疑うところから始まる。フェールダムはそのルーツを断ち切っても、前に進まねばならない時期に来ているのだ」

一部の学生が感嘆の声を上げたが、彼は懐疑的だ。

どれほど社会が進歩しようと、人間は「自分が何ものであるか」に帰着する。生まれ育った土地の文化や歴史、両親から受け継いだ教えや価値観から死ぬまで離れることはない。宇宙の植民地にもアイデンティティの基盤となるものが必ずあるはずだ。

代々受け継がれる文化、母国語、生まれ育った町の歴史、子供時代の共通の思い出、等々。

それらを壊すことは、自身のルーツを断ち切ることでもある。

「社会の再構築」と簡単に言うが、皆の心の基盤を壊してまで刷新すべきとは思わない。揺るぎないから『礎』というのであり、フェールダムの場合、安全で美しい干拓地こそが社会の礎ではないか。 

あまりにメイヤーが「リビルド、リビルド」と連呼するので、彼はとうとう口を挟んだ。 

「必ずしも進歩が最善とは限りませんよ」

ヤンが慌てて彼の脇腹を肘で突っついたが、彼は構わない。

「あなたの言葉は非常に聞こえがいい。だが、それでフェールダムが救われるかといえば、はなはだ疑問です。あなたは本当にここに暮らす人々の気持ちを考えたことがあるのですか」

「ここに暮らす人々? どこに人々が暮らしているのかね。フェールダムは壊滅した。元住民でさえ戻ろうとしないゴーストタウンだ」

「戻ってないのは身体だけです、心は常にこの地に繋がれている」

「だったら、なおさら機能的で活気に溢れた臨海都市が帰郷の求心力になると思わないかね」

「思いませんね。住民が望まぬものを作っても、数年後には回収不能な巨大ゴミになるだけです」

今度こそ本気でヤンが彼の脇腹を突き、演壇の脇に控えていた係員らもぴくりと眉を動かすと、彼の方で席を立った。

「フェールダムをどうしようとあなたの勝手だが、果たしてこの地にあなたのリビルド哲学が根付くでしょうかね。なぜ、数百年の長きにわたって、この干拓地に人々が住み続けたのか、一度じっくり考えて下さい。たとえ臨海都市が建設されても、フェールダムの住民が数百年先まであなたに感謝すると思ったら大間違いですよ」

ヤンはすぐさまヴァルターの後を追い、廊下の端で腕を掴まえると、「馬鹿! メイヤーに喧嘩を売る奴があるか!」と一喝した。

だが彼は口を尖らせ、

「何が『フェールダムの洪水は悲劇だった』だ。堤防の意義など、これっぽちも考えてないくせに。多くの人が家を失い、愛する者を亡くしたのに、新たなチャンスだの、リビルドだの、美辞麗句ばかり並べて、自分の父親が洪水で死んでも同じことが言えるのか」

「だからといって、喧嘩腰になることはないだろう。反論するなら、もうちょっと言い方を考えろ。小学生の喧嘩じゃあるまいし、正面から批判する奴があるか」

「世界的権威には正面から物を言っちゃいけないのか」

「そういう意味じゃなくて、弁えろと言ってるんだ。だいたい、お前は……」

「腹が立つんだよ! 当事者でもないくせに、これがチャンスとばかり自分を売り込んでいる。フェールダムは建築家の実験場じゃない。どんな立派な理屈を並べようと、己の栄達にしか興味がないのが見え見えだ」

「それは分かるが、やり方が賢明じゃない。何の為にオレたちは再建コンペに参加したんだ。自分の考えを公の場で正々堂々と主張する為だろう。お前のやってることはただの喧嘩だ。サッカーでも、仕事でも、馬鹿が勝利した試しはない」

「俺が馬鹿なのは生まれつきだよ。だが、あんな卑怯な連中に比べれば、よほど誠実に生きているつもりだ。臨海都市計画に賛同している奴らは、住民の願いも、数百年先の未来も何も考えてない。その結果、奇妙きてれつな建物が建っても、力のない庶民は受け入れざるを得ない。それを分かって押し切ろうとしてるんだ。ただの確信犯さ」

「だからって、公衆の面前で詰ることはないだろう。相手は地位もキャリアもある大人物だ。ちっとは常識ってものを考えろ」

ヤンは彼の肩を掴んでキャンパスの外に連れ出すと、車の助手席に押し込んだ。

その後も、彼はデ・フルネのウェブログにいっそう強い論調で干拓地の自然な回帰を訴えるようになった。時には、フランシス・メイヤーに対するあからさまな批判を書き綴ることもある。ヤンにはしばしば「やり過ぎだぞ」と注意されたが、彼は構わない。

「誰も言わないから、俺が言うんだよ。メイヤーが勝って、工事が始まれば、もう誰にも止められない。湖畔がコンクリートで固められる頃には、フェールダムは別の何かになっている」

間違いは奴らの方だ。必ず流れを変えてやる。

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