『人こそ資本』 拾いの神と潜水艇パイロット

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第一章 運命と意思 ~フォルトゥナ号 (4)
STORY
偉大な祖父から薫育を受けたアルは『人こそ資本』という経営哲学を受け継ぐ。一度は捨てられた人材もその手で拾い上げ、活路を開くことから、アルは「拾いの神」でも知られる。アルは採鉱システムを完成させる為、半年前に人員整理で解雇された潜水艇パイロットのヴァルター・フォーゲルに会いに行く。

アルが物心ついた時、祖父はレジェンドだった。

書店には祖父の偉業を称える書物が並び、何十年経った今も真空直接電解法の開発史がTVドキュメンタリー番組で取り上げられる。

全権を長男ヨシュアに委譲し、第一線を退いてからは、公の場にもほとんど顔を出さず、アララト山の仙人みたいに自宅に籠もっていたが、父の話では、個人的な報復を恐れ、陰の相談役に徹することを選んだという。

実際、祖父は質実剛健を絵に描いたような人物だったが、真空直接電解法の成功後はトリヴィアの首都《エルバラード》を離れ、郊外の高級住宅街(ゲーテツド・コミユニティ)に二棟からなる大邸宅を購入した。緑に囲まれた広大な敷地には、トリヴィア屈指の資産家や有名人らが居を構え、万全のセキュリティ・システムが敷かれている。世間から隔絶されたコミュニティでは、夜な夜な快楽に耽る御大尽も少なくないが、祖父は贅沢や特権意識を嫌い、「お前は将来、MIGの将来を背負って立つ人間だ。人の上に立つ者は常に謙虚に学ばねばならない」とアルにも品位や礼節を求めた。

Noblesse(ノブレス) oblige(オブリツジ).(高貴な者はそれにふさわしい社会的責任と義務を有する)

それが祖父の教えの真髄だ。

祖父の高潔な精神と生き様は、アルと姉のダナに強い影響を与えた。

ビジネス会話の隠語としてラテン語を教えてくれたのも祖父なら、合金設計の技術を面白く語って聞かせてくれたのも祖父だ。愚かなことを口にすれば、実妹だろうが、次男の嫁だろうが厳しく叱責し、家族に煙たがられることもあったが、アルは一本芯の通った祖父が好きだった。祖父の話を聞いていると、人間の意思はこの世のどんな権力や財力にも勝るような気がするのだった。

祖父はしばしば言っていた。

「自分が明日死ぬなど、誰も露ほども考えない」

その言葉通りに祖父は死んだ。八十一歳だった。

アルが十二歳になって間もなく、なかなか朝食に姿を現さないので、心配して見に行くと、祖父は自室のバスルームで口を半開きにして倒れていた。夕べ祖父と話した時は、今日もチェスで一戦交える約束だったのに。

そんな祖父の教えの中で最も心に残っているのが「捨てるな」という言葉だ。

祖父は人間の可能性について論じるのが好きだった。極限まで追い詰められた人間の、劇的な力の発露を信じていた。どんな凡庸な人間も、断崖絶壁に立たされれば、海を割るほどの知力を得るというのが祖父の持論だった。

「人間には無限の可能性がある。自分を捨てることは、一切の可能性を捨てることなんだよ」

事業の要は「モノ」「カネ」「ヒト」。モノとカネには限りがあるが、ヒトには無限の可能性がある。工場の組み立てラインを管理するのもヒトなら、画期的な商品を編み出すのもヒトだ。現場に優秀な人材がなければ、百億の予算も世界有数の設備も用を成さない。

人こそ資本。

それはそのままアルの経営哲学になった。

人それぞれ長所も短所もあるが、アルは深海に眠る鉱物みたいな人間が好きだった。数十億年の星のエネルギーをぎゅっと凝縮したような、意思の強い兵(つわもの)だ。

これぞと思う人材を得る為なら、フォルトゥナ号を駆って、どんな遠くでも会いに行った。

そこに可能性を感じたら、一度は切り捨てられた人材でも拾い上げ、回生のチャンスを与えた。

そうしてアルに見出された者たちが次々に再起の機会を得、予想以上の成果を上げたことから、いつしかアルは「拾いの神」とあだ名されるようになった。

フォルトゥナ号が降り立つ時、必ず誰かの運命が変わるのである。

*

そして今回、フォルトゥナ号が向かうのは、トリヴィア最大の学研都市《エンデュミオン》だ。

エンデュミオンはエルバラードから二〇〇キロメートル離れた南西部に位置する。長年『ギガント』と呼ばれる超大型コンテナ船の離着陸場として使われてきた平地だが、三十年前から、トリヴィア政府、民間企業、教育研究機関が合同出資して都市開発を推し進め、今では様々な学校や研究施設が建ち並ぶトリヴィア屈指の学研都市に成長した。

MIGも二十七年前に金属材料研究所を設立し、選りすぐりのエキスパートを集めて既製品の改良や新素材の開発に当たらせている。

だが今、アルが向かっているのは金属材料研究所ではなく、エンデュミオンの外れにあるトレーラー村だ。そこにはアルバイトと奨学金でどうにか生計を立てている下層の学生や、短期滞在の派遣労働者らが安物のトレーラーハウスに住み着き、小さなコミュニティを形成している。元々、資材置き場に使われていた空き地で、エンデュミオンの都市区分にも含まれず、住民法も適応されないことから、一時は不法滞在者やホームレスの溜まり場になっていた。

数年前から保安官が巡回し、取り締まりを強化するようになってから状況も改善したが、底辺の溜まり場であることに変わりはない。しかも、一歩エリアの外に出れば、そこから先はデッドゾーンと呼ばれる裸地で、地熱ジェネレーターも機能せず、うっかり迷い込めば、数分から数十分で死に到る。だが、遺体となっても回収されることはない。なぜなら、政府が生命を保障するのは都市圏に限定されており、自発的でも、偶発的でも、圏外に出た者については責任を負わないことを法的にも明言しているからだ。

そんな掃き溜めみたいな場所に、アルがわざわざ足を運ぶ気になったのは、興味深い男が半年前から住み着いているからだ。

男の名は、ヴァルター・フォーゲル。

今では宇宙飛行士より希有な深海潜水艇のパイロットだ。

この八月で三十歳になったばかりだが、フランスの海洋技術センターで研鑽を積み、これまでに一二〇回の潜航経験がある。仕事ぶりも熱心で、深海調査では新種の生物や地学的発見に何度も貢献してきた。また潜水艇の技能だけでなく、蘭語、仏語、英語、独語の四カ国語に堪能で、海洋調査船では通訳としても重宝されていたようだ。

ところが年明け、人員整理で解雇され、メールも電話も全く通じず、家族からは捜索願が出されている。アルも法的に際どい手段を使って彼の居場所を突き止めたものの、その態度は素っ気なく、いずれ手持ちの金も底を尽き、不法滞在で逮捕されるのが目に見えている。

にもかかわらず、アルが会う気になったのは、この三十年間、心血注いで打ち込んできた海台クラストの採鉱システムが、あと一歩のところで頓挫しかけている為である。

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