海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

『人こそ資本』 自分を捨てることは一切の可能性を捨てること

第1章 運命と意思 ~フォルトゥナ号(2)

人間には無限の可能性がある。
自分を捨てることは、一切の可能性を捨てることなんだよ

MORGENROOD -曙光
あらすじ
アル・マクダエルの祖父ノアは、画期的なニムロイド精製法『真空直接電解法』でファルコン・グループの権勢に風穴を開け、世の流れを一気に傾ける。 祖父から薫育を受けたアルは『人こそ資本』という経営哲学を受け継ぎ、「拾いの神」と呼ばれていた。アルは失踪したプロジェクト・リーダーの穴埋めを探し、長年の悲願である採鉱システムを完成させる為、半年前に人員整理で解雇された潜水艇パイロット、ヴァルター・フォーゲルに会いに行く。
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伝説の祖父とニムロディウム

アルがMIGインダストリアル社を継いだのは一七五年のことだ。父のヨシュアが七十歳で病に倒れたのを機に、アルが三十五歳で社長に就任、五歳年上の姉ダナがMIG執行委員会の会長に就任した。だが、アルに跡取りとしての帝王学を叩き込んだのは、父よりも祖父ノア・マクダエルである。

この「厳めしいお祖父さん」は、MIG会長兼インダストリアル社社長として西に東に飛び回る多忙な父に代わり、やれ読書だ、数学だと、孫二人の英才教育に傾注した。

祖父はアララト山の仙人みたいに面痩せ、膝が痛むと杖を突くようになってからは、ますます浮き世離れして見えた。若い頃は大変な美男子だったが、ファルコン・マイニング社と火花を散らすうち、甘やかなマスクは鉄火のように厳しくなり、ふさふさした金髪は四十半ばで真っ白になった。子供たちには優しかったが、嘘をついたり、掃除をさぼったり、勉強を手抜きすると「お仕置き部屋」に入れられ、難しい本を何冊も読まされた。その中にはラテン語の本もあり、部屋を出る時、名句の一つも暗唱しないと、次の日から算数の課題が一つ増えるのだった。

それでもこの「厳めしいお祖父さん」が一族の尊敬を集め、周囲にも一目置かれていたのには大きな理由がある。

ニムロディウム製錬技術の歴史を変えた『真空直接電解法』の確立だ。

宇宙文明の基礎を成す特殊鋼であり、恒星間航行エンジンや宇宙構造物に不可欠なニムロイド合金は、鉄や銅といったコモンメタルに、ニムロディウム、コバルト、ニッケル、ニオブ、モリブデンといったレアメタルを微量に添加することによって作られる。その匙加減はメーカーにとって門外不出の企業機密であり、マクダエル特殊鋼も多くの技術特許を有している。

しかしながら、手法を確立したところで、肝心のニムロディウムが入手できなければ何の意味もない。そして、ニムロディウムの安定供給の鍵を握るのは、政財界に根を張るファルコン・マイニング社である。また、その系列会社であるファルコン・スチール社とは、ニムロイド合金の特許技術をめぐって係争した因縁の間柄でもあり、こちらの納期が迫ろうが、決算に支障をきたそうが、お構いなしに原価を吊り上げ、鉄スクラップの供給を止めてくる。そればかりか産業省にまで手を伸ばし、電気炉の増設や技術特許の認可まで阻止する執念深さだ。

だが、祖父の怒りに火を付けたのは、ある日、社長室にかかってきた一本の電話だった。

電話の主は、祖父が中心となって推し進める非鉄金属組合の解体を要求し、家族の安全を脅かすような文句を口にした。

祖父はついに堪忍袋の緒が切れ、《技術で目に物を言わせる》決意をした。

それが真空直接電解法だ。

通常、ニムロディウムは自然界において単体として存在せず、酸素と強固に結びついた酸化物として存在する。酸化ニムロディウムを含む鉱物は、みなみのうお座星域の惑星や衛星、隕石からも検出されるが、その含有率は一パーセントにも満たず、三〇パーセント以上ものニムロディウムを含む高品位のニムロイド鉱石はニムロデ鉱山でしか見つかっていない。

また、ニムロイド鉱石の中間生産物から高純度のニムロディウムを精錬するのは非常に難しく、幾種類もの電気炉や精錬炉を必要とする上、精錬過程で大量の有害物質や放射性廃棄物を排出することから、商業ベースで大量生産できるのはファルコン・スチール社に限られていた。

そこで祖父は、不純物の多い中間生産物からも効率的にニムロディウムを精錬できる技術の開発に取り組んだ。それが真空直接電解法だ。

この精錬システムは、ニムロイド鉱石の中間生産物を電解し、直接的にニムロディウムを抽出するもので、全工程にかかる手間と時間を大幅に短縮し、従来の製造コストの半分以下で九九・九九九九パーセント以上の高純度ニムロディウムを精製することができる。しかも放射性廃棄物を一切排出せず、低品位な鉱石にも市場価値が生まれたことから、業界は諸手を挙げて歓迎した。しかも祖父はその技術を広く開放し、設備投資が困難な中堅メーカーでも精錬システムを導入できるよう計らった。

これにより、ファルコン・マイニング社やファルコン・スチール社に依存していた業界に風穴が空き、脱ファルコン・マイニング社の機運が一気に高まった。

また非常に高価だったニムロディウムが手頃な価格で入手できるようになったことから、航空、建設、電子機器、医療など、様々な分野にいっそうの技術革新をもたらした。

この成功を機に、マクダエル特殊鋼は『マクダエル・インダストリアル社』に社号を改め、MIGを再編し、名実共に新たな第一歩を踏み出したのである。

自分を捨てることは、一切の可能性を捨てること

アルが物心ついた時、祖父はレジェンドだった。

書店には祖父の偉業を称える書物が並び、何十年経った今も真空直接電解法の開発史がTVドキュメンタリー番組で取り上げられる。

全権を長男ヨシュアに委譲し、第一線を退いてからは、公の場にもほとんど顔を出さず、アララト山の仙人みたいに自宅に籠もっていたが、父の話では、個人的な報復を恐れ、陰の相談役に徹することを選んだという。

実際、祖父は質実剛健を絵に描いたような人物だったが、真空直接電解法の成功後はトリヴィアの首都《エルバラード》を離れ、郊外の高級住宅街(ゲーテツド・コミユニティ)に二棟からなる大邸宅を購入した。緑に囲まれた広大な敷地には、トリヴィア屈指の資産家や有名人らが居を構え、万全のセキュリティ・システムが敷かれている。世間から隔絶されたコミュニティでは、夜な夜な快楽に耽る御大尽も少なくないが、祖父は贅沢や特権意識を嫌い、「お前は将来、MIGの将来を背負って立つ人間だ。人の上に立つ者は常に謙虚に学ばねばならない」とアルにも品位や礼節を求めた。

Noblesse oblige(ノブレス・オブリツジ).(高貴な者はそれにふさわしい社会的責任と義務を有する)

それが祖父の教えの真髄だ。

祖父の高潔な精神と生き様は、アルと姉のダナに強い影響を与えた。

ビジネス会話の隠語としてラテン語を教えてくれたのも祖父なら、合金設計の技術を面白く語って聞かせてくれたのも祖父だ。愚かなことを口にすれば、実妹だろうが、次男の嫁だろうが厳しく叱責し、家族に煙たがられることもあったが、アルは一本芯の通った祖父が好きだった。祖父の話を聞いていると、人間の意思はこの世のどんな権力や財力にも勝るような気がするのだった。

祖父はしばしば言っていた。

「自分が明日死ぬなど、誰も露ほども考えない」

その言葉通りに祖父は死んだ。八十一歳だった。

アルが十二歳になって間もなく、なかなか朝食に姿を現さないので、心配して見に行くと、祖父は自室のバスルームで口を半開きにして倒れていた。夕べ祖父と話した時は、今日もチェスで一戦交える約束だったのに。

そんな祖父の教えの中で最も心に残っているのが「捨てるな」という言葉だ。

祖父は人間の可能性について論じるのが好きだった。極限まで追い詰められた人間の、劇的な力の発露を信じていた。どんな凡庸な人間も、断崖絶壁に立たされれば、海を割るほどの知力を得るというのが祖父の持論だった。

「人間には無限の可能性がある。自分を捨てることは、一切の可能性を捨てることなんだよ」

事業の要は「モノ」「カネ」「ヒト」。モノとカネには限りがあるが、ヒトには無限の可能性がある。工場の組み立てラインを管理するのもヒトなら、画期的な商品を編み出すのもヒトだ。現場に優秀な人材がなければ、百億の予算も世界有数の設備も用を成さない。

人こそ資本。

それはそのままアルの経営哲学になった。

人それぞれ長所も短所もあるが、アルは深海に眠る鉱物みたいな人間が好きだった。数十億年の星のエネルギーをぎゅっと凝縮したような、意思の強い兵(つわもの)だ。

これぞと思う人材を得る為なら、フォルトゥナ号を駆って、どんな遠くでも会いに行った。

そこに可能性を感じたら、一度は切り捨てられた人材でも拾い上げ、回生のチャンスを与えた。

そうしてアルに見出された者たちが次々に再起の機会を得、予想以上の成果を上げたことから、いつしかアルは「拾いの神」とあだ名されるようになった。

フォルトゥナ号が降り立つ時、必ず誰かの運命が変わるのである。

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