洋上のギルド工場
アルバトロス号は約一時間半かけてローレンシア島から南に80キロメートル離れた採鉱プラットフォームに到着した。
ティターン海台の鉱物資源を採掘する海上基地は全長一80メートル、幅60メートルの半潜水式プラットフォームだ。海面下のロワーハルには水平方向に三六0度回転可能なプロペラを装備し、アンカーなしでプラットフォームを定位置に保持することができる。洋上の石油プラットフォームと異なるのは、何階層にも及ぶ正方形の箱形ではなく、調査船のように平べったい形状をしている点だ。頻繁な機材の上げ下ろしに対応できるよう、作業甲板には柵の無いオープンスペースも設けられている。
プラットフォーム中央には高さ約60メートルのタワーデリックがそびえ立ち、遠目には深海掘削船のようにも見える。一本の長さ約20メートルの揚鉱管を次々に連結し、水深3000メートルの海台まで一気に打ち下ろす採鉱システムの要だ。
タワーデリックの基底部には『ムーンプール』と呼ばれる幅10メートル四方の開口部が設けられている。文字通り、プールのように海面に開け、機材や揚鉱管を海中に降下する為のオープンスペースとなっている。
ムーンプールを取り囲むワーキングエリアは、上甲板から下層にかけて三階層からなり、調査機器や無人機を海中に降下したり、揚鉱管のメンテナンスを行う為のクレーンやウィンチが備え付けられている。周囲には高さ一メートルの黄色い安全柵が張り巡らされているが、落ちれば海面に真っ逆さまだ。他にもクレーン専用のオペレーションブース、作業台車、道具箱、配電盤などが設置され、三階建ての整備工場のような外観である。
プラットフォームの上甲板は「司令および居住区」「採鉱システム」「重機オペレーション」の三つのエリアからなり、それぞれに独立した小組織が統括している。
通称《ブリッジ*47》と呼ばれる「司令および居住区」はプラットフォームの前方にあり、ヘリポート付きの五階建ての建物だ。管制室、オフィス、アコモデーション(宿泊施設)、食堂や娯楽室といった共同スペースからなる。その続きに、採掘された鉱物の洗浄や選別、積み出しを行う製造・運搬エリアがあるが、作業場の大部分は下層にある為、上甲板から内部の様子は窺い知れない。
甲板中央には、揚鉱管の海中降下や支持を司るエッフェル塔のような『タワーデリック』、揚鉱管を収納する『パイプラック』、揚鉱管の搬送に使われる細長い『キャットウォーク・シャトル』、揚鉱管の吊り上げや連結に使われる『パイプ・ハンドリング装置』、海面に向かって開かれた『ムーンプール』、これらの常時監視や遠隔操作を行う『オペレーションルーム』があり、採鉱システムの根幹を成している。
プラットフォーム後方のオペレーション・エリアには、海台クラストを採取する掘削機、集鉱機、水中作業用の無人機や潜水艇の整備を行う格納庫、重機と機材の海中降下に使う大型パワーアーム、Aフレームクレーンの他、ウィンチ、ワイヤー、発電機、コンプレッサーなど、多種多様な機材が設置されている。頻繁に機材の出し入れを行う為、安全柵が設けられてない箇所も多く、ムーンプールに次いで神経を使うエリアだ。ちなみに、プロジェクト・リーダーのジム・レビンソンが落水したとされるAフレームクレーンの作業場も安全柵はなく、一歩間違えば三メートル下の海面に落下し、あっという間に潮に流される。
そして、これらの設備はブリッジ最上階にある管制室で常時監視され、その情報はローレンシア島のエンタープライズ社とトリヴィアのMIGエンジニアリング社でもリアルタイムで共有されている。
いわば、採鉱プラットフォームは、司令、操作、製造、移送、補給、従業員の生活に至るまで、一つの動線で結ばれた海の共同体だ。島から隔絶された悲壮感はなく、ギルドのような連帯感がある。
おまけに海洋構造物の重防食塗料がほとんど劣化していないのも驚きだ。これもニムロディウムの作用なのか、まるで一昨日、ペンキを塗り直したような滑沢である。
「気に入ったかね」
彼がアルバトロス号の手摺りを握りしめるようにしてプラットフォームを見つめていると、アルが背後から声をかけた。
「これが新しい仕事場だ。調査船とは異なるが、求められる職能は同じだ」
「いつから建造を?」
「一九四年から一九八年にかけてだ。それ以前はドリルシップ型の作業船で実験を繰り返してきた。採鉱システムに関しては、大半がコンピュータ・シミュレーション技術の賜だ。安全と省コストの為にな」
「どんな風に」
「最初は無人探査機で徹底的にデータを集め、解析システムの中にティターン海台とそっくりな環境を作り出す。その中で掘削機や集鉱機を設計し、採鉱実験をするんだ。数人の技術者と専用コンピュータがあれば、従来百人がかりでやっていた実験の手間やコストも十分の一で済む」
「その技術もMIGで開発を?」
「会社を丸ごと買収した。この技術が注目されるずっと以前にな。社員十人の小さな会社だったが、みな必死でやってくれたよ。今はその有償開放特許のロイヤリティだけで目抜き通りにビルが建つ。噂を聞いて後から真似ても、もう遅い。何事もタッチアンドゴーだ。先行者が一番多くを得る」
「それであんたも大儲け?」
「ロイヤリティを受け取っているのは創業期の社員だ。わしじゃない」
マッコウクジラの兄弟
アルバトロス号が採鉱プラットフォーム左舷の基底部に設置された伸縮格納式の係留設備に横付けされると、アルはとんとんと船を降り、出迎えた作業員をねぎらった。オレンジ色の作業着に白いヘルメットをかぶった作業員らは、アルの姿に気付くと、作業の手を止め、会釈した。中には、わざわざヘルメットを脱いでお辞儀する者もいる。それが上辺でなく、心から歓迎しているのは彼の目にも分かる。
アルは狭いスチールメッシュの渡り通路をすいすいと前に進み、ブリッジに向かった。
五階建てのブリッジは、最上階の真ん中がガラス張りの管制室で、その両翼にマネージャー室、カンファレンスルーム、通信室、資料室などが配置されている。
二階から四階は作業員の宿泊施設で、最大収容人数は120名。各階に共同シャワー室と簡易キッチン付きの休憩室があり、二階には80インチの液晶TVとバーカウンターを備えた娯楽室がある。一階には食堂、調理場、ランドリー、医務室などの共同施設があり、奥まった所には女性専用の居室もある。いずれもクリーム色の内装で統一され、ユースホステルのような印象だ。
アルは勝手知ったる風に中に入ると、エレベーターで五階に上がり、管制室の隣にあるマネージャー室のドアをノックした。
すぐに木目の合板ドアが開き、マッコウクジラのように大柄な中年男性が顔を出した。
男性は身長175センチ程だが、これ以上あり得ないほど太り、完全に伸びきったズボンのウエストをストレッチベルトでようやく繋ぎ止めている。短く刈り込んだ黒髪には白いものも見受けられるが、活きのいいマグロみたいに精悍で、肌にも張りがある。室内にもかかわらず黒いサングラスをかけて、まるで食べ過ぎのイタリアン・マフィアだ。
しかもマッコウクジラは一人でなくて、二人いる。
壁際のワーキングデスクに、これまた負けず劣らずの巨漢が特注の回転椅子に腰掛け、モニターに向かって入力作業をしている。こちらも、室内にもかかわらず真っ赤な野球帽をかぶり、赤茶色のもみ上げが海藻みたいに丸顔を覆っている。
二人の巨漢は双子の兄弟みたいに並ぶと、
「この時間に御出でになるとは思いませんでした」
「無礼をしてすみません」
と調教中のアシカみたいにペコペコ頭を下げた。
大きい兄貴がプラットフォーム・マネージャーのダグラス・アークロイド。通称「ダグ」。赤毛の弟分がサブマネージャーのガーフィールド・ボイル。通称「ガーフ」。どちらも軽妙なオーストラリア英語を話す。
二人は二十七年前、父親の仕事に付いてアステリアに移住し、その志を受け継ぐ形で採鉱事業に携わるようになった。マネージャーに就任したのは七年前だが、採鉱プラットフォームのことなら隅から隅まで熟知している。
アルがヴァルターを紹介すると、二人は口を揃えて「そりゃ、どうも」と挨拶したが、彼のことはすぐに無視して、再びアルと話し始めた。彼は不愉快この上ないが、黙って見ているしかない。
一通り話が済むと、アルはマッコウクジラの兄弟を労りながら、マネージャー室のドアを閉めた。
彼が憮然と突っ立っていると、
「なんだ、その面は。お前の仕事場だぞ」
アルは眉をひそめた。
「しけた面は生まれつきだ」
「目を覚まさせてやろうか」
「どうやって」
バシッと頬が鳴り、目の前に火花が散った。
「本当に叩きやがった!」
彼は信じられないような顔で頬を押さえたが、アルは何事もなかったように踵を返すと、「行くぞ」と言った。
圧巻のタワーデリック
ブリッジを出ると、再びスチールメッシュの通路を歩き、甲板中央のタワーデリックに向かった。
近付くにつれ、その大きさを実感する。
さながらエッフェル塔のようにそびえ立つ、高さ60メートルの四脚のやぐらは、長さ20メートルの揚鉱管を毎分1分から1分半のペースで自動連結する能力を有する。採鉱システムの稼働中は、四方から伸びるワイヤー状のライザーテンショナーで揚鉱管の激しい揺れを支えるが、非常時には全長3000メートルの揚鉱管を数時間で揚収するそうだ。
アルが案内したのは、タワーデリックの正面にあるオペレーションルームだ。前面と天井の一部に強化ガラスを嵌め込んだ半円形の司令室で、周囲200度を展望することができる。機材の落下や衝突による強化ガラスの破損を防ぐため、全体が径の太いスチール製の格子に覆われ、さながら鋼製のケージのようだ。
ガラス張りの室内には、数種類のモニターや計器類、機材の操作盤が所狭しと並び、中央の二つの操縦席には、水中機器を遠隔操作する為のジョイスティックやグローブ型のハンドリング装置が取り付けられている。
アルの姿に気付くと、中に居た数人のオペレーターがガラス越しに会釈し、一人の若い男性スタッフが部屋の奥に向かって声をかけた。
程なく、間仕切りの向こうから身長190センチはある細身の中年男性が顔を出し、白いヘルメットを被ってオペレーションルームの外に出た。
男性はマッコウクジラの兄弟とは対照的にスリムなインテリ風で、タツノオトシゴみたいな容貌をしている。年齢は四十代前半、額や目の周りには深い皺が刻まれているが、丸い銀縁眼鏡をかけた黒い瞳には青年のような輝きがあった。
男性は大きな手を差し出すと、
「Welkom, Leuk je te ontmoeten.(ようこそ、はじめまして)」
と張りのある声で挨拶した。
ヴァルターが「あっ」という顔をすると、
「親父がアルクマール出身でね。十五歳までアムステルダムに居た。名前はラファウ・マードックだ」
マードックは快活な笑顔を浮かべた。
ヴァルターがおずおずと右手を差し出すと、マードックは大きな両手で彼の手を包み、
「君のことはマクダエル理事長から聞いているよ。同郷のパートナーとは嬉しいね。ここじゃ『ダッチ野郎』は僕と君だけだから」
と軽くウィンクした。
懐かしいオランダ語を耳にし、彼もやっと顔をほころばせると、
「マードックはプロジェクトチームのサブリーダーとして、十年以上、採鉱システム開発に携わってきた。今ではシステムの要だ。いろいろ教わるといい」
アルは同郷の二人をその場に残し、別の用事を片付ける為に再びブリッジに向かった。
アイキャッチ画像 : Using an offshore platform beyond its expected lifespan