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一つ一つの航海が心の糧 ~潜水艇の潜航準備と揚鉱管(ライザーパイプ)の接続

本作は、海洋科学や土木・建築をモチーフにしたサイエンス・フィクションです。
投稿の前半に小説の抜粋。 後半に参考文献や画像・動画を掲載しています。
目次のインデックスをクリックすると、該当箇所にジャンプします。

第二章 採鉱プラットフォーム ~接続(1)
STORY
ついに接続ミッションが始まった。採鉱システムの揚鉱管、高電圧リアクター、集鉱機を繋ぐ大事な日だ。 格納庫では潜水艇プロテウスの潜航準備に忙しい。ヴァルターは長年親しんだ船体を見上げながら、一つ一つの航海が心の旅路だったことを思う。
目次

潜水艇の潜航準備とパイロットの心情

祝福 ~フォルトゥナの娘

十月十五日。午前六時。

リズはカーテンの隙間から差し込む一条の光で目を覚ました。

(晴れてる!)

ベッドから飛び起き、カーテンを開くと、窓の向こうには澄み渡るような青空が広がっている。まだサッシや窓ガラスには水滴が光っているが、今日一日快晴なのは疑いようもない。

リズは急いで身支度し、屋上に上がると、コンクリートの水たまりを避けながら手摺りに駆け寄った。

一晩中降り続いた雨がプラットフォーム全体をしとどに濡らしているが、空は冴え冴えと輝き、今日という日を祝福するかのようだ。

リズは朝日に手をかざし、透き通るような光を胸の奥いっぱいに吸い込んだ。

(太陽よ、今日一日、力強く輝いて! パパの為、皆の為、そして深海に潜るあの人の為に!)

甲板には続々と作業員が集結し、それぞれの持ち場で点検や機材の準備を進めている。

ふと一人が屋上のリズに気付き、「フォルトゥナの娘だ」とつぶやいた。

「何だって?」

もう一人が聞き返すと、

「フォルトゥナの娘だよ。夕べ娯楽室で理事長やブライト専務がお嬢さんのことをそう呼んでいた。幸運を連れてくるそうだ」

若い作業員はヘルメットの下で目を細め、もう一人も同じように頭上を仰いだ。

そこには蜂蜜色の髪をなびかせ、プラットフォームを見守る美しい娘がいる。

それはさながら船の舳先に舞い降りた有翼の女神のようだった。

潜航準備 ~一つ一つの航海が心の糧

同じ頃、ヴァルターは共同シャワー室で軽くシャワーを浴び、半袖の白いシャツとジーンズに着替えると、オレンジ色の作業ジャケットを羽織って食堂に向かった。

午前六時半だが、食堂はすでに満杯だ。皆、ハムやスクランブルエッグなどを黙々と口に運んでいる。

彼はコップ一杯のオレンジジュースとスパークリングウォーター、麦芽ブレッド二きれにハム、チーズ、トマトをのせると、壁際の席で食べた。

午前八時からプロテウスの準備が始まり、午前十時に潜航開始、正午にかけて接続ミッション、そして浮上。実質五時間ほどの行程であるが、いったんプロテウスに乗り込めば何時間も耐圧殻に閉じ込められる。その間トイレはなく、くつろぐスペースもない。万一に備えて携帯トイレは持参するが、基本、大便は無しで、昼食は厨房が用意してくれたサンドイッチとペットボトルのアイソトニック飲料だけだ。パイロットの中には朝からがっつり食べる人もあるが、彼は小食派で、潜航中もほとんど飲み食いしない。

それにしても、なんという好天。一晩中、風雨が吹き荒れていたのが嘘みたいだ。彼女は本当にフォルトゥナの娘なのか?

まあ、いい。

彼女がフォルトゥナの娘かどうかは、無事にプラットフォームに戻ってきた時に分かることだ。

彼は手早く朝食を済ますと、格納庫に向かった。

参照→ 潜水艇プロテウスとミッションの詳細は潜水艇のマニピュレータと揚鉱管の接続 ~運航管理部のフーリエにも描いています。

格納庫ではフーリエをはじめ十数人の作業員が潜航準備に取りかかっている。

ヴァルターの姿を見ると、

「えらく早いな。潜航は十時開始なんだから、もう少しゆっくりすればよかったのに」

とフーリエは気遣ったが、彼は軽く頭を振り、

「どうせブリッジにいても落ち着かない。それならここでゆっくりした方がいい」

と周囲を見回した。

プロテウスは梯子付の白い作業台に固定され、重要なミッションを待っている。それは彼の知っている海洋調査とは異なるが、鉱業を変える世紀の瞬間だ。

アル・マクダエルの構想が正しければ、プラットフォームによる海底鉱物資源の採掘は市場に劇的な変化をもたらす。これまでネンブロットの鉱山の地下でしか採掘されなかったニムロディウムが、完全自動化された採鉱システムによって海洋底からも回収できるようになれば、製造や流通はもちろん、鉱山労働や企業の在り方まで違ってくるだろう。そして、それはニムロディウム市場を寡占し、政治経済まで牛耳ってきたファルコン・マイニング社の一党支配を揺るがせ、新たな潮流を生み出す。

彼はクロムイエローの船体を見上げながら、「お前もずいぶん大きな仕事を任されたもんだ」と呟いた。

「地殻の割れ目を覗きに潜るのではなく、未来を繋ぐんだからな」

彼の脳裏に、プロテウスに出会ってから今日までの航程が懐かしく思い出される。

運航部に配属された日、操縦士長に分厚いマニュアルをどんと積み上げられ、「一週間でマスターしろ」と言い渡された。そして、その通り、機能や構造はもちろん、配線の一本一本、ボルトの位置や種類に至るまでつぶさに記憶し、すらすら諳んじてみせると、操縦士長は目を白黒させ、すぐに操縦席に座らせてくれた。

あれから何度潜り、何度見つけただろう。一つ一つの航海が心の軌跡だ。絶望の中で潜ることもあれば、悦びと共に浮上することもある。だが、それも長い人生のほんの一ページに過ぎない。この後も航海は続く。どこに行き着くのか、今は見当も付かないが。

しばしプロテウスの前に佇んでいると、「こいつも今日が見納めだぞ」とフーリエが後ろから声をかけた。

「見納め?」 

「そうだ。ミッションが終われば、プロテウスはノボロスキ社に払い下げる。当分、潜航調査はないし、今後の鉱物資源探査はすべて無人機で行うから、今日で一区切りだ」

「それは残念だな」

「プロテウスも今年で二十五歳、人間でいえば壮年期の終わりだ。いったんドック入りして、今後の活用を考えるそうだよ」

「海洋調査は?」

「運輸や土木がらみの沿岸調査は予約が目白押しだが、大水深を見るような学術調査は今のところゼロだ」

「もったいない話だな。ステラマリスとは違った発見があるだろうに」

「仕方ない。トリヴィア政府の目が全く向けられてないんだ。深海調査なんて個人でやれる規模じゃないし、公的機関がやるにしても予算は限られている。今は差し迫った需要もないから、プロテウスも当面用無しだよ」

「だが、マクダエル理事長の自費だろう?」

「だから、ノボロスキ社に売却するんだよ」

「幾らで?」

フーリエが金額を口にすると、彼は目を白黒させ、

「それじゃ、タダ同然じゃないか」

「オレも最初に聞いた時は我が耳を疑ったよ。だが、今後の維持費や修理費などを考えれば、妥当という気もする。これからどんどん潜航調査の依頼が舞い込んで、傭船料もがっぽり稼げるならもう少し高くていいが、いわばノボロスキ社で用途の定まらぬ中古船をお守りするわけだからな」

「パイロットは?」

「今、公募をかけてるよ。新しく三人雇って、整備のイロハから教育するらしい。お前はどうするんだ? ミッションの後もプラットフォームに残って採鉱を手伝うのか?」

「分からない」

「まあ、気楽に考えればいいさ。いざとなればノボロスキ社に来ればいい。プロテウスに関わる仕事なら、理事長も快くOKしてくれる」

「……そうだな」

「何にせよ、今日が終わりの始まりだ。海台クラストの採鉱に成功して利益が上げれば、我も我もと続くだろう。そうなれば、また海洋調査に弾みがついて、再びプロテウスが活躍する日も来るかもしれない。それもこれも今日のミッションに成功すればこそだ。bonne(ボン) chance(シヤンス)(幸運を)」

フーリエは彼の肩を叩くと、ファクトリーブースに向かった。

管制室にて ~モニター監視

一方、五階の管制室には、ダグ、ガーフィールド、ブロディ一等航海士をはじめ、各部署の代表、IT担当らが続々と集まり、準備を進めている。

管制室では、運航システムをはじめ、タワーデリック、甲板部、機関部、選鉱プラント、エンジン制御室など全部署のモニタリングが可能だ。海中作業に使われる無人機やプロテウス、集鉱機などのデータもここに集められ、全体指揮がなされる。

十数台のディスプレイが並ぶモニターウォールには次々に映像やグラフが映し出され、手前のメインコントローラーでは数人のオペレーターが各部署と連絡を取りながら、ミッションの進行状況を確認している。

アルとリズ、セスと三人の役員は壁際のカンファレンステーブルに着き、モニターウォールを通じて全体の様子を見守っているが、今どこで何が起きているのかリズにはさっぱり分からない。どれがプロテウスのモニターなのかと目を凝らし、時々、不安そうに父の横顔を見つめるだけだ。

そのうち『ピナコラーダ』のミカエラが彼らに紅茶を運んできた。

「来月結婚式だそうだね。お祝いにはニムロイド合金のフライパンがいいかね?」

アルが声をかけると、ミカエラは紅い口元をにっと開き、フライパンよりパエリア鍋の方がいいと嬉しそうに笑った。

リズは紅茶をすすりながら(ニムロイド合金のフライパンなんて、あったのか)と溜め息をつく。こうして周りの女性はどんどん歩みを進めるのに、私はこんな時でさえ父の隣で紅茶を飲むだけだ。

何かしたい。何かしなければ。

リズの中でますます焦燥感がつのる。

揚鉱管の接続と海中降下

本作に登場する採鉱システムは、Nautilus Minerals社の採鉱システムをモデルにしています。
このパートで描かれるタワーデリック(Riser Derrick)と揚鉱管(Riser Pipe)のイメージは次の通りです。
記事後半の動画もご参照ください。
プラットフォーム 全景

やがてタワーデリックの方で大きな金属音が鳴り響くと、オペレーション室のマードックから揚鉱管の海中降下の準備が整ったと連絡が入った。

時計の針はきっかり午前十時を指している。

「OK。こちらもプラットフォームのポジションは万全だ。始めてくれ」

チーフオフィサーのブロディ一等航海士が答えると、その後ろでダグとガーフィールドも目を見合わせ、「いよいよだな」と声を掛け合った。

まず、ムーンプールのクレーンに吊り下げられた揚鉱用の水中リフトポンプがゆっくり海面に向かって降ろされる。

高さ4メートル、縦横6メートルの格子型メタルフレームには十二個の球状チャンバーが搭載されている。チャンバーは揚鉱管に海水の循環を作りだし、海台クラストの泥漿を吸い上げる。

ポンプ底部の中央には長さ150メートルのフレキシブルホールが取り付けられ、その先端は重錘式のコネクターになっている。これを水深3000メートル下で集鉱機と接続するのがプロテウスのミッションの一つだ。

リフトポンプが海面の直上で一旦固定されると、ムーンプールの中階層から屈伸式のムーブリフトがリフトポンプ上部の接続部に向かって伸び、ジブリフトの腕部の先端に取り付けられたバスケットに乗り込んだ作業員が目視と手作業によって揚鉱管接続の為の最終チェックと準備を行う。

作業員から「準備完了」のサインが出ると、リフトポンプと揚鉱管を連結する『ジョイント』と呼ばれる特殊なパイプ状の装置がリフトポンプ上部に取り付けられた。同じ作業員が再度、目視と手作業で状態を確認し、「OK」が出ると、リフトポンプはゆっくり海中に沈み、ジョイントの突端だけが海面に突き出した。これからいよいよ揚鉱管を連結し、水深3000メートルに降下する。連結作業の中心となるムーンプール直上の接続フロアでは担当のオペレーターらが各部署と連絡を取り合い、揚鉱管の搬出の準備に取りかかった。

ムーンプールに隣接するパイプラックに横向きに収納された揚鉱管がハンドリング装置のアームに一本ずつ掴まれ、キャットウォーク上の細長い運搬装置に乗せられる。ピストン輸送によって横向けにタワーデリック直下に送られた揚鉱管は、『ライザー・エレベーター』という持ち上げ装置に頭部を掴まれ、タワーデリックの上部に向かって高く吊り上げられる。その後、接続フロアに設置された『アイアン・ラフネック』と呼ばれる連結装置に打ち込まれ、上下の揚鉱管のコネクターの凹凸型ピンが互いに組み合わさって連結する。さらにリング状のロック装置が回転してメインパイプの結合面を完全に締め込み、上下の揚鉱管ががっちり固定される。これらも完全に自動化され、一回の所要時間は六十秒もかからない。揚鉱管の動きだけ見ていると、石油プラットフォームのドリルパイプの接続とほとんど同じだ。

これから三時間以上かけて、大小一三〇本の揚鉱管を水深3000メートルに向けて降下する。単純計算すれば三時間もかからないが、適宜、作業を一旦停止して、パイプ先端の位置や深度を確認したり、それに合わせてプラットフォームのポジションを調整したり、何段階もの安全確認が行われるため、実際には倍の時間を要する。また、潜水艇や無人機の降下とタイミングを合わせる為、各部署の進行状況を見ながら抽出のペースを調整する必要もある。

そうして、最初の二本が連結され、リフトポンプ、ジョイント、一番目の揚鉱管が海中に降下すると、一旦、作業がストップし、メインのムーンプールから独立した無人機専用の小さな開口部から有索無人機《ルサルカ》が降ろされた。

《ルサルカ》は破砕機のケーブル接続に使われた《ヴォージャ》と類似の有索無人機だが、こちらは作業視野の照明とLED通信の中継を主目的とし、機体も一回り小さい。接続ミッション中はプロテウスと行動を共にし、強力なLEDライトで作業視野を照明すると共に、ハイビジョンカメラで作業をモニタリングし、ブリッジやオペレーションルームに進行状況を伝える。またプロテウスや集鉱機などから送信されるLED通信を中継する機能も持ち合わせ、伝達係としての役割も大きい。操作を担当するのはオペレーションチーム・リーダーのノエ・ラルーシュだ。今回は揚鉱管と潜水艇の二種のサポートが必要な上、近接によるケーブルの絡みや衝突などの恐れがある為、リーダーであるノエが重要なオペレーションを任されている。

ノエは海中で《ルサルカ》を揚鉱管に近づけると、ジョイントやリフトポンプの状態を水中カメラで目視し、LEDライトやLED通信の状態を確認した。全機能、機械類、共に問題なく、これからいよいよ揚鉱管の海中降下が本格化する。

ノエから「異常なし」の連絡を受け取ると、タワーデリックのオペレーションルームで指揮を執るマードックは司令席に深く座り直し、各部署のオペレーターや作業員らも体勢を整えた。

再び揚鉱管のハンドリング装置が動き出し、気合いの入った機械音がプラットフォーム中に響き渡る。

【資料】 ライザーパイプ(揚鉱管)のハンドリング

本作では、機能を分かりやすく伝えるため、「揚鉱管」と表記していますが、要は「ライザーパイプ」のことです。

ライザーパイプに関しては、こちらの記事が参考になります。

「ちきゅう」は海底掘削工場だった(ナショナルジオグラフィック)

タワーデリックとライザーパイプ

タワーデリックとライザーパイプ

こちらの動画は、石油リグにてBOP(防噴装置)※ JOGMECの用語事典を参照を設置する手順を描いています。

パイプラックからライザーパイプ(本作では揚鉱管)を抽出し、一本ずつ連結しながら、ムーンプールから海中降下します。

『Running and landing BOP in Offshore Drilling』

実際の作業の模様。
本作では完全自動化で、サクサクと連結しているように描いていますが、実際のオペレーションは人力によるサポートが欠かせません。

『Pulling Marine Riser』

『Drillship Running Risers & Diverter』

こちらはアメリカのウッズホール海洋研究所が運用する潜水艇『ALVIN』(タイタニック号の発見で知られる)の海中降下、調査、揚収作業の流れを1分弱で描いたショートムービー。日本の『しんかい6500』のオペレーションと異なり、ずいぶん荒っぽいです。

『day in the life of HOV Alvin』

本作にもタワーデリックが登場しますが、洋上の石油リグでタワーデリックの管理を専従で行う人は、『デリックマン(Derrickman)』の愛称で呼ばれています。
動画は、非常に高所で行われるデリックマンの仕事を描いています。

『Life of a Derrickman』

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第二章『接続』のシリーズ
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