海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

【59】 彼が旅立つ時、涙をこらえて送り出すことができるだろうか ~ナウシカア姫の悲恋とオデュッセウス

オデュッセウスの冒険とナウシカア姫の物語

一般に『オデュッセウスの冒険』として知られる一連の物語は、トロイア戦争の英雄、オデュッセウスが、トロイアから本国イタケへ帰るまでの漂浪の物語です。

オデュッセウスは妻ペネロペの元に帰ろうとしますが、海のニンフ「カリュプソ」と懇ろになったり、魔女キルケの歓待を受けたり、横道ばかりで、なかなか故郷に辿り着けません。

中でも印象的なのは、アルキヌス王の愛娘、ナウシカア姫との悲恋でしょう。

海のニンフ、カリュプソはオデュッセウスに恋をし、不老不死を与えてやるから、いつまでも一緒に暮らして欲しいと懇願しますが、オデュッセウスは故郷に残した妻子のことを思い、カリュプソの願いを拒みます。

そして、ついにはゼウスの命令に従い、オデュッセウスに立派な筏を作らせ、彼を送り出します。

オデュッセウスの筏は、しばらく順風に進んでいましたが、ついには筏も壊れ、パイアキア人の住む島に漂着します。

彼が打ち上げられたのは、パイアキア人の国のシチリアというところでした。

そんな折り、アルキヌス王の愛娘、ナウシカア姫と彼女のお供が、ぼろぼろになったオデュッセウスと遭遇します。

筏が壊れて何もかも失ったオデュッセウスは裸同然でしたので、若い乙女らは驚いて逃げ出しますが、ナウシカア姫だけは恐れず、彼に衣類と食べ物を与えます。

その立派な出で立ちに、ナウシカア姫は心を動かされ、父王の催す饗宴に招待します。

王はオデュッセウスを大変気に入り、ナウシカア姫を妻に娶って、この国に仕える気はないかと促しますが、やはりオデュッセウスは故郷に残した妻子のことを思い、この申し出を断ります。

オデュッセウスを慕うナウシカア姫は、自ら筏を作り、泣く泣くオデュッセウスを送り出したのでした――。

参考文献 『ギリシア・ローマ神話(岩波文庫)』

ピーター・ラストマンの描く『オデュッセウスとナウシカア姫の出会い』。

Odysseus and Nausicaa

ある文学評論で、「オデュッセウスは漂浪したのではない。真っ直ぐ妻の元に帰りたくなかったんだ。男なら、この気持ちが分かるだろ?」と言っていたのが今も印象に残っています。

そう言われてみれば、確かにその通りで、「どうせなら寄り道したい」という潜在願望が嵐を起こし、潮の流れを変えたのかもしれません。

またカリュプソやナウシカア姫など、次々に美女に言い寄られても、結局は、妻子の待つ故郷に帰って行く展開も味わい深いです。

ふらふらと漂浪を繰り返し、なかなか腰が据わらないのは本作の主人公・ヴァルターも同じです。

船乗りは、漂浪の過酷さが骨身に染みるまで、船から下りないのかもしれません。

書籍の案内

ギリシア・ローマ神話のみならず、上記のオデュッセウスの物語、インド、北欧神話も網羅した、神話文学の決定版。
訳文が古臭いというレビューもありますが、現代でも色褪せない、格調高い訳文です。

ギリシア・ローマ神話-付 インド・北欧神話 (岩波文庫)
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【小説】 彼が旅立つ時、涙をこらえて送り出すことができるだろうか ~ナウシカア姫の恋

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【小説】 彼が旅立つ時、涙をこらえて送り出すことができるだろうか ~ナウシカア姫の恋

エイドリアンの葛藤 ~遠隔地に生まれた不仕合わせ

九月二十五日。水曜日。

接続ミッションを三週間後に控え、プラットフォームのみならず、エンタープライズ社、製錬所、運輸業者、末端の関連部署まで、いっそう慌ただしさを増している。

リズは浜に打ち上げられた人魚のように、遠い海の彼方に思いを馳せながら、物流センターのアルバイトに励む日々だ。一点の間違いも許されぬ緊張感は、しばし胸の痛みを忘れさせてくれた。

あれから彼はどうなったのか、接続ミッションにはプロテウスも投入されるのか、父に聞きたいことは山のようにあるが、今はあえて口にしない。彼に関する話題は、どんな些細なことも、激しく彼女の心を揺さぶるだろうし、結論の定まらぬ今、父も話したがらないだろうからだ。

その夜は気分転換の為、セス・ブライト一家がワインと夫人の手作りの煮込み料理をもって訪れ、リズもオードブルとデザートを用意して彼らを迎えた。

食事が終わると、父とブライト夫妻はウッドテラスでワインを傾け、エイドリアンはリズの部屋のライティングデスクを借りてレポートに取り組んでいる。

アステリアに来てもゼミや講義はオンラインで聴講し、通学生と同じように課題もこなさなければならない。インターンシップを利用して、企業や社会団体で活動している学生には多少の融通も利くが、最終学年のプレッシャーは同じだ。ライティングデスクに向かって、一心不乱に学業に取り組んでいるエイドリアンの姿を見ていると、有り余るほどの力を持ちながら、遠隔地に生まれ育ったが為に同年代の秀才に差を付けられ、やけつくような焦りと劣等感を感じながら、必死に差を埋めようとする気魄が伝わってくる。エルバラードに引っ越してから服装や髪型が派手になったのも、首都圏のハイグレードな学生に対する見栄や競争心ゆえだろう。その気持ちを汲んでか、セスもイーダ夫人もあまり厳しいことは言わない。

リズはエイドリアンに食後のコーヒーとケーキを差し入れると、ガーデンテラスに出て、夕べから読み始めた本のページを繰った。

ナウシカア姫の悲恋

ギリシャの長編叙情詩『オデュッセイア』。

アステリア・エンタープライズ社のロゴがオデュッセイアの船をモチーフにしていると聞き、父の書斎から持ち出した。

英雄オデュッセウスはイタケーの王にして、苦難の人だ。トロイア戦争を勝利に導いた知将であり、妻ペネロペへの貞操を貫いた誠実な夫でもある。

トロイア戦争の後、故郷に帰る途中で、オデュッセウスは様々な冒険に遭遇する。一つ目の巨人キュクロープスや、美しい歌声で船乗りを惑わせる怪鳥セイレーン。眠りを誘うロートスの果実や追い風となるゼピュロスの革袋。

波瀾万丈の物語にリズもぐいぐい引き込まれたが、スケリア島の王女ナウシカア姫のエピソードでページを繰る指先がはたと止まった。

一つ目巨人の洞窟から命からがら逃げ出したオデュッセウスは、海神ポセイドンの怒りに触れ、筏を嵐で吹き飛ばされてしまう。裸同然でスケリア島の海岸に漂着したところ、ナウシカア姫に助けられ、父王アルキノオスの王宮に招かれる。父王は勇敢で知恵もあるオデュッセウスをいたく気に入り、娘の婿に望むが、故郷を忘れないオデュッセウスはナウシカア姫に別れを告げ、スケリア島を去って行くのだ。

ナウシカア姫は故郷に帰るオデュッセウスの為に船を用意し、涙を堪えて送り出すが、私には到底そんな真似はできそうにない。きっと父王にすがりつき、どうかあの方をここに留め置き下さいと懇願するだろう。それでも行くというなら、魔女のように嵐を起こして、彼の船を足止めするに違いない……。

リズは本を閉じると、思いがけない自身の激しさにおののいた。あの日から気持ちは鎮まるどころか、ますます大きく膨らみ、胸いっぱいに占めている。明けても暮れても彼のことばかり考え、息も苦しいほどだ。雲の上を跳ねるようにして、楽しく暮らしていた私は何処へ行ったのか。そして今、この瞬間も、自分とナウシカア姫を重ね見、泣き叫びたいような気持ちになる。

ふと後ろで物音がし、びっくりして振り返ると、エイドリアンが憮然とした表情で立っていた。

「レポートは終わったの?」

リズはとっさに繕ったが、エイドリアンは彼女が手にしている『オデュッセイア』を一瞥すると、

「ミッションが終わったら、トリヴィアに帰るんでしょう」

と探るように言った。リズが答えずにいると、

「僕と無理に付き合えとは言いません。ただ、あなたが元居た場所に戻って欲しいだけです。それがあなたの為でもあり、理事長の為でもあるからです。早めに距離を置けば、痛手も少ないですよ」

エイドリアンはナウシカア姫の運命を仄めかすように言った。

「あなたの言う通りかもしれない。でも、人間って、幸福だけが生きる目的ではないはずよ。オデュッセウスのように、いろんな苦難や不思議を体験して、心を磨くことも、幸福と同じくらい大切なはず。私だって生きたいの。心が本当に『生きた』と思えるような人生を。たとえ苦しみ、傷ついても、後悔はないわ」

「あなたは波瀾万丈に憧れているだけだ。物に不足したこともなければ、他人に蔑まれたこともない。苦難や悲哀を、何やら高尚でロマンチックなものみたいに思い描いて、夢に浸ってる。でも、実際、そんな不幸が我が身に降りかかれば、あなたは泣き叫ぶだけで何も出来ないはずです」

「随分な言い方をするのね」

「本当のことじゃないですか。あなたは昔からそうだ。愛にも物にも恵まれすぎて、その反動で、みずぼらしいものが美しく見える。ロック歌手のブライアン・スチュワートもそうです。あんな濁声シンガーのどこに才能があるのか、世間がけなせばけなすほど、あなたは彼を庇って『ブライアンは天才よ』などと言い出す。でも、実際、麻薬中毒のとんでもないクズだったでしょう」

「麻薬に溺れたのは、落ち目になってからよ」

「落ち目も絶頂期も同じですよ。そういう性質は終生変わりません」

「本人を知りもしないのに決め付けるのね」

「ともかく、あなたに男性を見る目がないのは確かだ。何でもかんでも親切と受け止めて、まるで疑うことを知らない」

「失礼ね。私にも嘘を嘘と見抜く力はあるわ」

「見る目のある人が、どうしてあんなのと一緒に居るんです?あの人が手癖の悪い、ろくでなしということぐらい、僕にも分かります。ろくでもないから解雇されて、こんな辺鄙な所に来たんでしょう」

「それは言い過ぎよ」

「あなたも理事長もどうかしてる。いくら採鉱システムが大事だからといって、あんな得体の知れない人を突然連れてくるなんて。どうせ二年経ったら、故郷に帰る人じゃないですか」

エイドリアンが冷たく言い放った時、階下から二人の名を呼ぶ父の声が聞こえた。

「どうなさったの?」

リズとエイドリアンが手摺りから身を乗り出すと、

「プロテウスが出るぞ」

父が揚々とした声で言った。

「エイドリアンもそのつもりで準備するように」

「あの人が操縦するんですか」

エイドリアンが怪訝な顔をすると、 

「先ほどダグから連絡があって、たった今、本人にも意思確認した。どこまで本人が機械操作するかは定かでないが、潜航はするらしい」

「分かりました」

エイドリアンが憮然と返事すると、リズは彼に向き直った。

「あなたの言う通り、ろくでもない人かどうか、これではっきりするわ。最後に泣くのは私かもしれないし、まったく予期せぬ結末が待ち受けているかもしれない。でも、一つだけ言わせてちょうだい。プロテウスに関しては、あの人は本物よ。操縦席に私情を持ち込むあなたとは違う。アル・マクダエルの娘として言うわ。中途半端な気持ちで乗り込んで、接続にしくじったら、たとえあなたでも承知しないわよ」

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宇宙文明の根幹を成すレアメタルと海洋社会の覇権を懸けて水深3000メートルの深海に挑む。
リストラされた潜水艇パイロットが恋と仕事を通して再び生き道を得る人間ドラマです。
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