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再建の誓い ~ 骨一本になっても、この町を守る

本作は、海洋科学や土木・建築をモチーフにしたサイエンス・フィクションです。
投稿の前半に小説の抜粋。 後半に参考文献や画像・動画を掲載しています。
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第一章 運命と意思 ~オランダ人船長・救済(8)
STORY
大洪水で壊滅した故郷の干拓地フェールダムの再建をめぐり、地元経済界と自治体は世界的建築家フランシス・メイヤーを迎え、臨海都市リゾート計画を打ち立てる。ヴァルターとヤンは洪水で命を落とした人々が眠る故郷の海を見つめながら、地元住民の意を伝える為、再建コンペの三かを表明する。
二人が亡き父と未来の展望について語り合った締切堤防の天端の様子を写真で紹介。
目次

再建の誓い ~ 骨一本になっても愛する故郷を想う

再建コンペの概要

199年1月10日。

再建コンペ実行委員会のオフィシャルサイトを通じて、アイデアコンペの詳細が明らかになった。

作品受付は4月1日から30日。

書類審査の後、六月の第一次審査で二十点が選出され、八月に市民ホールの展示会やオフィシャルサイトを通じて市民の意見を広く募集する。

九月の第二次審査で十点に絞られ、十一月十五日に市民参加のプレゼンテーション、十二月一日の最終審査で最優秀賞が決定する。

応募資格は問わず、一人でもグループでも可能。

提案用紙のサイズはA4版の縦置き、4枚以内。

提案内容は文章および図案で表現し、図案はイラスト、写真、設計図など、内容を把握できるものなら何でも可能。

審査は再建コンペ実行委員会が中心となって執り行い、審査員には、実行委員会が選定した治水、土木の専門家、支援団体の代表者ら十五名が予定されている。さらに市民の意見やプレゼンテーションの一般投票などが加味される。

なお、入賞した作品は必ずしも実作されるわけではないが、本コンペの目的は市民の意向を明確にし、フェールダムの将来、しいては、水と共に生きるネーデルラントの在り方を問いかけるものである。コンペで高評価を得れば再建案に大きく反映されるのは間違いなく、臨海都市計画に待ったをかけることも十分に可能だ。

ヴァルターとヤンは二日後に開かれた説明会に参加し、コンペの詳細を確認した。

狭い会場には大勢が詰めかけ、椅子に座りきれない人たちが壁際にもずらりと並んでいる。

「どういうことだ? 一地方のアイデアコンペなのに」

彼がヤンに耳打ちすると、

「フェールダムの再建事業を狙ってるのはフランシス・メイヤーだけではないということさ」

「それにしても業界人ばかりだ」

「だから前に言っただろう。政府はデルタ地帯を抜本的に改革したい。その為にも、従来にない強力なモデルプランを打ち立てる必要がある。フェールダムはその足掛かりだ。地元企業でなくても興味が湧く」

「じゃあ、企業や専門家も多数参加を?」

「コンペに参加するかどうかは別として、いろんな意味でアプローチはするだろう。あの窓際に立ってる人も情報収集が目的だ。何となく分かるんだよ、同業者の匂いでな」

彼は改めて会場内を見回し、住民の意思とはかけ離れたところで再建案が取り沙汰されている気配を感じ取った。治水研究会が再三訴えたにもかかわらず、締切堤防の補強案が寸前になって反故にされ、可動式大防潮水門の改修工事が優先されたのも、そうした陰の思惑だったのかもしれない。

再建の誓い ~骨一本になっても、この町を護る

説明会が終わると、二人は締切堤防に足を運び、洪水で決壊した場所を訪れた。

あれから十五年の歳月が過ぎ、堤防も何度か補強工事を重ねて、ほとんど昔と変わらぬ景観を取り戻している。

こうして堤防の天端に立ち、右手に北海、左手にフェール塩湖、海岸線に添って突き抜けるような二車線の湾岸道路を見ていると、本当にあれほどの大洪水があったのかと不思議なくらいだ。

だが、堤防や道路が元通りになったからといって、あの晩、全てを失った人々の悲しみがすっかり癒えるわけではない。たとえ見栄えのいい商業施設が建設されても、冬の北海を見る度に、悲しみを新たにするだろう。

彼は青く広がる海を見渡し、

「この海の何処か――海底の冷たい泥の中に、今も俺の父親が眠っている。叫ぶことも、立ち上がることもできず、無念を抱いたまま、この町の行く末を見守っている。あの晩、この辺りがどんな風だったか、俺には想像もつかない。海面が十メートルも上昇して、ここまで押し寄せるなど、誰が予測できただろう。きっと父も怖かったはずだ。足元には激しい波が打ち付け、背後には河川から流れ込んだ大量の水が渦巻いている。どこにも逃げ場はなく、いつ堤防が崩れるか、高波に呑まれるかと、総身が震えるほど恐ろしかったはずだ。それでも逃げなかった。俺に自分の生き様を見せる為に、堤防を守りに戻った。父さんだけでなく、最後までここに残った作業員も同様だ。そして今も、骨一本になっても、この町を守ろうとしている。俺たちは皆、彼らの子供だ。その想いに応えたい。このまま黙って見過ごしたくない」

「だが、太刀打ちできるような相手じゃないぞ。相手は百戦錬磨のベテランだ。政財界にも顔が利く」

「だから、やるだけ無駄だと言いたいのか? コンペの目的は勝つことだけじゃない。公の場で声を上げる機会でもあるはずだ。社会に疑問を呈するだけでいい。このまま大きな流れに呑まれたくない」

「だが、クオリティの高い作品を作ろうと思ったら片手間には無理だ。どれほど絵(パース)が綺麗でも、技術的に裏打ちされたものを提示しなければ、誰も耳を傾けない。お前にそれだけの覚悟があるのか。海洋調査の仕事をしながらでは到底無理だぞ」

彼は一瞬考えたが、

「事情を話して半年ほど休職するよ。そしてコンペの期間はこっちで暮らす」

「本気か?」

「俺はいつだって本気だよ」

ヤンもしばらく考えていたが、

「オレも黙って見過ごす気はない」

と彼の顔を見た。

「じゃあ、決まりだな」

二人はベンチの上に申込書を広げると、それぞれの名前を記入した。

「リーダーはどっちだ?」

「俺がやるよ。君もデ・フルネの代表と掛け持ちはきついだろう」

必要事項に記入しながら、彼はワーグナーのオペラを思い出す。

『ノートゥンク』だ。

ヴェルズンク族の戦士ジークムントは、妹ジークリンデと結ばれるが、結婚の女神フリッカの怒りをかい、豪族フンディングとの闘いの最中、神々の長ヴォーダンの槍で剣『ノートゥンク』を真っ二つに折られ、絶命してしまう。だが、ジークリンデから生まれた息子のジークフリートがノートゥンクを鍛え直し、ヴォーダンの槍を真っ二つにして、父の仇を討つ。

あの晩、ここで死の恐怖と戦った父の勇気を思えば、メイヤーと差し違えるぐらい易いものだ。

『緑の堤防』のアイデア

彼は海洋技術センターの上層部に年末まで休職したい旨を伝えると、三月初旬、ヤンのアパートに移り住んだ。

ヤンはファンデルフェールに引っ越してからずっと妹ギーゼラと暮らしていたが、昨年秋、ギーゼラが結婚した為、部屋が一つ空いていた。その後、学生時代から交際しているガールフレンドのカレンが半同棲していたが、コンペが終わるまでヴァルターに使わせてやってと頼んだ途端、カンカンだ。

カレンはヤンにべた惚れで、口を開けば「結婚、結婚」と追い回している。

ヤンは昨年、三十歳の誕生日を機に結婚するつもりだったが、思いがけなく妹の結婚が決まった為、その準備を優先し、自分の結婚は後回しにした。それだけでも十分カレンを苛立たせたが、それに加えて「コンペが終わるまで延期」となり、彼女も怒り心頭だ。カレンはヴァルターに怒りの矛先を向けると、悪態の限りをついてアパートを出て行った。

カレンが使っていた部屋にはブラジャーやパンティがこれみよがしに残され、さすがのヴァルターも石みたいに固まった。だが、ヤンは気にする風でもなく、カレンが置いていった下着をぽいぽいと収納ボックスに詰めながら、「まったく堪え性のない女だ。十二月までの辛抱だと言ってるのに」と苦笑する。

「やっぱり俺が出て行こうか」

「いいんだ、気にするな。カレンはいつもああなんだ。気に入らないことがあれば、すぐ周りに八つ当たりして、雌鶏みたいにたちが悪い」

「だったら、どうして結婚するんだ?」

「そりゃあ、オレにべた惚れだからさ。自分に惚れた女と一緒に居るのは案外気分がいいもんだ。それに、ああ見えて、なかなか可愛いところがある。料理も上手いしな。お互い、気取らず、隠さずで、案外居心地がいいんだよ」

(そんなものかな)と不思議に思いながら、黙々と部屋に掃除機をかける。年中西に東に飛び回っている自分が女性と一緒に暮らすなど、彼には想像もつかない。

部屋が整ったところで、ヴァルターとヤンは再開発予定区域の地図を広げ、『緑の堤防』を元にアイデアを固めた。

まず最も被害の大きかった北の沿岸部に人工地盤を造成し、地盤全体を嵩上げ、町の土台を再建する。盛土堤防には鋼状の矢板を地中深く圧入し、耐性を強化して、高潮に備える。

また、堤防表面には人工土壌を施し、緑化を促進する。

同じように、締切堤防にも大口径の鋼管杭を連続的に打ち込んで防護壁を造り、海側の法面には浸食防止用マットを用いて防潮機能を強化する。

塩害によって荒れ地となった北西部のエリアは、土壌改良を施して農地の再生を図ると共に、積極的に植樹を推し進め、土の自然な回復を促す。

比較的被害の小さかった内陸部から南側にかけては残存するインフラを活かして住宅地を整備し、治水を見直して、以前と同じフェールダムの風景を取り戻そうというのが『緑の堤防』のコンセプトだ。

三月半ばにはクリスティアンとイグナスも仲間に加わり、制作にも弾みがついた。

クリスティアンは昨年末に結婚し、イグナスも秋に二人目の出産を控えている為、ヴァルターとヤンのように自由に動き回ることはできないが、コンペにかける思いは同じだ。同僚や学生時代の仲間に声をかけて協力を仰いでくれている。

特にCGデザイナーとして優れた技量をもつクリスティアンは、忙しい合間を縫って『緑の堤防』のパースを見違えるようにブラッシュアップしてくれた。

クリスティアンが使っているのはGeoCAD 3D Plusという最高位のグラフィックツールで、多種多様なテクスチュア・ライブラリを有し、彼の下手な鳥瞰図もロイヤルボーデン社の広告パースみたいにリアルな3D画像に生まれ変わる。色彩や構図は言うに及ばず、締切堤防の伸びやかなコンクリートの質感、イメージとしてのインプラント構造物の金属的な輝き、太陽を照り返して煌めく海の碧色、どれをとっても写真のように色鮮やかだ。しかも緑化堤防の葉の一枚一枚にまで微妙な陰影を加え、風にそよぐ様まで伝わってくるようだ。

クリスティアンの馴れた手捌きを見つめながら、いつの日か、自分の『リング』も優れたデザイナーの力を借りて、洗練されたパースに仕上げたいと思う。その機会がいつ訪れるか、彼には見当もつかないが。

グループウェアと『水を治める技術のアーカイブ』

四人の意気込みは周囲にも伝わり、ウェブサイトに設けた掲示板にも山のような情報とアイデアが寄せられた。しまいに、どれがどれか分からないほど投稿が入り乱れ、ヴァルターとヤンは嬉しい悲鳴を上げる。

「いっそのこと、技術系の投稿だけ別サイトにまとめてはどうだろう」

彼が提案すると、ヤンも頷き、

「どうせなら植樹や塩害除去に関するデータも整理したい。何年前、どのエリアに、どんな除塩剤を使ったか、効果はどうだったか、その都度、細かく記録している。これをデータベース化すれば、後々の役に立つ」

「それなら《TrustIn(トラストイン)》を使おう。メンバーのコミュニケーション機能を含めて、わかりやすいデータベースが構築できる」

TrustInは世界的に人気のあるグループウェアだ。数名から数百名まで参加可能なソーシャルネットワーク・サービスを手軽に構築することができる。メッセンジャー、カレンダーといったコミュニケーションツールに加え、ドキュメントの共同編集、ファイル共有、検索機能など、グループワークに必要な機能を揃えている。

デ・フルネのウェブサイトには、土壌改良、治水、植樹、都市開発に関する投稿が一万点近く存在する。それらをタグ付けし、TrustInを使ってアーカイブすれば、誰もが手軽に参照できるオンライン・データベースが構築できる。

「それなら実験的にやってもいいな」

ヤンも同意した。

「ただし行き過ぎたことはするなよ。デ・フルネも以前の学生ボランティアとは異なる。行政の監査も入るし、自治体や企業の援助も受けている。社会的信用が何よりも大事だ」

「……分かってるよ」

ヤンと話がつくと、彼はさっそくデ・フルネが使っている専用サーバーにTrustInをセットアップした。それからウェブサイトに散らばっている情報の一つ一つにタグ付けし、カテゴリー分類して、アーカイブする。

たとえば、塩分濃度の高い土壌の除塩効果を高める方法や土壌改良材の種類、投入後のメンテナンス、植樹の手順、塩害に強い農作物、泥土の再利用――といった具合だ。

農業に関するアイデアも、治水の技術も、彼にはまったく畑違いだが、それもまた勉強だ。父があの時、言っていたことは、こういう意味だったのかと新たに気付くこともある。

徐々に形になってきたデータベースを見て、ヤンが言う。

「『水を治める技術のアーカイブ』というのは長ったらしいから、何かいい呼び名を考えろ」

「じゃあ、『ライントラスト』は?ライン川のRheinに、信頼のTrustだ」

「まるでドイツの信託銀行みたいじゃねえか」

ヤンに一蹴され、仕方なく取り下げた。

将来、それが自分の社号になるとは夢にも思わない。

【参照】 オランダの海岸と干拓地

「この海のどこか」というのは、この海の何処かです。

堤防天端の遊歩道とベンチ

オランダの海は、『数百年に一度の水害に備えて ~絶対に大丈夫となぜ言い切れるのか』にも書いているように、沿岸一帯が見渡す限りフラットである為、一日の潮の満ち引きだけでも数百メートルの差があります。昼間、テントの近くにあった水際が、夕方には百メートル以上先まで後退しているんですね。

この調子で潮位が上がれば、わずか数十㎝でも大変な影響があります。まして数メートルに及べば、その破壊力はいわずもがな。
にもかかわらず、この土地を愛し、水際を守る人々の気持ちは、堤防のように堅固で、創意に溢れています。

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