やるなら『今』しかない。
アル・マクダエル
愚図な二番手は永久に一番手の尻を舐め
何を見せても二番煎じと嘲られるだろう。
海洋惑星アステリアの研修旅行に参加したアルは海の深さと海中技術の困難を思い知る。それでも諦めきれないアルは、雲明に翻弄されながらも「今行なうか、永遠に成さないか」を砂浜に誓う。
【小説】今行なうか、永遠に成さないか
初めての海 ~大水深と技術的困難
アルが初めてアステリアの海に降り立ったのは、168年1月、トリヴィアの産業省が主催する海洋産業研修ツアーがきっかけだ。
アルの幼少時は、安全性の見地から一般の渡航が厳しく制限され、入領できるのは学術団体や政府関係者など、省庁の認可を得た者に限られていた。だが、政府の鳴り物入りで設立された海洋化学工場『JP SODA(ジェイピー ソーダ)』が工業用ナトリウムやマグネシウムの製造に成功すると、様々な事業者が参入するようになった。
アルが二十歳になる頃には厳しい入領制限も解かれ、JP SODAのあるメアリポートを中心にオフィスや工場、集合住宅や公共施設が建ち並ぶようになった。
だが、アステリア独自の産業は、JP SODAのような海洋化学工業とそれに付随する製造業に限られ、海の恵みをフルに活用しているとは言えない。
アルは鉱物学者の父子からアステリアの海に眠る膨大な鉱物資源について聞かされ、自分でもいろいろ調べてみたが、それを採取しようという話はどこからも出たことがなく、研究すら行われていない。
だが、どうしても諦めきれないアルは、一度この目で見てやろうと知己の口添えを得て、産業省の企画する海洋産業研修ツアーに参加した。
アステリアの上空で待機する母船から『ネレイス』と呼ばれる空海両用機が降下され、ローレンシア島から100キロ離れた遠洋に着水すると、アルはカメラ片手に船室を飛び出し、最上階の展望室に急いだ。
ところが、展望窓の向こうに見えるのは茫洋たる大海だけ、手を掛ける場所もなければ、足を踏みしめる大地もない。吹きすさぶ風の下、果てしない水の平原が広がるばかりである。しかもネレイスの浮かぶ一帯の水深はなんと6000メートル。地上50階の高層ビルを20個並べたより、まだ深い。
そんな海の深みからどうやって海底堆積物を回収するのか。全長6000メートルのホース付き掃除機を下ろして吸い上げる? それともSF映画に出てくるような巨大ロボを海底に派遣して石拾いさせるか。まともな深海調査船さえアステリアには無いというのに?
目の前の大海を茫然と見つめていると、同乗していたステラマリスの海洋科学者が言った。
「あなた、本当にこの超高圧を掻き分けて、水深数千メートルの海底から鉱物資源を回収するつもりですか? 真空や無重力は今の技術でどうにか克服できますが、水は簡単には制御できません。変幻自在に形を変える上、止めることも、掴むこともできず、僅かな鉄板の隙間から鉄砲水のように入り込み、金属をも破壊するんですからね。仮に水深3000メートルの海底から鉱物を回収するとしましょう。それは標高3000メートルの山頂から麓の果樹園のリンゴを拾い集めるようなものです。的確にリンゴを採るのも難儀なら、集めたリンゴを頂上まで回収するのも至難の業だ。ましてそれを商売にしようと思ったら、数キロ採ったぐらいでは話になりません。そんな無謀なリンゴ狩りをするぐらいなら、隣の果樹園からリンゴを仕入れた方がはるかに安上がりです。あなたがやろうとしている事は、それぐらい無謀でリスキーだ。ステラマリスでも本気でやろうとしたベンチャー企業があったが、多額の負債を抱えて倒産しましたよ」
それでもファルコン・マイニング社の一党支配を崩すなら、アステリアの海底からニムロディウムを採ってみせるしかない。幾千の労働者を酷使して鉱山の深部から採掘するのではなく、完全自動化された新時代の採鉱システムを用いてだ。
アステリアの海に魅せられたアルはすぐさまステラマリスに向かい、名だたる海洋研究所や企業の門を叩いて教えを請うた。セスに出会ったのもこの頃だ。大学の図書館で同じ本を探し求めていたのがきっかけである。
今成すか、永遠に行わないか ~砂利浜の誓い
それから二年後、アルは再びアステリアを訪れ、工業港の建設計画が進む砂利浜に佇み、今一度、自身に問いかけた。
既に頭の中には海を拓くのに必要な知識、技術、ノウハウが詰まっている。至難ではあるが、絶対不可能ではないことも心が識っている。
だが、ローレンシア島の沖合に採鉱プラットフォームを建設することは社運を懸けた一大事業だ。下手すればMIGや自己資産のみならず、祖父が築いた技術革新の金字塔さえ水泡に帰するかもしれない。最悪の結末を思えば総身が震え、引き返すなら今のうちと諌める声がする。
だが、良質なニムロディウムを得る為に、生涯犬のようにファルコン・マイニング社の足元に這いつくばって、真の経営者と胸を張って生きていけるのか。死力を尽くせば達成できたかもしれないことを生涯胸に抱えたまま、自分に言い訳しながら一生を終えたいか。
否、否。
この日の為に姉のダナと幾度となく話し合い、幾通りものビジネスプランを練り上げてきた。いくらか背伸びする部分もあるが、決して無謀な賭けでないことは心が識っている。
Nunc aut numquam(ヌンク・アウト・ヌンクァム).(今行なうか、永遠に成さないか)
アルの脳裏に祖父の声がこだまし、目の前に採鉱プラットフォームが浮かぶ。
それは決して夢や幻ではない。
海中深く突き立てられた揚鉱管が力強い機械音を響かせながら、水深数千メートルの海底から鉱物資源を揚収する。水中無人機を遠隔操作するオペレーター、管制室のモニターウォールに映し出される深海底、港とプラットフォームを忙しなく行き交う輸送船。
今、この砂利浜には静かに波が打ち付けるだけだが、ここに第一埠頭、あそこに第二埠頭、その裏手には工場や倉庫が建ち並び、造船所では最新の海洋調査機器を備えた支援船が建造される。それに併せて、道路、通信、オフィス、集合住宅、学校なども続々と開かれ、真の自由と公正を求める志高い人材が続々と集まってくる。今後アステリアが海洋化学工業を中心に発展するのは疑いようもなく、たとえ採鉱事業は成らなくても、二の手、三の手を打てば、物流や都市開発で先行者利益を得ることは十分に可能だ。
やるなら『今』しかない。
後で他人の成功に地団駄を踏んでも、チャンスは二度と戻らない。愚図な二番手は永久に一番手の尻を舐め、何を見せても二番煎じと嘲られるだろう。
アルは砂利浜に最近操縦を覚えたばかりのモーターボートを引き上げると、これを繋ぎ止めるための杭を一本打ち込んだ。やると決めたら、しばしばこの砂浜を訪れることになる。今は砂利浜以外に何も無いが、いつか必ず採鉱システムを完成し、奴らの目に物見せてやろうではないか。人間の意思がどれほどの事を成し遂げるかを。
Nunc aut numquam.
力強い槌音が潮騒も掻き消す中、アルはひたすら杭を打った。今日の決意を生涯忘れるまいと胸に刻みながら。
ラテン語の名句は下記で紹介しています。
ラテン語の名句
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