いまだ光を放たざる、いとあまたの曙光あり ~海の底に眠る人間の可能性

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第一章 運命と意思 ~フォルトゥナ号 (8)
STORY
アルの娘リズは自由を求めて父に反発し、家を出て行ってしまう。アルは娘を連れて帰るついで、トレーラー村に引きこもるヴァルターに会いに行くことを画策。本当に掘り出したいのは海底鉱物資源ではなく、深海に埋もれた曙光のような人材だと思い知る。

今、フォルトゥナ号は一時間ほどのフライトを終えて、学研都市エンデュミオンの上空に差し掛かろうとしている。

アルは再びシートに深く身を沈めると、エンデュミオンの町並みを見渡した。夕陽はほとんど地平線の彼方に沈み、いつもの夜が訪れようとしている。家の窓には無数の明かりが灯り、その一つ一つに人の暮らしがあり、願いがある。

こうして空の上から平たく見れば、誰の人生も貴いものだ。懸命に努力する者に上等も下等もない。

だが、その中から一人を選ぶとすれば、心の強い者がいい。深海の鉱物みたいに寡黙でも、一事を成し遂げるだけの気概と情熱の持ち主だ。

「そう言えば、先ほどエリク・ブレア氏からお電話がありました」

不意にセスが口を開いた。

「明日のディナーはお嬢さんもご一緒なさるそうです」

娘の話になると、にわかにアルの顔もほころぶ。

アルが深い情愛を込めて「リズ」と呼ぶ娘のエリザベス・ベアトリクスは、この春、二十四歳の誕生日を迎えた心の優しい娘だ。春の女神のような美貌に生まれながらの気品を備え、立ち姿は白百合のように清らかだ。出産時に母を亡くし、保母や家政婦にちやほやされたこともあって、少々甘えん坊なところもあるが、教育の甲斐あって、どんな時も『アル・マクダエルの娘』にふさわしい振る舞いを心掛けている。

十代の初めには少し難しい時期もあったが、二十代になると女性らしい気遣いや慎ましさを身に付け、今では良家から縁談の申し込みが引けを取らない。父親としては一日も早く良い人にもらわれ、可愛い孫の顔でも見たいところだが、今時の娘が親の求めるままに嫁ぐはずもなく、勿体ないほどの良縁にもぷいと口を尖らせ、

「私は世の中のことも十分に知らないし、仕事だってさせてもらえない。なのに籠の鳥みたいに匿って、今度は見ず知らずの誰かに嫁がせようとするのね。私は意思のない人形じゃない。苦労も知らず、恋も知らず、誰かのものになるなんて、絶対にイヤ」

そうかと思えば、海賊のキャプテン・ドレイクに憧れて、いまだに歴史活劇『エリザベス』に夢中になっている。

『エリザベス』はトリヴィアの公共放送が十年前に制作したティーン向けの連続TVドラマで、イングランド女王エリザベス一世をモチーフにした史劇だ。ドラマでは、女王エリザベスとキャプテン・ドレイクが身分違いの恋に落ち、共に海で戦って強敵スペインに打ち勝つ。史実も時代考証も完全無視のファンタジーにもかかわらず、少女らの心を鷲掴みにし、キャラクターグッズも飛ぶように売れた。アルも娘にせがまれ、二度も映画館に付き合わされた。

娘曰く、エリザベス姫の危機には、キャプテン・ドレイクが炎の帆船を率いて助けに来てくれるそうだ。――ああ、阿呆らしい。

おまけに十月十五日に予定されている接続ミッションに自分も立ち会うなどと言い出し、八月初め、ついに口論になった。「絶対にダメ」と言い張るアルに娘は激しく口答えし、とうとう家を出てしまった。

アルはこれまで娘にアステリアに行くことを決して許したことはない。危険危険と言い続け、娘が幼い頃は「海というのは、有害な宇宙線に汚染された恐ろしい所だ。水深三〇〇〇メートルの海底からタコのお化けが出てくるかもしれない。お化けにさらわれても、パパは海の底まで助けに行かれないよ」と嘘をつき、嘘がばれてからは「海にはたちの悪い海賊が出没する。海賊船に連れ去られて助かった者はない」と脅し続けた。

実際、アステリアも人口増加に伴い、暴行や窃盗、性犯罪などが増えつつある。それでなくても、採鉱計画を中止せよとさんざん脅迫され、自身も身の危険にさらされてきた。たとえ見学にせよ、娘が来るとなればボディガードの手配は必須だし、周囲だって気を遣う。ただでさえジム・レビンソンをなくして微妙な時期に、余計な事で煩わされたくないのはアルも現場も同じだ。

採鉱プラットフォームに来るなど、とんでもない。訓練を積んだ作業員でも足を滑らせて大怪我をするほどだ。それに接続ミッションといっても揚鉱管と集鉱機を繋ぐだけで、お前がワクワクするような物など何もない。かえって足手まといになるだけだ」

「パパが心血注いで完成させたプラットフォームのミッションに立ち会うことが、どうしてそれほど責められなければならないの。私だって役に立ちたい。世界の鉱業を変えるかもしれない歴史的瞬間をこの目で見届けたい。危険というなら、プラットフォームではなく、クルーザーから見学するわ。護衛も付けて、必ず言われた通りにする。決して一人で出歩いたりしないから、どうか私の願いを叶えて」

「それなら録画ビデオで十分だろう。社長の娘がうろうろすれば、それだけで皆のプレッシャーになる。それでなくても大変な緊張に包まれているのに、お前が顔を見せても迷惑なだけだ」

「パパは私から生きる力も経験する機会も、何もかも奪い取るのね。部下には明達を求めるくせに、娘の私には無知であることを強要するんだわ。パパは世の中のことなど何も知らない方が幸せだと思ってるのでしょうけど、私はちっとも幸せじゃない――幸せなんかじゃないわ!」

「何をしてるんだ」

「ここを出て行くの」

「まともに働いたこともないのに、お前に何ができる」

「私を鍵付きの箱入り娘にしたのは、パパじゃない!」

そして、本当にその日のうちに荷物をまとめて出て行ってしまったのである。

娘の行き先は、エンデュミオンに住むエリク・ブレアの邸宅だ。母アンナの実兄で、MIG金属材料研究所の主席研究員でもある。アルにとっては義弟に相当するが、お互い社会関係を考慮して、積極的な親戚付き合いはない。エリクも控えめなタイプで、アンナの死を境に、付かず離れずの傾向はいっそう強くなった。娘もそうした間合いを敏感に感じ取り、自分から積極的に「遊びに行く」とは言わない。かといって完全に醒めた間柄でもなく、娘の誕生日や祝い事の折には心のこもったカードと贈り物が届けられ、リズもそれにお返しをする、ほのぼのした関係であった。

しかしながら、こんな形でエリクの家に長居させるわけにもいかず、アルとしては一日も早く娘を連れ戻したい。エリクの話では、毎日一緒に金属材料研究所に出勤し、図書室で勉強したり、講義を受けたり、それなりに頑張っているようだが、用も無いのに『アル・マクダエルの娘』がうろうろしては職員の士気に関わるし、エリクも気疲れしてしまう。
そこでヴァルター・フォーゲルに会いに行くついで、エリクの家に立ち寄り、娘を連れて帰ることにした。先刻からセスが間に入り、いろいろ取りなしてくれている。

「明日のディナーは『水晶宮(クリスタル・パレス)』のレストランに窓際の静かな席をお取りしています。どうぞ、お嬢さんとゆっくりお話し下さい」

水晶宮は三年前、首都エルバラードの空港近くにオープンした総ガラス張りの商業ビルだ。地上二十階の水晶型の建物にホテルやレストラン、高級ブランド店などが入居し、新たな観光スポットになっている。

アルもオープンセレモニーの日に最上階のスイートルームを予約し、スカイレストランで高級海鮮料理のディナーをご馳走して、娘を大いに喜ばせた。
立派なオマール海老にナイフを入れながら、「いつまでも父親と一緒に食事も味気ないだろう」と言うと、

「そんなことないわ。パパのお話は政治でも芸能でも、とても為になって面白いんですもの。それに比べて、学校の男の子ときたらゲームや女の子やスポーツの話ばかり、どうして勉強もせず暢気に遊んでいられるのか、不思議なくらい」
と嬉しそうに話していたのに、今では「パパなんか嫌い」だ。

「まったく、年頃の娘というのはああも扱いにくいものかね。フォルトゥナの娘みたいに気まぐれで、物事を正しく理解しているのかと思えば、まったくの盲目とくる。まだ金属価格の動向を探る方が容易いよ」

「さあ……僕には息子しかいませんから、女の子をもつ気苦労までは……」

セスも薄茶色の瞳を細める。

「ところで金属価格と言えば、ファルコン・マイニング社がまたもニムロイド鉱石の生産を抑えにかかりましたね」

「うむ。上半期のニムロイド合金の市場はMIGの独壇場だったからな。ニムロデ鉱山での生産をわざと抑えてキロあたりの単価を引き上げ、当社に圧力をかける。その裏でファルコン・スチール社に安価でニムロイド鉱石を流し、コストダウンの手助けをして売り上げ増加を図る――連中の考えそうなことだよ」

だが、そう答えるアルの顔にもう以前のような険しさはない。三十年間待ち望んだ本採鉱がそこまで迫っているからだ。

「海台クラストの採鉱に成功すれば、世界の構図が変わるだろう」

これはもはや市場競争などではなく、人間の尊厳をかけた闘いでもある。連中の不当な圧力と、人を人とも思わぬ傲慢さ、相手が従わぬと見れば最愛の者にも平然と手をかけるやり口をアルは一日たりと忘れたことはない。

そしてまた、採鉱システムの開発に粉骨砕身してくれたスタッフに報いる為にも、この事業が決して私利や私怨ではないことを証明したい。

アルはヴァルター・フォーゲルの身上調査書に今一度目を通すと、窓の方を向いた。

「本当に使えるのでしょうか」

セスが不安そうに訊ねると、アルは窓の外を向いたまま、「会ってから決める」と答えた。

宇宙に幾多の星が瞬くように、海の底にも数え切れないほどの光の萌芽が眠っている。

いまだ光を放たざる、いとあまたの曙光あり *7》

インドの古典『リグ・ヴェーダ』の一節を胸に浮かべながら、アルはシートに深く身を沈め、未だ見ぬ光の萌芽を思った。

陽は落ちても、また立ち上り、永遠に海を廻る。

アルが本当に掘り出したいのは海底に眠る鉱物資源ではなく、あまたの光の萌芽かもしれない。

*7)  いまだ光を放たざる、いとあまたの曙光あり フリードリヒ・ニーチェの著書『曙光』の冒頭に記された言葉としても有名。
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