何処まで逃げても、心という月は追いかけてくる

この投稿は小説【曙光】のボツ原稿や引用を元に作成しています。

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【小説の抜粋】 何所まで逃げても、心という月は追いかけてくる

今日の利益か、数億年後の生命の価値か ~海洋開発と自然保護についての次のエピソード。

アルと海洋開発の是非をめぐって激論を交わしながらも、飢えと死の恐怖から渋々、契約書にサインした潜水艇パイロットのヴァルター・フォーゲル。

故郷を離れ、遠い辺境の星、アステリアの宇宙港でアルの到着を待っていると、機体に『Fortuna Imeratorix Mundi 』と刻まれたフォルトゥナ号が降りて来る。

いまだ釈然としないヴァルターに、アルが言って聞かせるのが次の台詞。

翌朝、ローレンシア島のポートに『フォルトゥナ』が降り立った。

銀のボディに記された「Fortuna Imeratorix Mundi (全世界の支配者たる運命の女神)」の文字が峻烈に目に迫る。

吹きすさぶ風の中、アルがタラップを降りてくると、セスと出迎えたヴァルターはぎこちなく会釈し、アステリアのトップに君臨する狸親父に上辺だけの敬意を表した。

「夕べはよく眠れたかね」

ヴァルターが適当に頷くと、

「それは良かった。わざわざゲストハウスの一番見晴らしの良い部屋を用意させた甲斐があったよ」

アルは泣き腫らしたような彼の目を見詰めながら言った。

どうせまたステラ・マリスを追われるまでの経緯をぐじぐじ思い返していたのだろう。

アルは彼の背中を叩くと、

何処まで逃げても心という月は追いかけてくる。いったい何がそうまで自分を苦しめるのか、この際、じっくり考え直してみるといい

厳しくも優しい口調で言った。

第三稿 2000/03/06

逃げても、逃げても、自分の心は月のように追いかけてくる――という喩えです。

こちらは、もう一つのバージョン。

こちらは「心」ではなく、「自分という月は追いかけてくる」と表現しています。

それでも彼はなかなか寝付かれなかったらしく、今も赤い眼をして向こうを向いている。

どうせまたネクサスを追われるまでの経緯をじくじく思い返していたのだろう。

この男の考えることは、いつも一つしかない。

それは人生途上の大いなる過失を誰に償わせるかということだ。

一年ぶりに清潔な寝床を与えられたにもかかわらず、そうやって一晩中、身の置き所も無いほど煩悶していたのかと思うと、哀れな反面、滑稽でもある。

彼は一体、いつ浮上するつもりなのだろう。

死ぬまで壊れた潜水艦みたいに、怨みの海に沈んでいるつもりなのだろうか。

アルは彼の背中を叩くと、優しくも厳しい口調で言った。

「何処まで逃げても、『自分』という月は追いかけてくる。何がそうまで心を苦しめるのか、この際じっくり見つめ直してみるといい」

第一章『運命と意思』 2001年 第六稿より

【心のコラム】 自分自身を没却することはできない

どんな人間も自分を没却することはできません。

過去を捨て、名前を捨て、全てを捨ててやり直そうとしても、自分というものは何所までも付いてきます。

何をどう誤魔化しても、自分の気持ちだけは誤魔化せませんし、何をどう取り繕っても、自分が過去にしてきた事は自分自身が一番よく知っているのです。

そこから目を背けて、ああでもない、こうでもない、あの人のせい、この人のえいと、言い訳を続けても、人は決して幸せになれません。

都合の悪い現実も受け入れて初めて、一切を引き受ける覚悟が決まり、心の目も開くものです。

本当の心の強さとは ~無理に鋼になろうとするなにも書いているように、強さというのは、弱い自分や嫌な自分も受け入れることです。

月のように追いかけてくる自分の心と正面から向かい合って初めて、人は困難を乗り越える心の強さを身に付けるのではないでしょうか。

ちなみに、上記に対するヴァルターの答えは『沈潜』。

海のように深く静かに沈潜=内省する

一時の激情から何もかも失い、身一つになった時、初めて彼も立ち止まり、自身を省みます。

月がそうであるように、自分自身の心も、闇の中でしか見えないのかもしれません。

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