資料室は12平米ほどの小部屋で、天井まで届くスチール製のキャビネットにはプラスチックホルダーに整理された資料が所狭しと並べられている。だが、これらはほんの一部で、大半のデータはプラットフォームとエンタープライズ社のサーバーに二重で保管されているそうだ。
マードックは壁際のワーキングデスクにつくと、キーボードを操作してコンピュータシステムを起動した。24インチの大型ディスプレイに最初に映し出されたのは、アステリア・エンタープライズ社のロゴだ。濃紺の背景に、白抜きでギリシャ神話の「オデュッセイア」に登場する手漕ぎ帆船のモチーフが描かれている。
マードックは虹彩を用いた生体認証で管理画面に入室すると、エンタープライズ社の汎用ネットワークにアクセスした。
汎用ネットワークは、エンタープライズ社とMIGエンジニアリング社、グループ関連企業の間に構築された内的なクラウドサービスで、認証された職員なら誰でもPCやモバイル端末からアクセスできる。また汎用ネットワークの中でも、エンタープライズ社、採鉱プラットフォーム、MIGエンジニアリング社など、個々の会社に限定されたイントラネットがあり、業務マニュアル、スケジュール、メッセンジャー、各種申請など、様々な社内オンラインサービスを利用することができる。
一方、企業機密を扱うネットワークは異なる通信プロトコルに構築されており、アクセスするには虹彩の生体認証に加えて十桁のアクセスキーが必要になる。
マードックは採鉱プラットフォームの機密データにアクセスすると、数あるメニューの中から「採鉱システム」を開いた。
モニターには、プラットフォーム全体の断面図が映し出され、タワーデリックから降下された鋼製の揚鉱管が水深3000メートルの海底まで真っ直ぐに伸びている。一見、海底油田に使用するライザーパイプに似ているが、採鉱用揚鉱管の先端には12個の球体が縦横に連結する箱形の水中リフトポンプが備え付けられ、その下部から更にフレキシブルホースが伸び、ドーザー型の集鉱機に繋がっている。海底にはもう一台、ビートル(カブトムシ)型の破砕機が設置され、こちらは海底の基礎岩からニムロディウムを含むクラストを剥がして、細かく破砕する役目がある。
「採鉱プラットフォームは、六年前の一九四年から建設が始まり、二年前の一九八年に完成した。それ以前は、中規模の作業リグ船を使って実験していたが、大半はシミュレーション技術の賜だ。僕の父はシミュレーション・チームと共同で採鉱システムの開発に携わっていた。元になる設計を書いたのは、ジム・レビンソンだ」
「ジム・レビンソンって、テスト採鉱に成功した夜、泥酔して海に落ちた人?」
「正確には『行方不明』だ。午後九時頃、重機の格納庫に忘れ物を取りに行った僕の後輩が、泥酔状態で作業甲板をうろついている姿を見たのが最後だ。翌朝、不在に気付いて皆で探し回ったが、ついに見つからなかった。なぜ、そんな夜遅くに作業甲板をうろついていたかは誰にも分からない。ただ、夕食後、娯楽室で浴びるようにウイスキーを飲んで、訳の分からないことを喚きながら甲板に出て行ったのを大勢が目撃しているから、正常な状態でなかったのは確かだ。でも、誰も気にしなかった。そんな醜態は日常茶飯事だったから」
「よくそれでプロジェクト・リーダーが務まったな!」
「能力とキャリアは申し分なかったからね。彼はステラマリスで海底鉱物資源の採鉱システムの設計を手がけていたが、海洋汚染や操業コストの問題で会社が撤退した為、レビンソンも職にあぶれた。非常に高度なシステム設計ができる天才肌だったが、よその企業に相手にされなかったんだ。そんな時、マクダエル理事長に声を掛けられてアステリアに来た。傲慢で、酒癖が悪くて、人間的には非常に難のあるタイプだが、背に腹は代えられなかったんだろう。そりゃもう、あの人の悪態にはみんな苦しめられたし、理事長でさえ手を焼いていた。理事長に向かって『おい、タヌキ(Tanuki) 』と言えたのは、世界であの人くらいだ」
「それは大胆不敵な」
「ダグやガーフィールドがあんな巨漢になったのもストレスのせいだ。摂食障害の一種で、食べても食べても満足感が得られず、めちゃくちゃな量を食べ続けた。五年前、これでは命にかかわると、理事長がトリヴィアから専門医を連れて来て、むちゃ食いだけは止まったが、体型はあのまんまだ。手術も勧めたそうだが、そうすると海上での仕事は無理というので、手術は断った。彼らにも意地があるんだよ。十歳の時、父親の仕事の都合で嫌々アステリアに来て、そのままずーっとここに居る。彼らは理事長やエンタープライズ社が進出するずっと以前からアステリアの住人なんだ。彼らなりに父親の後を継いで、この海で何かを成し遂げたい気持ちは強い」
それも意外なエピソードだ。とてもそんな風には見えなかったが、そうと分かれば多少は見方も変わる。
3つのパート ~破砕機・集鉱機・揚鉱管
「では、採鉱システムの説明に戻ろう。システムは大きく分けて3つのパートからなる。海底の集鉱機と破砕機。海中の水中ポンプと揚鉱管。そして、タワーデリックを中心とする海上オペレーションチームと選鉱プラントだ。各機の操作とモニタリングはすべてタワーデリックのオペレーションルームで行う。オペレーションチームは全部で40名。集鉱機、破砕機、水中ポンプ、無人機など、それぞれに専属スタッフが付いている。格納庫で整備やセッティングを行う運航部と連携を取りながら、子チームが一台をケアする『ワンマシーン、ワンチーム』体制だ。もちろん状況に応じて柔軟に対処するがね」
続いてマードックは巨大なティターン海台のデジタル画像を映し出した。深度に応じて七色にグラデーションされたカラフルな立体画像だ。深度の浅い海台の頂部が赤色で、深度の深い基底部が青色で表示されている。
(参考記事 → 海底鉱物資源の採掘計画と技術革命 ~ティターン海台とニムロディウム)
「最初の採鉱区となるティターン海台は、ローレンシア島とローランド島の間に広がる巨大な谷間にある。谷といっても、幅100キロメートルから200キロメートルに及ぶ地溝のようなものだ。だが、なぜテティス・プレートの真ん中にこのような地形ができたのか、谷間が年々拡大しているのか、メカニズムは分かってない。この巨大な谷間には、高さ数百メートルに及ぶ海山や海丘が六つある。未だ確認されていない数メートル程度の高まりも含めれば、もっとになるだろう。そして、僕たちが採鉱するのは、ティターン海台の頂部から肩に掛けて被覆する『岩石の皮(クラスト)』だ」
マードックは画像を切り替え、ティターン海台から採掘されたクラストの写真を表示した。
写真は断面図で、厚さ10センチほどの黒っぽい岩石がメロンの皮のように黄土色の基礎岩を覆っている。拡大すると、黒皮の部分には大小様々な粒子が含まれ、一部には目立つ金属光沢がある。
「この銀粉を散らしたような輝きが《硫化ニムロディウム》だ。ネンブロットのニムロデ鉱山や、その他の陸上の鉱区に存在する『酸化ニムロディウム』と異なり、海台クラストのニムロディウムは硫化物として存在している。これまでニムロディウムは酸素と強固に結びついた『酸化物』しか存在しないと言われてきたが、ウェストフィリア島の火山の噴気孔で採取された硫化ニムロディウムがその定説を覆した。硫化ニムロディウムは、ティターン海台やウェストフィリア島の他、ローレンシア海域の様々な場所で発見されている。恐らく、アステリアの海底の至る所にクラスト、もしくは熱水鉱床といった形で存在するだろう。なぜネンブロット星やトリヴィア星には酸化物しか存在せず、アステリアにだけ硫化ニムロディウムが存在するのか、正確なところは分からない。ただ一つ確かなのは、この硫化物は、化学液による処理と、微生物を使った生物冶金(バイオリーチング)の技術を用いれば、比較的簡単に高純度のニムロディウムを精製できるということだ。真空直接電解法のような高エネルギー装置も必要なければ、鉱山の地下を人手で掘り抜くこともない。コストも人手も従来の精製法の半分以下となれば、鉱業にどんな影響を及ぼすか、容易に想像がつくだろう」
「喩えるなら、世界最大の鉱山も、それを採掘する会社も、もはや用無しというわけ?」
「用無しとまではいかないが、現在七十パーセント以上と言われるニムロデ鉱山への依存度が大幅に減少するだけでも市場は大きく変わる。その上、完全自動化された採鉱システムで、より安全にニムロディウムを含む鉱物を採掘できるようになれば、ファルコン・マイニング社の存在意義も変わる。今日明日にも激変することはないが、十年、二十年とかけて、地軸が引っくり返るような大変動が起きるのは確かだ」
「またまたタヌキの理事長はボロ儲け?」
「そうでもないよ。アステリアの鉱物資源は基本的にトリヴィア政府のものだ。ティターン海台の鉱業権はトリヴィアから借り受けるリース方式だから、営業利益に応じて20パーセントから25パーセントのロイヤルティを支払わなければならない。さらにそれを出資者に分配するから、理事長の懐に入る分など微々たるものだ」
「しかし、20パーセントから25パーセントというのは大きいな。通常、鉱山のロイヤリティといえば、営業利益率の数パーセント、高くても20パーセント以下だろう」
「その代わり、法人税や所得税の減免、特殊産業支援金、重機の無料貸与など、いろんな優遇を受けている。それを差し引きすれば、そこまで不利ではないらしい。もっとも、その駆け引きにマクダエル理事長も相当粉骨されたがね」
「そうだろうね」
海底鉱物資源・ニムロディウムと海洋調査の経緯
「ニムロディウムはアステリアの至る所に存在する。陸地、海底、海水、火山性ガス。惑星そのものが『ニムロディウムのプール』といっても過言ではない。だが、ニムロディウムが高度に濃縮して、商業的に価値のある場所は限られている。ウェストフィリア島の*6火道や噴気孔周辺に広がる鉱脈、もしくは海底の基礎岩を覆うクラストだ。今のところ、氷雪に覆われたウェストフィリア島の火山の奥深くまで侵入して採掘する技術はない。有望なエリアは噴火と大地震を繰り返して、地質調査もままならない状況だ。しかし、ティターン海台に広がるクラストに関しては、かなり詳しいことが分かってきている」
マードックは写真資料を繰り、最も古い時代の画像を何枚か表示した。
「これが最初に建造された海洋調査船オケアノス号だ。140年前、政府の公用船として運航し、ローレンシア海域の海底地形や海底地質を調査した。ティターン海台が発見されたのも同時期だ。無人探査機を使った海底調査で、海台の基礎岩を覆う黒い皮膜(クラスト)状の層の存在も知られていたが、機材や人材不足で精査も進まなかった。それが再び注目されたのは158年から165年頃だ。ウェストフィリア島の地質調査で、マグナマテル火山の噴気孔から硫化ニムロディウムを主成分とする鉱石が発見された。僕も詳しくは知らないが、ほとんど不純物を含まない完璧な結晶だったらしい。それで、にわかにウェストフィリア探鉱計画が持ち上がり、近海を調査する新型の海洋調査船も建造されたが、165年に座礁事故を起こし、多数の死傷者を出して、社会の関心も一気に低下した。だが、その過程で多くの調査資料が得られ、地学的な研究は大きく前進した。『昔、テティス・プレートがウェストフィリア島と地続きだった』という仮説が立ったのもこの頃だ。その後、理事長はどこからか情報を手に入れて、ティターン海台のクラストに狙いを定めたんだよ。それは従来の定説を覆す、大胆な挑戦だった」
「従来の定説?」
「これまでニムロデ鉱山は『小天体の衝突によって地殻の割れ目がマントルまで達し、惑星深部の物質が一気に噴出した』という考えが長年支持されてきた。それどころか、元々、ネンブロットにニムロディウムは存在せず、宇宙のはるか彼方から小天体がもたらしたと考える者もあった。だが、ニムロデ鉱山の酸化ニムロディウム鉱床が『小天体の衝突によってもたらされた』とするなら、その他の地域に存在するニムロイド鉱石の存在について説明がつかないし、トリヴィアの地中からも微妙に検出されるニムロディウムは何なのか、という話になる。全ては憶測に過ぎず、ファルコン・マイニング社の都合の良いように解釈されてきた。『ニムロデ鉱山以外に、高品質のニムロイド鉱石が採掘できる場所はない』とね。ところが、マグナマテル火山の噴気孔で硫化ニムロディウムが発見され、小天体衝突説に穴が空いた。火山と小天体の衝突は全く無関係だし、火山の噴気孔に存在する硫化ニムロディウムが、小天体の衝突によってもたらされたとは考えにくいからね。ということは、ネンブロット星のニムロデ鉱山も、小天体の衝突とは無関係に、大規模な噴火活動で形成された可能性がある。即ち、ニムロデ鉱山が唯一無二の存在ではないということだ。これまでの定説が学界ぐるみで意図的に作り出された証しでもある」
「そういう話、俺の祖父なら目の色を変えて飛びつくよ。火山学者だったんだ。祖父なら、きっと五分で論破する」
「そういう人はトリヴィアやネンブロットにも少なからずいた。だが、ファルコン・マイニング社は御用学者を使って、新説を唱える人たちを徹底的に叩いてきた。そこに『火山性の硫化ニムロディウム』という動かぬ証拠を突きつけられて、ついに定説の矛盾を認めざるを得なくなったんだ。今ではアステリアの海に、山に、火山性ガスに、様々な形でニムロディウムが発見され、『小天体衝突説』を支持する者は一人としてない。こんなインチキみたいな話が何十年と学界ぐるみで支持されてきたなど信じ難いが、それだけファルコン・マイニング社の影響力が大きかったという証しでもある」
「じゃあ、海台クラストの採鉱は学術的にも大きな意義があるわけだ」
「その通り。もし、マクダエル理事長が自費でプロテウスを建造し、深海調査船カーネリアンⅡ号を支援しなかったら、今もインチキみたいな学説が支持されていたかもしれない」
「じ、自費だとぉ……?」
「そうだ、自費だ。総額120億エルク。お前も一生に一度はそんな買い物をしてみたいだろう」
「そうまでしてファルコン・マイニング社の鼻を明かしたかったのかな」
「まあ、いろいろあるんだろう。昔からMIGとファルコン・マイニング社は因縁の間柄だから」
「それで理事長は何回ぐらい潜ってるんだ」
「ゼロだ」
「どうして?!」
「閉所恐怖症だよ。耐圧殻に入っても、五分と経たずに出てくる。狭い所は苦手らしい」
「自費で建造して、一度も潜航してないのか」
「モニターを見るだけで満足してる。狭い所や暗い所が本当に怖いんだろう」
彼は絶句した。
どこの世界に、自分で乗りもしない潜水艇を自費で建造する物好きがいるのだろう。それも一億、二億の話ではない。軍艦一隻が余裕で買える額だ。本業だけでも、末代まで遊んで暮らせるだろうに、そうまでして海底鉱物資源に拘る理由は一体何なのだ?
茫然自失とする彼を尻目に見ながら、マードックは採鉱システムの要であるドーザー型集鉱機、ビートル型破砕機、そして水中ポンプの画像を映し出した。
ティターン海台を被覆する硫化ニムロディウム
「ティターン海台のクラストは、ニムロディウムの他、銅、亜鉛、金、銀、プラチナなど、様々な金属元素を含んで皮膜状に基礎岩を覆っている。生成の機序は、おそらくステラマリスのコバルトリッチクラストやマンガン団塊と同様だ。海水中に含まれる様々な金属成分が海台の基礎岩に堆積し、皮膜状の鉱物となった。オレンジジュースを放置すれば、ボトルの底にオレンジの成分が沈殿して、もろもろした塊になるのと同じだ。オレンジと異なるのは、なぜティターン海台の頂部や肩の部分にだけ特異な金属成分が凝集し、皮膜のような鉱物を形成するのか、百パーセント確実なことが分からない点だ。また、ティターン海台には存在するのに、隣り合う海山にはほとんど見られない。それも不思議だろう。ちなみに、海台クラストに含まれる硫化ニムロディウムの含有量は10パーセントから30パーセント。パーセンテージではニムロデ鉱山のニムロイド鉱石より少ないが、採掘の手間や人件費、製錬コストなどを鑑みれば、はるかに割安だ」
「だが、硫化物だろう? 通常、海底の硫化物の鉱床は、熱水噴出孔(チムニー)のように火山活動の活発な箇所に沈殿する形で存在するはずだが」
「これも諸説ある。ウェストフィリア島と地続きだった時に、ステラマリスでは起こりえないような地学現象によって生成された。あるいは、非常に微細な熱水噴出孔のようなものが存在するのではないか。微生物が形成したという仮説もある」
「微生物?」
「ウェストフィリア島のマグナマテル火山で、硫化ニムロディウムを栄養源に繁殖する微生物が確認されている。製錬所の生物冶金のプロセスでも実際に応用している。だが、一辺100キロメートルもある海台を覆い尽くすほどのクラストを形成しようと思ったら、物凄い数の微生物が必要だ。しかし、現在採取されているクラストからは、そうした痕跡がまったく見当たらない。あるいは、褐鉄鉱鉄の酸化鉱物のように、テティス・プレートが海面上に突出していた時代に異常に繁殖して、硫化ニムロディウムの層を作り出した可能性もあるが、それもあくまで想像の域だ」
「それなら他の場所にも濃縮した硫化ニムロディウムの層があるかもしれない?」
「その通り。規模は非常に小さいが、テティス・プレートの至るところで見つかっている。ウェストフィリア島の近海にもあるらしい。もっと広範囲に調べれば、ティターン海台に匹敵する高品位のクラストが発見されるかもしれない。今はそこまで予算も技術も及ばないがね」
「採鉱システムより海洋調査の方が面白そうだな」
「君にとってはそうだろうね。だが、当面、科学的探究心は横に置いて、採鉱システムに集中しよう。採鉱事業の最大のポイントは、商業的価値のあるクラストをいかに効率よく基礎岩から引き剥がし、海上のプラットフォームに回収するかだ。どれほど精密な機械を使っても、海底では余計な基礎岩まで削ってしまうし、クラスト自体も、どこに、どれだけ存在するか、正確に把握しなければ、機械の空回りで終わってしまう。そこでプロジェクト・チームは二手に分かれて研究に取り組んだ。一つは、採鉱システムの機械設計。もう一方はクラストのマッピングだ。機械設計チームは、基礎岩から良質なクラストだけを剥がし、効率よく回収するオペレーションシステムの開発に取り組んだ。ジム・レビンソンが考案したのは、ビートル型破砕機とドーザー型集鉱機を使った二段階方式だ。できれば一台に集約したオール・イン・ワン型にしたかったが、どうしても技術的に難があり、皆で話し合って二段階方式を採択した」
採鉱システムの概要
マードックはビートル型破砕機とドーザー型集鉱機をモニターに映し出した。
「まずビートル型破砕機が基礎岩からクラストを剥がし、その後、集鉱機が掃除機みたいに破砕物を回収する。ビートル型破砕機の大きさは、全長八メートル、高さ3.5メートル、幅4メートル。キャタピラ式トラクターで、自走機能と遠隔操作の二つを兼ね備え、傾斜15度の斜面でも走行可能だ。車体から突き出たカブトムシのようなカッターヘッドの長さは4メートル。カッターヘッドの先端には二つの球状のドリルピットが取り付けられていて、表面は長さ20センチから30センチの棘状の切削コーンに覆われている。このドリルピット付きヘッダーは地図データと連動で稼動し、クラストの厚さや形状に応じて微妙に角度を調整する」
「地図データはどうやって作成するんだ?」
「至近距離から音波や超音波を発信し、その反射音を分析して、クラストの厚さや形状を詳しく計測する。もう一つ併用しているのが、レーザー光だ。ニムロディウムには特定の波長の光を強く反射する特性があって、至近距離からレーザー光を放射して、およその含有量を計測する。これは宇宙航空の分野で使われているコーティングや冶金設計の技術を応用したものだ。企業機密というなら、マッピング技術と地図データが最たるものだよ。機械のコピーは容易だが、どこに、どれだけの良質なクラストが存在するかは簡単には調べられない。計測装置や解析の手法はトップレベルの知的財産だと理事長が言ってた」
「そうだろうね」
「次に集鉱機だ。こちらは路面清掃機みたいに、車体の底部にバキュームと、棘状のピットに覆われた直径四メートルの回転ドラムを備えている。破砕機で細かく砕いたクラストを直径2センチ以下の細かな粒子に粉砕し、バキュームの中央取り組み口から海水と一緒に吸い上げるんだ。バキュームの先はフレキシブルホースに繋がり、さらに水中ポンプによって揚鉱管に運ばれる。この集鉱機も小回りの利くキャタピラ式で、全長9メートル、高さ5メートル、幅6メートル。当面、一日の目標採鉱量は3000トンから4000トン、操業が安定すれば6000トンを目指す」
「まるで海台の露天掘りだな」
「確かにな。ここにはステラマリスのように厳格な海洋環境保護法がないから、やりたい放題といえば、やりたい放題だ」
「俺、ちょっと気が引けるな」
「気持ちは分かるよ。誰だって海を荒らしたくない。だが、そんな事を言い出せば、焚き火で湯を沸かす生活に逆戻りするしかない」
「そうだな」
「とにかく先に進もう」
揚鉱管(ライザーパイプ)の役割
マードックは画像を切り替えると、水深3000メートルの海底に向かって、真っ直ぐ突き立つ揚鉱管とその断面図を表示した。
「集鉱機から海水と一緒に吸い上げられたクラストの粉砕粒は、泥漿(スラリー)となって揚鉱管からプラットフォームの選鉱プラントに移送される。全長3000メートルにわたる長大なチューブウェイだ。揚鉱管は大きく三つのパートから成る。集鉱機に繋ぐ柔軟性の高い《フレキシブルホース》。集鉱機から吸い上げた泥漿を海上に輸送する鋼製の《揚鉱管(ライザーパイプ)》。そして、《水中リフトポンプ》だ。フレキシブルホースは特殊樹脂を混合した繊維強化プラスチック製で、最長150メートル。その先端は分厚い鋼製コネクターによって集鉱機上部の吸引パイプの出口に接続される。揚鉱管は流体ドレッジを利用した二重管で、泥漿を吸い上げるメインライザー管の直径が36センチ、海水を循環させるインジェクションパイプの直径が18センチだ。パイプ一本の長さは20メートルで、これをタワーデリックで一つ一つ連結させながら海中に降下する。揚鉱システムの要となるのは、フレキシブルホースと揚鉱管に連結部に設置する水中リフトポンプだ。十二個の球体チャンバーから水圧をかけて海水を循環させ、破砕したクラストを海上に引き上げる。チャンバーを収めた格子型メタルフレームの大きさは、縦横6メートル、高さ4メートルだ。外側は特殊合金のフレームで防護し、内側は球体チャンバーがパイプや電源ケーブルと接触しないよう、十分にスペースを設け、樹脂やコーティング剤を使った絶縁処理を施している」
「動力はどうやって供給するんだ? 海上からアンビリカブルケーブルで給電?」
「当面はその予定だ。破砕機と集鉱機はアンビリカブルケーブルとは別に燃料電池を備えていて、定期的に海上に引き上げメンテナンスを行う。リフトポンプについては、外付け式のリアクターを有索無人潜水機で操作して電力を供給する」
「なぜリフトポンプだけ外付けのリアクターなんだ?」
「構造上、燃料電池を内蔵するのが難しい。しかも揚鉱システムの要だから、非常な高圧電流を必要とする。安全性やメンテナンスの容易さを考えて、外付けリアクターをインストールすることにした。万一、トラブルが生じても、リアクターだけ自動停止するので、システム全体に影響が及ばない」
「なるほど」
命がけの『接続ミッション』と大学生のアシスタント
「本採鉱が上手く行くかどうかは、十月十五日の接続ミッションにかかっている。君もプレッシャーが大きいだろうが、頑張ってくれよ」
「何だよ、その《接続ミッション》って?」
「フレキシブルホースと集鉱機、リフトポンプとリアクターを接続するミッションだ。プロテウスから小型の有索無人潜水機を発進させて、接続作業を行う。それが君の任務だ」
「俺はそんなことは聞いてないぞ。海洋調査で潜るのだと思ってた」
「プロテウスから有索無人潜水機を操作したことは?」
「そりゃあ、何回か経験してるよ。でも、それは海洋調査の為だ。潜水艇の侵入が難しい場所に小型の無人潜水機を発進して、深海生物や堆積物を採取する。でも、フレキシブルホースと集鉱機の接続なんて経験したことがないし、まして高電圧のリアクターなど……」
「基本は同じだよ」
「同じじゃないさ。海底の泥を採取するのと、重機の部品をいじるのでは根本から違う。それにプロテウスの船位を保持しながら有索無人潜水機で細かい作業をしようと思ったら、慣れた副操縦士が絶対不可欠だ」
「エイドリアンがいる」
「誰だよ、エイドリアンって?」
「ブライト専務の息子さんだ」
「あの映画俳優みたいな人の?」
「そうだ。二十二歳の大学生だ」
「だ、大学生だとぉ? 大学生がプロテウスを操縦するのかよ!?」
「十七の時から乗ってる。ジム・レビンソンに手ほどきを受けてね。もっとも副操縦士としてアシストするだけだが」
彼は唖然とした。
俺なんか、プロテウスのパイロットになるのに何年かかったと思ってるんだ? 死に物狂いで船舶工学や電気工学を習得し、基礎の骨組みからボルト一本に至るまで、人間マニュアルみたいに記憶して、それでも技術が足りないと、何度も何度もシミュレーション訓練を受け、過去の深海調査ビデオも片っ端から目を通し……。水上バイクかウィンドサーフィンと勘違いしているのではないか?
「エイドリアンはあくまで船位保持のアシストだけだ。ケーブルの接続やリアクターの操作は君がやらないといけない。順調に行けば一時間もかからないが、下手すれば百億エルクのシステムが吹っ飛ぶ。そうなれば一生、ここでタダ働きだ」
「……」
「なんだよ、怖じ気づいたのか」
「怖じ気づくもなにも、騙し討ちもいいとこだ」
「じゃあ、そのように理事長に言うんだね。誰も強制はしないし、君がやらないなら、第二のプランを採択するまでだ」
「第二のプラン?」
「全行程を無人機で操作する。うちの若いオペレーターは腕がいい。既に何度かテスト済みだ。やりたくないなら、一日も早く意思表示することだ。でないと、多くの部署で段取りが狂う」
「……」
「マクダエル理事長が言ってたよ。君は120回の潜航経験があって、何度も学術的発見に貢献してると」
「――俺は海洋調査と思ってた」
「調査に接続作業が加わったと思えばいい。そんな大仰に騒ぐほどの事じゃないよ。理事長も一目で役立たずと分かるパイロットをわざわざ自分で連れてきたりしない」
マードックは励ますように言ったが、彼の耳には入らなかった。
参考になる記事
破砕機・集鉱機・揚鉱管・水中ポンプの概要 ~Nautilus Minerals社の採鉱システムより
本作で紹介しているNautilus Minerals社の採鉱システムは動画のイメージです。