海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

【46】海底鉱物資源の採掘の成否を決める海底地形のマッピング

海底地形のマッピングについて

なぜ海底の様子を知るのは難しいのか

「海の底」というのは、たとえ水深50センチほどの浅瀬でも、どこが、どんな形状をしているか、水上からは分からないものです。

実際、海水浴に行った時、水底に転がる石ころや空き缶に気付かず、ぎゅっと踏みつけて、痛い思いをされた方も少なくないのではないでしょうか。

同様に、「地下」も、地上から肉眼で確認することはできません。

ほんの10センチほどの深さでも、地下がどうなっているのか、人間の五感では窺い知れないものです。

アリの大群やモグラ退治に四苦八苦するのも、スマホで写真撮影するみたいに、容易に地下の様子を窺い知ることはできないからです。

ただでさえ把握が難しい「海底」にプラスして、地下の堆積物の分布や性質を把握するとなれば、高性能の水中カメラで撮影するぐらいでは到底追いつきません。

まして、商業的に価値のある海底鉱物資源の賦存状況について、正確に把握しようと思ったら、高機能な測量機材はもちろん、専用の調査船、通信機器、データ解析システム、整備やオペレーションに長けた人材など、莫大な費用と物的・人的資源を必要とします。

地上の鉱山なら、ドローンや測量機器を使って、かなり正確に地表面の様子や地質、地層などを知ることができますが、海底の場合、たとえ100平方メートル程度の小さな領域でも、高度な技術がなければ、海底面の様子を詳しく知ることはできないのです。

本作では、海底鉱物資源の採掘を目的としたマッピングの重要性を説いていますが、その他にも、海洋土木、海運、漁業、海底ケーブルの敷設など、マッピングが必要とされる分野は幅広いです。海底の様子が分からなければ、桟橋を作ることさえ出来ないからです。

また、レジャー観光においても、危険な浅瀬や岩礁、離岸流(リップカレント)の発生しやすい場所などを正確に把握することが不可欠です。

異常気象や海洋汚染の機序を理解する上でも、海底地形の把握は欠かせません。

いわば、マッピングは海の安全の基礎であり、地球を知るための手がかりです。

一般人の目にはほとんど触れませんが、Googleマップやゼンリン地図と同じくらい重要なものなんですね。

海の測量と言えば、音響機器が登場するまでは、長いロープの先に錘を付けて、ここが水深100メートル、こっちは200メートルといった人的作業を延々と繰り返していたわけですが、現在は、人工衛星、音響測深機、水中無人機など、様々な機器を駆使してデータ収集し、ITでシェアして、解析作業を行なっています。ドローイングの技術も、以前は単純な三色カラー絵でしたが、現在は非常に細密な3D画像を描出することが可能です。

人類が火星に到着する頃には、地球の全海底の様子が明らかになるかもしれません。

いや、それでも、火星探査の方が一歩リードしているのが、海の難しさだと思います。

【動画で紹介】 無人機を使った海底マッピングの実際

技術の進歩と共に、科学ドキュメンタリー動画も高品質なものが増えました。
こちらは字幕付きなので、日本語の自動翻訳でも楽しめます。

Mapping the Secrets of Earth’s Seabed (海底地形マッピングの秘密)

こちらはロイター共同によるマッピング技術の紹介ビデオ。
インタビューでも言及されているように、地球の海底よりも、月面や火星面の方がよく分かっています。
それぐらい、海底の地形や地学的な現象を把握することは難しいです。

字幕も大きく、ポイントも分かりやすいので、おすすめ。

Mapping the Earth’s ocean floor(海底マッピングについて)

こちらはオーストラリア・ジオサイエンスによる科学ドキュメンタリー。
海底地形の手法がきれいなアニメーションで紹介されています。
こちらも字幕付きなので、自動翻訳でお楽しみ下さい。

Mapping the deep ocean: Geoscience Australia and the search for MH370

日本でも、無人機を使った海底探索の技術は非常に進んでおり、国際競技でも準優勝に輝いています。
これからますます発達する分野なので、興味のある方はぜひ。

JAMSTEC Team KUROSHIO 公式サイトより

こちらは有志によるスゴイ系動画。
海はどれくらい深いのか、ユニークな3D アニメで紹介されています。
最深部のマリアナ海溝になると、地上の高層ビルなど及びも付かないほど、高い(深い)です。
これら全てを遠隔操作+音響データで解析するのも大変な作業です。
まだ月面や火星、冥王星や海王星の表面を知る方が容易な所以です。

Ocean DEPTH Comparison 🌊 (3D Animation) (海底はどれくらい深いのか。3Dアニメで比較)

海底鉱物資源は、どこに、どれくらい存在するのか

本作でも繰り返し述べていますが、地球の大洋底のマンガン団塊や、海台を被覆するコバルト・リッチ・クラストのように、「深海に大量に存在する」と分かっても、商業的に価値のある鉱物が、どこに、どれだけ賦存するか、正確に把握しないことには意味がありません。

たとえば、中東にはたくさんの油田が存在しますが、適当にシャベルで掘っても、石油は採掘できないのと同じです。

海底鉱物資源の採掘を商業的に成功するには、鉱物資源が存在する場所と賦存量を確実に把握することが不可欠です。

しかしながら、地上の高山と同じ要領で測量することができないので、非常に難しいのです。

動画は、 「海底鉱物資源の採掘は気候変動から我々を救うのか? (Will deep-sea mining save us from climate change? )」というタイトルの科学動画です。

地上の鉱山を掘り返すのではなく、海底に転がる鉱物資源(マンガン団塊やコバルトリッチクラストなど)を掃除機で吸い取るみたいに採掘できれば、環境にやさしいイメージがありますが、一方、海洋の生物環境を破壊する怖れがあるため、その影響は未知数です。

「深海には何を捨ててもいい」というイメージがありますが、深海は地上と別世界ではなく、深海も含めて一つの地球環境を構成している為、無視していいものではありません。

こうした問題がクリアできない限り、地球の海で海底鉱物資源の採掘を推し進めるのは難しいと思います。

ちなみに、本作の舞台となるアステリアは、「生物のいない海」を前提に、採鉱システムの開発を進めています。厳密には、微生物は存在しますが、それよりも人類社会の維持・存続の方がはるかに大事というスタンスです。

その点については、『【6】 生命の始まりは微生物 ~今日の利益か、数億年後の生命か』で、主人公のヴァルターと、採鉱システム開発を推し進めるアル・マクダエルの間で論争しています。

【小説】 海底鉱物資源の採掘の成否を決める海底地形のマッピング

[blog_parts id=”390″]

[pc][pvfw-embed viewer_id=”380″ width=”100%” height=”550″ iframe_title=”PDF Viewer” page=”1″ zoom=”auto”][/pc]

[sp]

[pvfw-link viewer_id=”380″ text=”👉 読みやすい縦書きPDF版はこちら” width=”95%” iframe_title=”PDF Viewer” page=”1″]
(ページ数 9P)

[/sp]

[nextpage]

【小説】 海底鉱物資源の採掘の成否を決める海底地形のマッピング

採鉱マップと鉱物資源の分布

九月九日。月曜日。

朝七時半に朝食をとると、ヴァルターはオペレーションルームに足を運んだ。

金曜、土曜、日曜とマードックからもらった資料に目を通し、採鉱システムの概要と接続ミッションの手順は理解できたが、全体を知悉するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

彼がオペレーションルームを訪れると、マードックは壁際のワーキングデスクで採鉱予定区の採鉱マップをチェックしていた。

採鉱に使われるマップは、無人調査機の計測プローブが採取したデータを専用ソフトウェアで分析し、七色のグラデーションで彩色した3D地形図だ。詳細な地形だけでなく、基礎岩を覆うクラストの厚さや形状までもが10ミリ単位で描出されている。このマップから採鉱する場所を選定し、破砕機や集鉱機のオペレーションシステムにアップロードして重機の動きを制御する。効率的に有価なクラストを採掘できるか否かは、重機の性能にも依るが、資源の賦存状況をいかに正確に把握するかにかかっている。どこに、どれくらいの硫化ニムロディウムが存在するか、地形は重機の運用に適しているか、といった事だ。その上で、硫化ニムロディウムが豊富に含まれるクラストだけを基礎岩から引き剥がし、海底からもれなく回収する。

マードック曰く、一番お金と技術がかかっているのはマッピングだという。それも探鉱権やリテンション・ライセンスが有効な間に結果を出さねばならず、全てが時間との闘いだったそうだ。

「でも、僕たちは運がよかった。最初に狙い定めた鉱区が宝の山だった」

「運だって?」

ヴァルターが憮然と聞き返すと、

「探鉱には運も必要だ。どれほど優れた調査機も、土の下に存在する物質を完璧に言い当てられるわけじゃない。陸上でも、百パーセント正確に分析できるのはせいぜい地下十センチ程だ。それ以深はあくまで『理論上』になる。それぐらい地下を知るのは難しい。深海となれば尚さらだ。ティターン海台にも幾つかの有望な候補があった。そして最初に精査を始めたエリアが大当たりだったんだ。空振りが続けば、時間もコストも浪費していた」

「たいした山師だな」

「運も実力のうちだよ」

(運なものか)と彼は思う。運も実力のうちなら、父の献身は何だったのだ?

「今もマッピングの範囲を広げてるのか?」

「もちろん。現段階で十分なレベルに達しているのは五年分だ。それ以外の部分は、今も調査クローラーを使ってデータ収集と分析を継続している。大半は自動化されているが、やはり人の目で描出されたマップを確認し、必要に応じて再調査をしなければならない。また商業的に価値のあるクラストが見つかっても、重機の動きには適さない地形もある。傾斜が急だったり、大きな凹みがあるような場所だ。それも人の目で確認して、回避しないと、重大な事故を引き起こす。どれほど機械化が進んでも、最終的には人的な判断が物を言う。それを見分ける教育も必要不可欠だ。だから、うちのオペレーターは工学理論や機械操作だけでなく、鉱物学や海洋学の講義も受けている。簡単な内容だが、学術的に理解して動かすのと、何も知らずに機械だけいじるのでは大違いだからね」

「なるほど」

「それを指示したのもマクダエル理事長だ。万一採鉱システムに失敗しても、知識や技術があればよそで即戦力になる。そこまで配慮されたら、若いのだって必死にやるだろう」

彼は納得し、コンソールの前でぺちゃくちゃお喋りしながらも、システムのチェックに余念がない自分と同年代のオペレーターに目をやった。確かに一人の優秀なオペレーターは資本や設備に換えがたい。事業の成否は、突き詰めれば、最先端の技術に携わる人間の質に依るのだから。

海洋開発の人材確保の難しさ

「それにしても、ここにはたくさん従業員がいるのに、どうしてパイロットは俺一人なんだ? もう一人か二人、操縦士がいてもおかしくないのに」

「確保するのが難しいからだよ。ステラマリスもそうだろう? 飛行機や宇宙船のパイロットは掃いて捨てるほどいるが、有人潜水艇の操縦ができる者は限られている。なり手もないし、教える人間も希有だ。以前はここにも三名から四名のパイロットが居たが、ここ数年は有人潜航の機会もめっきり減って、以前ほど重要性が無くなっている。僕とフーリエ、ノボロスキ社の数人の整備士も操作に精通しているが、熟達した潜航経験があるのは、ジム・レビンソンとキリチェンコの二人だけだ。だが、そのキリチェンコも持病の高血圧が悪化して抜けた。今から新人を訓練するには余りに経費も人手も掛かりすぎるし、何とか接続ミッションまで乗り切ろうとしていた矢先だった」

「じゃあ、俺が来なかったら、接続ミッションはどうするつもりだったんだ?」

「前にも言ったように、プラットフォームから有索無人潜水機を下ろして、遠隔操作で接続する。僕は反対だったが、ダグや一部のオペレーターはそれで事足りると主張して譲らなかった。君が来る前に少しゴタゴタしたが、僕はマクダエル理事長の判断で正解だったと思うよ。やはり誰かが目視で作業を確認しないと、本番では何が起きるか分からないからね」

(そうか)と彼は納得した。初めてここに来た日、マッコウクジラの兄弟が素っ気なかったのは、そういう理由だったのだ。

「最終的にどうなるか分からないが、とりあえず本採鉱までのスケジュールと採鉱予定区について説明するよ」

採鉱予定区の海底地形図

マードックはモニターの画像を切り替え、最初の採鉱予定区の海底地形図を表示した。

「これが第一期の採鉱予定区だ。ティターン海台の平らな山頂部を中心に、十二のエリアに区分けしている。一つの採鉱エリアの広さは10から30平方キロメートル、さらにそれを日単位、時間単位で、細かくエリア設定している。たとえば、最初のターゲットとなるエリアAは、ティターン海台東側、約20平方キロメートルだ。それをさらに十五区画に分画し、それぞれの予定採鉱量をこちらのテーブルに記している。一日平均5500トンの区画もあれば、5000千トンの所もある。どれだけ高品位のクラストを採取できるかは、実際にシステムを稼働してみないと分からない部分も多いから、今後のスケジュールはかなり流動的になるがね」

「接続ミッションまでの日程は?」

「今は地上勤務や長期休暇で島に戻っているスタッフが二十名ほどいる。彼らが現場にカムバックし、全スタッフが勢揃いするのが十月八日だ。十一日にビートル型破砕機、ドーザー型集鉱機をパワークレーンで海底に下ろし、試験的に稼働する。それで問題なければ、十五日に揚鉱管を繋ぎ、採鉱システムを本格稼働する。もちろん、悪天候の場合はミッション中止、場合によっては重機も揚収する。幸い、この海域は熱帯低気圧の影響は皆無だし、この24年間に僕が経験した最悪の天気でも、風速20メートル、一時間の降水量60ミリ程度だ。普段は荒れても風速十メートルに及ばないし、波高が2メートルを超えることもない。雨量にもよるが、悪天候での中止は確率的に低いだろうね」

「多少の雨は気にしないよ。俺、大事なミッションに限って、低気圧とぶつかるんだ。潜ってしまえば海上の悪天候は関係ないが、支援船が潜水艇の位置を見失うことは度々あった。海面に浮上したのはいいが、ダイバーが潜水艇にワイヤーを取り付ける作業に手間取って、ついには流され、そちらの救出で大騒ぎになったこともある。でも、不思議と大事故に至ったことはない。そういう意味では、俺は運否の境を漂っているよ」

「本当は強運じゃないのか」

「それだけは感じたことがない。サッカーのロトくじも当たったためしがないし、ゲームも懸賞もてんで駄目。たまにスクラッチカードが当たっても、せいぜい自転車のLEDライト止まり、それもハンドルに付けてたら、隣の悪ガキに盗まれた。そんなのばっかりさ」

「運はそんなものに使うんじゃない。ここぞという時に発揮するんだ。人間、一生に一度の大勝負に勝てばいい」

「そうかな」

「一見ラッキーなことも、実は運の尽きということもある。宝くじに当たったおかげで散財し、最後は破産なんて話、世の中にいっぱいあるだろう。物事なんて最後まで見てみないと分からないよ。実際、君は海洋技術センターを解雇されたおかげで、マクダエル理事長みたいな大人物に会えた。予定通り復職していたら、今も大西洋のど真ん中でお偉い先生に頭をコツかれ、あっちに行け、ここに行けで終わってたかもしれないよ」

確かにその通りだ。少なくとも、こんな接続ミッションは絶対に体験できなかっただろう。

「今は接続ミッションに注視しているが、本当に大事なのはその後だ。採鉱だけなら問題ないが、いざ選鉱、輸送、製錬の全体プロセスが動き始めたら、思いがけないトラブルに直面することもある。本当に成功といえるのは、システムが安定して、目標の売上高を達成してからだ」

「そうだろうね」

「だから、お前もそう深刻になるな。ぶっちゃけ、途中でトラブルが生じて、ミッションの日程が数日ずれ込んでも、何千万エルクの損失が出るわけじゃない。人的ミスでなくても、悪天候で中断に至る可能性は十分にある。それらも踏まえて、無理のないスケジュールを組んでいる」

「なるほど」

「前にも言ったが、どうしても無理なら、一日も早く断った方がいい。寸前までもたついて、何か起きてからでは、その方が他部署に迷惑がかかる」

テスト潜航が必要な根拠

「そのことだが、テスト潜航はできないだろうか」

「テスト潜航? 何のために?」

「操作の確認だ」

「お前一人のためにテスト潜航しろって? そりゃあ無理だよ。一度の潜航にどれだけの経費と手間がかかるか、お前も知ってるだろう。それでなくても本採鉱を前にして皆ぴりぴりしてるんだ。とてもじゃないが承服しないよ」

「俺にもれっきとした理由がある」

「どんな」

「過去三回のテスト採鉱の記録に目を通したが、今度の接続ミッションとは異なる場所で試験してる」

「異なるといっても、1キロメートルも離れてない」

「だが、今度の場所はテスト採鉱の時より300メートルも深い。前回の場所より凹凸も多いし、マップを見た限りでは平均勾配は9度だ。最も傾斜の大きい箇所は12度になる。破砕機も集鉱機も最大15度まで対応可能と聞いているが、九パーセントでもかなり重機は傾く。大きく傾いた状態で、本当にテスト時と同じ要領で接続できるのか? 三度のテスト採鉱は接続も重機の操作もスムーズだったという話だが、実際の採鉱区より300メートルも浅く、平坦な場所でテストすれば上手く行くのは当たり前じゃないか」

「そうだっけな」

「記録によると、一回目のテスト採鉱は昨年十一月、パイロットはキリチェンコとレビンソン。二回目のテストは今年三月、パイロットはレビンソンと大学生。三回目のテストは七月末、全て無人機で行ったんだな。なぜだ?」

「本来、接続ミッションも、キリチェンコとレビンソンがやるはずだったんだ。ところが一回目のテスト採鉱の後、キリチェンコが抜けたので、レビンソンはエイドリアンに声をかけた。セス・ブライト専務の子息で22歳の大学生だ。頭のいいスポーツマンで、ウィンドサーフィンや水上バイクはお手の物。小型船舶操縦士の資格も有して、水中ロボットは小学生の頃からいじってる。一時期、機械工学を目指していたほどのマニアだ。プロテウスに関しては、レビンソンから主に船体保持について指導を受けている。二回目のテスト採鉱では、プロテウスの中から機械操作も行った。もっとも、単純なスイッチのON/OFFぐらいだが」

「じゃあ、全くの素人というわけでもないんだな」

「僕はそう捉えてるよ。大学の都合でエルバラードに移住しなければ、今もこの場に居ただろう。将来、パイロットになるかどうかはともかく、接続ミッションではそれなりの役割を果たしたはずだ」

「三回目のテスト採鉱がオール無人機で実施された理由は?」

「理事長の指示だよ。万一に備えて、無人機でも100パーセント対応できるようにするのが狙いだ。これは現場の要望も大きい。接続作業に関しては、いずれ完全自動化に移行する予定だし、本採鉱が始まったら、プロテウスも不要になるからね。ところが、レビンソンがごねた。理事長とも相当激しくやり合ったはずだ。僕にもレビンソンがそこまでプロテウスに固執した理由は分からない。無人機に完全移行すれば、レビンソンも負担が軽減するはずなのに。ともあれ、三回目のテスト採鉱はオール無人機で敢行、余裕で完了した。その晩だよ。レビンソンが泥酔して行方不明になったのは」

「誰かに海に突き落とされた――なんてことはないのか」

「僕もちらと疑ったよ。多分、みな同じ思いのはずだ。だが、これだけは断言できる。皆、レビンソンの悪態と酒癖の悪さに辟易してたけど、殺意を抱くほどではない。それに、あの晩は各自にアリバイがある。警察も取り調べに来たから間違いない」

「だとしても、なぜテスト採鉱の時、実際の採鉱区で試験せずに、わざと平坦な場所を選んだんだ? 最初の二回は慎重を期したとしても、三回目のテストは本採鉱を意識してやるはずだ。それなら実際の採鉱区でやらないか?」

「それはマッピングと大いに関係がある」

「マッピング?」

「採鉱区のマッピング・データは既に重機のオペレーションシステムにアップロードされているからだ。十月十五日から来年三月までの半年間、どこを、どれだけ掘り返すか、既にプログラムされていて、これを変更するとなると、一からプログラムを組み直さなければならない。だから、実際の採鉱区はノータッチで、近隣の環境でテストしたんだ。テスト結果が良好なら、実際の採鉱区でも問題なく稼働するという見立てで」

「それでも納得がいかないな」

「君が思い描いているより重機の性能ははるかに柔軟だ。僕も三度のテストをつぶさに見てきたが、地形や深度の違いはそれほど足かせにならない。それに稼働中もコンピュータと人の目の両方でチェックする。万一、問題が生じたとしても、突然重機が横転するような事故にはならないはずだ」

「だが、揚鉱管の接続は別問題だろう。実験プールや平坦な海底面で、傾斜角ゼロの状態で接続するのと、勾配九度の斜面で、重機が傾いた状態で接続するのは大きく違う。ましてミッションを行う位置は段差に近い。深層流が思いがけない速さで流れてくることもある。採鉱予定区で深層流のスピードを詳しく調べたこともないんだろう?」

「それはまあ、そうだが」

「テスト潜航は必要だ。実際に破砕機と集鉱機を下ろして、もう一度、急斜でちゃんと接続できるか、確認した方がいい」

「じゃあ、ダグとガーフにそう言うんだね。大きな事は彼らが決定する」

「マッコウクジラの兄弟に?」

「彼らを納得させない限り、予算は一銭たりと下りない」

採鉱システムとプラットフォームの歩み

その日の夕方、ヴァルターは予算申請書を片手に五階のマネージャー室を訪れた。

木目の合板ドアをノックすると、室内にはダグラス・アークロイドが一人で居た。マッコウクジラのような巨漢がすっぽり収まる特注のスチール・メッシュの回転椅子に腰掛け、これまた特注サイズの事務用机に向かいながら、PCのボイスチャットで楽しそうにお喋りしている。

室内にもかかわらず黒いサングラスをかけ、貧乏揺すりしながらペラペラ喋りに興じる姿は、とても世界の構図を変える採鉱プラットフォームのマネージャーには見えない。彼が部屋の隅に立っているにもかかわらず、ダグはまるで視界に入らないようにお喋りを続け、五分も経つと、彼もさすがにバカらしくなり、これみよがしに溜め息をついた。

するとダグはちらと彼を一瞥し、「ダッチ野郎がな」とわざと彼にも聞こえるように言った。

彼は適当に無視して室内を見回すと、壁にたくさんの写真が飾られているのに気が付いた。

銀のメタルフレームに一枚一枚丁寧に収められた写真は、いずれも開発過程の苦労と手応えを物語るような古びたスナップだ。

最初の写真の日付は、一七二年二月月十日。旧式の海洋調査船の甲板で、スタッフ全員で記念撮影したものだ。彼らの足元にはコアサンプリングに成功した海底堆積物や海台クラストの塊が幾つも置かれている。真ん中に立っている、ころっとしたのがアル・マクダエルだ。タヌキのような面立ちは同じだが、顔には皺一つなく、髪も黒々として、全身に鋭気がみなぎっている。この時、アル・マクダエルは三十二歳。今の自分と二歳しか違わない。

次の写真は、一七五年十一月一日。海沿いの小さな工場で撮影したもので、採鉱システム開発の初期メンバーのグループが映っている。彼らの背後には集鉱機や水中ポンプのプロトタイプが置かれ、周囲にもスチール建材や工作機械が積み上げられている。大半は見知らぬ顔だが、真ん中に映っている二十代前半の中肉中背の青年二人がダグとガーフィールドだろうか。現在とはまったく見た目が違うが、クジラのようにきょろりとした黒い瞳に面影がある。その隣には、バスケットボール選手のように背の高い十代のマードックも映っている。

他にも、海洋調査船のラボラトリで試験官を振りながら照れくさそうに笑う女性研究員。コンピュータ・シミュレーション・システムの前でガッツポーズを決める若いITスタッフ。バーベキューを囲む海岸キャンプの一コマなど、新旧スタッフがそれぞれの持ち場でゴールを目指し、交流を楽しむ様子がカメラに収められている。

採鉱プラットフォームはアル・マクダエルの執念の結晶だが、それに携わった人々にとっても人生の集積そのものだ。初期の開発に携わった高齢の技術者の中には、システムの完成を見る事なく逝去した人もあるだろう。ダグやガーフィールド、マードックの父親世代だ。

テスト潜航が必要な理由

彼が写真に見入っていると、チャットを終えたダグが「いい写真だろう」と声をかけた。

「もうすぐそこの空いたフレームに本採鉱の記念写真が入る。それで完成だ」

見れば、並びの最後に空のフォトフレームが掛かっている。接続ミッションが完了し、いよいよ本稼働すれば、スタッフ全員で記念写真でも撮るのだろう。

「三十年の集大成だな。そりゃあ、おめでとう」

「だが、お前が失敗すれば、それどころではなくなる。お前、機械操作は間違いなくできるんだろうな?」

ダグがぎょろりと睨むと、彼は「ああ」と生返事した。

「『ああ』じゃねえよ。百パーセント、間違いなく出来るのか、と聞いているんだ」

「そのことだが、テスト潜航させてもらえないだろうか」

「テスト潜航?」

「実際に採鉱区に破砕機と集鉱機を降ろして、状態を確認する」

「そんなものは必要ない。三度のテスト採鉱に成功して、みな既にスタンバイに入っている。テスト潜航する暇も無ければ予算もない」

「だが、実際に採鉱区に重機を降ろして、どんな状態になるか見たこともないのに、どうして必要ないと言い切れるんだ」

「重機の性能やコンピュータ・シミュレーションを鑑みて全員で決めたことだ。オペレーターも何年も特別な訓練を積んでいる。問題はない」

「それも理解している。だが、テストした場所と採鉱区の地形の違いをじっくり見て欲しい。十度近く傾斜した場所で、前回と同じようにスムーズに接続できるのか」

すると、ダグはじいっと彼の顔を見つめ、

「お前、本当はビビってんだろ? 水深三〇〇〇メートルで、今まで見たことも聞いたこともない揚鉱管を繋げと言われて、小便ちびりそうになってんじゃねえか」

「怖い、怖くないの話じゃない」

「自信が無いなら、エイドリアンに替わってもらえ。頭のいい大学生だ。ここの事もよく知ってる。土壇場で失敗されて、三十年の努力を水の泡にされるぐらいなら、最初からエイドリアンに任せた方が数倍マシだ」

「だが、その大学生だって、深海で思いもよらぬ状況に陥ったら、冷静に対処できるわけじゃないだろう。そいつはプロテウスの隅から隅まで知り尽くしてるのか? ボルトを見ただけで、どの部位の、どんなシステムに組み込まれているか、正確に言い当てることができるのか。俺なら出来る。電気系統のトラブルも、油圧の故障も、ナビゲーションとの行き違いにも対処する自信がある。俺はプロのパイロットなんだよ。大学生のアルバイトとは訳が違う。パイプだけ繋いで済ますつもりはないし、学術的な目的もある。申請書にも書いてる通り、採鉱区の状態を目視するのが一番の動機だ」

「現場が見たいなら、無人機の水中カメラで十分だ」

「十分じゃないから、必要性を説いてるんだよ」

「どこがどう物足りないんだ」

「カメラの視野はどうしても限られる。解析能力だって未だ人間の目には及ばない。微妙な色の違いや形状の変化、細かな粒子の動きなんかは、現場に行って直接見てみないと分からない。何かに気付いた時、すぐにサンプルを採ったり、録画したり、迅速に対応できるのも大きなメリットの一つだ。だから機械操作のテストを兼ねて、一度、自分で見てみたいと言ってるんだよ」

「お前の好奇心の為に300万エルク?」

「好奇心じゃない。確認だ。事前にどれほど調査を重ねて、精密なデータを揃えても、いざ破砕機や集鉱機を動かして、海山表面の形状が変われば、思わぬトラブルに直面することもある。そういう不測の事態に供えて、最後にもう一度、採鉱区の様子を間近で目視したいと言ってるんだよ」

「お前、一回の潜航にかかる費用と人手が分かってるのか。プロテウスの運航スタッフは、みなノボロスキ社から呼んでいる。整備工、クレーンのオペレーター、ナビゲーター、ダイバー、通常で十数名、時には二十名超えだ。彼らの送迎費、滞在費、時給、運営コストだけでもバカにならない。それに金だけじゃない、彼らが宿泊すれば居室の準備もいるし、食事だって、その分余計に食材を手配しなければならない。何日も前から各部署でスケジュールを組んで、それに合わせて業務も調整するんだ。そして、十月十五日まで、みな決められたスケジュールで動いている。よほどの緊急事態でない限り、大きな変更は加えられない」

「だが、本番で何かあったら、そんな事は言っておれなくなる」

「じゃあ、お前がやらなきゃいい。接続ミッションは無人機でも十分対応できる。大体、プロテウスのパイロットなんか必要ねえんだよ。ミッションが終われば、プロテウスもノボロスキ社に払い下げるし、今後の深海調査はノボロスキ社が主導でやる。MIGは採鉱事業に徹して、今までとは方針も異なるんだ。そんなにプロテウスに乗りたきゃ、ノボロスキ社に鞍替えしな。あそこの社長なら喜んで雇ってくれるさ、特にお前みたいな単細胞のバカは」

「どういう意味だよ」

「言った通りだ、テスト潜航は必要ない。誰に入れ知恵されたか知らんが、出ないものは出ないんだ。お前に入れ知恵した奴にもよく言っておけ」

「ここに来たのは俺の意思だ。誰にも入れ知恵などされてない」

「じゃあ、なんで来たんだ」

「プラットフォームのマネージャーだからだ」

「顔に似合わず、ちゃんとわきまえてるじゃねえか」

「俺にも職務への敬意はある。ただし、あんたに尊敬すべき点があるかどうかは別問題だがね」

「なんだと」

「いずれ、このプラットフォームは売り上げ第一の工場になる。早い話、テスト採鉱に成功した時点で、あんたの三十年は終わるんだ。これから十年、二十年、先を見据えて頭を切り換えないと、今に評価も下がって、真っ先にリストラの対象になるぞ」

「オレはな、お前がおしめを付けてた頃から、ここで身体を張って働いてきたんだ。お前なんかより、ずっと物事を知ってるし、理事長の考えだって理解してる。お前に進言してもらわなくても、皆、ちゃんとやっていく」

「分からん人だね、あんたも。理事長がいかに人間的に立派でも、経営者は経営者だ。最後には人情より利益を取る。重用されたからといって油断していたら痛い目に遭うぞ」

「お前、死に損ないのくせに、ずいぶん生意気な口をきくな」

「俺は本当のことを言ってるんだよ。頼むから、一度考えてくれないか。大きな負担なのは百も承知だ」

だが、ダグは彼に予算申請書を突き返し、

「そんなにテスト潜航したけりゃ、まずは300万エルクの予算を自分で捻出しろ。そうしたら考えてやる」

ナビゲーション

Kindleストア

海洋小説 MORGENROOD -曙光

宇宙文明の根幹を成すレアメタルと海洋社会の覇権を懸けて水深3000メートルの深海に挑む。
リストラされた潜水艇パイロットが恋と仕事を通して再び生き道を得る人間ドラマです。
海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

最近の投稿

章立て

トピックス