Luctor et Emergo わたしは闘い、水の底から何度でも立ち上がる

この投稿は、海洋科学をテーマにしたサイエンス・フィクションです。詳しくは作品の詳細をご参照下さい。


第一章 運命と意思 ~フォルトゥナ号(4)
STORY
失踪したプロジェクト・リーダーの後任として潜水艇パイロットのヴァルター・フォーゲルに目を留めるが、彼は解雇された上、再建コンペで意匠の盗用の疑いで失格していた。だが彼のプレゼンテーションを目にしてアルの印象も変わる。 Luctor et Emergo は故郷の大洪水で心に深い傷を負った彼の心の叫びだった。
目次

解雇された潜水艇パイロット

ヴァルター・フォーゲルの身上調査

接続ミッションは、遠隔操作の無人機で出来ないこともないが、水深3000メートル下で、洋上のプラットフォームから降下される揚鉱管のフレキシブルホースの先端を捉え、集鉱機に接続したり、高電圧リアクターのケーブルを繋ぎ換えたり、難度の高い作業もある。若いオペレーターのスキルを疑うわけではないが、そこは年寄りの何とやら、やはり従来の手順通り、有人潜水艇によるフォローの下、確実に遂行してもらいたい。

そこで同型の有人潜水艇を有するフランスの海洋技術センターに問い合わせたところ、紹介されたのがヴァルター・フォーゲルだ。

本人はどこでもその名を名乗っているようだが、実名はWalther(ヴァルター) Lacroix(ラクロワ)という。古風なドイツ名と洒落たフランス姓を無理矢理くっつけたようなこの男は、ネーデルラントのフェールダムという干拓地に生まれた。父親はドイツ人、母親はエクス=アン=プロヴァンスの高貴な人で、蘭・仏・英・独の四カ国語を操る。十三歳の時、ネーデルラント南部を襲った未曾有の大洪水で生家と父親を失い、フォンヴィエイユ*5というモナコとフランスの国境沿いにある港町に移り住んだ。父親は治水局の土木技師で、洪水の夜も最後まで堤防を守ろうとして命を落としたようだ。その後、母親がジャン・ラクロワというマルセイユの実業家と再婚した為、名前もヴァルター・ラクロワに変わった。

十四歳から十五歳にかけて、マルセイユの名門私立学校に通っていたが、十五歳の夏、薬物使用で家裁送致され、地元の商船学校に転学。航海士の免許を取得した後、理工大学の海洋学部に学び、そこそこに優秀な成績を収めて海洋技術センターの運航部に入職。有人潜水艇《プロテウス》のパイロットとして研鑽を積み、潜航回数は一二〇回を超える。
海洋技術センター曰く「仕事ぶりは非常に熱心で、人柄も誠実だが、地味で、寡黙で、職場の仲間ともほとんど交流がない」。

解雇した理由は、よくある人員整理だ。

有人の深海調査はコストも人手も馬鹿にならないことから、世の流れはどんどん無人化に向かっている。宇宙探査の技術が逆に海洋科学に応用され、水深数千メートル下でも自在に動き回る高機能な自律型無人機が次々に開発されていることもあって、有人潜水調査は縮小の傾向にあった。

それは伝統あるフランスの海洋技術センターも同様で、誰を切るかという話になった時、一番若くて、能力もあるヴァルター・フォーゲルの名が真っ先に上がった。四十代、五十代のベテランパイロットから仕事を奪うより、若くて有能な独り者を解雇する方が痛みも少ないという上層部の判断だ。アルが運航部のトップでも同じ事を考えただろう。

ところが、解雇通告から二週間後、ロッカーに置き忘れた私物のことで連絡を取ろうとしたら、すでに電話もメールも通じず、何所に行ったか分からないという。マルセイユの母親に連絡したら、その時初めて息子がステラマリスを出て行ったことに気付いたようで、慌てて捜索願を出した。

宇宙航空局の調べで二月末日にトリヴィアに到着したことだけは判ったが、そこから先の足取りはまったく掴めず、警察と移民管理局のリストにも名前がなく、生きているのか死んでいるのかも分からない。

再建コンペと取り消された入賞

(こんな男を紹介されても何の役にも立たん)

アルは呆れながら身上調査書を眺めていたが、一点、面白い事に気が付いた。解雇される八ヶ月前、再建コンペに参加する為、休職していた事実だ。

何の再建コンペかと思えば、彼の故郷フェールダムの再建案をめぐるアイデアコンペである。それも深海調査とは全く無関係な建築・土木の分野だ。

潜水艇のパイロットが何でそんなものに参加するのかと、コンペ実行委員会のオフィシャルサイトを覗いてみれば、確かに『作品名・緑の堤防』『発案者・ヴァルター・フォーゲル』の名前がある。

しかも、よく目立つ赤字でこう書いてある。

《第二位に選出された『緑の堤防』は、ロイヤルボーデン社の広告用パースの意匠を盗用した為、入賞リストから抹消されました》

他社の建築パースを盗作して、再建コンペに参加したのか?

(呆れて物も言えん)とオフィシャルサイトを閉じかけたが、それでもどんな作品だったのか興味ある。

まだインターネットのどこかに残ってないかと探してみれば、地元住民が個人で運営しているウェブログに再建コンペの詳細が記されていた。

十六年前、大洪水で壊滅したフェールダムの干拓地は『デ・フルネ』という若者の復興ボランティアグループに牽引され、徐々に緑を取り戻しつつあった。ところが、自治体と地元経済界は、河口から海岸にかけてモダンなリゾート施設を建設する計画を持ち出し、デ・フルネと元住民らが猛反発、識者も巻き込んで大論争となった。そこで自治体は騒ぎを沈静化し、社会の合意を得る為に、一般からも広く再建案を募るアイデアコンペの開催に踏み切った。

ヴァルター・フォーゲルはデ・フルネの仲間と共に、人工地盤の造成やインプラント補強を織り込んだ『緑の堤防』を提案し、一般投票で圧勝、最終審査でも二位に選出された。ところが審査後、ロイヤルボーデン社の広告用パースの意匠を盗用した事が発覚し、入賞を取り消されたのである。

それが海洋技術センターを解雇される一ヶ月前の話だ。

(お偉方の逆鱗に触れたな)とアルは直感し、デ・フルネのオフィシャルサイトも覗いてみた。グループの最高責任者ヤン・スナイデルと並んで、長年復興ボランティアの中核メンバーを務めてきたようだ。

メンバーが寄稿しているウェブログには、ヴァルター・フォーゲルが書いたコラムも多数掲載されている。全てオランダ語で記述されている為、アルの自動翻訳ソフトウェアでは百パーセント正確に読み取ることはできないが、故郷とは、復興とは、治水とは、フェールダムの再建に懸ける想いが槌音のように伝わってくる。

さらにリーダーのヤン・スナイデルが最近投稿したと思われる怒りの文章が残っていた。

「もう一度、ロイヤルボーデン社の広告用パースと見比べて欲しい。これが盗作なら、世に出回っている堤防のパースは全て意匠の盗用だ。オレは最終審査のプレゼンテーションを信じる。これが虚偽だと思うなら、その理由をぜひ教えて欲しい」

そこには会場前列から撮影した動画が掲載されていた。

Luctor et Emergo わたしは闘い、水の底から何度でも立ち上がる

再生したアルは「あっ」と目を見張った。

なんと舞台映えする男なのか。背は高く、肩幅はがっしりとして、目鼻立ちの美しさが遠目にも分かる。立ち姿も獅子のように雄々しく、海洋技術センターのしけたプロフィール写真とは大違いだ。

壇上の大型プロジェクトスクリーンには、本当に彼自身が手掛けたのだろう、『緑の堤防』のパースが映し出されていた。画面の左手前から右上方にかけて、海沿いに一直線に伸びる締切堤防と、その先に連なる緑の盛土堤防が未来の架け橋のように美しい。

彼は演台で大きく息を吐くと、『緑の堤防』のコンセプトについて語り始めた。

演説もオランダ語の為、アルは自動翻訳でしか理解できないが、それでも身体の奥からほとばしるように訴えかけているのが分かる。

「Luctor et Emergo」

「大地こそ社会の礎」

「くにづくりは百年の計」

一言一言に会場が頷き、心を震わせる様子が動画からも十分に伝わってくる。

(こいつは本当に潜水艇のパイロットなのか――?)

アルは手元の資料を繰り、何度も経歴を確かめたが、商船学校と海洋学部で学んだ以外、これといったキャリアはない。

どこで、どうやって、これほどの見識と弁舌を身に付けた?

天性か。

勢いか。

それは言語の違うアルでさえ見入ってしまうほど情熱的で、深みのある語り口調だった。

最後に彼は切々と訴える。

「どうか思い出して下さい。God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland.(この世界は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が造った)。フェールダムも同様です。我々の手で再建しましょう。Luctor et Emergoを合い言葉に」

Luctor et Emergo.

それはゼーラント州の記章に刻まれたモットーだ。

英訳すれば、struggle and emerge.struggleは「もがく」「奮闘する」、emergeは「水中や暗闇から現れる」「苦境から身を起こす」という意味である。

そこまで調べて、(そうか)とアルは納得した。

水の底から立ち上がりたいのは、彼自身――洪水で家も父親もなくし、悲しみに沈む己を故郷(フェールダム)になぞらえて、再建、再建と叫んでいる。

どんな経緯で断罪されたのか知れないが、コラムやプレゼンテーションを見る限り、他社の広告用パースを平然と盗用する男には到底思えない。

仕事のオファー ~二度と海に還る気はなく

アルは直接会って話したいと思い、海洋技術センターに教えられた連絡先に電話とメールをしてみたが、やはり繋がらない。嘱託の調査員に依頼して、トリヴィアの宿泊施設や旅行代理店も探らせたが、それらしき情報は得られなかった。

やきもきしながら調査員の続報を待っていると、八月半ばにヴァルター・フォーゲルの運営する『水を治める技術のアーカイブ』を見つけたと連絡があった。デ・フルネの仲間と共同で作成したオンライン・データベースだ。一覧性に優れたポータルサイトには、フェールダム再建に役立つ土壌改良や塩害除去、植樹のノウハウをはじめ、堤防の修復、干拓地の造成、治水や護岸整備など、様々な情報がカテゴライズされ、誰でも手軽に閲覧できるようになっている。

なるほど、海洋調査の合間にこんな事を手掛けていては、同僚と遊び歩く暇もないだろう。あるいは故郷の思い出に閉じこもって、誰にも心を開かずにきたか――。

調査員の話では、『TrustIn(トラストイン)』というクラウド型グループウェア・サービスに公開されているという。

『TrustIn』は、数名から数百名が参加可能なソーシャル・ネットグループを構築するシステムプログラムで、世界的に人気が高く、トリヴィアにも支社がある。グループウェア開発の他、共有ホスティングサーバーやイントラネットの構築など、様々なサービスを展開しており、彼も自身のユーザーアカウントを使って『水を治める技術のアーカイブ』を管理しているらしい。

さらに高度な手法を使って発信元を突き止めたところ、彼は学研都市エンデュミオンのローカル通信サービスを利用して『TrustIn』の共有サーバーにアクセスしていることが判明した。

ということは、今、エンデュミオンに居る可能性が非常に高い。

アルは早速『水を治める技術のアーカイブ』に掲載されているメールアドレスにメッセージを送ってみた。ただし、相手が本当にヴァルター・フォーゲルかどうか分からない為、最初はMIGのマーケティング担当を偽り、「『水を治める技術のアーカイブ』は幾らで売ってもらえるだろうか?」というメールを英語で送信した。メールにはそれと分からぬよう追跡コードを仕込み、送受信の記録から現在地、PC機種、メールサーバーの仕様などを割り出すことができる。

程なく返信があり、文面には一言、《onbetaalbaar》

何のことかと調べたら、オランダ語で『値段の付けようがないほど』という意味だ。

メールを分析したところ、確かに差出人はヴァルター・フォーゲルで、エンデュミオンのトレーラー村から発信されている。もし、ここに滞在しているなら、エンデュミオンの保安局に必ずリストアップされているはずだ。トリヴィアでは数年前から不法滞在の取り締まり強化で、保安官が定期的に巡回し、トレーラーやテントに寝泊まりする者の名簿を作成して、身元の把握に努めている。

予想は大当たりだ。

三月中旬にWalther Lacroixの名前とパスポート番号が滞在者リストに登録されている。どうやらトリヴィアに着いたその日にトレーラーハウスをレンタルし、そのままエンデュミオンに居着いたようだ。

ならばエンデュミオンから『水を治める技術のアーカイブ』のデータファイルを操作し、メールの送受信をしているのも本人に違いない。

アルはもう一度、同じメールアドレスに文書を送った。今度は探りではなく、正式な仕事のオファーだ。

アステリアでは近く海底鉱物資源の本採鉱を予定しており、有人潜水艇や海洋調査機器のオペレーションに堪能で、なおかつ調査データの分析ができる人材を求めている。海洋
技術センターでの君の業績を高く評価しており、ぜひ採鉱プラットフォームの接続ミッションに助力して欲しい――という丁寧な文面である。

メッセージには作成者がアル・マクダエル自身であることを証明する電子署名も添付した。

すると、翌日の夜、アルの筆致に合わせるように、丁寧な英語のメールが返ってきた。

自分は深海の学術調査が専門であり、海底鉱物資源の採鉱はまったく経験がない。それに潜水艇のパイロットとしては一年以上のブランクがあり、勘も鈍っているから、以前のようにプロテウスの操縦ができるとも思えない。安請け合いして、貴殿の事業に迷惑をかけるのも申し訳ないので、大変有り難い申し出ではあるが拝辞いたします――という、何ともし
おらしい内容だ。そして末尾には、「二度と海に帰ることはない」と書き添えてある。

アルはもう一度、メールを書いた。

「なぜ二度と海に帰る気がないのか」

すると、彼の返事はまたも一言。

《sprakeloos》

オランダ語で「言葉では言い表せない」

それ以降、彼から一切連絡はなかった。

【リファレンス】 ゼーラント州のモットー 『Luctor et Emergo』について

本作の標語でもある『Luctor et Emergo(私は闘い、水の中から姿を現す)』はオランダ・ゼーラント州のモットー(ラテン語)です。

英訳すれば、 I struggle and emerge

struggle の意味は、

もがく,あがく;戦う,組討ちする,格闘する
苦闘してやり遂げる[処理する];〈道を〉苦労して進む.
[リーダーズ英和辞典第3版]

emerge の意味は、

a 《水中・暗闇などから》出てくる,現われる (opp. submerge);〈…の中へ〉出ていく〈into〉.

b 〈不景気・貧困・低い身分などから〉抜け出る,脱出する〈from〉;(…として)頭角を現わす,台頭する〈as〉;生 ((創発的)進化によって)出現[発生]する.

2 〈新事実などが〉わかってくる,現われる,明らかになる;〈問題・困難などが〉持ち上がる. L (MERGE)
[リーダーズ英和辞典第3版]

幾度となく大水害に見舞われ、その度に、知識と技術を駆使して立ちあがってきたオランダ人の気骨が見事に凝縮されたモットーです。

Coat of arms of Zeeland
By User:Rode raaf - Hoge Raad van Adel SVG is Own work, Public Domain, Link

主人公のヴァルターも、プレゼンテーションの前、必ずこのモットーから始めます。

水の中から立ち上がりたいのは自分自身。

そして、ついに運命のプレゼンテーションで本領を発揮します。

この日の為に全てがあったと納得できる瞬間です。

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