あなたに運の風を吹かせる為に私が居る ~潜水艇の実況と遠隔教育システム

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 深海調査・ウェストフィリア ~調査のオファー(6)
STORY
北方の火山島・ウェストフィリアの深海調査に協力することに決めたヴァルターは、オファーの条件として潜水艇からの実況中継を申し出る。しかし、オリアナは企業機密を理由に彼の要望を無視し、非常識だと詰る。 相棒のフーリエにも「深海調査にだけ専念しろ」と促され、自分のアイデアに自信をなくすヴァルターだったが、その陰で、リズが実況の実現に向けて、多方面に働きかけていた。 「俺が尋ねた時は何も動かなかった」と落ち込むヴァルターに、「あなたに運の風を吹かせる為に、私がいる」とリズは励ます。

三月十一日。火曜日。

ヴァルターはフーリエと一緒に作業用の防寒具を購入する為、ポートスクエアで待ち合わせた。

ウェストフィリアの気温は最高でも摂氏ゼロを越えるかどうかだ。海上ではさらに下がる。手持ちのウィンドブレーカーやフード付きパーカーでは到底寒さをしのげない為、ローレンシア島で唯一の専門店で買い揃えることにした。フーリエもウェストフィリアは初めてなので、いくつか冬物衣類を購入する予定だ。

バスを乗り継いで、ポートスクエアのバス停で待っていると、フーリエの運転する白いファミリーカーがやって来た。

二人が向かうのは、倉庫街にある『North Pole』という特殊衣料店だ。専門は作業着とユニフォームだが、最近では一般に入手しにくいマニア向けのマリンレジャー用品やスイムスーツなども取り扱っており、企業だけでなく、一般人の顧客も着実に増えている。

ローレンシア島もローランド島も年中通して温暖な気候の為、氷点下に着用する高機能アウターや保温インナー、防寒手袋や帽子、ウィンターシューズは町中のスポーツ店では扱っていない。個人がトリヴィアの専門店から取り寄せると送料だけでも馬鹿にならない為、North Poleが企業や個人客から一括して注文を聞き、メーカー直販の流通で月に一度、まとめて仕入れる受注販売を手がけている。

「こういう店でも、ウェストフィリア開発に対する期待は高い」

フーリエは品物を手に取りながら言った。

「これからどんどん極寒地に人が赴くとなれば、衣料に、小物に、作業用品に、携帯食料に、需要も右肩上がりだからな。今のところ、寒冷地用の作業着や防寒具を扱っているのはNorth Poleだけだから、ライバルが乱立する前に一儲けして、流通システムの拡充やカスタマーの囲い込みに力を入れたいところだろう」

「ちなみに、個人でウェストフィリアに行く人などあるのか?」

「個人で出掛けるのは、まあ無理だろう。船舶なら最低でも六十時間かかるし、係留する場所もない。空からのアクセスもヘリコプターでないと着陸できないし、片道約2500キロを一度もランディングすることなく往復するなど、個人の小型機では到底無理だ。それに、しょっちゅう噴火や大地震で立ち入り禁止令が出てる。専門家でも上陸するのは年に一、二度だそうだ」

「継続して調査するスタッフも大変だな」

「そうかもしれん。だが、学術的には興味深い場所だ。南極観測隊みたいに、山奥の基地に長期間泊まり込んでも調べたい研究者は大勢いる。それにしても、エンタープライズ社も太っ腹だな。必要な衣類は全額会社持ちだって?」

フーリエが声を弾ませた。

「そうなんだ。アウターも防寒具も全部で幾らぐらいかかるのか、相当な出費を覚悟していただけに、助かったよ」

「だろうな。パリの量販店で赤札の商品を買うのと訳が違う。ここではプロ仕様の防寒具なんて、高級舶来品みたいなものだからな。でも当然だ。いきなり、あんな極寒地に調査に行けと頼まれて、作業用の防寒ジャケットも支給してもらえないようでは士気も下がる」

フーリエは右に大きくハンドルを切ると、倉庫街の共用駐車場に車を停めた。

倉庫街は第一埠頭と第二埠頭の中間地点にあり、トリヴィアから運び込まれた物資や、メーカーの商品などの一大保管場所になっている。近頃では空き倉庫を利用したダウンタウン風のショッピングセンターや、家具、モーターバイク、家電など、大型商品を扱う店も増えており、一般の買い物客も多い。

『North Pole』も小さな空き倉庫を改装したもので、店内には窓も飾りもなく、天井の配管が剥き出しになっているが、スチール製の商品棚には、ビニール袋に入ったままのアンダーシャツや下着、ウィンターシューズなどが豊富に並び、商品棚に入りきらない帽子や手袋の段ボール箱が所狭しと積み上げられている。

彼はショッピングカートを押しながら、フーリエの後に付いて店内をくまなく見回し、防寒ジャケット、セーター、下着、靴下、帽子、手袋、甲板作業用の厚手の繋ぎ、防水加工の作業靴、軽量ゴーグルなどを買い揃えた。

フーリエも時々足を止めては高機能アンダーウェアやウィンターシューズを手にとって眺め、ウールの下着と、厚手の靴下を何足か自身の買い物カゴに入れた。

「夕べ、海洋調査の対象区域は最低気温マイナス10度で、風速30メートルの雪風が吹き荒れていたらしい。お前、陸に上がって長いから、話を聞いただけで凍えるんじゃないか?」

フーリエがからかうように言うと、彼は口を尖らせ、

「運河の氷が割れる方がよっぽど怖い。それにマイナス十度なんて、余裕でサッカーができるじゃないか。俺が本当に寒いと感じるのはマイナス二十度をきってからだ。俺の友達なんか、マイナス22度の日に『海を見に行こう』と誘いに来たぐらいだよ。北海育ちは鼻毛が凍るほどの寒さに快感を覚えるんだ」

「そうか、それなら防寒ジャケットは要らないだろう。どうせなら氷漬けになって、嬢ちゃんに介抱してもらえ、『まあ、こんなに冷たくなって可哀相』と抱いて温めてくれるぞ」

フーリエは笑いながら買い物を続けた。

必要な物が全て揃うと、彼はカートを押してレジに向かい、セス・ブライトに指示された通り支払いの手続きをした。金額を見て、改めて支援に感謝だ。

フーリエは再び彼をポートスクエアのバス停に送って行くと、

「そういえば、ウェストフィリアの実況とか言ってたのはどうなったんだ?」

「マイニング・リサーチ社のスタッフに問い合わせてるが、まだ何の連絡もない」

「そうだろうな。常識で考えれば、まあ無理だ。区政やノボロスキ社にだって、まともな情報が伝わってこない。ましてお前個人の裁量で実況など、逆立ちしたってあり得ないよ」

「……」

「ともかく深海調査にだけ専念しろよ。見習いパイロットもいい実地経験になると期待してる」

フーリエは念を押すと、白いファミリーカーを飛ばしてノボロスキ社に帰って行った。

(7)

「常識」か――。

 それも重々、理解しているが、時には常識の壁を打ち破る試みも必要だろう。

 前例がないなら、自分が前例になればいい。

 前例のないことが、必ずしも無用なわけではない。

 あれこれ思い巡らせながら、ステラネットのワーキングルームに戻ってくると、ゾーイがキーボードを叩きながら、「女の人が来たよ」と言った。

「女の人?」

「私も顔を見たわけじゃないけど、受付から連絡があったの。しばらくロビーで待ってる、って」

「何時頃?」

「半時間ほど前かな。まだロビーに居るんじゃないの。あなた、ここに戻ってくる時、全然気付かなかったの?」

「知った顔は見なかったよ」

「じゃあ、待ちくたびれて帰ったのかも」

「もしかして、黒ずくめの人?」

「知らないわ、そんなこと。受付さんに聞いてみたら」

 彼はロビーに引き返すと、吹き抜けのアトリウムやオープンカフェや通路奥のエレベーターホールなど一通り見て回った。

 やはり知った顔はなく、エントランスに足を向けた時、背の高い観葉植物の陰に黒いボディコンシャスの女性の後ろ姿を見かけた。頭に血を上らせて近寄って見ると、まったくの別人だ。

 再びロビーを見回すが、やはり知った顔はない。半時間前というから、待ちくたびれて帰ったのだろう。

 仕方なくエントランスの折れ階段を上がりかけた時、二階の通路の手摺りから目映いばかりの美女が身を乗り出し、彼に手を振った。パールホワイトのセットアップドレスに南洋真珠の二連ネックレスを合わせ、階上から微笑みかけるのは、彼の運命の女神に相違なかった。

「今日はずいぶん華やかだね。これからパーティー?」

「いいえ、ちょうど終わったところよ。夕べ、電話でお話したでしょう、今日は午後から産業見本市の開会式があって、父の代理で祝辞を述べるって」

「ああ、そうだっけね」

「いやあね、また上の空だったの?」

「君の声が春風のように優しいので、つい、うたた寝を」

「口が上手いのね。また電話で話しながら、サッカー中継に夢中になっていたのでしょう。でも、いいわ、こうして会えたのだもの。少しカフェでお話しできるかしら。地下の駐車場に車を待たせているから、あまり長く時間は取れないけども」

「喜んで」

 彼は彼女を伴ってオープンカフェに向かうと、日当たりのいい場所に席を取った。

「それで、見本市は盛況だったかい?」

「ええ。区政の担当者が仰るには、産業関連のイベントでこれほど人が集まったのも初めてだって。それも開発公社の関係者やトリヴィア産業省の高官、GPオイル、スタットガス、オーシャン・リサーチなど、名だたる企業の代表も大勢見えられて、ちょっとした政界パーティーのようだったわ。経済界のウェストフィリアへの関心も上々だそうよ」

「そう」

「それでね、オープニングセレモニーの一環として、ちょっとしたイベントを企画したの。十分くらいのドキュメンタリー・フィルムよ」

「ドキュメンタリー・フィルム?」

「ええ。アステリア開発史のね。MIGの社内アーカイブに貴重な写真や動画があったから、それを編集して上映したの」

「全部自分で手がけたのかい?」

「編集の大半はダグとワディに手伝ってもらったわ。二人とも『エデン』で静養中だけど、PCならリクライニングチェアでくつろぎながらできると、快く協力して下さったの。それをセスが最終的にチェックして完成よ」

「ダグやワディも経験が役立って、やり甲斐があっただろうね。内容はどんな風に?」

「ローレンシア海域の海洋調査と工業港の建設をメインに、プラットフォームの歴史も少し取り入れたの。皆さん、とても感銘を受けられて、いろんな質問をされたわ。私には分からないことも多かったから、大半はセスが答えてくれたけども」

「それは興味深いだろうね。特に海洋調査は見ると聞くでは大違いだから」

「その通りよ。ステラマリスならともかく、トリヴィアの人々にとっては驚きの連続よ。それで、こういうアーカイブをもっと表に出してはどうか、という意見も方々から頂いたわ。アステリアの歴史や魅力、経済特区としての可能性などを外部に広く知ってもらうことで、企業の参入はもちろん、トリヴィア政府や一般市民の関心も高まるのではないかと。その後、キプリング社長から海洋情報ネットワークについて、ご説明をいただき、私の方からはオーシャン・ポータルとOne Heart, One Oceanの理念を話したところ、皆さん、とても興味深く耳を傾けて下さってたわ。一企業、一私人の利得を離れた、公共性の高いコンテンツなら一般にも広く受け入れられるだろうって。だから、あなたも自信をもって推し進めればいいのよ。今は大きな支持を得られなくても、内容が良ければ徐々に協賛も集まるわ」

「……」

「あの――どうなさったの?」

「俺が尋ねた時は何も動かなかった」

「そんな卑下しないで。物事には機運があるわ。タイミングとアイデアの良し悪しはまた別よ。私もあなたが何かを成そうと一所懸命だから、助力せずにいないのよ。それはメイファン女史やダグやワディも同じだと思うわ。元を辿れば、あなたの力なの。あなたが始めたから、ここまで動いたのよ」

「それでも聞いた話とずいぶん違う。オーシャン・ポータルも、ウェストフィリアの広報も、やるだけ無駄で非常識かと思ってた」

「そんなことはないわ。鉱山会社やエネルギー会社に限らず、新規事業の可能性を探っている企業も少なくないのよ。中には、お金を払ってでも詳しい現地情報を得たい人もいるでしょう。これから調査を重ね、正確なデータに基づいて情報発信することは決して無駄ではないわ」

「そうかな」

「もちろんよ。ウェストフィリアに限らず、創設されたばかりの経済特区が現地の気候や暮らしや情勢などを詳しく紹介して、世界中の企業や投資家にPRするのは基本中の基本でしょう。ウェストフィリアの場合、それこそ未知の領域だもの。鉱業でも観光でも、素晴らしい可能性があるなら積極的に広報すべきだと思うわ」

「……やっぱり、そうだよな」

「それでね。海洋調査の実況だけど、ローレル・インスティテュートの『遠隔教育システム』を利用してはどうかしら」

「遠隔教育システム?」

「アステリアに暮らす子弟もトリヴィアと同等の高度な教育が受けられるよう、ローレル・インスティテュート基金が中心となって整備したオンライン教育システムよ。遠隔教育システムを使えば、自宅でも、教室でも、図書館でも、何所でもトリヴィアの学校の授業を聞くことができるし、先生とマンツーマンで指導も受けられる。教科書や資料の共有、オンラインフォーラムやゼミへの参加、デジタル図書館の利用など、使える機能も幅広いわ。そして、この遠隔教育システムの一番の特徴は、パソコンやモバイルなど、通信可能なデバイスが一台あれば、専用ネットワークを利用して自ら開講できることなの。もちろん、有料の講義を開くには管理委員会の許可が要るけども、学生が研究発表したり、有志がワーキンググループを結成するのは自由で、学術目的であればほとんど制約はないわ。だから、もし、あなたが潜水艇から実況したければ、支援船の通信機能を利用して、『講義』という形で発信することが可能なはずよ」

「なるほど」

「私自身はローレル・インスティテュートに個人的な知り合いはないけど、長年、基金の理事を務めておられる方なら、父の繋がりを通して、あなたを紹介することが出来るわ。その方に趣旨を話せば、力になって下さるのではないかしら」

「君のパパの知り合いか……」

「どうか悪い方に取らないで。親の七光りで圧力をかけるわけじゃなし、こういう時は素直に縁故を頼って、少しでも可能性を広げた方が賢明よ。誰もあなたがのし上がる為に父の名を利用してるなど思わない。それに、私はあくまで紹介するだけ、その先の運が掴めるかどうかはあなた次第よ。パパのコネで何でも動かせるほど世間は甘くないわ」

「じゃあ、今回は君の助言に従って、ローレル・インスティテュートの理事に相談することにしよう。海洋教育の一環として調査の模様を伝えるなら、開発公社も許可してくれるかもしれないからね」

「今日はオーシャン・リサーチ社の代表とも話したけど、有人潜水艇や無人探査機の維持費はもちろん、深海調査にも莫大な経費がかかるから、区政や一企業の予算だけでは到底まかなえないと仰ってたわ。かといって『海の星』が自身を知ることを止めたら、それこそ宝の持ち腐れ。人々の安全や産業の発展にも関わることだから、もっと必要性をアピールすれば、社会の見方も変わってくるかもしれないって。また、プロテウスのコクピットから実況するにしても、思い付くままに喋るのではなく、科学番組のようにシナリオを用意した方がいいとアドバイスを下さったわ」

「それなら『ザ・ユニバース』や『オーシャン・プラネット』が参考になるよ。子供の頃から欠かさず見ていたから、なんとなく流れは分かる」

「それじゃ、早速、今から先方にアポイントを取って、今夜のうちに簡単な企画書を準備しましょう。出航まで五日しかないんですもの、急がないと」

「今夜のうちに?」

「ええ。セスに話して書斎を借りるわ。エイドリアンも交えれば、ローレル・インスティテュートの仕組みも詳しく分かるでしょう。帰りはタクシーであなたを送らせるわ。仕事で遅くなるのだから、交通費は気にしないで」

「至れり尽くせりだね」

「当然よ。皆の将来がかかってるんですもの。のんびり構えてなどおれないわ」

「皆の将来?」

「そうよ。私も、初めてウェストフィリア開発の話を聞いた時は、ファルコン・マイニング社が噛んでいるというだけで厭悪しか感じなかったけれど、今日、参画企業の代表と話して、皆が皆、ファルコン・マイニング社寄りの考えを持っているわけではないと確信したの。アステリア全体が発展すれば、いずれエネルギーや原料不足に直面するのは明らかだし、ネンブロット以外に資源供給地を求めているのはどの企業も同じよ。むしろファルコン・マイニング社に近い位置にある企業ほど共倒れを恐れて、独自路線を開きたい意向が強いかもしれない。ファルコン・マイニング社も、ここまで企業としての悪評が高まれば、第二、第三のネンブロットを作るどころではなくなるでしょう。私たちも、もっとニュートラルな視点で考えるべきかもしれない。企業同士で戦争してるわけじゃないんだもの」

「それでいいと思うよ。君まで先代の諍いを継承することはない。協力できる部分は協力し、譲歩できる部分は譲歩して、柔軟な企業活動を心がけたらいい。その方が人々も安心する」

「私がこういう見方が出来るようになったのも、私利私欲を離れて、一所懸命に働きかけるあなたの姿を間近で見てきたからよ。何もかも、あなたのおかげよ」

「俺はまだ何もしてないよ」

「いいえ。あなたは既に多くのものを動かしているわ。今はまだ形になって現れていないだけ。いつか朝日のように海の底から姿を現すわ」

「……そうかな」

「ええ、そうよ。その為に私が居るの。あなたに運の風を吹かせる為に私が居るのよ」

 彼は不思議な気持ちで彼女の瞳を見つめた。

 一人ではどうしても開けなかったチャンスの扉が、彼女の力で次々に開けていく。もし、それが『運』だとしたら、意思こそ全てという頑なな思い込みが物事の進展を妨げてきたのではないだろうか。

 彼は今更ながら彼女の存在に感謝し、一人で何もかもできるような気でいたのは間違いだと悟った。他人を信頼して任せることと、甘えて依存することは、まったく別物だということも。

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