意味が無くても、みんな生きてる ~君に深海を見せたい理由

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 深海調査・ウェストフィリア ~調査のオファー(5)
STORY
潜水艇パイロットのヴァルターは、耐圧殻からの実況を条件にウェストフィリアの深海調査を引き受けるが、ファルコン・マイニング社の代理人であるオリアナは彼の申し出を無視し続ける。同僚のゾーイはオリアナに同調し、「誰も深海の実況など興味ない」と切って捨てるが、ヴァルターは「君は『面白くないこと』の先は見ようとしない」と深海調査の意義を説く。

それから二日経ち、三日経ち、週を繰り越して三月十日になったが、オリアナからは何の連絡もない。電話しても毎回自動応答で、テキストメッセージの返信すらない。一週間後には出航なのに、最後まで無視を決め込み、知らぬ存ぜぬで通すつもりだろうか。

その傍ら、区政センターの海洋政策部や社会広報部、開発公社のペネロペ湾支部、マイニング・リサーチ社などにも相談してみるが、「それはうちの管轄ではない」「そういうことは開発公社に直接お問い合わせ下さい」と答えは一様だ。自分でも無駄なあがきに感じるが、最後の瞬間まで諦めたくはない。

隣のブースで聞き耳を立てながら、ゾーイが言う。

「ね、どうして、そこまで実況にこだわるの。ウェストフィリアに関する広報ならともかく、潜航調査の実況なんて、誰も興味を示さないわよ」

「どうして」

「だって、真っ暗なんでしょう。水族館みたいに色んな魚が泳いでるわけでもない。『ハイ、ただいま水深一〇〇〇メートルです、窓の外は真っ暗です。タコもイルカもいません』、そんなこと延々と聞かされて、視聴者が手を叩いて喜ぶと思う? 人食い鮫でも登場するならともかく、闇夜みたいな深海を何時間も見せられても退屈なだけだよ」

「何も無いことはないよ」

「じゃあ、真っ黒な水以外に何があるの? 私、一度だけシュノーケルで磯場に潜ったことがあるけど、岩がごろごろしてるだけで、何も無かったわよ」

「それは君が岩しか見てないからだよ」

「どういう意味」

「全てのものには意味がある。そこに存在する理由がね。石塊一つといえど、生成するのに何百万年、何千万年の時間がかかってる」

「言いたい事は分かるけど、一般人には面白くも何ともないわよ」

「そうかな」

「ええ、そう。誰もが詩的に生きてるわけじゃないもの。海底に転がった石塊を見て、いちいち数百万年の時の重みを噛みしめる人がどれほどいると思うの。それより、他にも楽しい企画はいっぱいあるでしょう。未来の水中ロボットとか、調査船の厨房拝見とか。私ね、ヨットクラブの仲間に声をかけて、『オーシャン・ポータル』に掲載できそうな写真をいっぱい送ってもらったの。朝焼けの海、青空に映えるディンギーヨット、月の輝く入り江、どれもプロ級の素晴らしい作品ばかり。気を取り直して、トップページに掲載するメッセージでも考えなさいよ。今日からでもコンテンツを作成しないと、調査に間に合わないわよ」

「そうだね」

「よかったら、これを見てちょうだい」

彼女のデスクトップモニターに映し出されているのは、非常に立体感のある海の惑星の全景だ。それも単なる衛星写真ではなく、スペースシャトルが海上基地に帰還するようにアングルが変化し、数秒で大海原の画像に切り替わる。その後、『One Heart, One Ocean』『Now and Forever』のキャッチコピーがさざ波のように浮かび上がり、『Ocean Portal(オーシヤン・ポータル)』のタイトルに切り替わる。

彼もいろんな海洋機関のウェブサイトを目にしてきたが、これほどビジュアルの美しいトップページは見たことがない。

「すごいじゃないか! これ、君が作ったのか」

「まさかぁ。私のネット仲間が作ったのよ。ベテランのウェブデザイナーなの。構成やイメージを伝えたら、すぐに三種類ほど作ってくれたわ。Bプランは、いかにもお役所のトップページという感じ。お堅いけど、メニューは見やすいでしょう。将来的にコンテンツが多様化しても、こういうベーシックなデザインなら拡張しやすいわ。動画や音声ファイルを加えてもサイトが重くならないしね。Cプランはファミリー向けのテーマパークをイメージしてるの。イラストを多用して、チビッコが喜びそうな感じに仕上げてるわ。でも、詩的なムードを大切にするなら、やはりこのAプランがおすすめね。優等生の作文も際だって見えるわよ」

「俺もそれが一番いいと思う。ごたごたと専門用語の並ぶ内容より、『海の図書館』みたいなイメージで伝えたいから」

「そう言うと思ったわ。じゃ、お金」

「お金?」

「決まってるじゃないの、報酬よ。あなた、プロのウェブデザイナーにタダで作らせるつもりなの?」

「……」

「あなたが払えないなら、キプリング社長か、ネットワーク基金だかに予算を請求してよ。それぐらい工面できなくて、この先、どうやって運営するのよ」

「それは分かってるけど、突然、『お金』とか言うからビックリした」

「ビックリしたのは、こっちの方よ。予算のことなど微塵も考えず、あれもやろう、これもやろうとしてたの? あなた、意外と抜けてるのね。なんだか先行きが心配になってきたわ」

「……」

「それじゃあ、一緒にキプリング社長のところに相談に行きましょう。何に幾ら掛かるか、ウェブサイトの構築に関しては、多分、私の方がよく知ってると思うから。……ね、そんな顔をしないで。今、必要な事に気付いたんだから、いいじゃない」

「そうじゃなくて、自分に腹を立ててるんだよ。俺はいつもそうなんだ。肝心なところで一つ抜けているというか、分かってるようで何も分かってないような……」

「やだやだ、どうしてそう自罰的になるのよ。誰もあなたのことを詰ってるわけじゃないのよ。『俺、カネのことなんか、てんで頭になかったよ。いつも他人の奢りで食ってるからさぁ。で、いくら負けてくれる?』とか、冗談の一つも言いましょうよ」

「そういうの、苦手でね」

「あなたって、茶化すことも、はぐらかすこともできないのね。いつもそんな風だと生き辛くない?」

「そういう風に生まれついたんだから、しょうがない」

「じゃあ、あなたのお父さんも似たような感じ?」

「多分」

「それだと、お父さんもさんざん苦労されたでしょう」

「そんな話をする前に死に別れたから分からない」

ゾーイはじっと彼の横顔を見つめていたが、

「ね……私に手伝えることがあったら、何でも言ってよ。ネット仲間に頼めば、高度なスクリプトの書ける子や、何度もプログラミング・コンテストに入賞してる子、大企業でシステムエンジニアやってる人とか、いろいろ紹介してくれるから」

「ありがとう」

「こんなこと声高に言いたくないけど、私、小学三年生の時からプログラミング教室に通って、高校もITの専科だし、ローレル・インスティテュートも一般教養を除けば上位で卒業してる。あなたより技術や業界事情に詳しいのは当たり前なの。あなたも独学で相当がんばったでしょうけど、基礎から違うのよ。だから、あなたが駄目だと言いたいんじゃなくて、今後も気付いたことはバンバン口にするかもしれないけど、その度に自分を責めたり、無能に感じたりしないでね、ってこと」

「分かってるよ」

彼は自分のパーティションに戻ると、黙って作業を続けた。

しばらく双方のパーティションからカタカタとキーボードを打つ音がして、重苦しい雰囲気だったが、五分ほどして「ゾーイ」と彼がパーティションの向こうから声をかけた。

「なに?」

ゾーイが自身のモニターを見つめたまま生返事をすると、

「俺が潜航調査を実況したいのは、君が二言目には『面白くない』と言うからだよ」

「どういうこと?」

「君は海のことをよく知ろうともせず、イメージだけで『面白くない』と切って捨てる。そして、『面白くないこと』の先は見ようとしない」

「それを私に知らしめるために、わざわざ実況を企画するわけ? 関係者にけんもほろろに言われても?」

「そうだよ」

「冗談でしょう」

「本気だよ」

「どうしてなの?」

「君は前に言ってたな。どんなに一所懸命に生きても、自分は決して日の当たる場所で栄光に浴することはない。幸せでない人間にとって、生命がどうだの、生きる価値がどうだの、そんなことはどうでもいいと。でも、価値観も揺るがすようなものを目にしたら、多少は見方が変わらないか」

「それと深海調査にどんな関係が?」

「深海の生き物を見れば分かる。意味が無くても、名無しでも、みんな生きてる。中には未だに存在に気付かれないものもいる」

「それはステラマリスの話でしょう。ウェストフィリアの海に潜っても、何も無いと思うわよ」

「何も無いことはない。ウェストフィリアの海だって生きてる。生きているから、ここには地熱があり、嵐が起き、深海にも様々な鉱物が生成されるんだ」

「それで私の価値観が変わると本気で思ってるの?」

「一度は見せてやりたい。君にも幸せになって欲しいから」

「……どうして?」

「君に多少なりと愛情を持ってるからだよ。affectionってやつさ」

「affection」

「そう、affectの名詞形」

「affectにもいろんな意味があるわ」

「じゃあ、一番いいのを当てはめればいい。君がどんな風に解釈しても、俺は困らないよ」

ゾーイはしばらく固まっていたが、モニター上のグループ・チャットに素早くメッセージを打った。

《今、Leopardの王子さまに愛を告白されたわ。でも、それは人類普遍の愛なの。どんな意味にせよ、誰かに愛を打ち明けられるって、いい気分ね》

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