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愛の航海 ~傷ついても、誰かを愛したい

本作は、海洋科学や建築・土木をモチーフにしたサイエンス・フィクションです。
投稿の前半に小説の抜粋。後半に参考文献や画像・動画を掲載しています。
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第二章 採鉱プラットフォーム ~接続(8)
STORY
接続ミッションを無事に完遂し、海台クラストの本採鉱が始まる。潜水艇プロテウスはドックの為に島に引き上げ、ヴァルターも一息つくが、そこにリズが訪れ、二人の心も揺れ動く。
目次

愛の航海 ~リズとヴァルターの想い

格納庫にて ~さらば潜水艇

翌朝。

ヴァルターは繋ぎの作業着に着替えると、司厨部で掃除用具を借り、朝一番に格納庫に足を運んだ。

プロテウスも明日の昼過ぎにはノボロスキ社に移送され、ドックに入る。その後のスケジュールもまったく未定だ。公的にせよ、民間にせよ、深海調査が継続して行われるかどうかも分からない。120億かけて自費で製造した潜水艇を、ただみたいな値段でノボロスキ社に払い下げることに最初は驚いたが、今後調査の予定もなく、パイロットや専任の整備士も自前で養成しなければならないことを考えると、アル・マクダエルとイリヤ・ノボロスキ社長の判断は妥当に思えた。

プロテウスの周囲では、フーリエと数人の整備士が移送の準備に忙しくしている。曳航時のトラブルを防ぐため、LEDライト、水中カメラ、マニピュレータなど外付けの機材は全て取り外し、タンク類も空にする。フーリエと一緒に作業を進める古参の整備士は、外付け機材を一つ一つ専用ケースに収納しながら、「接続ミッションが済んだら、なんだか気が抜けたみたいになりましたね」と呟いた。

フーリエも手を止め、がらんどうの格納庫を見回すと、

「平和でいいじゃないか。ここが静まり返っているということは、全て順調な証しだ」

破砕機も集鉱機も今は海底でフル稼働中だ。今のところ目立ったトラブルはなく、すべて計画通りに進んでいる。操作やモニタリングはマードックのオペレーションチームが担当する為、ノボロスキ社の整備士やエンジニアがプラットフォームに常駐する必要もない。重機がメンテナンスの為に引き揚げられるのも三~四ヶ月に一度なので、今年に入ってから頻繁に出入りしていたノボロスキ社のスタッフも今日から明日にかけて全員が帰島し、今後は遠隔で連絡を取りながら、必要な時だけプラットフォームに訪れる。

「しかし、いざ島に帰るとなると、名残惜しいですね。ここじゃ毎晩、酒盛りでしたから」

「阿呆。そんな事を口にしたら、母ちゃんに半殺しにされるぞ」

フーリエも苦笑する。

「ともかく、午前中に機材の取り外しを全て終えてしまおう。午後にはオペレーションチームとミーティングがある」

二人が再び作業に取り掛かった時、相棒が手を止め、

「誰か新しい掃除夫でも雇ったんでしょうかね」

と格納庫の奥に目を凝らした。

見れば、繋ぎの作業着を着た若い男が、先日まで破砕機と集鉱機が格納されていた場所をせっせと箒で掃き、床に散らばった金具や工具を拾っている。

「や、や、あれはオレの可愛いキャベツ(シユシユ)じゃないか。あんな所で何をしているんだ」

フーリエは目を白黒させ、後ろから声をかけた。

「何をしてるんだ。急に格納庫の掃除などおっ始めて」

「見ての通りだ。当分、掃除に徹することにした」

「それは分かるが、お前がこんな事をしなくても、二ヶ月に一度は清掃会社からスペシャリストが派遣されて、倉庫や機械室のクリーニングをしてくれる。それともお目目キラキラの嬢ちゃんにちょっかいだした懲罰か」

「まさか。俺の方から言い出したんだ。今後のことをゆっくり考えたくて」

「それなら休暇を取ればいいじゃないか。お前も九月からほとんど出ずっぱりで、まともに休んでないだろう。そんなに働き詰めにしてたら、しまいにパンクするぞ」

「俺も金が無いんだよ。オンラインバンキングのトラブルや、いろいろあってね。理事長からスーツ代も借りてるし、休んでる暇などなくて」

「九月分の給料は」

「今月末にはもらえるって。だが、あまり期待はしてない。プラットフォームの食事代やシーツ代や、あれこれ差し引かれたら、そんなに残らないだろうしね」

「たくさんくれるさ。一番重要な作業を手がけたんだ」

「機械を繋いだだけだよ」

「今後もプラットフォームに居るのか」

「分からない。今月末にも一度帰島するつもりだが、またすぐに戻ってくると思う。何かして稼がないといけないんでね。あんたは?」

「オレは明日の昼、プロテウスと一緒に島に帰る。当分、プラットフォームに来ることもない。もし暇があるなら、オレのアパートに遊びに来いよ。お前が来れば娘も喜ぶ。今年で十六歳だ。きっといい話し相手になる」

「……それはどうも」

「だが、あまり根を詰めるなよ。必死になりすぎても、いいことはないぞ」

フーリエが彼の肩を叩いて立ち去りかけた時、格納庫の外でガヤガヤと人の声が聞こえた。

そちらに首を伸ばすと、アル・マクダエル、MIGの役員、ブロディ一等航海士、ミセス・マードック、そしてリズが談笑しながらこちらにやって来る。続いて、ヘルメットを被ったカジュアルスーツの男性が四名、パンツルックの中年女性が一名、ビデオカメラを担いだジーンズ姿の若い男性。

どうやら取材のようだ。

一行はブロディ一等航海士に質問したり、写真を撮影したり、珍しそうに格納庫を見回している。

「トリヴィアでもトップニュースだよ」

とフーリエが嘆息した。

「今まで機密の観点からほとんど取材は入れなかったが、これからいよいよ表に打って出るんだろう。採鉱システムの社会的意義を説明する責任もある。オレ達は一段落だが、理事長たちはこれからが正念場だ。次は商業的に成功せねばならん。大変なプレッシャーだ」

カメラはリズにも向けられ、女性記者のインタビューにはきはきと受け答えする様子が遠目にも見て取れる。ヴァルターは箒を握りしめたまま様子を見守っていたが、彼女がこちらにやって来ると、さすがに気恥ずかしく、物陰に隠れた。

ジム・レビンソンの追悼

その後、黙々と格納庫の掃除に打ち込み、午後五時に作業を切り上げると、ロッカーで着替えを済ませ、格納庫を出た。

その時、胸に白い花束を抱えたリズと、洋酒のボトルを手にしたエイドリアンに出くわした。

「甲板でパーティー?」

ヴァルターが目を白黒すると、

ジム・レビンソンの追悼です。みな忙しくて、何も出来なかったから」

エイドリアンが答えた。

「どこで追悼するんだ」

「Aフレームクレーンの所です。ノエが最後にあそこで見かけたというし、落ちるとしたら、あそこが一番可能性が高いですから」

「それなら俺も一緒に追悼するよ。その人の死がきっかけで、ここに来ることになった」

ヴァルターはリズとエイドリアンの後ろに付いて、一緒に歩き出した。

Aフレームクレーンの周囲には、既にノエやマルセル、整備士など、手の空いたスタッフが集まっている。

「嫌な人だったけど、曲がりなりにも何年も一緒に働いたから」

それぞれにビールやワインを手にし、追悼の意思を示している。

最終的に三十名ほど集まり、少し遅れてマードック夫妻もやって来た。ここまで来られない者は管制室や持ち場から見ているらしい。

エイドリアンはぎりぎりまで甲板の縁に近付くと、洋酒の栓を抜いた。

「あの人は僕には優しかった。どうしてだか今も分からないけど、あの人も天涯孤独で淋しかったんでしょうね……」

ボトルの口から琥珀色の酒が勢いよく流れ出し、黄昏の海に溶けると、他のスタッフも次々にビールやワインの栓を抜き、海に注いだ。その姿に怒りもわだかまりもない。ただ一人の死を悼む気持ちがあるだけだ。

リズも白い花束を投げると、それは波に揉まれながら海の彼方へ運ばれていった。

「哀悼の気持ちは父も同じです。余裕がなくて、ミッションのことばかりに神経が集中していましたが、故人あっての今日です――」

マードック夫妻も胸で十字を切り、祈りの言葉を唱えている。

ヴァルターは波に運ばれていく白い花を見ながら、ここにも確かに一人の生と死があったことを痛感する。誰にも愛されず、栄光に浴することもなく、海の泡のように消え去ったとしても、それもまた貴い命に違いない。

追悼が終わると、エイドリアンは荷物をまとめ、他の関係者と一緒にアルバトロス号で帰島した。どうやらリズともここでお別れらしく、何度も抱擁しては変わらぬ友情を誓い合っている。

レビンソンの死で事情が変わったといえば、エイドリアンも同じだ。彼がここに来なければ、彼女との関係も大きく違っていただろう。

人と人との不思議な綾に思う。

運命――。

人間の意思とはかけ離れたところで、やはり何かあるのだろうか。

自分を懸けたなら、捨てるな

翌日、ヴァルターは甲板掃除を午後四時に切り上げると、居室に戻り、久々にGeoCADを立ち上げた。

プラットフォームに来てから接続ミッションの準備に忙しく、過去を顧みる暇もなかったが、今は時間的にも精神的にも余裕がある。

半年ぶりに『緑の堤防』のファイルを開いてみると、思ったほど悪くない。むしろ、よくこれだけのものを作ったと我ながら感心するほどだ。ヤンの「ありがとう」も決して口先ではないこと、この絵が依然として地元民の希望であることを実感する。

それから『水を治める技術のアーカイブ』に目を通し、二、三、気になる箇所を修正した後、これもどうしたものか考えた。もう一度、デ・フルネのオフィシャルサイトに掲載したいが、再建の行方が微妙な今、下手に動かない方が良さそうだ。

(自分を懸けたなら、『捨てるな』――か)

激情にかられてファイルを削除しかけたこともあったが、一つの結果が悪かったからといって、そこに込めた想いまで否定することはない。大切に持っていれば、いつか役に立つこともあるだろう。

だが、次に何をすればいいのか。

「お前がしっかと目を見開き、この海を見れば分かることだ」とアル・マクダエルは言うが、目の前の海は静かに波打つだけだ。

その時、不意にドアをノックする音が聞こえた。 

彼は慌ててLeopardの天板を閉じ、細めにドアを開いた。

愛の航海 ~傷ついても、誰かを愛したい

リズだ。

「どうしたんだい、突然」

「何度も電話したけど、全然応答がなかったから……」

彼は突如として彼女との約束を思い出した。昼間、廊下ですれ違った時、セスのお母さんが美味しいケーキを差し入れて下さったから、ティータイムに一緒に頂きましょうという話だ

「ごめんよ、すっかり忘れてた」

「あなたの分のケーキを持ってきたわ。チーズケーキでよかったら」

「ありがとう。よかったら、紅茶でも飲む?」

「じゃあ、少し頂くわ」

彼は簡易キッチンで湯を沸かし、リズは壁際の二人がけソファに腰を下ろした。

紅茶が入ると、小さなカフェテーブルに二つのカップを並べて置き、少し間を空けてリズの隣に座った。濃厚なベイクドタイプのチーズケーキを一口、口にすると「これ、手作りだね」と感嘆した。

「そうよ。セスの奥様が自分で焼かれたの。料理がとてもお上手なのよ。どうして手作りだと分かったの」

「色艶やスポンジの焼き具合を見ればすぐに分かる。パティスリーのケーキとは香りも食感も違うからね」

「ケーキが好きなの?」

「母が好きで、家でもよく作ってた。母が子供の頃、パリの有名なレストランで食べた焼き菓子の味が忘れられなくて、自分の専属の調理師にあれと同じ物を作れないかとお願いしたら、『お嬢さま、あれは直火窯がなければ到底真似できません』と言われ、毎日、パリから空輸したそうだ。俺には到底信じられない話だがね」

「お母さまはお健やかでいらっしゃるの」

「多分。しばらく話してないから分からない」

リズは、彼の表情が父親のことを話す時と全く違うのに気付いたが、何と答えていいのか分からない。決まり悪そうに部屋を見回した時、デスクに立てかけられた父子の写真に目を留めた。アルが彼に渡した新聞記事の写真だ。

「あれは、あなたのお父さま……?」

「そうだよ」

「手にとって見て構わない?」

彼は立ち上がり、写真をリズに手渡した。

リズは彼にそっくりな父親の顔を見つめ、

「言葉では形容しがたい美顔ね。これほど容姿の整った人は映画やモデル業界にだって、そうないわよ。名前は何というの?」

「グンター・フォーゲル」

「いい名前ね。英語でGunter(グンター)といえば、ヨットの帆を張るワイヤーのことよ。gunter rigというでしょう。今もあなたの航海を支えておられるような気がするわ。だけど、本当に素敵な方。優しい人柄が満面に溢れて、あなたの胸に深く刻まれるのも分かるような気がするわ」

「みな、そう言うね。いつもは作業着や白黒のスポーツウェアでうろうろしてるのに、たまに知人の結婚式でダークスーツを着ると、どこの歌劇場から抜け出てきたかと思うほどだった。それでドレスアップした母と踊るんだ。まるで宮廷舞踏会だよ。みな見惚れてた」

「あなたは踊らないの」

「柄じゃない」

彼はチーズケーキを頬張りながら、「君のママは? 君に似て、美人なんだろうね」と逆に質問した。

「写真やビデオでしか見たことがないの。だから、いまひとつ実感がなくて――」

「そんなものだよ。俺も遠くに住む従姉の写真を見せられたことがあるけど、何の感慨もない。幼い頃から一緒に遊んだ隣の三姉妹の方が本物の従姉妹みたいだった。生まれてから一度も顔を合わせたことのない母親に、リアルな愛情を持てという方が無理だよ」

「そう言ってもらうと、心の救いになるわ。正直、自分の母親とは思えないところがあって……。『ママ』というならダナ伯母さまの方がずっとそれに近かった。でも、それを口にするとパパや伯母さまに咎められるから、深く考えないようにしてきたの。でも、時々、自分がとても薄情な子供に思えて辛かった。命がけで産んでくれたママなのに、愛情どころか疑って、淋しいとも会いたいとも思わず……」

「誰にでも、そういう負い目はあるよ。肉親だから絶対的に愛さなければならない決まりはないし、父親でも母親でも、嫌なものは嫌としか言い様がない。俺の友人も、飲んだくれの父親が死んだ時、ほっとしたと言っていた。そして、そのことに罪悪感も持ってない。子供の頃、さんざん痛めつけられたのは事実だからね。だから、君も自分を責めない方がいい。君のママも、君が幸せなら、それで納得されるんじゃないかな」

リズは少し涙ぐみ、初めて胸のつかえが軽くなったように感じた。そして、自分が何故こんなにもこの人に惹かれるのかも。

「君は三月生まれ?」

「どうして分かったの?」

「アクアマリンのネックレスを着けている。三月の誕生石だ」

「よく知ってるのね」

「俺の母親も三月生まれで、それと同じような宝石を好んで着けていた。『サンタマリア・アフリカーナ』といって、今では産出しない貴重な石だ。それほど深い色合いなら、もっと希少だろう。一カラットでもかなりの値段がするはずだ」

「十八歳の誕生日にパパからもらったの。宝石の似合うレディになるように」

「じゃあ、パパの願い通りだ。俺は世辞は言わないよ。君は育ちもいいし、品もある。だから、もう不用心に俺の部屋を訪ねて来ない方がいい。男と二人きりでいて良い風には思われない」

「一緒にケーキを食べて、お喋りしているだけよ。勘ぐる方がどうかしてるわ」

「君も簡単に言うね。俺だってその気になれば何をするか分からないよ」

「あなたはそんな人じゃないと信じてるわ」

リズがきっぱり言い返すと、彼は突然手を伸ばし、彼女の細い首筋に触れた。大きな掌がうなじを包み、節の太い指先が耳朶の付け根を探ると、リズは身をすくませ、頭の中が真っ白になった。声も出せず、そのまま固まっていると、彼は彼女の顎を掴んで、自分の方に向けた。

今まで意識して遠目に見ていたが、今はその可憐な顔が朝顔みたいに目の前にある。海の滴のような水色の瞳、つんと上を向いたきれいな鼻筋、形のいい柔らかな唇、ミルクのような頬――。

リズは正面から男の目で見つめられ、彼の視線から逃れようとするが、金縛りにあったように動けない。恐ろしさと恥ずかしさで息も止まりそうになった時、彼はそっと彼女の頬を掌で包んだ。

「そんなに怖がらなくても何もしないよ。前に約束しただろう。お互いに心の底から好きと思えるようになったらと。ただ、俺のことを『いい人』なんて思わないで欲しい。俺は憧れのキャプテン・ドレイクでもなければ、白馬に乗った王子さまでもない。欠点もあれば下心もある、普通の男だよ」

「……好きになってはいけないの?」

「そういう意味じゃない。もしかしたら、俺も君と同じ気持ちかもしれない。でも、俺はまともに女性と付き合えるタイプじゃない。俺なんかと付き合わなくても、君ならいくらでも立派な男と知り合うチャンスがあるだろう。俺は本当にろくでもない人間だよ。君は俺がしてきたことも、何を考えてるかも知らないだけだ」

「だとしても、私はあなたの誠実を信じるわ。あなたとなら心と心で語り合える。あなたと話していると、この世には愛も正義も存在すると実感できるの。なのに、そんな風に自分を卑下されたら、かえって気持ちが傷つくわ。いっそ『君なんかタイプじゃない』と無視された方がまし」

「現実はそんな美しいものじゃないよ。今だって君の身体が欲しいだけかもしれないし、同情してるだけかもしれない。いつか俺という人間を知れば、憧れの気持ちも消えて無くなる。そして俺は何も与えてやれない自分にいっそう失望するんだ。君の思い描くようなハッピーエンドには決してならない」

「どうして、そんな風に言い切れるの? いくら私が脳天気でも、カラスと白鳥を見誤るほど愚かじゃない。あなたの言う通り、私はあなたのことなど何も分かってないかもしれない。でも、あなただって、私の全てを知ってるわけじゃない。まだお互いのことをよく知りもしないのに、一人で結論付けないで」

「だからといって、『いい人』の振りをするのは御免だし、君と中学生みたいな交際をする気もない。愛する時は身も心も一緒だ。たとえパパの逆鱗に触れても、俺は欲しい物は駄々っ子みたいに欲しがるよ」

一瞬、リズは恐れを感じ、ここから逃げ出したいような衝動に駆られたが、そっと彼の顔を見上げると、少年みたいに多感な瞳が彼女を見つめている。新しい船出を前にして、恐れ、戸惑う気持ちは彼も同じだ。その航路は、彼の言う通り、遠く、険しく、愛の彼岸には決して辿り着けないかもしれない。それでも、誰とも向き合うことなく、自分の殻の中だけで人生を終えるのが幸福とも思えない。悩み、苦しみ、無様に泣き崩れる中にも生い立つものがあるのではないか。

リズはおずおずと手を伸ばすと、頬を包む彼の手に自らの手を重ねた。

「誰かを愛したら、いつかは知ることよ」

「相手が俺でも?」

「あなたなら後悔しない。自分で選んだ人だもの。これ以上、独りでいたくない。たとえ傷ついても、誰かを愛したい」

「俺もだよ、ミス・マクダエル。こんな宇宙の彼方で誰かに出会うなど考えもしなかった」

手を取り合い、互いの肩にもたれのも束の間、突然、リズのポーチバッグの中で携帯電話がけたたましく鳴った。

何度も、何度も、二人の間を引き裂くように呼び出し音が鳴り続ける。彼もさすがに「出なくていいのか」と懸念したが、リズは小さく頭を振るだけだ。

二人は呼び出し音を遠い汽笛のように聞きながら、いっそう近く寄り合った。

それは海図も道標もない、新たな航海の始まりだった。

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第二章『接続』のシリーズ
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