現実は変化するが、理念は変わらない ~永遠の真理とは

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 深海調査・ウェストフィリア ~調査のオファー(3)
STORY
中立的な立場から『One Heart, One Ocean』の理念を唱えたいヴァルターは、対岸には相対する正義がある現実を思い、どんな態度を貫けばいいのかアルに相談する。アルは「現実は変化するが、理念は不変」と理念を持ち続ける意義を説く。

その夜、時間通りにアル・マクダエルから連絡があった。

Leopardの通話アプリケーションで応答すると、小さなウィンドウの向こうに「タヌキの父さん」の顔が見える。

ホームオフィスのダウンライトをバックに映っているせいか、心なしか顔がむくんだように見えるが、沈然とした表情は以前と寸分変わらない。

「調子はどうかね」

スピーカーから懐かしい声が聞こえると、

「あんたこそ、身体の具合はどうなんだ。年末に倒れた時も俺に一言の相談もなく、娘を一人おいてトリヴィアに帰るなんて、あんまりじゃないか。見舞いに花でも贈ろうと思ってたのに」

(見舞いに花でも)の部分で、アルは吹き出しそうになったが、

「それは悪かったね。そこまで気に懸けてくれるとは思わなかった」

「当たり前だろう。ここに来た時もいろいろ世話になったし、皆も頼りにしてる。突然いなくなって嬉しいわけがない」

「それなら仕事で返してもらいたい。花束を贈られるより、『これでどうだ』というものを突きつけられた方がずっと励みになる。海洋情報ネットワークはどうだ? 三ヶ月、いろいろ見聞きして、自分なりに答えを見つけたか」

「それぞれの立ち位置で価値あるものを築こうとする志は同じだ。反面、社会全体を包括する視点に欠け、寄せ木細工のような脆さを感じる。アステリアには社会を一つに結ぶ理念が必要だ。One Heart, One Ocean. それが俺の提唱する標語で、一般に伝えるウェブサイトがオーシャン・ポータル、実社会に用いるツールが海洋情報ネットワークだ」

「自分でそのアイデアをどう思う?」

「無意味に感じる人もあるかもしれないが、俺は必要だと確信している。だが、対岸には常に相対する価値観があり、その言い分にも一理ある。個々の隔たりを越えて、どうアプローチすればいいのか分からない。現実には調和も公正も絵空事のように思えるからだ」

「なぜ絵空事と決めつける?」

「それを求めない人もいるからだ。ウェストフィリアにしても、開発公社の不透明さを問題視しているのは一部だけで、他はおこぼれに預かるのを期待しているかもしれない。社会の合意や利益の還元といった建前は二の次で、自分の懐が潤いさえすればいい、それが大多数の願望だとしたら、俺の言葉など、ただの綺麗事でしかない。まるで太平洋のど真ん中で、一人で正義を叫ぶような気分だ」

「綺麗事でも社会のビジョンは必要だろう。お前はなぜ『緑の堤防』を描いた? 建築学的に正しいデザインだからか?」

「まさか。『緑の堤防』は元住民の願いを象ったものだ。皆の希望を形にしたら、ああいう図になった」

「では、ビジョンも同じだろう。『緑の堤防』も対岸から見れば時代後れなアイデアだ。だが、大勢がそれを求めるなら、未来のビジョンとして説得力をもつ。アステリアも同じだ。あるべき未来の姿を示すのに、そこまで現実におもねる必要があるか? 現実は現実だ。時代に応じて変化もするが、理念は不変だ。頭上に輝く太陽と同じだよ。統治者が変わろうが、市場が衰退しようが、変わらぬ光を投げ続ける。実際、わしの祖父が提唱したMIGの理念は八十年以上経っても未だに色褪せない。古くさいと笑う者などないよ。実際、それが永遠の真理だからな」

「理屈は分かるが、そこまで人を惹きつけられるかな。なにせ規模も大きいし、お金もかかる」

「お前もずいぶん情けないことを言うね。再建コンペの時はもっと勢いがあっただろう」

「それは目標が分かりやすかったからだ。住民の多くがそれを望んでいるという確信もあった。でも、ここは違う。いろんな利害が絡み合い、それぞれが、それぞれの立ち位置で生き残りをかけている。何が正しくて、何が間違いなのか、知れば知るほど分からなくなる」

「だからといって、それぞれが好き勝手な方を向いて、己の利益だけ追求すればよいというものでもなかろう。お前は航路を決めるのに海図も見ずに、その場その場の風向きだけで舵を切るかね? 誰かが文句を言えば西に進路を変え、不安になれば東に戻す。だが、そんな調子では本来の航路を大きく外れて、まったく見当違いの場所に行き着くぞ。ビジョンは航路だ。正しい航路を描くことと、実際に船で進む事はまったく別だろう」

「それも分かるが、俺が言ってるのは、自分が描こうとしている航路が本当に正しいかどうかだ。俺もあんな事があった後だし、多分に世間の怖さも知った。自分の短気や迂闊さも身に染みている。再建コンペのように猪突猛進するほどお目出度くもなれない。俺はただ知りたいんだ。自分の信じる航路が本当に正しいかどうか」

「では、わしが『正しい』と言えば納得し、否定すれば、もうやらないのかね」

彼ははっと顔を上げ、いつの間にかアル・マクダエルに判断を仰いでいる自分自身に気付いた。

「人から物事を教われるのは、人生の初めの二、三十年だ。それを過ぎれば、誰もお前の肩を掴んで『それは間違い』『これが正しい』などと言ってくれなくなる。過とうと、しくじろうと、全て己の責任だ。だが、何を信じるかで人生は180度変わる。世の事象がどうあれ、物事を正しく見抜く力が成否を決定づけるんだよ。これから先も判断に迷う場面は数限りなくあるだろう。その度に他人の言に左右され、自信を無くすようでは到底一事は成せない。『何かを成す』ということは、対岸の誰かにとってはいつでも不利益だ。それでも成さねばならぬ、どんな事をしても成すのだという気概に人は付いてくる。もちろん、自分の判断が一〇〇パーセント正しいとは限らない。時には間違いもするだろう。それでも『正しい答え』を求める気持ちがあれば、他人の忠言も素直に聞けるし、過ちを正すこともできる。お前には分かっているはずだ。心の底では何を為すべきかを。頭であれこれ考えたところで、いつも最善の答えに辿り着くとは限らない。『心が識(し)っている』ということは、自分の中で既に肚(はら)は決まっているということだ」

「自分自身を無力に感じても?」

「一気に物事を変えようとするから無力に感じるんだよ。短期間で成果の見える事業ならともかく、公的な施策はその意義が形に現われるまで何年、何十年、時には百年以上かかることもある。今日明日に結果が出るほど世間も単純ではない。だからといって、今、未来のビジョンを描くことが全く無意味だろうか。利害が絡み合い、どちらに転ぶか不明な状況だからこそ、ぶれない指針が必要なんだよ。そもそも、オーシャン・ポータルでOne Ocean, One Heartの理念を伝えるのに数億の予算が必要か? 周囲に馬鹿にされても、傷つくのはせいぜい己のプライドだけだろう。何を恐れることがある」

確かにその通りだ。『正しさ』に拘るのは、突き詰めれば、人に嗤われるのが怖いからだろう。

「正しさとは難しいものだよ」

アルはしみじみ言った。

「自身の考えが正しいからといって、必ずしも人が付いてくるわけではないし、正しければ報われるというものでもない。『盗むな、殺すな』という話なら明快だが、『事業を拡張するか否か』という話になれば答えは幾千とある。まして社会の方向を定めるとなれば、現状維持したい者、変化を求める者、それこそ千差万別だ。その一つ一つに頷いていては、到底舵取りなどできない。時には答えが出る前に行動しなければならないこともあるだろう。だからこそ、大勢に納得させられるだけの根拠と手立てと人間的な魅力が必要なんだ。孤立しようが、反対されようが、これと信じたら確かな口調で語れ。口の中でごにょごにょ言っても、誰も耳を貸さないぞ」

「それは分かるよ」

「今のお前には、大洋のど真ん中で、一人で叫んでいるように感じるかもしれないが、誰も何も口にしないからといって、何も考えてないわけでは決してない。どんな情報が飛び交おうと、心の底では何が正しくて、何を為すべきか、多くの人は心で識っている。言葉でも、イメージでも、確かなビジョンを示せば、個々の迷いも晴れて、手足も動き出す。そして、それが現場の力になる。どんなに素晴らしいアイデアも、周りに伝えなければ、物事は一寸たりと動かないのだよ。まずは自身の理想を明確にすること。そして、形に示すことだ。最初の一歩は、いつでも自分との闘いだ」

「結局、信じたようにやっていくしかないんだな。何かを成そうとすれば、誰の上にも孤独と迷いは付きものだ」

「そこまで悲観することもない。時には思いがけない助けを得ることもある。お前もいつか部下を持てば分かる」

「部下なんて柄じゃない」

「今は無理でも、先のことは分からんよ」

「そういえば、あんたの従弟という人とその娘がローランド島に引っ越してきたようだが、何か複雑な事情でもあるのかい? ミス・マクダエルが怯えてる」

「レイモンとオリアナか。それについては、また折を見て話そう。とても一言で説明つくものではない」

「だが、深海調査のオファーも彼女の又従妹が持ってきた」

「くだらん嫌がらせだ。とりわけリズを威嚇する為の。あの娘がどれほど大風を吹かそうと、人を陥れるほどの奸知はない。せいぜいリズの困った顔を見て、ほくそ笑む程度だ。ファーラー一族がまともに相手をしているとも思えない。事情がどうあれ、この件に関しては、自分から余計な波は決してかぶるな。ファルコン・マイニング社も、レイモン・マクダエルも、お前の仇じゃない。お前がMIGの側に立って感情的に物を言えば、世間はかえってお前に悪感情を抱くぞ」

「だが、俺のこともいろいろ調べているみたいだ。母がマルセイユに居ることも、エクス=アン=プロヴァンスの家系も。そういえば、前に中傷メールが送りつけられたことがあった。素人犯罪みたいだったが、それも関係あるのかな?」

「それも小人物の嫌がらせだ。連中が本気で力を行使する時は、何の前触れもなくやる。命乞いも交渉も問答無用で。お前を相手に本気を出すとも思えない。何か言われても『詳しいことは知らない』と聞き流せばいい」

「一度聞きたいと思っていたんだが、トリヴィアとステラマリスを結ぶスターライン宇宙航空のロゴが母の紋章によく似ている。『紐(アルレシヤ)で繋がれた二匹の魚』だ。スターライン社だけでなく、他にも似たようなモチーフをトリヴィアで何度か目にしたことがある。エクス=アン=プロヴァンスの家系と、メガバンクのクレディ・ジェネラルと、ラクロワ一族と、何か深い関わりがあるのかな?」

「パイシーズ探査プロジェクトに引き続き、ネンブロット開発を強力に推し進めたのがクレディ・ジェネラルで、その尻馬に乗っかったのがファルコン・マイニング社だ。昔は大深度の地下掘削や高度な選鉱技術を有する優良企業だったが、寡占の味を占めてから体質が変わった。それはクレディ・ジェネラルも同様だ。以前は『金融革命』だの『宇宙ベンチャー企業の守護神』だの、聞こえのいいことを言っていたが、今はファルコン・マイニング社を傀儡に蛭(ヒル)のように利益を吸い上げる金の亡者に過ぎない。だが、開発初期には、彼らと互角に渡り合う一派があったと聞いている。今もそこから派生した幾つかの資本は航空、土地開発などの分野で続いているそうだ。『二匹の魚』のマークも、代々続く会社のロゴとして使っているだけの話だろう。深い意味は無いと思う」

「その一派はどうなったんだ?」

「噂では、トリヴィアの『デッドゾーン』の開発をめぐって政治的な駆け引きに負けたと言われている」

「デッドゾーン?」

「エンデュミオンに居た時、トレーラー村の先に無人の地を見なかったか?」

「そう言えば、草一本生えないような荒廃した裸地を目にしたよ。『ここから先は生命の保証はない』という警告文が表示されていた。地熱ジェネレーターもセキュリティシステムも全く動作しないと」

「その通り。デッドゾーンでは生命維持システムは機能しない。元々は、あの一帯が首都として開発される予定だった。あまたの投資家や資産家が莫大なリターンを期待して、競うように土地を購入した。ところが何度目かの地質調査で有害な物質が検出され、計画は破棄された。その代わりに選ばれたのが第二の候補地、エルバラードだ。エルバラードに投資した者は逆に大儲けというわけだ。その検査値を改竄したのがクレディ・ジェネラルの息のかかった調査機関だと言われている。真偽は定かでないがね」

「じゃあ、土地を購入した人は大損を?」

「宇宙開発法の規約により、投資した分は全額返済された。だが、一つ問題が残った。それは土地の所有権だ。投資者は返金を受け取った時点で権利も放棄したが、一部は返金にも権利の放棄にも応じず、そのまま保持しているという。いつか風向きが変わって、デッドゾーンに開発の手が伸びれば、その所有者は莫大な利益を得るだろう」

「それも気の長い話だな。永遠に失われるかもしれないのに」

「抗議のつもりか執着か、当事者にしか分からない理由があるのだろう。何にせよ、土地の所有権が続く限り、幸運(チヤンス)も続く。ちなみに所有者の一人と言われているのがヴァレット一族だ。現在、スターライン宇宙航空の会長を務めるベルナルド・ヴァレットの妻、ガブリエル・ヴァレットは旧姓を『ラクロワ』という」

「母とも関係が?」

「マルセイユのジャン・ラクロワ氏とどこまで近い間柄かは分からない。彼らは決して縁戚を明かさないからな。『親族』というなら、スタットガスの会長もそうだし、GPオイルの社長夫人もそうだ。あのロバート・ファーラーも父方の血筋を辿ればラクロワに行き着く。もっとも本家か傍系かは不明だがね。みな、どこかで繋がってるんだよ。傍系卑属、婚姻関係、全て含めれば宇宙全体にネットワークが出来るぐらいに」

「そんなこと、母も言わなかった」

「それが賢明だ。そもそも、お前は自分の母親が何者かもよく知らないだろう?」

「『知れば、人生が狂う』と今でも言いたがらない。全てを知って、何も変わらなかったのは俺の父親だけだと。だから、俺も自分から調べようとは思わなかった。知って人生の足しになるなら、きっと父母が教えてくれるはずだから。それに、母が何者であろうと、俺はいつまでも『グンター・フォーゲルの息子』でいたい。たとえ母がシバの女王の末裔で、地下に山のような金銀を隠し持っているとしても、俺にはそれに優る血筋はない」

「自分で納得しているなら、それでいいじゃないか。世の中には知らない方が幸せでいられる事もたくさんある。身に過ぎたものを持っても、逆に押し潰されるだけだからな。ともあれ、『余計な波を被るな』というのは、そういう理由からだ。下手に刺激すれば、お前の母親の立場だって危うくなる。自分に関わりのない世界のことは、自分から首を突っ込むな。あくまで自分の立ち位置から働きかけることだ。MIGにもファルコン・マイニング社にも属さない、一人の区民として」

「そう言えば、鉱業局の調査官も言っていた。『ネンブロットの平原に立てば、みな同じ』と。誰の利益にも与さない、公平な視点は必要だろうね」

「そうだ。間違っても、企業対企業の構図にするな。それは我々のしがらみであって、お前の役回りじゃない。個人的に怒りや屈辱を感じても、決して仇討ちはするな。お前の言葉に私怨を感じれば、どんな立派な理念を掲げても、人は二度と耳を傾けなくなるぞ。綺麗事と詰られようと、世の風潮に迎合するな。妥協して別の何者かになる必要もない。お前らしくやればいいんだよ。そのうち自分の強みが分かってくる」

「俺にはまだ『強さ』というものがよく分からない。本当に強いのか、ただ意地を張っているだけなのか」

「それも、いずれ分かる。生きて何かを続ける限り、いつかは全てに納得がいく」

「そうかな」

「お前はよくやっている。想像以上だった」

彼ははっと顔を上げ、本当はその言葉が一番聞きたかったのだと思った。

それから二、三、海洋情報ネットワークやウェストフィリア調査について意見を交わし、アルが電話を切りかけた時、「一つ、大事な相談があるんだ」と彼が切り出した。

「もうすぐミス・マクダエルの誕生日だろう」

「そうだよ」

「ウェストフィリア調査が一段落したら、ホテルのスイートルームでお祝いしたいそうだ。部屋いっぱいにバラの花を飾って、豪華なディナーを楽しみたいと」

「またそんな映画みたいなことを言ってるのか」

「いいじゃないか、女優さんみたいな格好がしたいんだろう。髪にパーマをあてたり、きらきらした靴を履いたり」

「だが、ホテルのスイートルームはいただけんね。人目もある。お祝いしたいならアルバトロス号を使えばいい。娘の願い通り、バラの花も飾らせるし、豪華なディナーも用意させる。夕刻から四時間も船遊びできれば十分だろう」

彼も納得し、調査から帰ったら一緒に段取りする約束で通信を切った。

大きな胸のつかえもとれて、身体の芯から安らぐようだった。

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