上・下巻の試し読みはこちらPDFを読む

母との再会 ~カエルの王様と囚われの姫

本作は、海洋科学や建築・土木をモチーフにしたサイエンス・フィクションです。
投稿の前半に小説の抜粋。後半に参考文献や画像・動画を掲載しています。
目次のインデックスをクリックすると、該当箇所にジャンプします。

第二章 採鉱プラットフォーム ~接続(5)
STORY
接続ミッションも一段落し、新たな道を模索し始めた時、マルセイユの母から連絡があり、カメラ越しに再会を果たす。父親の死とヘルメットの経緯を聞きながら、ヴァルターも心の変化を実感する。
一方、通信士のインディラは、リズとマクダエル一家の複雑な事情を話し、父親の事業の人質みたいなものだと語る。
目次

カエルの王様と囚われの姫

通信士のインディラ

その頃、ヴァルターは選鉱プラント周辺を整頓し、くすみが目立つようになった天窓の強化ガラスを磨いている。

十二時を過ぎた頃、軽く空腹を覚え、食堂に行こうと掃除道具を片付けかけた時、向こうから早足でやって来るダグと目が合った。

「お前も掃除に精が出るな」

ダグは彼をじろりと睨んだ。

「そんなことやって楽しいか?」

「楽しいも何も、生活費を稼がないと」

「こんな面倒をしなくても、もっと簡単な方法があるだろう」

「どんな方法?」

「娘に安物の指輪(リング)でもやっとけば、甲板掃除なんかしなくても一生遊んで暮らせる。まったく、オレもあやかりたいね」

ダグはマッコウクジラのような巨体を揺すりながら、ドスドスと甲板を突っ切っていった。

(金が欲しけりゃ、今頃、マルセイユの豪邸でふんぞり返ってるさ)

彼はしばらく不快な気持ちが収まらなかったが、気を取り直して食堂に向かいかけた時、ポケットの携帯電話が鳴った。

通信士のインディラ・キプリングだ。

「あなたに電話よ。またステラマリスから」

「ヤン・スナイデル?」

「女性よ。あなたの一番よく知っている人」

まさかと思って五階の通信室に上がると、紺の制服姿のインディラが通信室の前で待っていた。

「まだ回線の契約をしてないの?」

インディラが呆れたように言うと、彼も決まり悪そうに肩をすぼめた。

「この電話が終わったら、君に方法を聞くよ」

彼が通信席に腰を下ろすと、インディラはコンソールを操作しながら、「今度はマルセイユよ」と言った。

「匿名の通信プロトコルで直通電話をかけてくるなんて凄いわね。こんな回線、政府の要人か、世界的セレブしか使わないわよ。それじゃあ、ごゆっくり。通信が終わったら、このスイッチをオフにしてね」

母との再会

インディラが通信室を出ると、入れ替わるようにメインモニターに母の顔が映し出された。前より少し顔色がすぐれないような気もするが、アーモンド色の瞳は少しも変わらない。彼と同じダークブロンドの髪を上品なシニヨンに結い、少し首を傾げるような仕草が誰かに似ている。

彼と目が合うと、母の瞳はみるみる涙でいっぱいになり、「心配したのよ。気も違いそうなほど。どうしてそんな遠くに行ってしまったの?

と声を潤ませた。

「同じ星の上なら、いくつ海を越えようと、どこか繋がっている安心感があった。でも、みなみのうお座に行ってしまうなんて……」

「海は一つだよ」

彼は軽く答えた。

「北海も地中海も元は一つだ。そして、アステリアも、海という世界で繋がっている。一つに繋がっているから、俺も救われた。繋がりがなければ、とうの昔に沈没してる。今は仕事もしてるし、住まいもある。心配しなくても、なんとかやってるよ」

「九月にアル・マクダエル社長から丁寧なお手紙を頂いたわ。こちらではお名前を聞く機会も少ないけれど、さぞかし立派な方なのでしょうね。アステリアがどんな所か想像もつかなかったけど、あなたの顔を見て納得したわ。前よりずっと優しい表情をしてる。何かいいことでもあったの?」

「さあね。鏡でじっくり見たことがないから分からない。ただ、いい出会いはたくさんあった。海洋技術センターの仕事もやり甲斐はあったが、ここはまた違った使命感がある。辺境のプラットフォームというから閉鎖的な場所を想像していたが、どこも活気があって、連帯感も強い」

「そうでしょうね。私もMIGについて調べたけれど、ニムロイド合金の技術では完全にファルコン・スチール社を凌駕してるのね。一般人はそれと気付かないだけで、ステラマリスでもメーカーに行き渡っているニムロイド合金の四割がMIG製だと聞いているわ」

「俺も全然知らなかった」

「身の回りの製品に、どこの、どんな原料(マテリアル)が使われているか、普段は意識しないものね」

まったくその通りだ。ニムロディウムも子供の頃から当たり前のように身の回りに存在したのだろうが、それを強く意識するようになったには今度のミッションに参加してからである。

「再起の機会を得たからには、むやみに人と敵対するような真似は慎みなさいね。自己主張するのは構わない。でも、この世にはあなたが考えも付かないような権力の世界がある。彼らのルールは一般人とは大きくかけ離れて、道理や良心の通じる相手じゃない。とりわけクレディ・ジェネラルは身内でさえ実態が掴めないような伏魔殿だし、ファルコン・マイニング社との関係も深いわ。ジャンがマイペースでやってこれたのは、人の倍ほど世知に長けているからよ」

「分かってるよ、母さん。俺もいつまでも猪突猛進じゃない。遠回りしながらでも、確実に目標を達成する方法もあると分かった。次からは焦らない。もっと堅実に進められると思う」

「これを機会にしっかり勉強させてもらいなさい。大事なことは、決して自分一人では身に付かないから。それとINBシティバンクに問い合わせて、あなたの口座を再開させたわ。トリヴィアからオンライン送金しようとして、アカウントを凍結されたのね。必要な書類を提出すれば、トリヴィア圏内と自由にやり取りできるようになるから、すぐに用意なさい。それから、送金途中で一万ユーロが消失したトランザクションのトラブルも、再調査の依頼をしてあげるから、私に全権を委任する書類を作成してちょうだい。全額返還されるかどうかは分からないけど、少しでも返ってきた方があなたも安心でしょう」

「……すまないね。何から何まで」

「まったくよ。住民税や社会保険の請求はこちらに来るし、光熱費の支払いも中途半端で、あなたの尻拭いにてんやわんや。警察署にも何度足を運んだことか。デ・フルネの友達にも、ちゃんと謝りなさいね」

「そうする」

父の形見のヘルメット

「それから、ヤンに改めて礼を言ってね。フェールダムでは本当にお世話になったから」

父さんのヘルメットは?」                                                                                                                                                                                                                                                                                           

「ここに持っているわよ。あなたが貼ったサッカーボールのシールもちゃんと残ってる」

アンヌ=マリーは膝の上に抱いていた白いヘルメットを取り上げ、彼に見せた。

「毎日クリーナーで拭いてるの。だいぶ、きれいになったでしょう」

十六年前、雨風に打たれたまま、白い塗料は黒ずみ、表面も擦り傷だらけだが、最後まで堤防を守ろうとした父の気魂が今も残っているようだ

「そのヘルメット、よく覚えているよ。仕事から帰ったら、いつも玄関のフックに掛けていた。家に帰った時、ヘルメットがあれば父さんが家に居て、無い時は仕事だと分かるんだ。仕事でない時はホームセンターの『アプフェル *59』だ」

「アプフェルにもよく通ったわね。何所に行ったのかと電話をかければ、十中、八、九はアプフェルなの。暇さえあれば立ち寄って、次から次にクリーナーを買ってきて。まだ物置に使いきってないクリーナーがたくさんあるのに、新製品だの、成分が違うのって、コレクションにするのよ。それが唯一の不満だったわ。あとはパーフェクト」

「今も覚えてるよ。ケロケロ印のメタルクリーナーがお気に入りで、いつも風呂の蛇口をぴかぴかに磨いてた」

「その前は『ローゼンタール』のキッチンクリーナーだったのよ。あなたがオムツをしていた頃の話だから、覚えてないでしょうけど。本当になんて日々だったのかしら。毎週末に大きなホームセンターを三軒も梯子して、買うのはクリーナー一本だけ。あなたはキッズコーナーで遊びに夢中になると梃子でも動かないし。でも、幸せだった……」

「ヘルメットを持っていた人とは話したのか?」

「少しだけ。でも、恨む気持ちは無いわ。その人が全力で取り残された七人を救い出そうとしたのは本当だと感じたから。その人自身もずっと罪悪感に苛まれて、今も夢に見るそうよ。目の前で人が流される光景を何度も、何度も……。コンペでは『緑の堤防』に投票したって。復興ボランティアにも時々寄付をされているそうよ。あなたが怒りの拳を挙げなくても、人は心の奥底では何が正しいかを識っている。いつかまた報われる日が来るわ。あなたも、お父さまも」

アンヌ=マリーは最愛の人の髪を梳くようにヘルメットを抱き、すり切れた内側を覗き込んだ。

「このベルト、前からこんなにほつれていたかしらね。新しいのに替えてあげたいけど、まだここに温もりが残っているみたい……」

母の目にみるみる涙が浮かんだ。

「十六年――十六年よ。あの人がいなくなって十六年も経ったなんて信じられない。まだあの堤防で仕事をして、明日にもひょっこり帰ってくるような気がする。思わない日は一日だってなかったわ。私もよほど後を追って行きたかった。でも、そうしなかったのは、あなたが居たからよ」

「母さん……」

「今も毎日のように考えるの。他にもっと生きようがあったんじゃないかって。再婚なんてせずに、あなたと二人で暮らせばよかった。無理にフランスに連れて行ったりせず、あなたの望み通り、カールスルーエに暮らせばよかったのよ。この上、あなたまで失ったら、この世に生きる甲斐もない。あなたがぼろぼろに傷ついた姿を見るぐらいなら、永久に目を閉じた方がまし。私にあなたを責める資格なんてないわね。あなたを家に帰れなくしたのは、この私。私がもっとしっかりしておれば……」

「それは違うよ、母さん。再婚してよかったんだ。再婚したから、母さんは着るにも食べるにも困らず、俺も勉学に集中することができた。俺と母さん二人きりだったら、大学にも行けないほど困窮し、俺もどこで道を踏み外したか分からない。プロテウスのパイロットなんて夢のまた夢だったろう。いろいろあったにせよ、ムッシュー・ラクロワと再婚してよかったんだ。父さんもきっと同じことを言うはずだ」

「あなた、変わったわね……」

「簡単なことさ。父さんなら母さんの幸せを一番に考える。ぎりぎりの生活で苦労するより、誰かの妻になっても、母さんにはいつまでも健やかでいて欲しいと願うはずだ。俺も自棄を起こしてステラマリスを飛び出したのは馬鹿だけど、ここに来てよかったと心の底から思ってる。十六年間、心の中で止まっていた時計がやっと動き出したような気分だ。この二年、どこまでやれるか分からないが、自分なりに納得いく答えを見つけて故郷に帰れたらと願っている」

「結局、私は何もしてあげられないのね……」

「そうじゃない。何もしなくていいんだ。母さんにとって俺は今でも『揺り籠のシュシュ』かもしれないが、もう自分で稼げるし、仕事も家事も何だって出来る。母さんは幸せでいてくれたらそれでいい。いつも健やかであることが、俺には心の支えなんだ。ところで、ムッシュー・ラクロワは元気?」

「お元気よ。血圧が少し高めで、お医者さまから美食を控えるよう注意されてるけど、それ以外は精力的に動き回ってらっしゃるわ。ヘルメットのことも、専門の業者に聞いてクリーナーを取り寄せたり、いろいろ気遣ってくれてるわ」

「そう」

「あなたが将来相続する権利も財産も、ちゃんと文書にして置いてるのよ。ジャンも決して偏屈じゃない。それだけは分かってあげてね」

「でも、俺は……」

「今は必要なくても、いつか必要になるかもしれない。これから先、どんな困難が待ち受けているか分からないのよ。いつまでも片意地を張らないで、人の好意は素直に受け取りなさい。どうしても、あなたの気に入らないなら、一つだけ方法がある。家庭裁判所に申し立てて、ラクロワの戸籍から分籍するの。そうすれば名前だけでも『ヴァルター・フォーゲル』に戻れる。でも、それは本当に最後の手段よ。よく考えてね」

「分かった」

「カールスルーエの家も三月には取り壊しが始まるわ。私も来月には私物の引き上げに行くから、どうしても取っておきたい物があれば、今のうちにリストをちょうだい」

「父さんの物は全て。お祖父さんの研究の資料と家族の写真。リビングの雑貨、お祖母さんが大切にしてたガムランベア(バリ島の伝統ガムランボールが入ったクマの縫いぐるみ)も」

「リビングのサイドボードに飾ってあった縫いぐるみね。お祖父さまがインドネシアのカワイジェン火山に調査に行かれた時、お土産に買ってこられたのでしょう」

「お祖父さんの初めてのプレゼントなんだ。お祖母さんが図書館で仕事をしていたら、突然クマのぬいぐるみを持って現れて、『世界中を旅する男を恋人にすれば、世界中の土産物が手に入る』と口説かれたらしい」

「フォーゲル家の男性は皆そうなの。ハンブルクの叔父さましかり。グンター・フォーゲルしかり。突然やって来ては驚かせ、贈り物をしては驚かせ。あなたもそうなの?」

「俺はそこまで情熱家じゃない。それに年中海に出るのに、どうやって知り合うんだ」

「それで港の女の人と一夜限りのお付き合い? 呆れて物も言えないわ」

「……」

「私が何も気付いてないとでも思ってたの? あなたのやってる事は、みなお見通しなのよ。大学時代のことも、プルザネに移ってからも」

「だから、今は心を入れ替えて真面目にやっている」

「本当かしら。ヤンのところは来春にも子供が生まれるというのに、私のところはそんな報せは百年待っても届きそうにない。私だって、あの人の孫の顔を見るのを心待ちにしているのに」

「孫??」

「そうよ、あなたに子供ができたら、あの人の孫じゃないの。そうして血筋が続くだけでも、どれほど心の慰めになるか」

「じゃあ、今度スーパーで買ってくるよ」

「茶化さないで真面目に考えなさい。お父さまの言う事は何でも『ハイハイ』と聞くくせに、私の言うことは、はなから無視して反抗するか、おちょくるか。時々、虚しくなるわ。母親なんて、そんなものなのかと」

「だって、父さんは男同士だし、気心も知れてる。でも、母さんは、存在自体がシャンソンみたいにむず痒い」

「失礼ね。そんな言い方をするなら、もう二度と相談なんか乗らないわ」

「冗談だよ。本当はとても感謝してるよ。申し訳ないぐらいにね。そうだ、母さん、一度こっちに遊びに来れば? もう一つの島に開発中の大型リゾートがあるんだ。まだ大部分が工事中だけど、高級ホテルが建ち並び。海岸線もコルシカ島みたいに素晴らしいそうだよ。母さんが来れば、マクダエル社長もきっと喜ぶ」

「そうしたいのはやまやまだけど――私ね、驚かないで聞いてね。四ヶ月前に心臓の手術をしたのよ」

「心臓の手術?」

「大きな手術じゃないの。心臓の血管にカテーテルを通して、血栓を除去するだけの小さな手術よ。二日で退院したわ。命に関わるような病気じゃないのよ」

「そんな……」

「私ももう五十四歳よ。あちこち悪くなっても、おかしくはない。幸い、手当が早くて大事に至らなかっただけ。今はマルセイユで一番のお医者さまに診てもらって、東洋から取り寄せた生薬も飲んでいるし、あと三十年は長生きすると太鼓判も押してもらったわ。ただ、今年一年は安静にしないと駄目なの。カールスルーエやネーデルラントに出掛ける程度なら大丈夫だけど、宇宙船に乗ってはね……」

「……」

「そんな世界の終わりみたいな顔をしないで。もうほとんど治ってるのよ。私と同じ手術を受けた人も、みな元気に社会復帰されているわ。だから、今は仕事に専念して、生活を立て直しなさい。いつか、あなたが可愛い人を一緒に連れて帰ってくるのを心から願っているわ」

ファルコン・マイニング社の脅威

電話が終わると、彼はインディラに一報を入れ、通信室を出た。そして直通階段を降りかけた時、階下から上がってきたインディラと鉢合わせた。

「通話機能だけオフにして、他はそのままにしてるよ」

「それで構わないわよ」

インディラは手短に答えると、そのまま彼の側を通り過ぎようとしたが、すれ違い様に彼の顔をちらと見ると、「ずいぶん嬉しそうね。ここに来た頃は死にそうな顔をしてたのに」と微苦笑を浮かべた。

「ここに来た頃、君に会ったかな?」

「ええ、一瞬ね。理事長とアルバトロス号で下見に来たでしょう。あの時、私もプラットフォームに居たの。ぶすっとした顔で理事長の後ろを歩いて行くのを遠目に見たわ。あんな調子で上手くやれるのか心配してたけど、どうやら万事順調みたいね。よほど理事長と気が合うのね」

「別に気が合うというほどでは……」

「謙遜することないじゃない。理事長に気に入られてるのは事実でしょう。そうでなければ、お嬢さんとの交際を許したりしないわ」

「ただの友人だよ」

「ただの友人がお姫さまみたいに抱っこしてプラットフォームを歩いたりするの? そんな言い訳、小学生にも通用しないわよ」

「……」

「隠す事ないじゃない。傍から見ても、引かれ合ってるのが丸わかり。あんな幸せそうな姿を見せつけられたら、誰も文句は言えないわよ。たとえ理事長でも」

「インディラ、俺はね……」

「あなたの言いたいことは分かってる。まだ知り合ったばかりで、本当に愛しているかどうかも分からない。でも、あなたが向き合っている人間の実情を知れば、少しは考えも変わるんじゃないの」

「どういう意味?」

「よかったら、屋上で話さない? お節介が嫌でなければ」

「いや……今後の参考に聞いておくよ」

二人はそろそろと屋上に上がると、手摺りからプラットフォームを見渡した。

初めて見た時は機械に過ぎなかったが、今は意思もって動く一つのシステムに見える。海中深く突き立てられた揚鉱管は、さながら鉄の牙城を突き崩し、技術の勝利を高らかに宣言するかのようだ。

「あなたは随分、ここが気に入ってるみたいね」

「君は好きじゃないのか?」

「半々ね。十二月にはステラマリスに帰るの。もう二度と戻ってくることはないでしょう」

「家族で?」

「いいえ。婚約者よ。といっても、十二月には呼び名が『夫』に変わるけど」

「そりゃあ、おめでとう。どこに暮らすんだい?」

「シドニーよ。厳密には郊外だけど」

「でも、どうして?」

「私の生まれ故郷だからよ。私の一族は曾祖父の代にインド南西部から移住してIT企業を興したの。地元の著名な企業家と共同出資してね。でも、父の代になってから関係がギクシャクして、経営も上手く行かなくなった。そんな時、アステリア開発公社の通信事業が競争入札にかけられているのを知って、父が一大勝負に出たの。マクダエル理事長と知り合ったのもその頃よ。プラットフォームのITシステムも全て『ステラネット』が手がけてたわ。製錬所も、関連企業のオフィス・ネットワークも。ここのIT事業はほとんど父の会社の独壇場よ」

「それなら大成功じゃないか」

「そうね、今のところは」

「将来に不安でも?」

「既に影は忍び寄ってるわ。光ある処に必ず影が付いてくるのと同じよ。鉱山会社のファルコン・マイニング社は知っているでしょう? ネンブロット星のみならず、トリヴィアの政財界も牛耳って、ニムロディウム市場を支配している。トリヴィア領内のみならず、ステラマリスでも、ハヤブサ頭を模したロゴマークを目にしない人は無いはずよ」

「名前だけは知ってるよ。いつもメガバンクのクレディ・ジェネラルとワンセットで語られる」

「ファルコン・マイニング社はあなたの日常の至る所にいる。車、パソコン、TV、携帯電話、家電や電子機器は言うに及ばず、橋梁、鉄骨、街灯、化学プラント、通信ケーブル、都市を構成するインフラまで、彼らがネンブロットで採掘する鉱物資源が使われている。とりわけニムロディウム――これがなければ宇宙船は飛ばないし、恒星間通信も繋がらない。宇宙植民地の岩石惑星に、地熱や水や酸素を作り出すテラフォーム・ジェネレーターも、心臓部の大半がニムロディウムで構成されている。まさに『ニムロディウムを制する者が宇宙文明を制する』よ。あわよくば、その鉱脈を手に入れようと、誰もが鵜の目鷹の目でネンブロットの土を掘り返してるわ。鉱山を一つ手中にすれば、末代まで遊んで暮らせるというから。多少の誇張はあるにせよ、これからまだまだ高値が続くのは確かでしょうね」

「それが君の将来にどんな影を?」

「もうすぐ彼らがここに乗り込んでくるわ。前から進出の機会を窺ってたけど、今ひとつメリットがなかった。でも、インフラも高度に発達し、海のリゾートとして注目を集めている今、ようやく足場が整ったわけ。皮肉な話じゃないの。ファルコン・マイニング社の一党支配に風穴を開けるつもりの採鉱事業が逆に彼らの呼び水になるとはね。もちろん、それも見越した上での戦略でしょうけど」

「それはファルコン・マイニング社も海台クラストの採掘に乗り出すということ?」

「彼らの狙いは北方の島、ウェストフィリアよ。ガス、石油、建築材料、コモンメタルは言うに及ばず、金・銀・プラチナ、はては宝石まで、あらゆる資源の宝庫と言われてるわ。既に地殻活動が沈静化したネンブロットと異なり、ウェストフィリアは今も現役の火山島だから」

「だが、あんな極寒の離れ島で探鉱や採掘ができるものかい?」

「零下一〇〇度の衛星の地下にも開発基地を築く時代よ。既存の設備を利用すれば、決して不可能じゃないわ。でも、彼らがウェストフィリアに開発基地を築くなら、通信回線と中継基地は必須。それは公共財でもあるから、一企業の都合で回線を増設もしくは閉鎖したり、利用申請を拒否する事は許されない。たとえば、ウェストフィリア島とローランド島の間でモバイルネットワークを拡張する為に、『ステラネット』が管理する中継基地の性能を上げろとトリヴィア政府に求められたら、ステラネットはそれに応えないといけないの。なぜなら、既存の中継基地と通信機能は、半分、トリヴィア政府のものであって、ステラネットの独断で通信を止めたり、機能変更することは認められないからよ。言い換えれば、誰かがトリヴィア政府に強く働きかけ、公的な権限の元に指示されたら、ある程度は従わざるを得ないわけ。何故って、ステラネットがアステリアで通信事業を継続するには、それが絶対条件だからよ。そして『誰か』が誰を指すかは、あなたにも容易に想像が付くでしょう。でも、一つだけ、父がステラネットの自由意志として堂々と拒否できることがある。それが海底複合ケーブルの敷設よ」

「どこに敷設するんだ」

「ローランド島からウェストフィリアの南端まで、およそ三五〇〇キロメートル。実質的には四〇〇〇キロに近い物になるでしょうね」

「だが、それだけ大規模な敷設工事と管理を任されたら、大した収益になるんじゃないか?」

「そうでもないわよ。海底に敷設する光複合ケーブルは通常の通信回線とは規模が違うし、全長四〇〇〇キロなんて、ステラネットが所有する専用船の作業能力をはるかに超えてるもの。一〇〇パーセント不可能ではないけれど、敷設に必要な設備や人材を揃えようと思ったら、一企業の力では到底無理。その上、ウェストフィリアの開発事業に失敗すれば、工事費用を回収できない恐れもある。確実に成長が見込まれるローランド島の通信インフラを強化するならともかく、どちらに転ぶか分からないウェストフィリア開発と心中するのは御免だと、父も難色を示しているわ。第一、あんな所に開発基地など正気の沙汰じゃない。大地震や噴火で何度も立ち入り禁止になっているような島よ。ほとんど安全性の確立されていない火山島に優秀な技能者を派遣したいわけがない。それで協力を拒むと、息のかかった政府高官を利用して、電子通信事業者の免許を停止するかのような脅しをかけてくる。たとえ公的事業であろうと、従業員を命の危険に晒すような無謀な賭けはしないというのが父のスタンスだから」

「そうだろうね」

「でも、彼らの脅しが単なるこけおどしでないことも父は知っている。だから余計で辛いのよ。彼らが本気になれば、省庁を動かして、ステラネットの管理する通信インフラを停止するぐらい訳ないから」

「君も脅迫を?」

「マクダエルのお嬢さんほどじゃないわ。でも私の両親は万一も考慮してる。シドニーに戻ることを快諾したのも、それが理由の一つよ」

「だが、なぜそんな脅迫が大手を振ってまかり通るんだ? 証拠があれば、立派な犯罪だろう?」

「それで撲滅するなら、数百年前からこの世はパラダイスよ。証拠があっても、権力者に手錠はかけられない。とりわけファルコン・マイニング社はね。例えば、ファルコン・マイニング社が安価な労働力を大量に確保するため、違法な斡旋業者と手を組んでいることは、政府も鉱業局も、業界の誰もが知っている。でも、ニムロディウムの安定供給の為、見て見ぬ振りを決め込んでいる。たとえ下っ端の斡旋業者が捕まっても、その上の司令塔まで司法の手が伸びることはないし、そこに踏み込めば自分の命が危なくなるだけ。命が惜しいなら、不当な要求も黙って呑むか、報復覚悟でセキュリティを強化するしかない。トリヴィアやアステリアでゲーテッド・コミュニティが重宝される所以よ。『社長令嬢がお供も付けずに遊び歩いていたら、裏社会にも相手にされないほど会社が落ち目の証拠』なんて冗談もあるくらい。そして、現在(いま)も昔も、ファルコン・マイニング社の最大の天敵はMIGであることに変わりない。マクダエル特殊鋼の分離独立から始まって、ニムロイド合金の特許技術をめぐる法廷闘争、ノア・マクダエルの真空直接電解法、脱ファルコン・グループの旗振り、アステリアの産業振興、そして、採鉱プラットフォームの完成――。特殊鋼の分野で勢いづくならともかく、ニムロディウムなんて禁断の果実に手を出したのだから、正気の沙汰じゃないわ。娘を生贄に差し出すようなものよ」

「……」

「こんな話、嫌なら止めるわよ」

「いや……聞いておくよ」

「マクダエルのお嬢さんも、蝶よ花よと呑気に暮らしているように見えるけど、理事長とダナ会長がなくなったら、オオカミの群れの中に置き去りにされるも同然。私なら裸足で逃げ出すわ」

「他に頼りになる人はないのかい」

「利害抜きで頼れる人は皆無でしょうね。理事長に男子の跡取りはないし、ダナ会長は独身。お嬢さんがいろんな意味で唯一の後継者であることに変わりない。彼女が無くなれば、マクダエル家も断絶よ」

「断絶?」

「そう。直系の血筋はね」

「理事長の兄弟は?」

「ダナ会長だけよ。本当は年の近い従弟がいるの。でも、その従弟とも断絶して、今は居場所さえ知らないはずよ」

「なぜそんなことに?」

「四十年前、父親の代に兄弟間で揉めたからよ。弟――つまり理事長の叔父に当たる人がウェストフィリア開発に乗り出したけど、多額の負債を抱えて失敗してね。直接の原因は調査船の遭難事故だと聞いているわ。弟はMIGの役員だったけど、開発前に除籍して、最後は自殺したというもっぱらの噂。弟一家は離散して、完全に表舞台から消えた。どうしてウェストフィリア開発をめぐって兄弟間で揉めたのか、私も詳しくは知らないけど」

「君もよく知っているね」

「ここに来る前、私の父もMIGやマクダエル理事長について詳しく調べたからよ。その上で、四十年前の出来事は理事長とは何の関係もないと分かったから信用したの。ダナ会長の経営者としての資質も確かだしね。ここに来てから個人的にも親しくして、二十年以上も交流が続いているところを見ると、お互いに納得しているのでしょう」

「じゃあ、度々、父娘を脅迫しているのはその従弟なのか?」

「そうは思わないわ。本当にそうなら、理事長だって、とっくに然るべき手を打っているはず。それに一家を脅せば、自分が刑務所行きになるだけで、何のメリットもないもの。ただ、敵意は無くても、親族として当てにならないのも確かだし、そういう意味では彼女に待ち受けているのは断崖絶壁の孤独かもしれないわね」

「母方の親族も?」

「お互いに距離を置いているという話よ。理事長の奥様の実兄はMIGの金属材料研究所の主任研究員なの。でも、『アル・マクダエルの義兄』として、一度も公の場に現れたことはないわ」

「そう……」

カエルの王様と囚われの姫

「ともあれ、あなたのお相手は相続するものも抱えている問題も、私とは桁違い。その気がないなら、下手に優しくしないことね。でないと、女は期待するわ。その方がもっと残酷よ」

「……」

「私ね、あなたがお嬢さんを抱っこして甲板を歩いてるのを通信室から見てたの。二人とも、とても幸せそうな顔をしてたわ。いろいろハードルは高いでしょうけど、できれば頑張って欲しいなと思って。余計なお世話だった?」

「そんなことはない。君の話は参考になったよ。いつか君のお父さんとも話してみたい。どんな事業を手掛けてるのか」

「父と話したければ、いつでも言ってちょうだい。オンラインでも、面談でも、あなたの都合のいいようにセッティングするわよ」

「ありがとう」

「私もプラットフォーム勤務は今日が最後なの。おそらく再びあなたと顔を合わすこともないでしょう。仕事もプライベートも順調に行くといいわね」

インディラは階段に向かって歩き出したが、ふと彼の方に振り向くと、

「あなた、本当は『カエルの王さま』なの?」

「『DER FROSCHKONIG ODER DER EISERNE HEINRICH *60(カエルの王様、あるいは鉄のハインリヒ)』のこと?」

「そう。魔法でカエルにされた哀れな王さまの物語。あなたもみずぼらしい形(なり)をしてるけど、本当はどこかの王さまなんじゃないの?」

「何故そう思う?」

「理由は三つ。あなたには匿名の通信プロトコルで直通電話をかけてくる母親がいる。二つ目は、あなたのお母さんを『奥さま(マダム)』と呼ぶ人が複数仕えている。三つ目は、あなたのお母さんの正式名には称号がある。息子のあなたは庶民だなんて誰が信じるの」

「ただの庶民だよ」

「他人は騙せても、通信プロトコルは騙せないわよ」

インディラは怜悧な黒い瞳を閃かせた。

「ともあれ、お姫さまの寝床に忍び込む時は慎重にね。理事長に見つかったら、壁に叩きつけられるだけでは済まないわよ」

「その前に『いやらしいカエル』と嫌われないようにしないと」

彼が苦笑すると、インディラも「頑張って(グツドラツク)」と微笑んだ。

<< 前のエピソード次のエピソード >>
第二章『接続』のシリーズ
目次
閉じる