MORGENROOD -曙光
潜水艇パイロットと船上生活
海洋技術センターに入職
二十三歳の夏、念願かなって海洋技術センターに入職が決まった。狭き門をくぐった五名の中の一人である。
プロテウスに心引かれて以来、何度もフランス北西部にあるプルザネに出掛け、運航部の整備場や支援船などを見学させてもらった。しまいには職員のほぼ全員に顔と名前を覚えられ、事務所でお茶菓子を振る舞われたほどだ。その甲斐あってか運航部に採用が決まり、まずはプロテウスの整備から学ぶことになった。構造、機能、手順、修理を完璧に習得すれば、操縦席に座らせてもらえる。復興ボランティアも大事だが、海洋調査にかける夢も大きい。
プルザネの住まいは、いわゆる社宅だ。海洋技術センターが遠方の研究員の為に確保しているアパートの一室で、1DKの室内には最低限の家具が揃っている。会社の所有なので、壁紙を貼り替えたり、収納棚を取り付けたりすることはできないが、どうせ海洋調査に出るようになれば、この部屋に戻ることもない。最低限の衣類と日用品、Leopardと自転車があれば十分だ。
様子を見に来た母はあまりの殺風景に絶句し、「胡蝶蘭の鉢植えでも買ってきましょうか」と気遣ったが、
「留守中に誰が水をやるんだよ」
彼は憮然と答える。
「じゃあ、色彩の明るい絵画でも飾ってはどう? クロード・モネやカミーユ・ピサロならあなたも好きでしょう。それともカディンスキーやサルバドール・ダリのような抽象画……」
後日、母が送ってきたのは、モーリス・ユトリロの『三つの風車』『ノートルダム・ド・パリとセーヌ河』の額絵だった。ユトリロにしては色鮮やかな作品で、明るい日差しが画面いっぱいに溢れている。『ノートルダム・ド・パリとセーヌ河』ではフランスの三色旗が船のマストにはためいていたが、彼はそのトリコロールをサインペンで横向けに塗り直すと、キッチンに飾った。
さまよえるオランダ人のように
海洋技術センターでの仕事は順調だった。
最初はプロテウスの整備を通して潜水艇の構造や機能を学び、配線一本、ボルト一個に至るまで頭にたたき込んでゆく。
それと平行して全潜航のプロセスに立ち会い、着水から揚収までの細かな手順やオペレーションスタッフとの連携、操縦のノウハウ、緊急時の対応など、実際を習得する。
地味で、寡黙で、家族やプライベートに話が及ぶとたちまち口が重くなるのは相変わらずだが、とにかく真面目で、覚えが速いと職場の評判も上々だ。その上、四カ国語に通じ、外国の研究者や政府要人の通訳もできるので、プロテウス以外のことでお呼びがかかることも多い。海洋学部で学んだことも、研究者の要望や目的を理解する上で大いに役立った。
公的支援があるとはいえ、一回の潜航調査にかかる費用は莫大だ。綿密にスケジュールを組んでも悪天候に泣かされ、三回の予定が一回しか実施できないこともある。遠い外国からどうにか時間と予算の都合をつけてやって来る研究者にとっては、一回一回の潜航が「人生にただ一度」のチャンスだ。そのチャンスを生かす為にも、真っ暗な深海で的確に目標地点に到達しなければならない。また目標地点に到達したからといって、必ずしも予想通りの地質や生物があるわけでもなく、その場その場で状況を判断し、臨機応変に調査場所を移動するのも重要な仕事だ。
しかしながら、電波も通じず、光も届かない超高圧の世界で、プロテウスを自在に操るのは容易いことではない。深海では人間が歩くほどの速度しか出ないし、どんな強力な光源を用いても、視界はわずか一〇メートルほど、懐中電灯一本で夜のカルデラ底を探索するが如くだ。
また着水や揚収など、オペレーションに適した時間帯は日中に限られており、一回の潜航時間は四~六時間、海底を一〇キロも移動できれば上出来である。
それでも無人機のハイビジョンカメラではなく、自らの目で熱水の湧き出る様を観察したい。深海底にどのような地層が存在するのか、岩石の色は、形状は、この海底面の亀裂や隆起は何を意味するのか、等々、研究者の興味は尽きない。
そうした要望に全力で応え、限られた潜航時間を有意義なものにするのがパイロットの使命だ。たとえ歴史的な大発見に繋がっても、パイロットの顔と名前が科学雑誌の表紙を飾ることはないが、海洋科学を陰で支える手応えは何にもまさる。
それに海の底には父が居る。
どんな時も彼のことを見守ってくれる。
深海こそ天国の入り口だ。
海洋調査は数週間、時には数ヶ月に及ぶこともある。
一年の大半を海で過ごし、プルザネの社宅に戻ってくるのは航海と航海の合間のほんの数週間だ。海から海を海鳥のように渡り、ずっと一カ所に留まることがない。しかも余裕のある時はフェールダムに出掛けるので、実質、社宅で寝起きするのは年に数えるほどだ。
何週間も狭い船室に閉じ込められ、中には退屈しきって面倒を起こす者もあるが、彼は同僚とのお喋りもそこそこに自室に引き上げると、Leopardを開いてデ・フルネのウェブサイトにアクセスした。ボランティア仲間とメッセージをやり取りしたり、植樹や土壌改良に役立ちそうな情報を提供したり、遠隔でもやるべき事はたくさんある。
それが終わると、今度はGeoCAD ZEROを立ち上げて、リングの続きを描く。
オンライン教材で操作を覚え、描画を重ねるうちに、だんだん鳥瞰図らしくなってきた。まるで父と話したアイデアが徐々に水の底から姿を現すみたいに。
そんな彼の暮らしぶりは、まるでLe Vaisseau fantome(さまよえるオランダ人)だ。
淋しくないのかと言う人もあるが、元々どこにも帰る家など無い。海から海を渡ろうと、何週間も船上で過ごそうと、彼には同じことだ。出航の時も辛いとも淋しいとも思わず、むしろ船が岸を離れて地上の一切が遠ざかる時、言い知れぬ解放感を覚える。家財も持たず、一人の女性とじっくり付き合うこともなく、船を棲み家に西に東に飛び回る。これほど自由で、エキサイティングな生き方がまたとあるだろうか。
そして、そのままいけば、一部署の主任ぐらいにはなれたかもしれない。
それで本当に良かったのだ。
フェールダムの臨海都市計画が持ち上がるまでは。
[post_link id=”96″ cap=”前のエピソード”]
[post_link id=”104″ cap=”次のエピソード”]